第6話
その後のことは、いまいち記憶が曖昧だ──ということは全くなかった。
未来のアルコール(本当にアルコールかは不明)とはそれはもう便利なもので、気分さえよくなるものの理性が失われるなんてことはまるでなく、この時代の飲みニケーションとはそういうものかという問いには笑顔で、
「当たり前ですよ! 時代と共に全てのものは形を変えるんですよ。宗教概念的な用語で説明すると諸行無常ってやつですね」
と答えられた。
であるからして、その後のデートの内容もオレはばっちり覚えている。
「もっと、エンターテイメント的なものはないのかな? 例えば、買い物を楽しむところとか、後は、観光とかでもいいな。といっても、外に出られないんなら、そんなに見る場所なんてないか……」
という、オレの発案に対して、イオは快くそれらの申し出を達成しようと動いたのだ。
まずは、買い物であるが──残念なことに、そもそも、この街の中に貨幣制度は存在せず、何か必要なものがあれば、その必要なものを生産しているところへ取りに行くということしかできなかった。何か欲しいものがあるんですか、と言われても、勿論、今のオレが欲しいものなんて特にない訳だ。
「あー、そうねぇー、無敵の体とかねぇ……」
という、いくら踏まれても死なない最強ボディを手に入れようという目論見は、
「それは買えないですね……」
という、それはもうこの上なくまとも過ぎる何の面白みもない返答で返される。基本的に純粋無垢なこのイオという少女、たまにちょっとだけ申し訳なくなる。ちょっとだけな。結局、買い物については、街の中をブラブラするだけで終わってしまう。
続いての観光についても、勿論、街の中をブラブラする以外に特にすることはなく、あまりの景色の単調さに飽きてしまったオレは、もう少し変化に富んだものが見たいとイオに申し入れた。結果、自動運転の乗り物に乗って、街の果て──即ち、ドームの壁へと案内され、
「これが、壁ですよー」
なんていう社会見学みたいな説明を受けるに至る。壁は、まさに、壁で、コンクリートがただただ高々と上へ上へと伸びていっているだけだ。ある一定の高さを越えたところで、それは透明な何かになり、ドームを形成していく。
けれど、そこでは、街の中とは少々違った真新しいことがあった。それは、壁の周りをうろついている機械たちの存在である。人型ではなく、ドラム缶のような形をしたそれらは、壁の周りを警備するようにゆっくりゆっくり動いているのだ。
イオに説明を求めたところ、あれらはこの辺りを警備するマシンとのことだった。 なんでも、壁の外にも同じようなマシンが複数台存在しているらしく、何か異常があれば彼らが即時知らせてくれるという仕組みになっているらしい。何から警備するんだ? という疑問に対しては、
「何から警備するか分からないから警備しているんですよ」
という、それらしいのかどうか分からない曖昧な返事を頂く。彼らの身体は紛れもない金属で、彼らであれば、ドームの外でも問題なく動けるのだという事実がオレの中で明らかになる。それらマシンは、けれども、何かを考えているという様子はまるでなく、ただただひたすら──
「退屈そうだな」
「でも、彼らは、ただ与えられた役割を果たすだけでいいんですよ。少し、羨ましいです。……あ、ちなみに、彼らの中には銃器とか詰まってるんです」
「え、何それ怖い」
「大丈夫です。マシンは、人や人に近いものを傷つけることができないので」
「へぇ……そういうもんなんだな」
「マシンプリンシプルなんて呼ばれてますね。マシンの本質としてそれはずっとあるんです」
なんていう、それなりに中身がありそうで、それなりに中身がなさそうな、世間話めいた会話を繰り広げる。難しい単語を言われても、まぁ、とりあえず何となく聞き流すくらいしかオレにはできずそんなことを話しながら、オレたちは壁見学を終える。
そんなオレたちの背中を、警備マシンは、特に異常なしと見て、ただただ見送るに過ぎず、そこにいるマシンは、ただただマシンであった。
街のことは、それでだいぶ理解することができた。ついでに、日も暮れて自室でやることもなくあまりにも暇なので、モニターの電源を入れて聞いていたことによって、大体この世界のことが理解できてくる。
『──極東O地区は──西暦──保護のために張られたドーム状の──』
モニターからただただ流れる歴史の授業みたいな映像を見ながら、オレはこの街のこと、今の時代のことを何となく整理する。
今は西暦でいえば、恐らく、三千年から五千年の間くらいらしい。何でも、一度データベースが大きな損失をしているらしく、正確な暦が分からないとのことだ。そして、この街は、極東O地区──かつての日本列島の日本海側に存在している、らしい。
街の中に存在する人の数はそれほど多くない。ドーム状の空間の面積は、思っているよりずっと狭く、オレがかつて住んでいた市くらいの大きさなのだという。とはいっても、食料の調達はビルの中にて生成される植物などによって補うことができるし、であるからして、人々は労働という行為をほとんどする必要はない、とのことだ。
労働は趣味と化し、それぞれの人々は、それぞれが自由に生きているということがモニターからの情報で理解できた。
そうこうしているうちに腹は減り、室内から呼び出すことによって自動で運ばれてきた飯を食べ、ふわぁ、とベッドに寝転がっていると、眠気がオレを襲ってくる。
恐らく、安心したのだろう。
訳も分からず目を覚ましたこの世界であったが、これはどうやら夢ではないらしいということを認識したとも言える。両手を天井にかかげると、オレの目には両手の甲が映る。グー、パーと握ったり開いたりすれば、その手は動く。これは紛れもなくオレの体なのである。
「あれ」
ついぽろっと口に出る。そう考えると──あれ、これって、やっぱ、何か、良くないか?
ふわっとした思考は徐々に形をしっかりと形成し始める。まず、顔は、よくなっている。イケメンだ。いい感じの好青年と化している。原型は保っているが、しかし、格好いい。自分で言うのもおかしな話だが……。
それに加えて、新しく生まれたといってもいいこの場所はなんだ? 働かなくていい!? 天国じゃないか。理想郷じゃないか。確かに──まぁ、確かに、外へと行くのが難しいということもあるだろうが、極東O地区という言葉があるからして、他の街がないという訳はなかろう。
ここまで科学が進んでいる場所に生まれ落ちることができたと考えれば、これは、もしかしたら、そう、もしかしたら……! ガバッと起き上がり、叫ぶ。
「科学の力で床になれたりするんじゃないか!!?」
そうそう、そもそも、あのエーワンとかいうヤブ医者──もとい、施設長は、オレを床にすることだってできたと言っていたはずだ。となれば、彼女に頼めば、床を体験することだってできるんじゃなかろうか!?
段々とテンションが上がってきたオレは、小躍りしながら、オリジナル床ソングを熱唱し始める。
「床になれる床になれる床になれるぞぉ~♪」
馬鹿みたいな姿を見せてもいいじゃないか。だって個室だし。開き直っているオレに個室を与えたらこんなことになるんだぞ、思い知ったか、エーワン、イオめ!!
「はーっ、はっはっは!!」
……。
しかし、オレの目は捉えてはいけないものを視界に入れてしまう。いつの間にか開いていたオレの部屋の扉、そして、そこに立ち尽くし動かぬモニュメントと化しているイオ。いつもの慈悲深い笑みを硬直させつつ、オレを見つめている。いや、オレを見つめているというよりは、もうオレの先にある壁とかを見つめている目線である。
「……」
「……」
オレの小躍りは、長い年月そこに立ち続ける石像が如く完全に動きを停止し、オレとイオは互いにひたすら見つめ合い、沈黙を続ける。この沈黙はなんだっ! 大体、オレの部屋を開けるに至って、何も確認せずに入室してくる方が悪いだろっ! 違うかっ!?
「これは、その」
「あ、何も、何も見てませんよ、イオは」
ゴホン、ゴホンと咳払いをする。
「あれ?」
そして、オレは何か違和感を覚えた。イオの服装が先ほどとは違うのだ。寝巻のようなふわりとした服に身を包んでいる。就寝前の姿、寝間着、パジャマ、色々な言い方はあるだろうが、その服はダボっとしていていやに色っぽさを醸し出しているように感じられた。
「なんだ、その服は」
そんな服でオレの前に現れるとは一体何を考えているのだろうか、この娘は。
「そのー、ですね……」
もじもじ、と体をくねらせるイオ。何かを狙っている、いや、何かを誘っている合図に違いない。オレは聞いた事があるぞ。女の子が部屋着で男の前に姿を現す時は、あれをなにしてそうするっていうことだっていうことをな!
「エーワン様が……ですね……ほら、ダイチ様が、一人では、寂しいだろうから、って……」
赤面している。皆まで言うな。
「なるほど」
「……」
再び訪れそうになる沈黙君。ハロー沈黙君。だけどな、君には帰ってもらわなくちゃいけないんだ。じゃあな、沈黙君! 打ち破れ、その沈黙を!
「分かった! よし、じゃあ、帰ってくれ! オレは床になりたいだけなんだっ!」
「ええっ、そんなっ、困りますよぉ!」
まさか、拒否されるとは思ってもいなかったのだろう。イオは帰っていくどころかオレへずいずいと距離を詰める。
「な、何が困るんだよ……」
「イオはエーワン様の命令を聞かないといけないんですっ! エーワン様の命を果たすためには、このままこの部屋を出ていくわけにはいかないんですぅう!」
エーワン、お前はなんて罪を犯そうといているんだ、許せぬ、許せんぞ。だって、オレは床になりたかったのに……。
「何考えてるんですかっ! もうっ、ほら、ちゃんと──」
何故か焦りに焦っているイオは、そう言いながらズボンを降ろそうとする。
「待て待てぇい!」
チラリと覗いたパンツ君、お前の姿をそれ以上見る訳にはいかない、とオレは人間にはとても考えられない壮絶なるスピードの動作にてイオの手を止め、そのままズボンをぐわぁと上へ引き上げる。
「な、何するんですかぁ! 赤なのに! ダイチ様、赤がいいって言ってたじゃないですか!」
何が赤かとは言わないが、赤がチラリ見えたのもまた事実。
「そんなつもりで赤って言ったんじゃないよ! 大体、それ、何の話だよっ! その、そういう話じゃなかったでしょ!?」
イオとの距離を少し離すと、そこでようやくイオが、はっと我に返る。
「えと、あの……どうしても、どうしても同じ布団で寝てはだめですか? 袖触れ合うも多生の縁って言うじゃないですか?」
「いや、よく分からないけど、多分、関係ない、それ」
何故か、若干潤んだ瞳で見つめてくるイオだったが、非常に残念なことに、オレは彼女と同じ布団で寝るつもりはないのである。非常に残念なことにっ。
結局、その後、色々と話した末に、オレがエーワンの元へと抗議に行く形で事の決着がつき、無事、オレは一人で再び床になりたい小躍りを繰り広げる空間を確保することができたのである。
この時、オレの精神はとても安定していた。それはもう、とてもとても心地よい状態にあったと言っていい。しかし、オレは翌日、衝撃の事実を知ることになる。そう、まだ解決していない一つの疑問──オレがここに来た理由を知ることになったからだ。