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それでもオレは床になりたいッ!  作者: 上野衣谷
第三章「毛皮を着た──」
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第13話

「あー、待ちくたびれた。待った時間分土下座してくれる?」


 マツカの第一声はそれだった。研究施設の入り口で待っていた彼女は、昨日と変わらぬ運動しやすそうな服装で、相変わらず顔より上は、清楚、っぽい。しかし、その小さなお口から放たれた言葉は常人であれば、何を言っているんだこいつ、煮て食ってやろうか、それとも炒めて食ってやろうかくらいには思うであろう攻撃的なものである。およそその容姿からは似ても似つかない言葉を吐き出す様は──よい。

 オレがそんな感想を抱いている一方で、やはりというべきかなんというべきか、イオはピリピリと不快な視線をマツカへと送っており、一触即発とはまさにこのことだろうと感じさせられる女と女の戦いが繰り広げられようとしている。

 けれども、オレにとってそんなことなど関係ない。土下座をして欲しい? よかろう、ならばしてやろう、いいや? させてくださいと言おうじゃないか! 土下座とは、まさに人の体を持つこのオレが地面や床とより近い位置に存在できる最高の手段といっても過言ではないのだ。しろと言われれば喜んでしようじゃないか!

 という訳で、素早い動作でオレは土下座の体勢へと移る。そこに躊躇などない。躊躇とは即ち、迷いから生まれる心であり、オレの心にこの行為に対する迷いなど全くもってないのである。土下座をしろと言われて、人が迷うのは、そこに羞恥心やプライドなどがあるからであろう。しかし、生まれ変わったオレが、土下座に対してそのような感情を抱くことはないのである。土下座とは、人に対して屈する行為であり、マツカという少女にオレは屈したがっているからだっ! イオが止める暇もなく繰り出されたオレの必殺土下座は、マツカの心を打ちぬいたに違いない。オレはマツカを見上げることなど一切しない。迷いがないからである。

 辺りを包む沈黙は、マツカとイオがオレの土下座姿を視界にとらえた後に、その感情を整理するための時間であり、オレがそれらの感情の整理の結果はじき出される何らかの反応を心待ちにする素晴らしい時間である。空気のひりつきを感じる。けれど、その様子を視覚にて捉えることはできない。この緊張感こそ、興──というところへ考えが及んだその時、イオが叫ぶ。


「何やってるんですか! ほら、立ってください!」


 イオの立ち上がれという呼びかけに答えるようにマツカもまた声をあげる。


「はぁ~? まだ全然時間足りないんですけどー?」


 その残酷なメッセージは強く強く心に響き、あまりに強く心に響いてしまったため、オレは反射的に立ち上がり、マツカの両手を包み込むようにして握る。


「ありがとう! うん! 君は素晴らしい!」


 し、しまった、つい感情の赴くままに着き走ってしまった……!

 出過ぎた行為に、イオは当然のごとく、全く理解できない異形を見るかのような驚愕の表情でオレを見つめ、マツカは目を細め、己の目がおかしくなってしまったのではないかと疑ってかかっているような表情でオレを見る。そして、すぐにオレに手を握られているという、彼女にとっては御し難い怒りに従い、手を振り払って、オレを指さし怒り散らす。


「な、何をするんだ! その冷たい手で私に触れ、触れるなっ! 今度同じことをやったら、ぐっちゃぐちゃの、ばっきばきにしてやるからな!」


 マツカの怒りは、彼女の魅力の一つである余裕が重度に欠けていたが、同時に、その魅力とは別の魅力を紡ぎ出す。そうである、彼女は、間違いなく、オレのことを好いていないのである。それどころか、嫌悪していると言っても過言ではないだろう。どういうことか? そうさ、オレが喜ぶってことさ? ……ゴホンゴホン。


「す、すまない、つい、その気の迷いが……」


 オレの言葉の後に放たれた、


「え、怖い……」


 というイオの小さな呟きをオレは聞き逃さなかったが、これ以上イオを怖がらせまいと最後のオレの中の人の心が上手く働いてくれたために、それ以上彼女を怖がらせることはこの場では押しとどめられる。


「さてと──そんなことはいいとして」


 オレは仕切り直しを試みる。誰がどうみても、そんなことでもなければ、いいとする義理もない訳であるが、この場において圧倒的平然と保ち続けているのは紛れもなくオレだけなので、その圧倒的立場の強さをもってして、オレとマツカの関係をこの先のステージへ押し上げるべく、オレは動かなければならなかったのである。

 さて、ここでオレが提案すべきは何か。一応、名目上、この場は、マツカがこの街を残してもいいかどうかを判断する場である、とのことだ。勿論、彼女の感情を誘導することなどオレにできる訳もなく、何なら、先ほどのちょっとだけ、ちょこーっとだけ変態的な行為が彼女のこの街絶対滅ぼすぜ的な心の導火線に火を付けてしまっているのかもしれないくらいだ。

 かといって、イオがいる手前、それとは全く関係なしにオレの欲望だけを爆発させるということも難しいだろう。例えば、爆発させて何らかのアクションを起こしたところで、それはイオによって未然に防がれ、さらにその先に待っているのはこの街の滅亡というオレにとってあまりよろしくない事態なのである。それは、オレがせっかくもらったこの命を床に変えるためにも今は阻止せねばならぬ。

 床になる希望は捨ててはいないが、その前に死んでしまっては元も子もない。せっかく、床になれる可能性を持ちうるこの世界へ覚醒したというのに、その可能性をみすみす無駄にしてなるものか。

 即ち、この場において、オレが取るべき行動はただ一つ、マツカという目の前の得体のしれないサディスティック的少女に満足してご帰宅頂くと言う事なのだ。

 では、そのためには、何を、どうしたらいいか? エーワンから聞いた情報から考えるに、彼女にとって、この街が不快な存在でなくなればよい訳で、それにあたってオレがまず考え付いたのは、この街は誰に攻撃することも必要なく──つまるところ、自己完結している健全な存在なのだという事実を知らせることであった。


「なぁ、イオ、マツカさんに、食料生産の様子だとかを見せるって言うのは難しいのか?」


 この街が他に攻撃する必要がないということを示すには、この街はこの街で生きているということを見せれば十二分だと考えられた。

 イオは、少し迷っていたようだったが、結局は、


「……ええ、今回のこの行動の全権利は、ダイチ様にありますから」


 という、同意はしたくないが、否定もできない、という好意的とは考えにくい返答をしてくる。彼女は、マツカのことが気に入らないみたいなので、これは、仕方ないとも言えようか……。


「よし、じゃあ、その施設の一つで、入っても問題ないところへ案内してくれないか?」


 偉そうに提案したものの、オレでは手続きがどうこうが全く分からない。イオは、けれども、コクリと小さくうなずくと、デバイスを操作して何やら準備を始めたようだった。




 移動用の車両に乗り、数分の移動をする。移動中の会話数、ゼロである。素晴らしき無言圧力空間に圧力鍋の中にいるがごとく押し込めらえたオレは、イオとマツカが一回も視線を交わらせない様をまじまじと見ながら目的地へと移動する。

 相変わらず、綺麗すぎるが故に殺風景とも見える街。ドーム状の天井は、けれども、狭苦しさを感じさせない。


「こっちです」


 イオがぶっきらぼうにマツカに告げる。


「へ~」


 オレとイオに続いて、腕を組んでにやにやしながら足を踏み入れるマツカ。一方のオレはそれとは対照的に、その建物内を興味津々に見渡していた。案内するなどと言っておきながら、オレ自身も初めてここへ足を踏み入れるのであるから。

 その建物は、研究施設といい勝負をするくらいにシンプルな造りだった。まるで、人が入ってくることなど想定していないかのようであり、事実そうであるらしい。


「ここでは、全自動で食料の原料が生産されています」


 内部を三人で歩いている間に、イオが説明する。


「へぇ……機械的ね」


 マツカは、至極真面目に、イオの言葉を噛みしめているようで、その指摘は、オレが抱いた感想とほぼ同じであった。例えるなら工場だ。自分たちが通っている通路の天井には明かりが存在しない。この通路は整備のためにあるもので、普段は誰も使用しないからだ。

 何列にも渡って、内部に何がどのような状態で通っているのかさえ分からない管が整然と並んでいて、シュー、というこれまた何か分からない機械音が常に生じ続けている。ここで食料を生産しているということだから、当然、ここを通っているのは食料ということになるのだろう。


「機械的で、効率的に見えるわ。だけど──」


 マツカはこれまでとは違った落ち着いた様子で質問をぶつけてくる。


「こんなもの、本当に必要なのかしらね?」


 オレには意味がよく分からないその質問。オレが答えられる訳もなく、黙っていると、少し間を置いて、イオが返す。


「……すみません、おっしゃっている意味がよく分かりません」

「そう」


 けれど、マツカはそれ以上追求することなく、静かに微笑んで歩みを進めることに行動を戻す。そこには、マツカの余裕の表情が戻っているように見えた。

 建物の内部は、ひどく退屈で、初めて見た光景ながら、その仕組みをイオからある程度聞く。さながら社会見学のようだ。となると、イオが先生で、マツカとオレは生徒ということになろう。……悪くない。

 などとアホなことを考えてはいけない。


「はぁ……こんなことをして、一体何になるの?」


 マツカが呆れた様子で尋ねてくる。誰に言うでもない様子から、オレかイオに返答を求めているともとれたし、あるいは、ただの独り言にも聞こえた。薄暗い建物の中で吐き出されたその言葉には、憂いが込められているように感じられ、何と返答するべきか迷う。いつもの感じでいけば、イオが俺に代わって答えてくれるとも思えたが、なんだかイオは不機嫌そうだ。今に限ったことではない、イオは、マツカが気に入らないのであろう。極力会話を避けたい、そんなスタンスが透けて見える露骨な敵意だ。仕方なく、オレが代わりに答えを出す。そうだ、オレがここで伝えたかったことを伝えなければならないのだ。


「何になるかって、そんなもの、答えは簡単だ。分かりやすく言えば、自給自足。自給自足ができるってことは、この街は誰にも危害を加えることはないってことだ」

「ハッ」


 鼻で笑われるが、ここでめげてはいけない、頑張れ、オレ、強い子、オレ。


「いや、だからな、これは本当に真面目に聞いて欲しいんだが、オレたちは、ここでただ安定した平和な生活を求めているだけなんだ。だから、マツカさん、君がこの街を攻撃する理由なんて──」

「ない、っていうの?」


 意地悪く、マツカは笑っていた。マツカは歩みを止め、オレへと足を進める。身長は明らかに低いのに、けれども、その表情はオレを見下しているように見えた。イオも後ろのオレたちが足を止めたのを見て、歩みを止め、こちらへ向き直る。


「いい?」


 マツカが腕を組む。ジロリとオレを見つめて、子供に説教するかのような口調で、


「世の中には、感情というものがある。それは特別なもの。お前たちには分からないだろうけどね、とにかく、ボクは、お前らに不快感を抱いている。これは、重要なことなんだよ、分かる?」


 そこには、まるでお前たちは何も分かっていないと言いたげな少女が君臨している。分からないことはない、分からない事はないが──しかし、それは──


「傲慢過ぎるだろ、そんなもん……」


 ポツリと呟く。ただシンプルに思った感想だ。傲慢過ぎる、これはひどく客観的な意見であり、オレ個人がどうという話ではないはずだ。


「傲慢……? ンフッ」


 おかしくて堪らないと言った様子で、マツカは口から我慢しきれなくなった空気を外へ溢れさせる。まさに、嘲笑と呼ぶに相応しい。小馬鹿にされている感じが、とってもとってもクールであったのだが、このことを口にした途端、イオの怒りが爆発しそうだったので、今度ばかりはお礼を言うのをぐっと堪える。イオが爆発したら、その怒りの爆弾は、間違いなく、オレではなくマツカへ行くであろうことが予測できたからである。


「何がおかしいの!」


 堪えきれなくなったのか、イオが言う。その表情には、間違いなく怒りが込められていたが、マツカはそんなものどこ吹く風のようで、すました顔で、ただ、イオを見返した。

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