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第2話 それぞれの事情

「ニイロカオルさん! 異世界の旅へようこそー!!!」


 そう言って彼女が両手で掲げて広げた横断幕には、『歓迎! ニイロカオル様』 と横書きで白地に赤で染め抜いてあり、赤文字の下には小さく黒い文字で『国際科学技術管理局βE支部職員一同』 という文字が記されている。


 横断幕の余白には、ティッシュで作ったらしいフラワーポンポンや千切った色紙による装飾が散りばめられ、『う』『え』『る』『か』『む』『!』のポップな手書き文字は電飾が仕込まれているらしくチカチカと煌めくなど、無駄にチープでゴージャスな意味不明の手作り感が満載だ。

 横断幕を勢いよく広げることで出る仕掛けになっていたらしい、色とりどりの紙吹雪が、はらはらと虚しく彼女の足元に降り積もっている。


(あ、あれ? もしかして思ってたより愉快な組織だったり?)


 突然のことに固まってしまった新納はともかく、いきなり入ってきて意味不明の台詞を叫んだっきり何も言わなくなった彼女は、横断幕を両手で広げて掲げたまま、顔を真っ赤に染め、泣き笑いの表情で目に涙を浮かべ、わなわなと肩を震わせてやはり固まっている。


 上下ベージュのレディーススーツに白のリボンシャツ、後頭部でアップに纏めた栗色の髪、年齢は二十歳くらいだろうか。

 身長は160センチを少し超えるくらいで、体型は可もなく不可もなく。バレットと同じで日本語は流暢のようだが、欧米系白人の、綺麗というよりは愛嬌のある、可愛い系の顔立ちだ。


 そんなに恥ずかしいんならやんなきゃいいのにと思いつつ、それを口にしない程度の分別は新納にもある。

 打開策を求めてバレットをチラ見すると、彼も俯いて肩を震わせてはいるが、あれは笑いを堪えてるんだと言うことくらい簡単に察しはついた。真面目そうでいて意外と黒い。


 はてさてどうしたものかと思いながら、名案も浮かばないので意を決して声を掛けてみることにした。


「えーっと……君が俺の担当者さん……で、いいのかな?」


 恐る恐る聞いてみたものの、彼女はまだ動かない……と思ったら動いた! バレットに向かって。


「ほらー! やっぱり可笑しいじゃないですか怪しいと思ったんですよぉー! こっちじゃこれが普通だって!こうしたら絶対喜んでもらえるって皆が言うから我慢したのに、やっぱり嘘だったじゃないですかー!!」


 再起動したらしい彼女は、いきなり手に持った横断幕をくしゃくしゃに丸めてバレットに投げつけると、猛然と抗議し始めた。

 その抗議を胸の前に出した両手で抑えつつ、笑いながらバレットが彼女を押しとどめる。


「いやあ、ごめんごめん。一応これは通過儀礼みたいなものだから。私だってこっちに来たばかりの時は担がれたんだ。まあ、歓迎の意味もあるんだし、そう怒らずに……(私なんて女装して化粧してダンスまで)……ほら、ニイロさんが驚いているでしょう? 後は君の仕事だよ」


(何があったバレット!?)


 一瞬だけ遠い目をして小さく悲し気に呟いた言葉を新納は聞き逃さなかったが、触っちゃいけないという警告が頭を過ったので声に出して聞くことは控えた。日本人は空気が読めるのだ。


 憤慨していた彼女の方は、バレットに話の続きを促されて落ち着きを取り戻したのか、一連の流れに真面目な顔をすればいいのか笑えばいいのか、判断に困った挙句の引き攣った半笑いを顔に浮かべた新納を見ると、仕切りなおすようにコホンとわざとらしい咳払いを一つしてから新原に向かって切り出した

 

「あー、えっと……驚かせてすみません。初めましてニイロさん、私がニイロさんの担当になる国際科学技術管理局オペレーターのシンシア・マッキントッシュです。ニイロさんのお仕事が円滑に進むよう、様々なサポートの窓口をさせて頂きます。精一杯頑張りますので宜しくお願いします」


 そう言ってシンシアは新納に向かってお辞儀をした。


「マッキントッシュさん?」


「はい、私のことはシンシアって呼んで下さい」


 そう言ってシンシアはニッコリ笑う。


「そうか、じゃあ、こちらこそこれから宜しく頼むよシンシアさん」


「シンシアって呼び捨てでいいですよ、カオルさんとお呼びしても?」


 そう聞かれて、少しだけ困ったような表情を浮かべると新納は言った。


「あー、出来たらニイロでお願いできるかな? 別に仲良くしたくないとかって訳じゃなくて、人にもよるけど日本人は、肉親か、よっぽど小さい頃からの幼馴染同士とかの例外はあるけど、一般的にはあんまり名前の方で呼び合うのに慣れてないんだよ。なんとなく照れくさいって言うかね。

それに、薫って名前は男でも俺みたいに無くはないけど、女性に多い名前なんで小さい頃に揶揄われたりしたもんだから、余計に名前の方で呼ばれるのが好きじゃないんだ。悪いけど」


「そうですかー、そういう事ならしょうがないですよね。じゃあ、ニイロさん、で」


 少し肩を落として残念そうに言うシンシアには申し訳なく思うが、誰にだって譲れない線というものはあるのだから仕方が無い。


「うん、ごめんな」


「いえ、いいんですよ。兎に角、今は私の方から残りの説明を終わらせてしまいましょう」


 気持ちを切り替えたらしいシンシアが話を続けようとするが、それを新納は掌を向けることで抑えると、さっきから黙っているバレットに向かって言った。


「その前に、さっきからどうしても気になっている事を1つだけいいかな? 話始めて結構な時間が経つけど、看護師の巡回が1度も無いのは、やっぱり何か手を打ってるのか? それに他の病室の患者にしたって妙に大人しい。普通は誰かしらナースコールしたり動きがあるはずなんだが」


「ええ、それについては当然、私のスタッフ達がちゃんとケアしていますよ。決して誰にも迷惑は掛けませんので安心して下さい。病院の関係者にも患者さんにも、ね」


「そうか、分かった。じゃあ、続きを頼むよシンシア」


 バレットの答えに一応納得して、シンシアに続きを促す。


「はい、じゃあ……これから話すことは、ニイロさんの常識(・・)では絶対に信じられない事だと思います。でも、全て本当の事ですし、私達にニイロさんを騙したり揶揄ったりするメリットは何も無い、と言う事を踏まえた上で聞いて下さい」


 これまで、ただ元気な女の子といった雰囲気だったシンシアの表情が、真剣なものに変わったことを目にし、新納も黙って頷いた。

 それを確認してシンシアも話を続ける。


「ニイロさんは、並行世界(パラレルワールド)という言葉、概念をご存知でしょうか。」


「ああ、SFなんかに出てくるやつだろ?」


「はい、多分、それで合ってると思います。歴史の、ある時点で分岐して並行して存在する世界。私やバレットさん達、私達はその並行世界(パラレルワールド)からこの世界にやって来ました」


「……」


 荒唐無稽な話だ。しかし、本当の話だと何度も念を押されているので、黙ったまま話の推移を見守ることにした。


「私達のいた世界と、この世界、便宜上、私達のいた世界をアルファ・アース、この世界をベータ・アースと呼びますが、アルファとベータが分岐したのは、今の学説だと1700年代半ばごろ、歴史的出来事ですと産業革命が始まった辺りと推測されているそうです。

 但し、分岐したと思われた後も二つの世界で同じ歴史上の出来事が観測されていることから、分岐は歴史のとある一点で別れるのではなく、長い期間、曖昧な時期を経た上で、何れ完全に分岐すると考えられています。


 例えば、ニイロさんに分かりやすく日本の例で言いますと、江戸幕府はアルファの方が早く終焉を迎えています。しかし、その後の混乱期を経て、正確な日時は違いますが、明治政府が打ち立てられる所は一緒です。

 また、地質学的な観測データからは、二つの世界が分岐したと思われる時期以降のデータに差異が認められているものの、天文学の観測データでは完全に同一の星座が観測されていることから、二つの世界の時間経過による差異は今のところ認められていません。

 この事から、時間の流れ自体は並行世界全てに共通していて、少なくとも並行世界を移動することによるタイムトラベルは不可能らしいです。


 私自身はは学者じゃないから詳しい学説までは分かりませんけど、学生の時に習った先生は、『人間を含む生命体の営みによって作り出される歴史の流れは、世界を分岐させる(エネルギー)を持ち、その影響は地球全体の物理現象にまで影響する(エネルギー)があるが、他の天体にまでは及んでいないことから、時間にまで影響を及ぼす程の(エネルギー)は無いようだ』 って言ってましたよ」


 シンシアは何故か両手を腰に当てて得意気だが、新納にはサッパリ理解できない。


「それで、私達のアルファは、ベータと比べると科学技術や先端医学なんかの一部特定の分野だと結構先行しているようでして、60年ほど前に並行世界が初めて観測されました。

 それがこのベータなんですけど、40年ほど前には転送機を実用化して、実際に探査機(プローブ)を送り出すことに成功しました。

 そしてデータ収集を重ねて、生命体、つまり人間を転送できるようになったのは30年ほど前からで、現時点で総勢80名ほどが、こちらの世界で活動しています。


 ただ、ニイロさんに絶対勘違いして欲しくないのは、私達は別にベータを侵略しようとか、利己的な目的で利用してやろうとか、そういった目的でやって来た訳じゃありません。

 並行世界を転移する転送機は、軍事目的だととんでもない兵器に転用できますから、アルファでは国際安全保障条約機構、こっちで言うと国連ですね。その国際安全保障条約機構の管理下の元で、下部組織の国際科学技術管理局が一元管理しています。その使用は『世界共通の利益に寄与する科学技術発展の為の学術調査』に限定されています。


 実際にベータに来ている人間の内、半分以上は次元物理学や文化人類学とか自然科学とか、兎に角色んな分野の研究者の方々で、残りは組織の運営なんかの裏方……私もですけど……とか、後はバレットさんみたいなセキュリティーの人達がいるだけです。

 予算の都合もありますし、過去にも総勢で100人を超えたことは一度もありません。

 私達のベータに対する基本方針は、極力、ベータ世界の公的権力機構とは距離を置き、飽くまでも学究機関として、第三者の視点から観測と調査を続けることにあります。」


 そう言ってシンシアは新納の様子を窺う。


「なるほど、少なくとも悪の秘密結社じゃないってのは理解したよ」


 新納がそう言うと、安心したようにシンシアは微笑んだ。


「はい、私達はちゃんとした真面目な団体なんですよ!」


 そう言って、フンすっと鼻を膨らませ、胸を張るシンシアの言葉に、静かだったバレットが小声で呟いた。


「ちゃんと……真面目……あの変人奇人の教授連中(せんせいがた)が……」


「そっ、それは……確かに一部はっちゃけた先生もいますけど優秀な先生達ばかりだし、大部分は普通……あれ? ……普通ってどんな意味だっけ? ……うん、普通の先生ですよ? 多分」


 思わぬフレンドリーファイアに狼狽するシンシアが気の毒で、何で俺がと思いつつも、新納も思わずフォロー(?)に走る。


「まあ、色んな人がいるのは分かったよ。会える日が楽しみだね」


「えっ? ……(ああ、やっぱりニイロさんいい人だぁ) あっ…… ええっと、話が逸れちゃいましたんで元に戻しますけど、実は最近、と言っても3年ほど前なんですが、我々にとって2つ目の並行世界が観測されたんです。これをガンマ・アースと呼称しています。


 そしてこのガンマに対して探査機(プローブ)や人員の派遣が計画されたんですけど、その後の調査研究で、生命体以外の物質の場合、何故かアルファからガンマへの転送は不可能でしたが、ここベータからならガンマへの転送が可能ということが判明して、これで探査機(プローブ)を送り込むことは成功しました。


 ただ、生命体についてはアルファ、ベータ双方からもガンマへの転送が失敗に終わりまして……あ、失敗って言っても事故で怪我人や死人が出たとかは無いですよ? 小動物を使った事前の動物実験では、何の反応も起きなかったということです。

 それに、いくらなんでも初回からいきなり人を送るなんて乱暴なことはしませんし」


 それはそうだ。最初のクローンは植物、そして哺乳類は羊のドリーだったし、最初に宇宙へ行ったのは犬、初めて月軌道を周回したのは確か亀だったはずだ。最終目標を人間に置いた計画は、その前段階で必ず動物実験から始まっている。


「それで、色々な検討や実験の結果、つい最近になって、どうやらアルファに由来を持つ人間を含んだ生命体はベータ経由でもガンマには行けないけれど、元々ベータに属する生命体なら転送可能なことが判明したんです。これは各種の動物実験からも裏付けられました。なぜそうなのか、は依然不明ですけど」


「成程。それでこのままなら死が確定してる俺に、白羽の矢が立ったってことか」


「はい、申し訳ないですが、転送機による転送には様々な条件があります。アルファからベータへの転送にしても、誰でも来れるというわけではありませんし、バレットさんも私も、条件を全てクリアしてるからこそ、今、ここにいます。

 そして、現在のところ、ガンマに行ける条件をクリアしていることが確認されたのはニイロさんだけなんです。でも、もちろん、これから条件をクリアした人材が見つかって、本人の了承を得られれば追加の人員を送ることも出来るかも知れません。保証は無いですが……」


 そう言うと、シンシアは本当に申し訳無さそうに目を伏せる。


「それはいいさ、俺としても他に選択肢は無いんだし、納得もしてるよ。シンシアが最悪感を感じるような事じゃないんだから気にしなくていい。

 ともかく、それはそれとして、俺が行くガンマってのはどんな世界なんだ?

 異世界がどうのって言ってたが、どこかで歴史が分岐した世界なら、まさか剣と魔法の世界ってわけじゃあるまいが…… もしかして第二次大戦で枢軸国側が勝った世界だったりとかか? だとすると色々と窮屈そうだよな。

 あと、せっかく病気を治してもらっても、世紀末無法地帯みたいな世界だと長く生き残れる自信なんて無いぞ? 普通のサラリーマンだしな。

 そうそう、それとあと、言葉は通じるのか? 簡単な英単語が分かるくらいで、自慢じゃないが日本語以外は話せないし読み書きも出来ないぞ、俺。

 それに、5年や10年は覚悟してるが、いつまでそっちに居ればいい?」


 そう聞いた途端、シンシアの様子が明らかに変わった。


「聞きましたね? ついに聞いちゃいましたね? 私の口からそれを言わせるんですね? 聞かれたからには答えますけど、私だって信じられないんですから、『こいつ頭おかしい』 とか絶対思わないで下さいね? 絶対ですよ? 絶対ですからね?」


 なんだか涙目になって勢いよく迫って来るシンシアに気圧されるが、突然のことに状況が理解できず、助け船を探して横目でバレットを見ると、彼は顔に仏像のようなアルカイックスマイルを浮かべて目を合わすことすら無く、我関せずを貫き通す気のようだ。やっぱりこいつ黒い。

 バレットが役立たずとなると、新納が自分で何とかするしかない。


「わかったからシンシア落ち着け。全部本当の事なんだろ? 大丈夫、信じるから。例え剣と魔法の異世界ですなんて馬鹿みたいな話だったとしても頭おかしいとか思わないって約束するから」


 そう言って新納がシンシアを宥めようとした途端、彼女の表情から感情が抜け落ち、能面のような顔でポツリと呟いた。


「その馬鹿みたいな世界なんですガンマって……」


「は?」


「だから、その……どうも魔法が実在する世界みたいなんです!!」


「そ、そうか……約束したもんな、あるって言うんなら在るんだろう、うん。あるんなら仕方ないよな、うん」


 松橋は努めて冷静に、(恐らく)事実を(多分)事実として無理矢理納得することにした。

 シンシアのジト目が本気で痛い。


「と! に! か! く! ガンマには魔法が実在するみたいなんです! これは探査機(プローブ)から送られてくる映像や音声なんかの観測データからしても、どうやら本当に実在しているらしいと結論が出てるんです。

 魔法の仕組みや何故使えるのかなど、その本質については、まだデータが少なすぎてサッパリ不明ですが…… ただ、相当数の人が使えるようで、今のところの観測だと、極小さな火を出したりとかなら、ほぼ全ての人間が使える可能性があるって先生達は言ってました。

 ただ、その為なのか物質文明としては近代以前のレベルらしくて、だから正に剣と魔法の世界って表現がピッタリなんです。世紀末どころか、そこまで届いてすらいないって言うか……」


 その情報に、突然、この歳になって忘れかけていた厨二病の熾火が疼き出す。転生した異世界で現代人が魔法無双。よくある話ではないか。


「えっ? てことは俺も魔法が使えたりするのか?」


「えっ? ニイロさん、魔法使えるんですか!?」


「「えっ?」」


「「……」」


 一瞬見つめあう二人。しかし、察した瞬間に、どちらからともなく、スッと目を逸らす。

 病室内を静寂が包んだ。


「すまん……」

「いえ、その、こちらこそ御免なさい……」


 二人して真っ赤な顔で何故か互いに謝るが、この空気は耐え難いものがある。

 打開策を探してバレットを見ても、この役立たずは相変わらずアルカイックスマイルのまま微動だにしていない。


(お前もう涅槃から帰ってくんなや)


 思わず心の内で毒づくが何の救いにもならないし、このまま二人してモジモジしてても仕方が無いと、新納としても何とか再起動を試みるが、同じ事を思ったであろうシンシアの方が一瞬早く口を開いた。

 どうやら精神的な立ち直りは男性より女性の方が早いという噂は本当らしい。


「それで…… 任務地に関する、判明している詳しいデータについては、ニイロさんの治療が終わって準備が出来次第、専門の先生方の方からブリーフィングを受けてもらうことになると思います。

 後、危機管理や現地の言語に関するレクチャーも同様です。これについては、アルファで確立されて実証済みの技術による学習・体得サポートも受けられますから心配しなくて大丈夫です。現地の言語については解析が進んでますし、大きく2つの言語系に分かれるみたいですが、難しくはないと思います。

 私が日本語ペラペラなのも、その技術による学習効果ですし」


「私の日本語もね」


 いつの間にか俗世に帰ってきたバレットが重ねる。

 そんなバレット(役立たず)をシンシアもジト目で睨んでいるが、それを見て、新納は安心めいたものを感じた。なんとなく彼女となら上手くやっていけそうだと。

 するとシンシアは、言いたい事だけ言ったら、また何処かの涅槃像に戻ってしまったバレットを無視して先を続けた。


 「後は……、これも言い難いんですが、任務期間についての予定は未定です。場合によっては一生ということになります。

 実は、現時点ですと送り出す技術は開発されていますが、戻る技術についてはまだ確立されていないんです」


 とんでもない事を言い出した。要するに片道切符ということだ。


「しかし……向こうに転送機を設置して送り返すとか……って簡単な話じゃないんだろうな……」 と、新納は一応確認をする。


「はい、今のところ確立されている生命体の転送技術は、アルファからベータへとベータからガンマへ。この二つだけで、それもそれぞれの始点となる世界の住人に限られています」


「「えっ? てことはシンシア達はアルファへ」はい、帰れません」


 シンシアは被せるように断言した。


「それは……すまん」


「いえ、いいんです。私は……私達は皆、誰にも強制されることなく、ちゃんと自分達の意志でベータにやって来たんです。これはベータ・アース支部の全員が同じですから。

 それに、今は帰れませんけど、これから先も絶対って訳じゃないそうですし。


 ヒラヤマ先生が言ってました。まだ断言は出来ないけど、ブレイクスルーが起こせるかも知れないヒントは見つけたって。

 ヒラヤマ先生って、アルファじゃ知らない人はいないくらい有名な物理学者なんですよ? こっちに来て実際に本人に会ってみたら、ただの悪戯好きな愉快犯的変人ジジイでしたけどね!」


 それを聞いたバレットが、珍しく少し慌た様子でシンシアに質問する。


「ちょっ、ちょっと待って下さいシンシア。それ、私は初耳なんですが、ヒラヤマ教授がそう言ったのですか?」


「はい、昨日でしたけど、世界を隔てる壁は一つとは限らないとか何とか。

 今、ハイマン先生と共同で開発してる異空間利用の研究で気づいたって。でも沢山あったら、そっちの方が大変だと思うんですけどねえ」


「ふむ…… しかし、あの先生が口に出して言うんなら希望が持てるかも知れませんね。あの人、普段はふざけてますけど本物ですし」


「そうは見えませんけどね」


「まあ、いずれにしても、まだ年単位の時間は必要でしょうが、希望もある、ということで。如何です? ニイロさん」


 突然話を振られた新納は言った。


「まあ、今はそれで納得するしか無いんだろ? 嫌だと言っても無駄だろうし、だったら納得しとくさ。

 しかしまあ、よくもこう荒唐無稽な話ばっかりだよなあ。

 ああ、信じてないって話じゃなくてな、要するに、別の世界から来た人間に、不治の病を治してやるから、代わりにこれまた別の世界へ行ってくれって言われた訳だ。それも剣と魔法の世界に。

 普通は信じる方が阿呆だぞ? でも、信じて受けようって俺も、やっぱり阿呆なんだろうなあ……。


 そうだ、剣と魔法の世界ってことは、やっぱりエルフみたいな亜人や、ゴブリンとかオークとか、ドラゴンなんかもいたりするのかねえ……」


 最後の方は愚痴に近い。色々と衝撃的な事がありすぎて、新納としても半ば頭がオーバーフロー気味なのだ。


「いますよドラゴン。あと、ゴブリンも」


 シンシアからの追撃だった。


「は?」


「エルフとオークは確認されていません」


「いや、そこじゃなくて…… いるの? ドラゴン」


「はい。これは実はガンマが観測される切っ掛けになった出来事なんですけど、三年ほど前、私達のアルファに突然、ドラゴンが現れたんです。

 ニイロさんに分かりやすく言うと…… 私もベータに来て初めて見ましたけど、こっちで有名な、あの怪獣映画みたいな事が、アルファで現実に起こったんです。

 最初に被害に会ったのは東京じゃなくて欧州の某都市でしたけど、地方の中規模都市上空に突然現れたそれは、いくつかの都市や町を散々に蹂躙した後に、軍によって駆除されました。


 ドラゴンに襲われるなんて事態の対応は国としても軍としても想定してませんし、国外からの敵国の侵攻ならともかく、国内に突然現れたんです。対応が遅れたせいで、死傷者数は十万人を超えています。

 現実にドラゴンがいるなんて、誰も本気で思ってないですもん。

 中には態々他所から見物に行って被害に会ったなんて、笑えない人達が数万人規模でいるって言われています」


 それまで淡々と語っていたシンシアの表情が、突然苦痛に耐えるかのようにくしゃりと歪む。


「私もこの目でドラゴンを見ましたし、両親と兄夫婦も被害に……被害に会いました……。セドは…… 甥っ子はまだ二歳だったんですよ?」


「それは……」新納は絞り出すように言ったが、それ以上の言葉が続かない。


「いいんです。でも、知りたいんです。何故あんな事が起こったのか。

 あのドラゴンがガンマから来たのは分かってます。

 だとしても何故来ることが出来たのか、自然現象だったのか、人為的なものだったのか、もう二度と起こらないのか、それともまた起こるのか。

 だから私はここ(ベータ)にいます。

 実際に私がガンマに行くことは出来ないけど、ニイロさんを精一杯サポートして、もう二度とあんなことが無いように……」


 最後の方の言葉は震え、小さく、囁くように消えていった。

 俯いたシンシアは、涙を耐えて肩を震わせ、何も言えなくなってしまったようだ。


(こりゃあ、積極的に行く理由が出来ちまったなあ)


 男は女の涙に弱い。それが打算から来るものでなければ尚更だ。

 これまで新納の中で、病気を治してもらう代わり(・・・)に異世界へ行く、だったものが、異世界へ行く為に(・・)病気を治療してもらう、に、大きく変化したのは間違いなくこの時だった。


「俺はただのサラリーマンだからな。ドラゴン退治なんて無理だけど、それでもシンシアの協力があれば色々調べることくらいは俺にだって出来るさ。

 何とか期待に沿えるよう、俺なりに出来る範囲で頑張るよ。それくらいなら今の俺にも約束できる。だから、今はそれで我慢してくれ」


 それを聞いて顔を上げたシンシアの目は赤く、頬には涙の跡が見える。

 それでも健気に笑顔を見せて感謝の言葉を口にした。


「有難うございます! 私も頑張りますっ!」 両の拳を握りしめて誓う。強い娘だ。


 そんなシンシアの様子を優し気に見ていたバレットが、ここで口を挟んだ。


「でしたら私もシンシアに負けないように頑張らないといけませんね。

 ドラゴンはともかく、ゴブリンについては私の知人の関係者が実際に被害に会ってますから。


 と言うのも、アルファに於いてドラゴンの被害があった後、他にも転移してきた存在がいるんじゃないかと各国で調査が行われたんです。すると、東南アジアの某国で、ドラゴンが出現したのよりも以前に、どうやらゴブリンらしき群れによる被害が確認されていた、と言う事が判明しまして……。


 どうもあの国は秘密主義と言うか、情報の流出に神経質で、ゴブリン個体の戦闘力が低いことも相まって、国内の反乱分子によるテロ活動なんかと情報が混同されてしまってたようなんですね。それで長らく放置というか、重要視されていなかったみたいなんですよ。

 それでもあの繁殖力は馬鹿にできなくて、奴らに国境なんて意味無いですから、次第に増えたゴブリン共が国境を越えて他国にまで被害を出すようになって、初めてゴブリンという存在が認識されたんです。

 まあ、そんな中で私の知人の関係者も、周辺国での人道支援活動の最中に被害に会ったらしくて……幸いにも命に別状は無かったようですが、精神的にちょっと……」


 新納は、バレットの苦し気な表情というのを初めて見た。

 何があったのかは想像に難くないが、だからこそ詳しく聞く訳にもいかない。


「アルファも結構大変なんだな……」


「ええまあ……そんな訳でニイロさんの仕事はかなり期待されてますし、その支援については我々ベータアース支部が主体になって結構大きな自由裁量権を与えられています。

 何せアルファでは極々一部ながら、ガンマからの危険に対して軍事力を使って全ての生物を殲滅してしまえなんて過激な意見もあるんですよ。

 いくらなんでも、そんな乱暴な意見が通る可能性は限りなくゼロですけど、万が一にもそんな事態に陥ることを我々は望みません。

 ですから、私の方からも、古巣の協力を得てニイロさんの護衛に元部下を付ける手筈を進めさせてもらっています」


「部下? 確か俺以外の人間は、まだ送れないんじゃなかったのか? ……あ、軍用犬みたいな動物とか?」


「いえ、こちら(ベータ)で言うロボット兵器というヤツですよ。我々は単純に自動機械(オートマシン)とか自律機械(オートノマスマシン)を略して、AM(エーエム)、又はアムと呼んでいますけど。

 アルファでは軍隊の自動化・無人化がベータより進んでいましてね。人間ではありませんが、意思の疎通もそれなりに出来ますので、長く付き合ってると〝装備〟というより〝部下〟と。

 残念な…… 本当に残念ながら、こちら(ベータ)のフィクションに出てくるような巨大二足歩行ロボットは、流石に存在しませんがね」


 そう言うとニヤッと笑った。

 それは、何故か邪気を感じない良い笑みに新納には思えた。

 新納も釣られて思わずニヤリと笑ってしまう。

 またも新納の厨二病の熾火に燃料が投下されたのだ。ロボットという燃料(単語)が。

 

 新納も現代日本人男性の例にもれず、数多の人型兵器を主人公とした物語に夢中になった時期経験がある。

 ロボット兵器という単語に反応するのを誰が責められようか。


「ほー、ロボット兵器か。まあ、巨大ってのはロマンだが、兵器としては論外だよな。小型でも二足歩行ってのは兵器としての効率的に厳しそうだ」


「そうですね。その認識でいいと思います。もっとも、介護や看護なんかの癒しを求められる現場では、セラピーという観点から二足歩行というか、ほぼ人間そっくりなAMも既に活躍してますよ」


「へえ、アルファ凄いな。いずれにしても、それは楽しみな情報だ。まあ、自分の命が掛かってるんだし、楽しんでばかりは居られないけど」


「恐らくハイマン教授辺りが、腕によりをかけてニイロさんの任務に合わせたカスタマイズを引き受けてくれるでしょう。あの人も変わり者ですけどイケル口(・・・・)ですから、楽しみになさって頂いていいと思いますよ」


 バレットは笑顔で言う。本当に良い笑みだ。


 この会話を意訳するならば、『越後屋、お主も悪よのう』『いえいえお代官様ほどでは……』 という会話に近いのだろうか。本心は決して表に出さずに、互いの心の中で|何かを確認しあった同志・・・・・・・・・・・の。


「「くっくっくっく……」」


 いい歳こいたおっさん二人の黒い含み笑いだけが病室内に響く。


「なにこれ気持ち悪い……」


 シンシアだけがドン引きであった。

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