第29話 首狩り姫
バネストリア帝国には都と呼べる都市が3つある。
一つは皇帝の住居であもある皇城を擁し、政治を司る帝都アイ・クナード。
名目上の首都でもある。
そして2つ目は、帝都アイ・クナードと、大河ナースチア川を挟んで対岸に位置する、別名魔道士の国とも言われるバネストリア帝国を象徴する学都アイ・ベルニス。
最後に3つ目は、ナースチア川下流の穀倉地帯にあり、帝国の富と食を支え、最大の人口を誇る商都アイ・ノワイスである。
今、帝国の帝位は空位になっている。
父帝クロドネック・ミアサ・バネストリアの崩御後、嫡男である次男のコノヴァン・アマルース・バネストリアが継いだが、近衛の反乱によって謀殺されてしまった。
これによって空いた帝位に名乗りを上げたのが、先帝の庶子で長男でもあるザルーク・シール・バネストリアと、謀殺されたコノヴァン帝の同母弟であり、先帝の三男のオルグス・アマルース・バネストリア、それに先帝の弟である皇弟、ゼールス・ビアノース・バネストリアであった。
3人は、それぞれ長男ザルーク派が帝都、三男オルグス派と皇弟ゼールス派が商都アイ・ノワイスを本拠として勢力拡大の為の暗闘を繰り広げていたが、ここに来て皇弟ゼールス派が三男オルグス派を下したことで商都アイ・ノワイスの全権を掌握し、富と食料の供給を掌握したことで一気に抜け出した感があった。
長男ザルーク派が拠る帝都は守るに易い堅城で、篭城すれば数年は持ち堪えるだろう。だが、それだけだ。
趨勢は決まったと見るのが大方の見解であった。
そして今、政争の舞台となっている帝都や商都と比べると、今ひとつ影の薄い学都アイ・ベルニスにある、とある館に、夜分、数人の男達が訪れていた。
館の主人が女性であることも鑑みれば、少々礼を失する時刻ではあるが、客の来訪を告げられた女主人は快く来訪者を受け入れた。
「お久し振りです、ザルーク兄様。ようこそいらっしゃいました。メイサーラお義姉さまはお元気ですか?」
うら若き女主人、ティリザ・エルノ・バネストリアは、そう言って夜分の客、ザルーク・シール・バネストリアを迎え入れた。
ティリザは現在16歳。腰まで届く赤味がかった金髪、俗にストロベリーブロンドと呼ばれる髪を持った少女だ。
決して絶世の美人などではない。歳のわりにはやや低い身長と童顔から、可愛らしいという評価が一般的だが、本人と相対すると、長らく学都の住人として過ごした結果、様々な学識を蓄えた知性を宿す、黒い瞳が深く印象を残す。
かたや、ザルークは現在27歳。180cmほど身長で痩せ型の体型。
母親が平民の庶子ということもあって、あまり表舞台に登場することは無かったが、庶民からは帝室の一員ながらも身近な存在として一定の人気があった。
そのザルークは、通された応接室で歳の離れた妹と相対しながら、やや余裕の無い面持ちで急な訪問を詫びる。
「こんな夜分にすまないな。あれも元気だよ、まあ、一応は、な。それにしても本当に久し振りだ」
「ええ、陛下の・・・・・・コノヴァン兄様の葬儀以来ですから、もう4年になりますわね」
「そうだな。互いの立場を考えれば致し方ないこととはいえ、こんな近くに住んでいながら、兄妹が普通に会うことすらままならないとは・・・・・・皇家と言っても情けないことだ」
ザルークは首を振りながら嘆息する。
これまで、長男ザルーク派と三男オルグス派、皇弟ゼールス派が三つ巴の権力争いを繰り広げる中、第二王女であるティリザは、ここ学都アイ・ベルニスに篭り、あえて権力闘争から距離を置いていたのだが、様々な事情から同じように三者の争いと距離を置く他の帝国貴族達が自然発生的にティリザの元に集結する形となって、この学都で中立派と呼べる派閥を結成する事態となっていた。
このため、ナースチア川という大河を挟んで指呼の距離にありながら、ここ数年双方の交流はほとんど無いに等しい。
挨拶を済ませ、互いに向かい合って席に着くと、ティリザの侍女達がテキパキと茶を用意し、それが済むと速やかに部屋から退出する。
ザルークもティリザも護衛は別室に待機させており、兄妹2人だけが部屋に残った。
「それで、今宵の訪問の用向きをお伺いしても宜しいですか?」
ティリザが兄に問う。
「わかっているだろう」
「中立派を自分達の味方につけたい、と。無駄ですわ。今更ザルーク兄様と中立派の皆様が一緒になったところで、もう叔父上の有利は動きません。
せめてザルーク兄様がオルグス兄様と手を結んで下さっていれば違ったのでしょうけど・・・・・・」
そう痛ましげな表情で言うティリザに、ザルークも表情を曇らせた。
「確かに、あれがもう少し分別のつく男であってくれれば、俺はやつの下についても良かった。ただ、ギスタエス公爵の操り人形でしかなかったやつでは・・・・・・」
確かに三男オルグスの評判は最悪に近かった。
コノヴァンに次いで帝位継承権第2位の皇子として、我侭放題に育てられた結果、人望は皆無に等しく、それでも派閥を形成できたのは舅であるギスタエス公爵の力であり、事実、今年になってギスタエス公爵が病没すると、オルグス派はお湯に投じられた角砂糖のごとく、あれよという間に崩壊してしまった。
ギスタエス公家を継いだ息子の新当主は、さっさとゼールス派に鞍替えし、現在、オルグス本人は行方不明となっている始末である。
「ザルーク兄様・・・・・・このようなことを言えばお怒りになるかも知れませんが・・・・・・もう諦めになっては如何でしょう・・・・・・。
確かに、叔父上が帝位につけばザルーク兄様を生かしておくとは思えません。しかし、今ならば他国へと逃れる隙もありましょうし、私も精一杯力添えをさせて頂きます。どうか・・・・・・考えては頂けませんか?」
思いがけない妹からの勧告に、ザルークは顔を赤くして捲くし立てた。
「なにを馬鹿な! あの男が帝位につけば、お前の身とて危ういのだぞ? やつは自分の地位を固める為に、お前を我が物とするだろう。そのようなこと、俺には絶対に我慢できん!
俺が庶子でありながらこの争いの場に立ったのも、帝国の行く末を考えたのは勿論ながら、お前にもいずれは好いた男と添い遂げてもらいたいという気持ちがあってのこと。少なくとも、あの男だけは帝位に就かせてはならん!」
「それは・・・・・・私はよいのです。私の身一つで争いが避けられるのであれば、それも皇家に生まれた者の運命でしょう。
私が今、まがりなりにも中立派と呼ばれる方々の旗頭となっているのも、そうすることで大きな争いになり、帝国の民が内輪の争いに動員され、戦場に駆り出されるのを防ぐためでした。
全て思惑通りなどと自惚れたことは言えませんが、現にこれまで何年も権力者同士の暗闘はありましたが、幸いにも大きな戦にだけはならずに済んでいます。ですから、もう・・・・・・」
ティリザは懇願とも言える呈でザルークに願うが、ザルークは首を横に振った。
「駄目だ。戦を避けたいお前の気持ちはわかるが、やつが帝位に就けば同じこと。恐らく、父上が存命の折りより公言していた王国への侵攻を画策するのは目に見えている。
これまで民を動員してまでの大きな戦にならなかったのは、お前の努力もあっただろうが、実際は自分が帝位に就いてから起こす王国侵攻に必要な兵の損失を嫌ってのことだ。そうなれば、王国だけじゃない、四カ国連合も巻き込んだ大戦となる。
だからこそ、あの男だけは絶対に帝位を渡すわけにはいかないのだ」
「だから・・・・・・先に王国を巻き込むのですか?」
ティリザが硬い声で問う。
しかし、その問いにザルークは戸惑いの表情を見せた。
「先に王国を巻き込む? すまないが、意味がわからない。どういう意味だ?」
問い返されてティリザは眉を顰めた。
惚けているのか、それとも本当に知らないのか。
「ザルーク兄様の派閥に、テネッセラ男爵がおられますよね?」
「テネッセラ男爵・・・・・・ああ、思い出した。確かウォルムズ子爵の紹介だったと思うが」
ザルークには意味がわからない。
下級貴族と王国と、何の関係があるのか。
実際、帝国の貴族は下級の男爵以上で300を越える。ザルークにしても、一応味方とはいえ下級貴族である男爵位の人物まで詳細に覚えてはいなかった。
「一月ほど前、テネッセラ男爵は傭兵を雇い入れてドマイセンに送り込んでいます。その数は100近く。
男爵個人の企てでこれほどの数を集めるのは不自然ですし、後ろにもっと力を持つ人物がいるものと推定できます。
ウォルムズ子爵は・・・・・・あの方にそのような甲斐性は無いでしょうね。
そして今、ドマイセンには王国の使節団が訪れていて、その使節団には、正体不明の人物・・・・・・ザルーク兄様は近頃王国に現れたという、コルエバンの勇者? 魔王ですか? ご存知でしょうか」
「ファノ家の調べか? 王国に現れたという人物の話は、噂だけなら聞いた。しかし、あれは王国が小規模の傭兵団を英雄に仕立て上げたものだろう。コルエバンまでみすみす攻め込まれたのを誤魔化すために、国民向けに景気のいい話を流すことはよくある・・・・・・違うのか?」
「はい。件の人物は実在しますし、噂は概ね真実を伝えているようです。今回、四カ国連合は1万近い兵を動員したようですが、ニイロとサクラコという、たった1組の男女、と、彼らが操る魔道具に撃退されたそうです。
そして王国では、特にダスターツ伯爵が友諠を結んでいるとか。
ファノ家の調べでは、テネッセラ男爵に雇われた傭兵は、今回、ニイロという男と親しい人物を拉致して、ニイロという男を操ろうと画策している節がある、と。
もしもダスターツ家縁の者に手を出せば、これは王国への宣戦布告と取られかねません。何としても阻止するようにと、私の独断でファノ家の者達を遣わせましたが・・・・・・」
ティリザの話を聞くザルークの表情が、赤く青く目まぐるしく変わる。
テネッセラ男爵は確かに自分の陣営の者だが、そんな話は全く聞いていなかった。これはどういうことなのか。
ザルークの頭の中で様々な考えが交錯する。
「ティリザ、済まないが今宵はこれで失礼する! 必ず近い内に再訪するので、今宵の続きはその時に話そう。今は急ぎ帰ってテネッセラに確認せねば取り返しのつかないことになるやも知れん」
そう言うが早いか、ザルークは席を立つと慌しく部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
只ならぬ悲鳴を聞きつけて部屋に飛び込んだニイロの面前には、信じられない光景が出現していた。
帝国ではある程度名の通った傭兵であった『二連星』のローギルが、その首から噴水のように血を迸らせ、半狂乱になった相棒のザラが身悶えするように体を寄せている。
両手が自由であるならば、溢れ出る血を押さえたいのだろうが、後手に拘束され自由のならない身では、ただ虚しく愛する者の血を浴びるだけだった。
そしてその頭上には、赤黒いドレスに身を包んだ少女――ただし、その身長は60cmほど――明らかに生身の人間ではない物体が、まるで宙に糸で吊られたかのように、ふわふわと浮かんでいた。
その姿はベータ・アースで言うならビスク・ドール、現代日本でなら球体関節人形であろうか。
白磁のような肌に長くウエーブのかかった銀の髪、硝子の碧眼。柔らかく微笑を湛えた唇は、血を吸ったかのように赤い。小さな両手には、刃渡り30cmほどのサーベルに似た片刃の直刀を持ち、体の前でハサミのように交差させていた。
均整の取れた顔立ちは愛らしく、それが余計に異様さを際立たせている。
誘拐犯達を連行するため部屋にいたドマイセンの兵士達は、事の展開に思考が追いついていないのか、その殆どが呆然と眺めるだけで、その兵士達の足元を、拘束されたままの誘拐犯達が芋虫のように這いずって脅威から逃れようとしていた。
その奇怪な人形は、悲鳴を聞いて飛び込んできたニイロとチェセルに気付くと、威嚇するかのように両手のサーベルを拡げ、全身を振るわせるようにケタケタと笑う。
磨りガラスを引っ掻くような、人を不快にさせる甲高い笑い声が室内に響いた。
「にん・・・・・・ぎょう?」
ニイロは思わず呻いた。
宙に浮いたまま、狂気を感じさせる笑い声を発し続ける人形。しかし、その顔の表情は全く動くことはなく、けっこうホラーだ。
ニイロの声を聞きつけたのか、人形はスイッチでも切り替えたかのように突然笑い声を止めると、虚ろな目玉にニイロの姿を捉え、今度は幼女のような甲高い声でニイロに語りかける。
「あなたがニイロ? でも、あなたの首は切っちゃ駄目って言われてるのよねえ。つまんなーい」
邪気の無さそうな声音で物騒なことを言う。
そういえば、サリア達の救出に忍び込んだ際に、誘拐犯の女の方が魔人形がどうのと言っていたことを思い出した。確か・・・・・・
「首狩り姫・・・・・・」
記憶を手繰ってそう呟いたニイロの言葉に、横に並ぶチェセルがギョッとした顔で振り向いた。
「あれが首狩り姫!?」
その瞬間、宙に浮く人形はチェセルの隙を見逃すことなく、するすると空中を滑るようにチェセルに迫った。
「っと!!」
それを見たニイロが、素早く腰のホルダーからスタンロッドを引き抜くと、チェセルの首を掻き切ろうと迫る人形に向けて思い切り突き出した。
ガチン! とスタンロッドが人形を叩くが、焦ったせいで電撃を浴びせるタイミングは逃してしまった。
「なによぅ、邪魔しないでよぅ」
甘えるような、嘲るような声で人形が抗議する。
「すまん、助かった!」
チェセルはそうニイロに声を掛けると、同時に腰に佩いた剣を抜き、そのまま人形に向かって踏み込んで中段からの斬撃を放つ。
しかし、その一閃は人形の持つサーベルによって弾かれた。
「くっ、意外に重い!」
チェセルの口から声が漏れる。
逆に空中を自在に浮遊する人形は、上下左右からトリッキーな動きでチェセルを翻弄した。
横薙ぎの一撃をストンと落ちるような動きでかわすと、そのままチェセルの足元に潜り込み、脹脛の辺りを双剣で切りつけつつ、今度は上昇に転じて顔面を狙う。
そうかと思えば、今度は右に左にと自在に回りこんでは、隙を見つけて突っ込んでくる。
チェセルも何とか反撃に出ようとするが、的が小さく人間とは勝手の違う異質の相手に、かなり梃子摺っているようだ。
絶え間なく続く人形の嘲笑が神経を逆撫でする。
浅手ではあるが、いくつか傷を受けていた。
ニイロもなんとか加勢したいが、部屋の中ということもあってチェセルの邪魔になってはと迂闊に手が出せない。
それに、部屋の中を縦横に飛び交う人形相手では、銃で撃とうにも誤射の恐れがあった。
ニイロは、そこでまず、部屋の中にいる兵士達に誘拐犯達を外に出すようお願いした。兵士達はニイロの部下ではないので、命令ではなくお願いだ。
呆然としていた兵士達は、取りあえず指示が出たことで慌ててそれに従い、拘束されて自由の利かない誘拐犯達を引きずるように部屋の外へと引っ張り出した。
ローギルは既に事切れており、茫然自失の呈で動かないチェルカも、同様に無理矢理引きずり出された。
万が一にも巻き添えを食う人間がいなくなったことで、ニイロにも少し余裕が出る。後はチェセルの動きにだけ注意すればいい。
スタンロッドをホルダーに収め、亜空間ポーチから代わりの武器を取り出した。
室内での人質救出作戦用に用意していたが、結局使わなかったものだ。
「ぬんっ!!」
チェセルが裂帛の気合を込めて人形の突進を弾く。
それによって互いの距離が少し開いた。
「なあに、それ? 今度はあなたがお相手? でも、あなたの首は切っちゃ駄目なのよねえ」
人形が小首を傾げるような仕草――表情は全く動かないが――でニイロに聞く。
チェセルと剣を交えながら、ニイロの動きにも注意を払っていたようだが、ガンマ・アースでは本邦初公開となる見慣れない武器に興味を引かれたようだ。
しかし、ニイロはあえてその問いに答えず、今の内にとチェセルには下がるよう身振りで指示しながら、逆に聞き返した。
「なんであの男を殺した! 味方じゃなかったのか」
「味方? 知らなーい。あたしはご主人様から、あの連中が失敗しそうになったら、捕まる前に首をちょん切っちゃいなさいって言われてただけだもの。
ご主人様のこと、ペチャクチャ喋られる前に、喋れなくしちゃわないと駄目よって、ご主人様言ってたわ。
それが済んだら、ご褒美にあなた以外の連中の首もちょん切っちゃっていいわよって、ご主人様は仰ったの」
人形はそう言って、またケタケタと身を震わせて笑い出す。
その姿は、どう見ても悪魔憑き人形だ。聖水でもあれば効果がありそうだが、生憎とそんな物は持っていないし、当然、十字架も持ってない。
しかし、人形の言葉の中で、ニイロはふと気付く。
「ふーん、なるほどね。つまり、お前は失敗した時の後始末に使われただけの、単なる使い捨て人形って訳だ」
ニイロの挑発に、人形の周囲の空気が禍々しく歪む。
空気が見えるわけではないが、明らかに部屋の中の温度が急激に下がっている。僅かだが、吐く息が白い。
「言ったわね・・・・・・」
「ああ、言ったさ。だってそうだろ? どうやら不意打ちは得意そうだけど、それだけだし、第一、おつむの方の出来も残念そうだしな
そこの男の口は封じても、自分でペラペラ喋ってくれるんだから笑っちまうよ。こんなガラクタ人形じゃあ、お前の女主人も使い捨てるのに躊躇わなかっただろ」
「殺してやる・・・・・・殺す殺すコロス殺してやる・・・・・・」
部屋の温度はますます下がり、ニイロの吐く息は、もう明らかに白い。
しかし、それでもニイロは挑発をやめない。
「おやおや、俺は殺しちゃ駄目だって言われてたんじゃないのか? ご主人様の言いつけも守れないんじゃ、こりゃガラクタ確定だな。こんなポンコツで役立たずのガラクタじゃあ、捨てられても当たり前だよなあ、ガ・ラ・ク・タ・ちゃん」
「ガラクタだとぉぉぉおおお!!」
言うが早いか、人形が両手のサーベルを振りかざしてニイロに向かって突進した。
しかし、怒りに任せた突進は直線的だ。
「ほら、やっぱりお前はガラクタだ」
ニイロの手にした武器、散弾銃が火を噴いた。
室内戦用にと準備していた短銃身――俗にソードオフとも言われる――のポンプアクション5連発散弾銃が人形を迎撃する。
小さいとはいえ60cmはある標的を、この距離で外すことはない。
まともに散弾を浴びた人形は、破砕された部品を撒き散らしながら壁際まで吹き飛んだ。
ニイロの攻撃はそれで止まず、2発、3発と撃ち込んで徹底的に人形を破壊する。
薄い壁には大小無数の穴が開き、向こう側が見えた。
魔道具という、ニイロの理解の及ばない仕組みで動く殺人兵器に、中途半端な攻撃で反撃を受ける愚は避けたかった。
念の為に1発を残し、4発を撃ち込んだところで銃撃を止め、ジリジリと慎重に近づいて様子を伺う。
ドガンドガンとけたたましかった銃声が止むと、それを埋め合わせるかのごとく静寂が部屋の中を支配した。
人形の周囲を覆っていた禍々しい空気は霧散し、室温も正常に戻っているようだ。
ホラー物ならもう一波乱ありそうな場面だが、人形の四肢は無残に砕け散り、見た目だけは愛らしかった顔も半分が吹き飛んでいる。ピクリとも動き出す様子は無い。
残った顔や、千切れてボロボロになった衣装の隙間から見える、白磁のようだった肌の色が、なぜか血のようにどす黒く染まっているのが不思議だったが、きっと魔術的な理由だろうと深く考えないことにした。
考えたところで理由がわかるとも思えないし、ひたすら不気味なだけだ。
「凄まじいな・・・・・・」
どうやら大丈夫と判断して構えていた銃を降ろすと、チェセルが言う。
それが散弾銃の威力を言ったものか、あの人形の不気味さを言ったものか、はたまたその両方か、ニイロには判断がつかずにただ無言で頷いた。
「あれがあの首狩り姫だったのか?」
チェセルは残骸になった人形を気味の悪いものを見る目で見つめながら言った。
「いや、俺は誘拐犯の女が言ってるのを聞いただけです。ナントカって人が作った首狩り姫だって。有名なんですか?」
「ああ、有名というか、半ば伝説というか・・・・・・100年くらい前の高名な魔道士が作った魔道具の人形で、10体作られた内の1つだ。
当時権勢を誇った帝国貴族の一族を一夜で滅亡させたとかって言われてる。帝室の宝物庫に『顔無し道化師』と『鏡姫』ってのが現存してるそうだが、残りは散逸してて不明だ。残っててもあと1体か2体くらいだろうとは言われてたが、実際に現存してたってことだな。
まあ、よくある話で子供の躾に『言うこときかないと首狩り姫が来て、首をちょん切るゾ』ってな具合に使われてな、俺も子供の頃に聞かされたよ」
「なるほど。まあ、その辺もあの誘拐犯達に聞けば少しはわかるかも知れないですね」
「そうだな。とりあえず、ここの検証もしなけりゃならんし、兵を呼んでいいか?」
部屋の中は、一連の出来事に乱雑を極めており、壊れた家具類に誘拐犯達が食い散らかした食べ物、人形の残骸、それにローギルの遺体も残されている。
これらを検証するのもチェセル達の仕事だ。
「そうですね。お願いします」
ニイロはそれに同意してから、外に通じる、今は開け放たれた扉から外に出た。
見ると、少し離れた一画に拘束した誘拐犯達を集めてあり、周囲を兵達が取り囲んでいる。
そちらの方へとゆっくり歩きながら、多機能ゴーグルに仕込まれた通信機を起動してサクラコに連絡を入れる。
「サクラコ、ニイロだ。こっちは粗方片付いた。サリアも無事だよ」
『よかった。こちらは変わりありません。フォーゼさんも峠は越えたと思いますが、まだ感染症が心配ですので、暫くは経過観察が必要です』
「そうか。じゃあこの後、後始末が済んだらサリアも連れてそちらに向かうよ。メリーチェ様も心配してるだろうから、そう伝えておいて」
『了解しました。それと、ニーロ・・・・・・サリアさんを無事助け出して下さって、有難う御座います』
サクラコが改めて礼を言う。
サクラコとしては自分が守れなかったという罪悪感があるらしい。
ニイロとしても自分のせいで巻き添えを食ったという認識がある為、サクラコが罪悪感を感じる必要は無いと思うし、礼を言われると少々面映い。
自分がサリアを助けるのは当たり前だ。
だが、サクラコの気持ちもわかるので、あえてそれには触れずにおく。
「いいさ。とにかくこっちを出る時にまた連絡するよ。んじゃ、また後で」
そう言って通信を切った。
すると、それを待っていたかのように誘拐犯の女――チェルカがニイロに向かって叫んだ。
「あんた! あんたこれから、あたしらの依頼主に会いに帝国に行くんだろう? 頼むよ! あたしも連れて行っておくれ! ローギルの仇を取りたいんだ!
それさえ済めば縛り首だろうと斬首にだろうと好きにして構わない。
依頼主との交渉はローギルがやってたから詳しくは知らないけど、あたしにだって伝はある。絶対役に立って見せるから! お願いだよ!」
そう叫びながら、チェルカは後ろ手に拘束されたままニイロに縋ろうとする。
兵士達はそれを慌てて押さえつけようとするが、ニイロは手を上げて制した。
「悪いけど、それは出来ないよ。さっきも言ったろ? あんた達を裁くのはドマイセンであって俺じゃない。あんた達は、これからドマイセン市に連行されて、そこで裁きを受けるそうだ。そこであんた達の罪がどう裁かれるのかは、俺には興味が無い。
俺が今興味があるのは、どうすれば二度とこんなことが起きないか、それだけだよ。
確かにあんたの協力が得られれば早いのかも知れないけど、その為にルールを破る気は無いね。もし、仇を取りたいのなら、あんたに出来るのは知ってることを全部話すことだけだ」
そうチェルカに向かって諭すように語る。
ニイロに拒否されたチェルカは力なく項垂れ、兵士達に抱えられるようにして元の位置に戻された。
その様子を見届けてから、ステルス・モードを解除したファージ達を呼んで兵士達に協力して見張るよう指示し、ニイロ自身は保護されたサリアに今後の予定を話そうと、彼女達が保護されている家の方に歩き出した。
その後姿をチェルカは見ている。
彼女の目に諦めの色は無かった。
次回更新予定は2月20日です。