第13話 お悩み相談室
前回の予告で25日を予定していましたが、思ったよりは体調も良くて前倒しに成功です。
これまでの雨が嘘のように晴れ渡り、朝の陽光が宿の周囲に植えられた木々を透かして、木漏れ日が部屋の中に差し込んでいる。
聞こえてくる『チッチッ』という小鳥の声らしきBGMが、ここが異世界であることを忘れさせるようだ。
「あうう、ギモヂワルイ・・・・・・サクラコ、水、水くれ・・・・・・」
そんな清々しい朝にも関わらず、寝起きは最悪だった。
絶え間無い頭痛と吐き気がニイロを襲う。
宿の部屋の寝台の上で、ニイロは二日酔いという酒飲み永遠の宿敵に強襲されて目が覚めた。
昨日は、ニイロが宿に戻るとすぐにメリーチェから呼び出され、当事者のサリア、捕縛を手伝ってくれた護衛騎士3名、護衛団長のスローンの立会いの下、改めてサリアの主人としてメリーチェから感謝された。
その後、夕食はティングレルの代官から、メリーチェ達共々晩餐会に招待されて参加し、やっと終わって部屋に戻ろうとすると、今度は護衛騎士団から武勲を称える催しに強制参加させられた。
たかが破落戸を捕まえたくらいで大袈裟なと、サリアが相談に来る可能性も考えて断ろうとしたのだが、スローンから、要は事にかこつけて護衛の騎士達の慰労をしたいのだと裏事情を聞かされれば、強く断ることもできず、サリアの対応はサクラコに任せて、ニイロだけ飲み会に参加することになったのだが、その結果が今の惨状であった。
寝台に突っ伏したままの姿勢で、「どうぞ」 と差し出された陶器のコップを受け取り、水を零さないように寝台の縁に腰掛けると、一気に飲み干した。
「お代わり、如何ですか?」
その声に、まだよく回らない頭ながら違和感を感じて顔を上げると、そこで初めて、水を差し出してくれたのがサクラコではなかったことに気がついた。
「あ、あれ? サリア? 何でここに? サクラコは?」
飲み干したコップを差し出して、もう一杯、水のお代わりを頼みながら、状況を把握すべくサリアに尋ねる。
「はい、今朝方、お嬢様から直々に、ニイロ様、サクラコ様のお世話をするようにと申し付かりました。ルードサレンまで、あと数日の短い間ではありますが、宜しくお願い致します」
そう言ってサリアは深々とお辞儀をする。
「そ、そうなんだ。こちらこそ宜しく頼むよ」
突然のことに戸惑いながら、ニイロもペコリと頭を下げる。
「それから、サクラコ姉様はつい先ほど、今日の出立の準備のお手伝いをしてくると言って出て行かれました。終わったらすぐ戻られると」
「そうか、手伝いね・・・・・・あ? ね、姉様ぁ!?」
二日酔いも吹き飛びそうな衝撃の単語が脳を直撃した。危うくスルーするところだったが、いったい何がどうしてそうなった。
ニイロの愕然とした表情に、サリアは照れ臭そうに頬を染め、モジモジしながらも一応の説明をしてくれた。
「はい、その・・・・・・ 昨夜ご相談に伺ったんですが、ニイロ様がおられなくて・・・・・・」
「あ、ああ、スローンさんに捕まって戻れなかったんだ。それでまあ、その結果が今朝の二日酔いなんだけど。それでサクラコに、代わりに相談に乗ってあげてと頼んでたんだよ」
「はい。それでサクラコ姉様に相談したら、親身になって聞いて下さって・・・・・・後でニイロ様にも話しておくから、と。それで、自分の事は姉とも思って頼りなさいと言って下さって、私、弟と妹はいるんですけど、兄姉はいなくて、嬉しくて・・・・・・」
「そ、そうか・・・・・・。仲良くなれたんなら良いことだもんな、うん。まあ、それはそれとして、見ての通りまだサクラコには話が聞けてないんだ。ただ、出発の準備とか考えたら、今聞いてる時間も無いから、出発してからゆっくり聞くってことでもいいかな?」
「はい、それは大丈夫です。それに、もう下に朝食の準備も出来てますし、すぐお湯をお持ちしますから、顔を洗って食事になさって下さい」
サリアは昨日の落ち込み様が嘘のような明るい笑顔でそう言うと、桶に湯を貰うべく部屋を後にした。
ニイロはその姿を寝台に座ったまま見送ると、まだ重い頭を何とか切り替えるべく、目頭を揉んだり、トントンと頭を叩く。
そんなことで二日酔いがどうこうなるはずもないのだが、それでも今の内に身支度を整え、サリアの言う通り食事をして、その後は出発までの間にクラブとファージの装備構成を、昨日の反省を踏まえて変更する作業があるのだ。けっこう忙しい。
それにしても・・・・・・
(サクラコ、お前、どこ目指してんだよ・・・・・・)
二日酔いの頭痛は止まないが、果たしてこれが本当に二日酔いによるものか、だんだん自信が無くなってきたニイロであった。
◇ ◇ ◇
ルードサレン城の一角にある練兵場の一画で、一人の老騎士が剣を振るう。
銀鼠色に鈍く光る鎧を着込み、刃渡り1mほどのロングソードを縦横に操って、目に見えない敵との攻防を、延々と半刻に渡って繰り広げていた。
「伯爵様」
初秋の午後の日差しは強くはなかったが、声を掛けられ動きを止めた老剣士――ログソン・ロウ・ダスターツ伯爵―― の体躯からは、もうとうと湯気が立ち上がっている。
「・・・・・・」
伯爵は、声を掛けてきた配下の文官で、筆頭秘書のカウネル・ラッチをジロリと無言で一瞥した。
カウネルは今年36歳。癖のある金髪に碧眼。やや神経質そうな細面で口髭を蓄えている。
不機嫌そうな様子を隠そうともせずに、伯爵は無言で続きを促す。
慣れない者なら怯んでしまいそうな鋭い視線だが、カウネルにしてみれば慣れたもので、澄ました顔で用件を告げた。
「ただ今、使いの者が参りまして、お嬢様の御一行は一昨日ディンクレルの街を出立なされたとのことで御座います」
その言葉を聞いたログソンは、先程までの不機嫌は何処へやら、うって変わった様子で満面の笑みを浮かべた。
「おお、そうか! すると明後日には戻るな? 雨で帰りが遅れると聞いた時は、迎えに行こうかと思ったが・・・・・・」
「はい。お嬢様が戻られましたら、件の連中との対面も御座います。ですので、剣の鍛錬も重要かとは存じますが・・・・・・ お嬢様がお出掛けになられて以来、決済頂くべき書類の方が山を成していますので、今からでも何卒、執務室の方へ・・・・・・」
カウネルは、先程のログソンの視線にも負けない、文官にしておくのは勿体無いほどの鬼気迫る表情で訴えかけた。
その迫力には、孫可愛さの余りサボっていたという後ろめたさもあって、流石のログソンも逆らえない。
「そ、そうだな、うん・・・・・・」 それだけ言うと、着替えて執務を取るべく、トボトボと練兵場を後にした。
そんな主の後姿を見ながら、カウネルは「ふう」と息を一つ吐く。
そんなに心配なら、お嬢様を送り出さなければ良かったのにと思いつつも、それは言えることではない。
これまで主の、ここ一番での判断に間違ったことは一度も無かったし、最近、待望の第一子が生まれたばかりのカウネルにも、孫娘を溺愛する主の気持ちは痛いほどよくわかった。
気を取り直して後を追おうとしたカウネルに、声を掛ける者があった。
「カウネル!」
その呼びかけにカウネルが振り向くと、領軍のトップでもあるギータン・ポアルソンの姿があった。
「ポアルソン殿。後で貴殿にもお知らせしようと思ってましたが、丁度良かった」
「ああ、珍しく練兵場に貴殿の姿が見えたので声を掛けたが、もしかして、お嬢様の御一行から連絡が?」
「ええ、一昨日ディンクレルを立ったようなので、こちらへの到着は明後日となるでしょう」
その情報に、先程のログソンとは対照的にギータンの表情は曇った。
「そうか、いよいよ謎の英雄殿とご対面か・・・・・・気が重いな」
「そうですね。スコバヤ殿の話が本当なら、取り扱いを間違うと、取り返しのつかないことになります。いっそ、スコバヤ殿が信用の置けない人物であってくれたら、どんなに気が楽か」
「全くだ」 ギータンは、そう同意した後、少しだけ考える素振りを見せてから続けた。
「これはまだ確証は無いんだが・・・・・・ どうもドマイセンの影が気になる。かなり厳重に隠匿されているんだが、ドマイセンで何か秘密裏に武器を作っているという情報があってな。スコバヤ殿から聞いた、件の英雄殿が扱う武器と、断片的に入ってくるドマイセンの秘密兵器、俺の勘でしかないんだが、何か繋がりがあるかも知れん」
その言葉にカウネルは青褪める。
「では、ポアルソン殿は件の連中の背後にドマイセンがいると? それは伯爵様には?」
「勿論、お話したさ」
「では、それを存じておられながら、伯爵様はお嬢様を使者にしたのですか」
「うむ。伯爵様は俺とは違う判断らしいが、それでも不安はあられたのだろう。それで仕事が手につかなくて、連日の練兵場参りって訳さ」
「なるほど。まあ、それを私が知ったところで、書類の山は減りませんからね。では、私もそろそろ失礼しますよ。伯爵様のお手伝いをしないと」
そう宣言すると、カウネルは伯爵を追って練兵場を後にする。
ギータンは、その姿を見送りながら呟いた。
「勝負は明後日か・・・・・・」
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、一行は何事もなくディンクレルを出立し、一路ルードサレンへの道程を歩んでいた。
午後からの出発になったのは、前日までの雨でぬかるんだ街道が、多少でも乾くのを待っていた為だ。
その甲斐あってか、今の所は順調に行程を消化している。
ニイロの乗る馬車には、傭兵のダグとコズノー、それにスローンと部下の騎士、世話係にサリアが乗り込んでいる。サクラコとメリーチェ、ニーアーレイの女性陣は別の馬車だ。
そこでニイロは、同乗者達にも一言断ってから、サリアの話を聞くことにした。
「サリア、悪いんだけどサクラコに話したこと、もう一度俺にも聞かせてもらっていいかな?」
そう促されたサリアは、ずらりと顔を並べた男達に圧倒されながらも、おずおずと事情を話し始めた。一度サクラコに聞いてもらったことで、抵抗も多少和らいだのかも知れない。
「実は、今回の旅に出る前に、故郷の両親から手紙が届いたんです・・・・・・」
そう言って話始めた内容を纏めると、サリアの故郷であるセビエネ村の近隣では、以前から山賊が出没しており、サリアが受け取った手紙では、とうとうセビエネ村でも被害があり、サリアの父親が怪我をしたということらしかった。
幸いにも怪我の程度は大したこと無かったようだが、これで山賊の襲撃が終わる保証など何処にも無い。
さらに、それを知っても、伯爵家に仕えるとはいえ単なる侍女に過ぎないサリアに出来ることも無い。
それであれほど落ち込んでいたのだ。
サリアの話を聞いたスローンが、ニイロに領内の治安の状況を解説してくれた。
「あの辺りは今、複雑なのだ。ダスターツ領の南には、南西にビンガイン、南東にドマイセンがあって、この内ビンガインとは国境のリンデン砦を挟んで対峙しているのだが、こっちはまあ問題ない。
ビンガインにリンデン砦を抜く力は無いし、仮にドマイセンと共同歩調を取られたとしても、地形的にも難攻不落のリンデン砦を守りきるのは難しく無い。
一方、セビエネ村の辺りはドマイセンとの国境が近いのだが、国境地帯は大軍が行動するには不向きな地形ということもあって、これまで特に目ぼしい要害の建設などがされておらん。
何かあっても少数ならば近郊の街の領軍で対応して、援軍到着までの時間を稼げたし、最近まではドマイセンも、無理をして少数で攻め込むまでの理由が無かったからな。
ところが、このところ鉱山開発のゴタゴタでビンガインもだが、ドマイセンとの間が急速に悪くなっていて、今、下手にあの周辺に軍を派遣すれば、益々ドマイセンを刺激することになる。
これはダスターツ領だけの問題ではないのだ。下手をすれば戦争の引き金になりかねん」
「でも、それじゃあ村は見捨てると?」
大を生かすために小を殺すという理屈は、ニイロにも理解できるが、気持ちとして割り切れるかは別だ。
そんな気持ちが表に出たか、少し険のある声音になってしまったかも知れない。
「まさか。特にうちの御領主様は、そういったことを嫌われる御方だ。恐らく、あの地方の代官からも何か言ってきているだろうし、手を打たれるだろうことは間違いないが、ただ、今は時期が悪いのも事実だ」
それを聞いていたコズノーが口を挟んだ。
「そういった事情なら、恐らくは俺達みたいな傭兵に話が回ってくるだろう。もしくは・・・・・・ セビエネ村と言ったら、近くの街はコルエバンだったか? コルエバンの代官辺りから、もう、何処かの団に依頼が行ってるかも知れん」
「いんや、あんまり大きな声じゃ言えねえが、コルエバンの代官は、人はいいんだが、ちとトロイので有名な爺さんだ。そこまで気が回ってるたぁ思えねえなあ。まだ話は領都で止まってると俺は見るね」
ダグの辛口評価に、スローンも、部下の騎士も苦笑いしているところを見れば、概ね共通の認識らしかった。
「なるほど。だとすれば、隣国を刺激しないように軍は動かさず、代わりにダグ達傭兵を雇って山賊を退治できれば解決する問題、という認識で合ってるか?」
ニイロが確認を取る。
その問いに、スローンは頷いたが、ダグとコズノーからは異論が上がった。
「いや、ちいと待ってくれや。俺達はもう他で雇われてるって言うか、リュドーの代官の依頼で、カジユ村の北の警戒業務に行くところだったんだぜ? 伯爵様の招待ってんでここにいるけどよ。だから、そっちが終わるまでは他の仕事の契約はできねえよ。傭兵の仁義ってもんがある」
「うむ。なので俺達は無理だが、ルードサレンに着けば他の傭兵を雇うことは出来るだろう。今の時期ならルードサレンには傭兵が集まってるし、いれば腕利きを紹介するくらいのことは出来るが・・・・・・」
「そうか。いや、俺はほら、傭兵と言ってもダグ達しか知らないから言ったけど、信用の大切さはわかってるつもりだよ」
そんな男達の会話が交わされる馬車の中で、サリアが一人、自分の頭の上で進んでいく話に半ばパニックになりながらニイロに言った。
「お、お待ち下さい、そんな、傭兵さんを雇うお金なんて、私にも村にもありませんです! 借金しようにも、そんなアテも・・・・・・」
慌てふためくサリアを、ニイロは笑顔で安心させる。
「お金のことは心配しなくていいんじゃないかな? でしょう? スローンさん」
「うむ、領内の治安維持の為なのだから、恐らく傭兵の雇用代金は領の軍費から出るだろうが・・・・・・」
スローンは語尾を濁した。
今は護衛団の長を仰せつかっているとはいえ、スローンはあくまでも、一介の騎士に過ぎず、迂闊に断定して言質を取られたくはない。
かと言って、あまりシビアな事を言って、どうやらサリアに肩入れしているらしい、目の前の異邦人を怒らせたくもない。
そんな気持ちはニイロにも理解できる。
「ただ、いつになるかはわからない、ってことでしょう? まあ、その辺のお役所仕事は、古今東西変わらずか・・・・・・」
と、そこで、これまで黙って話を聞いているだけだったスローンの部下の若い騎士が、焦れたような様子でニイロに話しかけた。
「ニイロ殿はダグ殿と一緒に、あのギガントライを討伐された剛の者であると伺っております。であれば、ニイロ殿ご自身が山賊討伐を引き受けられれば宜しいのでは? ギガントライに比べれば、山賊など物の数ではないでしょう」
しかし、これに反論したのは、ニイロではなくコズノーだった。
「それは違う。ええと・・・・・・」 「フロネルです」 「どうも。フロネル殿、俺達は傭兵だから、条件が折り合えば契約して、金の為に命をかける。あんた達騎士は、名誉と忠誠で国の為に命をかける。でも、ニイロは違うだろ? 彼は・・・・・・何だっけ? ああ、探検家? 未知の物を見聞きする為にここまで来たそうだが、山賊退治は彼の仕事じゃない。動くべきなのは、この国の人間さ」
その言葉に、ダグだけでなく、スローンも頷く。
ニイロの気持ちとしては、そこまできっちり理屈立てて考えた上でのことではないが、概ねコズノーの言う通りで合っている。
恐らく、ニイロの運用する武力をもってすれば、山賊の殲滅は難しくないだろう。
しかし、ニイロの持つ武力は、ニイロがこの世界に来た理由である、この世界の調査を円滑に進める為のものだ。
決して、ニイロがこの世界で英雄や勇者になる為のものではない。
(中高生の時分なら、俺ツエーの選択肢もあったのかも知れないけど、流石に三十超えて勇者ゴッコは辛いもんがあるよ)
そんなことを考えながら、若い騎士に言った。
「俺は他所の国の人間だからね。カジユ村は自然災害に対する緊急事態ってことでお手伝いしたけど、山賊という犯罪者に当るのは国が行うべきだよ」
ニイロにもそう言われると、若い騎士フロネルは納得半分、不満半分といった面持ちで考え込んだ。
その気持ちはニイロにも良く分かるが、今、この場では建前を前面に押し立てておく必要がある。
そして、サリアに向き直る。
「ということでサリア、この件はルードサレンに着いてから、情報を集めて状況を確認する必要がある。聞いての通り、少なくとも山賊をこのまま放置ということにはならないと思うから、今は不安だろうけど結論はもう少し待ってて欲しい」
そう言われてサリアに否の選択肢は無い。ただ頷いて「宜しくお願いします」 と、馬車の中の面々に頭を下げるだけだ。
(まあ、俺も放置する気は無いけどね)
ニイロは思うが、それをこの場で言葉にするつもりはなかった。
次回予定は10月25日です。
ちっともアテにならない予告なんて意味無いと言われそうですが、少なくともこれより遅くはならない目安、ということでご了承を。