第8話
まずは、周囲を観察することから始めよう、とオレの脳は至極真っ当で落ち着いた判断をした。もしここに探偵業で生計を立てている人がいたとしたならば、きっとオレの判断はほめたたえられるほどの好判断であると評価されるであろう。証拠が消えないうちに探るというのは重要なことだ。
早期の探索は、けれども、結果をもたらすには至らない。あちらこちらを見て回るが、別におかしなところはないように思える。ここまでか、そう思った時、
「あっ、やっと見つけました!」
逆に、オレは見つけられてしまう。オレを追ってきたのは、エーワン、ではなく、その助手ことイオであった。彼女は昨日とはまた違ったいでたちでオレの前へと現れる。こじゃれた服装に言及する暇もなく、イオはオレに抗議の声をぶつけてくる。
「もうっ、いきなりいったい全体どこへ逃げようっていうんですか! 一人で出歩いたら危ない──こともないんですけど、まぁ、でも、危ないじゃないですかっ!」
どうやらオレに注意しているようであるが、その愛くるしい姿が少しばかり怒りの表情を見せたところで、まるで怖いという感情を抱かせるには及ばず、そのぷんすか怒る様子を子猫を見守るような眼で見る。
「聞いてますか?」
「あー、はい、うん、そうね」
「そうね、じゃないですよっ! もうっ! ……それで、一体何を挙動不審な行動をしているんですか?」
一体いつから見ていた子猫よ、という言葉をぐっと頭の中に抑えて、オレは今直面している行動の説明をする。
「はぁ、なるほど……何かが隠れたような気がするから、探している、と……」
イオはほんのコンマ数秒思考した後、続けた。
「それで、その見えた人影? 動いたもの? というのはなんだったんですか?」
イオの質問に、オレはオレが目にした事実をそのまま告げる。
「なんだろうな、そう、あれは子供か──とにかく、どっちにしろ、そんなに背の高いものじゃなかった。子供……だろうか?」
曖昧な記憶を辿りつつ説明するが、イオは、困った顔をして返答する。
「子供……ですか? 子供……それは──あり得ないですね」
「あり得ない? なんで」
「何故、ってこの街で子供の姿を見るなんてことはあり得ないからです」
なるほど、確かに、ここまで発展した技術を持っている世界において、子供が外を出歩く必要がないというのは至極もっともなことかもしれない。理由を聞くまでもなくオレはイオの言っていることを何となく察した。学校という施設さえ見当たらない訳で、教育だって、詰め込み教育のようなものであれば、オレがエーワンから与えられた知識のように、わざわざ長時間かけて詰め込みを行う必要だってないのだろう。自宅でできるのかもしれない。ともかく、イオが言っていることの理由を聞かずとも、その言い分は理解できるように思えた。
けれども、一方で、オレの記憶が完全に違うとは思いづらい。
「だけど、確かに、あれは、人間の大人の身長ではなかったぞ。それは、多分、確かだ……」
「そうですねぇ──となると、例えば、機械、とか?」
「あー、なるほど……」
イオの言葉で、オレはこの街の中を歩く人ではないもう一つの存在のことを思い出す。そうだ、壁の辺りを周回していたドラム缶のような機械。イオ曰く、何が来るか分からないから警備をしているとのことだが、それはそれとして、確かに、あのくらいの高さの物体であったかもしれない。何より、
「そうか、確かにな。それなら、もしかしたら納得がいくかもしれない。人間の子どもじゃ、姿を急にくらますことなんて不可能かもしれないが、この街のことを知り尽くした機械であるとすならば、何かしら抜道のようなものを把握していたり、ってこともあるだろうし……そんな謎めいた仕掛けがあるかは知らんが」
ただ、オレの閃きに対して、残念ながらイオが同意することはなかった。
「残念ですが、それは、恐らく、あり得ませんね。だって、あの機械はあくまでこの街の外の脅威から、この街を守るための存在ですから。こんな街の中心部にいるはずもありません。外の脅威から守るんです。いいですか、ダイチ様。この街の中は安全や危険といった概念すら存在しないんですよ。理解するのは難しいかもしれませんが……そうですね、ダイチ様、ダイチ様の知っている、街、と呼ばれるものとはきっと少し違うんです」
「そう、なのか?」
言っていることが、今一つ理解できないながらも、しかし、オレは機械が隠れたという可能性に未だに引っ掛かりを覚えていた。
「納得いってないようですね」
「納得いってないんだ」
「だったら──ダイチ様、今、本気で、心の底から集中して、この辺りを見渡してみてください」
「え?」
イオの言っていることが理解できない。そんなこと言われずとも、オレは全身全霊で辺りを見渡しているはずだし、そうであっても何の発見もないのだから、それ以上何をどうしろというのか分からないのだ。戸惑っているオレに、イオは言う。
「いいから、やってみてください。ダイチ様、ダイチ様の能力は、今、ダイチ様が考えているよりもとってもとっても高いんです。そうですね、例えるなら、実はダイチ様は古の勇者の血を引き継いでいた、みたいな?」
「……イオ、君、仮想シミュレートの中で何を学んできたんだ……?」
「さ、いいから、いいから!」
と言われたところで、何をどうすればいいのかさっぱり分からない。
「思い込むこと、信じること、言い方はなんでも構いませんが、ダイチ様がもっとやれるまだまだやれると感じることが大切ですよ! ほら! ファイト! 頑張れっ!」
よくわからない声援を後ろに、とりあえず、言われるがままに集中してみる。……といっても、別段変わることはない。辺りを見渡す。ビル、道、どれも、灰色の無機質を演出し、そこに何かが隠れているということさえ感じさせてくれないそれらの物質はオレに何かを語り掛けることもなくただひたすらそこに在る。
「……うーん」
分からない。何も閃きはない。
「ダイチ様、もっと、もっと、思い出してください、さあ、あなたは世界を救うお方なんですよ、さあさあ!」
訳の分からぬ声援が後ろから来るが、一体何をどう頑張れというのだろうか。
オレが今、頑張りたいことといえば、そう、床になることくらい。床だ。それは、例えば、この、今、オレが足を付けている道路。綺麗に舗装された道。オレが踏んでいることなどどうでもいい。今、この道は、何も意識されることなく、イオに乗っかられているわけである。憎らしい、憎らしいっ!
「……なんか、変なこと考えてません?」
横から何かを察したらしいイオの声が聞こえてる。オレはそれを華麗に無視する。
同時に、何かに気づく。
道──道路──コンクリート──床──そこに意識などないはずだ。彼らはそこに無機質として存在し、ただ、踏まれるという役割を果たしているに過ぎない──。そう考えると見えてくる違和感。何か違うという微妙な違和感。分かる、分かるぞ、感じる、感じるぞっ! オレは床になりたい男、だから、分かるんだ、彼らの声がなっ!
今、自分とイオが立っているこの地面に感じる違和感は、まるで、オレが彼らに意識があるのかと錯覚してしまっているような、奇妙な感覚から来る違和感で、彼らは決してオレに語り掛けてなどこないのだが、オレは確かに、彼らの声を聞いた気がした。
「イオ……オレはまだ未熟だった。だけど、今のオレには分かる、床の気持ち、道路の気持ち、下に立つ奴らの気持ちってもんがな……!」
「え」
何言ってるんだこいつ、というイオの視線を受けつつ、オレは叫ぶ。
「ここか!?」
キッと睨みつける先は、道路──いや、違う。そこには何やら小さな穴が複数開いている。駆け寄り、しゃがみ、その穴を良く見ると、それは、自然にできたコンクリートの劣化などによって発生した穴ではなく、確かに人工的に作られた代物。何かをひっかけられるように加工されているのが分かる。
「イオ、これは?」
その穴を指さして、イオに問う。イオはとてとてと近づいてきて、オレの指の先を見て言う。
「えーと……それは、確か、地下整備のために入れるようになっているものですね。でも、今は使われてません。何せ、自動整備のシステムが完成していますからね……」
「中に入ることは?」
「できるはず、ですけど……あ、やってみてください。ほら、そこの穴に指ひっかければ、開けれるはずです」
まさか、指をひっかけるだけで自動で開いてしまう仕組みでも備え付けているのだろうか、この道路は、なんてことを思いつつ、イオの言う通り、その穴に指をひっかけてみるも、
「なにも起きないぞ……」
と、返答することしかできないように、当然ながら何もイベントは発生しない。
「何やってるんですかぁ、そりゃそうですよぉ、引っ張るんですよ、上に~」
そんな馬鹿な、と思いつつ、上げてみる。いや、重たい。指が千切れるんじゃないかと思うくらいに開かない。当たり前だ、道だもの。
「そうじゃないですよ、ダイチ様ぁ。ダイチ様ならできるはずです、できるって信じてください。自分を信じて、さぁ、上へ、力の限りひっぱりあげるんですっ!」
イオがやたら応援してくる。何を言っているんだ、この女は。これは、開けるために絶対何かしらの道具が必要なはずである。それを、たった一人の人間が道具も何もなしで開けられるわけがない。無責任な応援に段々腹が立ってきたオレは、いっそ無茶苦茶引っ張って怪我でもしてやろうかと考える。言われるがままに、力の限り腕を引っ張り上げる、と。
動く。
僅かではあるが、道路が上へ動いたのである。もうこうなりゃヤケだとばかりに、オレはそのまま、その秘密の扉を開けることを目標に、あらん限りの力で引っ張り上げた。驚くべきことに、オレはいつの間にか怪力人間になっていたのかもしれない。オレの力により、その扉は動き、開き、道路へ四角形の穴が開く。
「……なんてこった。なぁ、イオ、オレの体って──」
生じた疑問を言うより先に、イオが驚きの声を上げる。
「あぁ! 見て、見てください、ダイチ様!!」
イオは、道路に開いた四角形の穴を指さして言う。
「なんだ?」
オレは立ち上がり中を見る。真っ暗な穴には梯子が掛かっていて、その先は暗くて良く見えない。イオが言うような驚くべき点は何も──いや、待て、見える。何かがいる、何かが──! だが、オレの視界がその暗闇の奥を明確に捉えるよりも前に、その何かは動いて、視界の外へ消える。
「なんだったんだ!? イオ、分かったか?」
「いえ、その、しっかりは……だけど、確実に何かはいました。ダイチ様、これは、一度、エーワン様に連絡して何事か調査をした方がいいような気がします」
「調査って──そんなことをしてくれる機関はあるのか?」
「機関、というほどのものではないですが……機械たちに調査を任せることになりますね。街の中で何か異常事態が起きるということはそもそも想定されていないので……」
「そんな悠長なことやってて大丈夫なのか?」
「……それは……」
イオは言葉に詰まる。
さて、オレはどうするべきか考えなければならなかった。選択肢は二つある。イオの言う通り、エーワンに指示を仰ぐ事、もう一つは、オレが判断をするということだ。
「大体、指示を聞くっていっても、それなら、別に連絡すればいいだけの話じゃないのか?」
「え、ええ、そうですね。分かりました、とりあえず、エーワン様には連絡しますね」
イオは懐から取り出した通信デバイスを利用して、エーワンへの連絡を始める。何度か、イオとエーワンの言葉のやりとりがなされるはずだったが、しかし、イオの言葉は、やり取りをしているとはまるで思えないものだった。
「あの、えーっと、聞こえません、エーワン様? エーワン様ー?」
「どうした?」
「いえ、その……通信が、できないんです」
イオの表情は強く混乱しているように見えて、まるで想定外の事態に、自分が何をしたらいいのか、冷静さを完全に失っているように見えた。もし、エーワンの指示がないと何もできないというのならば、答えは簡単で、今からエーワンのもとへと帰ればいいだけの話。しかし、それさえも思いつかぬ様子の彼女を見て、オレは逆に落ち着くことが出来た。
「通信ができない?」
どこかで聞いたことある話だ。そうだ、オレが少し前に、エーワンから聞いた話。この世界の人類が、かつて行った、通信の切断という話、それがチラリと頭をよぎる。
「えっと、その通信ってのは、なんだ、この世界で人類が行った、高速通信の停止だとか、ネットワークの停止とは関係があるのか?」
イオは、混乱状態に置かれながらも、オレの問いに返答する。
「関係あるといえば、ありますし、ないと言えば、ないです。この通信機はあくまでこのドーム内でだけ使用できる通信機なので……」
「なるほど……」
事実が徐々に繋がっていく。目の前で起きた二つの異常事態の説明を、オレは、オレ自身によって、明快に究明することができうるのだ。