第5話
イオがオレに好意を寄せているということは紛れもない事実として明るみに出てしまった訳であるが、それは、オレにとって非常に都合の悪い事実である。しかし、だからといって、今更どうすることもできない。覆水盆に返らず、オレが命をかけて人命を救ったという英雄的行為は取り返しのつかない結果をもたらしてしまったのである。はぁー、とため息をついていると、いつの間にか震えを止めたイオが、とびっきりの笑顔でオレに言う。
「さぁ! 気を取り直して、デートに行きましょう!」
なんて健気な良い子だろうか。同時に、彼女はなんて不幸な子なのだろうか。オレという人間に好意を抱いてしまったがために、その余りにも美しい性格に好感を持ってもらえないのである。
けれども、オレとて鬼ではない。
イオが、オレからみて恋愛対象として魅力的な女性でないとしても、そこにいるのは紛れもなくオレが可愛いと認識している女の子であり、その子がこんなに健気な態度で自分に接してくれるというのは、ただただ、嬉しいことなのである。彼女はオレにとって、恋愛対象ではないかもしれないが、しかし、であるからこそ、オレは冷静に彼女のことを人として見ることが出来るのだ。断言しよう、この子は、良い子である。オレの目に狂いはない。嘘偽りなく、彼女は健気で献身的で、どこか別の社会に生まれてきたならば、実に充実した人生を送れたのではないだろうか、オレはそう思う訳だ。
であるからして、オレも彼女をある程度、一人の女性としてみてあげる必要があるのかもしれないという気持ちを心の片隅に置いておくことにしつつ、同時に、彼女について多少の興味が沸いてくる。
「うん、そうだな。じゃ、デートとやら、行こう」
「はいっ!」
何故か誰も動かない空間。まるで時が止まったみたいだぜ……。
「……?」
「……?」
互いに顔を見つめ併せて首を傾げ合う。なんだ、この間は。さて、彼女は一体オレに何を求めているというのだろうか。
「ど、どこに行くんだ?」
「どこにいきたいですか?」
そんなことを聞かれても困りに困る訳だ。何故なら、オレはこの街のことを何一つ知らないからだ。
「えー、そうだな」
となると、ごく平凡に無思慮に思い浮かぶことと言えば、
「とりあえず、なんか、喫茶店にでも入って、話でも……」
何はともあれ、話あるのみだ。コミュニケーションというのはどこの世の中でも大切なものなのだ。
「あー! あれですね! あれ! 人間同士が大した目的もなく、非効率的に料理を行いながら、非効率的な伝達手段を用いて言葉を交わし合うという日本文化──バーベキュー! どうですか、イオもなかなか昔の人たちのこと分かってるでしょー?」
えへへ~、と得意げにしている彼女だが、まず、バーベキューに対して謝罪を行っていただきたい。そもそも、バーベキューとはアメリカ発祥の食文化であり、その歴史は深く、本来であれば、野外で何時間もかけてじっくりと肉を焼きそれにより硬い肉を柔らかくして大勢で食すものを指すのであり、日本におけるバーベキューは単なる野外焼肉であることを──いかんいかん、そんなことは今、どうでもよろしい。
「日本で言うバーベキュー、もとい、野外焼肉はこんな街中で出来るものじゃないし、それなりに設備が必要だから無理だと思うぞ」
「え、そうなんですか? ちなみにですね、先ほど行く場所を聞いたのも、三歩後ろを歩く文化を再現しました!」
自信満々に言っているが、それを口にしたら多分、その文化を再現できていなかったことになることにきっと彼女は気づいていない。
「ま、まぁ、いいや──それで、何かお茶でも飲みながらゆっくり話をできるところとか、あるのかな?」
「えーとー、そうですねぇ、うーん、食事できるところ、なら……」
煮え切らない様子のイオであったが、特に予定もないため、とりあえず街の中を歩くという意味も含めてそこへ行くことへと決定する。
「本当は街の中の移動は、車でするんですけどねー」
「え? そうなのか? でも、さっき、街の中を歩いてる人もいたよな?」
「それは、勿論、中には、そういう移動をする者もいます。例外って素晴らしいですよね。イオは例外大好きです」
「なるほど、イオの好みが全然分からん……」
どうやら、車と呼ばれるものは個別のタクシーのようなものらしい。呼べばすぐ来る自動運転がされている乗り物だ。行き先を指定すれば、すぐにそこまで移動できる。乗ってみたくもあったが、それは追い追い乗るとして、とりあえず街の中を見て歩くために、オレは徒歩を選択する。
しかし、それはあまり賢い選択とは言えなかった。
イオに案内されるがまま街を歩くが、行っても行っても、同じような景色。車が時折通るだけで、後はこれといった変化もないビル街だ。最初は、窓がない建物だとか、窓の少ない建物だとかで、少しの珍しさもあったが、慣れてしまえば、同じ景色はより一層退屈さを感じさせるものになっていく。
「あれさぁ、窓とかないけど、中に何があるんだ?」
「あー……確かに、そうですよね。あれはですね、中で植物とかを育てたりしてるんですよ」
「植物……?」
「はい、有機物を生成するのに効率的ですからね」
なるほど、建物内で食料を供給しているという訳か。確かに、先の説明で、この街を覆っているドームの外は汚染されているだとか、何とか言っていた。その素朴な疑問を察したように、イオが続ける。
「外じゃ、植物一つ育ちませんから……」
「大変なんだなぁ」
「大変なんですよ」
街並みを一通りも、二通りも堪能し終える頃に、ようやく目的地についたらしい。そこも、周りのビルと同じく大して特色はないが、近づくと自動ドアが開くことで、自分たちも入っていいのだという感覚を導く。
「で、ここは?」
シンプルな空間だ。店──というにはあまりにも殺風景。休憩スペースとでも言うべきか。机と椅子が規則正しく配置されているが、人影は一つもない。一つも、である。
「あそこで、食事を貰います」
イオが指さすのは、そのスペースの奥。そこの壁には何かが出てくるような四角い穴がいくつか、これまた規則正しく並んでいる。イオの後ろに続き、その穴の前に立つも、それが何なのかはまるで分からない。
唐突に、ジー、という音が耳に入る。耳鳴りではなく、機械音。何故分かったかと言えば、その穴からトレイ、その上に、恐らく、食器のようなものが出てきたからだ。その食器のようなものには、これまた何か分からない地味な色合いの個体が詰まっている。詰まっている、という表現以外にそれを形容する言葉が思いつかないのが悲しいところだが、例えるなら、食器なものに何種類かの不透明なゼリーが詰まっている、といえばよかろうか。しかし、そこに柔らかさは微塵も見られず、塊と言うのが正しかろう。
それだけでは、あまりに味気ない、ということなかれ。何と嬉しいことに、そのプレートの横に、コップがついてきているのだ。こちらは紛れもなく水分で──まぁ、透明な、水、だ。色はない、色は決してないのである。
「なんだ、これ……」
絶望の眼差しで見ているオレだったが、イオが何も動じることなく出てきたプレートを手に取り、机へと運んで行っているのを見て、とりあえずそれに倣う。
互いに椅子に着席し、トレイの上にあるスプーンを持つ。これは知ってる、スプーンだから。プラスチック製だが。
「なんだ、これ……」
大事なことなので二度問う。目の前のナニカを凝視しているオレに説明するかのように、イオは、スプーンを手に、そのプレートに詰まっている茶褐色の塊を掬い取って見せる。スプーンに取られたそれは、まぁ──相も変わらず塊だわな。決してケーキではない。塊だ。
そして、イオは、その塊を口に含み、味わう。目を閉じて、両手をわざとらしく頬の横へやり、んぅう~、と満足そうな声を出してみせる。
なんだ、こいつは。食ってる。塊を食っている。塊食い人だ……。
「おいしいですよ! 食、って感じですね。食文化は人類を発展させた一つの英知ですよねぇ!」
一人で興奮するイオだが、オレはいたって冷静だ。冷静に分析すれば、何、難しいことではなかろう。ここは未来だ。未来の地球だ。となれば、これもまた、一つの食文化の発展形──ええい、やってやろうじゃないか。なぁに、食って食えないものはない。据え膳食わぬは男の恥、と言うじゃないか!
イオに倣い、スプーンに救う。相変わらずの塊っぷりだが、これはこれで、えぇと……なんだろう……そうだな、アイスクリーム。アイスクリームの溶けないバージョンみたいだ! そのまま口へと放り込む。
「!!」
うまい……とは言わないが、思っていたよりは悪くない。けれど、目の前にあるものは単なる塊であり、何の食料でもない。味覚は良い具合に刺激してくれるが。
続いて、口にコップの液体を運び入れる。水だと確信して飲んだそれは、
「あまっ!」
何かしらで味付けされた、水だった。水というか、もうなんていうか、水だけど、水だけども! 塊の方も、食べ物だけども! 食べ物だけどもぉお!
「こんなものは──こんなものは──」
「?」
「こんなものは、足だけと一緒だ! 足だけ。足というのはあくまで体の一部っ! そこに体がなくて、ただ足しかもっていない生物がいたとしたら、それはもう足ではないんだ……これは、そう、確かに味覚は刺激する。味は良い、だろう。だけどな、食事っていうのは、味だけじゃダメなんだ。視覚、嗅覚、それらの感覚も同時に刺激されてこその食事っ! こんなのはな、体のない足と一緒なんだぁあ!!」
「???」
オレの声は、イオの全く帰ってこない反応のせいで、静寂の空間にただ一つ響き渡る。なんて奴だ、ク、クソ、このオレのだれにでも絶対に伝わる例えば通じないだなんてっ! ひどいっ!
開きなおったことによって鋼のメンタルを手に入れていたはずのオレだったが、なんだかどうしても息苦しくなってしまったので、ゴホンゴホンと咳ばらいをする。
「えーと、確かに! そ、その通りですよね、ダイチ様! イオもシミュレーション内で食事のすばらしさについて学びましたよっ! そのデータ参考にして、この味を再現してるんですけどね~、でもやっぱり、盛り付けとかが必要な料理は自動化が難しい、というのが現状ですね。コストがかかり過ぎる、といいますか……いや、不可能ではないんですけどね。何分、過去の文化を知っている人というのが少ないので……」
「えー、あー、そ、そう」
何故かイオが気を遣ってフォローしてくれているのがとても心苦しい。心苦しくて堪らなくなってしまったオレは、この機会に気になっていたことを聞いてみることにする。
「ところで、イオ。イオは、なんで、仮想シミュレーション──に入っていたの?」
何故か、胸がザワつく。聞いてはいけないことのような気がして。ギリギリとまるで自分の中で歯車が回っているかのような感覚だ。けれど、そんなオレのどうしようもない不安をかき消すように、イオは元気に言葉を発した。
「あー、それはですねー! イオが、過去の人類に、学ばなければいけない、と思ってるからです」
いまいちピンと来ていないオレに、イオは全く苛立つ様子もなく、かみ砕いて説明を続ける。
「仮想シミュレーションは、西暦に入ってから、この地球上の過去のシミュレーションを繰り返ししているんですよ。膨大な乱数が絡んでいるシミュレーションですから、人類発祥からシミュレーションしてしまうと、発祥さえしない、というパターンもある訳です。シミュレーションとはいっても、あまりにも膨大なシミュレートなので──限りがあるんですよね、この街でそれを行うには」
「へぇ……」
「それでですね! その中に、イオだとか、一部の者が入り込んで、直接データ収集をしてた最中なんです。あんまり詳しくは──説明が難しいんですケドー。やっぱり、直接体験しないと分からないことだってあるじゃないですか?」
「あー、うん、分かる。だって、踏まれたこともないヤツに、踏まれるなんて何が良いんだ、って言われてもな、って思うもん」
「……えっと、それは良く分かりませんが──」
「あ、うん、すまん」
「えと、だからですね、イオは、そうやってシミュレーションしてたんです」
あれ、待てよ、とオレは考える。だとするならば、彼女が言っていることが本当だとするのならば……。
「じゃあ、イオ、なんで君は、事故に巻き込まれ──」
しかし、オレの言葉を遮って、イオがバタンと立ち上がる。
「あ!」
「なんだなんだ?」
少し驚きつつも、イオを見上げているオレにイオは言う。
「忘れてました! ダイチ様!」
そう言うと、再び食料取り出し口へ駆けて行き、コップを二つ受け取って、オレのもとへ持ってくる。
「なんだ、それは」
そこにあるのは透明な液体。水に見えるが、しかし、その正体は……。
「のみゅにけーしょんです!!」
彼女がオレに渡したそれは、何とも立派な日本文化の象徴であった。騙されたと思って飲んでみても、味はしない。しかし、それはオレの脳の判断を鈍らせるには十二分な代物であり、これが本当にアルコールなのかどうなのかということさえどうでもよく、オレの気持ちはただ高揚していったのである。