第10話
迫る──なんで銃弾が差し迫っていることを知覚できているかなんてことは分からないが、オレは、目の前に迫るオレの命を奪い去ろうとする弾丸が見えていた。まるで、時間がゆっくりながれるように、その弾丸が見えていたのである。
「なんだ、これ」
そう呟いたつもりだったが、恐らくそれは声になっていないだろう。不思議な世界に閉じ込められたような、あるいは、まるで別の生物にでも生まれ変わったような、これまで味わったことのない奇妙な感覚。一言で言えば、全能感。思い込みだけであれば、それは非常に恐ろしいことであったかもしれない。しかし、ここまで追い詰められた命の危機が迫る状況においては、それが例え思い込みであったとしても、大きな勇気を与えてくれる確かな感情となり得た。
利用しない手はないだろう。体を動かす。夢中に動かす。差し迫る弾丸を避けるためだ。
そんな馬鹿な、と思った。有り得るはずがないのだ。訳の分からない、事実。弾丸は、オレに当たることなく、オレの後方へと駆け抜けて行き、それっきり帰ってくることはなかった。
「……馬鹿な」
思わずつぶやく。信じられないことが起きたのだから、当たり前だ。オレの体はオレの思った通りに、オレが望むままに物凄い速さで反応し、銃弾を避けるということができてしまったのだから。
「ほらぁー! できたじゃないですかぁー!」
まるで分かっていたかのように飛んでくるイオの言葉。
「どういう──」
問い正そうとするオレに、イオは叫ぶ。
「そんなことは後、後です! ほら! イオは隅に隠れてるので、とっととぶちのめしちゃってくださいっ!」
なんて奴だ! オーシット! シットシット! けれど、嘆く暇もなく、警備マシンとオレの戦いは開始されるのである、無情にも。
敵はドラム缶。この街の警備を任されている機会だ。本来であれば、市民の味方。けれど、そのドラム缶は、歴然たる敵としてオレとイオの前に立ちはだかっている。銃弾を放ってきたのは紛れもない事実であり、オレが戦わねば、自分たちの命が危ないということは明らかだった。
オレは動く。
ドラム缶に迫る。相手は、再び銃弾を発射してきたが、一度できた回避行動をもう一度できない訳がない。ただ、必死に、避けようと体を動かすだけで、その銃弾を避けることができた。銃弾は、まるで止まったように見えた。その速度は早く、オレが体を動かす速度は変わらないにしても、しかし、迫る物体を脳で認識できるという事実は、その迫る物体を避ける上において非常に重要な役割を果たした。
必要最低限の動きで数回銃弾を避ける。まともな人間にはできない動きだ。もしかして、ここは、まだ、仮想シミュレーションの中なのだろうか? いいや、そんなはずはない、そんなはずは……。言い切れないが……。どちらにせよ、当たれば大けがを負うことは目に見えていた訳で、オレはとにかく回避を優先する。
そして、徐々に迫る。ドラム缶へ。
「どうすれば止まるんだ! こいつは!」
大声でイオに助言を促すと、
「頭部です! 頭部のパネルを開けて、そこの停止スイッチを押せば嫌でも止まるようになっています! ドラム缶に何かしらの改造がなされていたとしても、その仕様を変えることは不可能なはずです!」
「なるほどね」
要するに、オレは、ゼロ距離まで接近することを求められているのだ。
けれど、オレの体は、オレの四肢は、オレが思っている以上に、いや、違う、オレが脳で求めている通りの、最大限の動きをしてくれた。頭で考えられるベストな動きを見事に再現してくれる。捉えた弾丸を避けるためにオレが本能的に望んだ体の動きを、オレの体は見事に再現してくれるのである。シミュレーションのように。
ドラム缶は、バカの一つ覚えのように、オレに向けて銃弾を放ってくる。しかし、それらの銃弾はオレに当たらない。当たらないどころか、かすりもしない。無敵だ。のろまなドラム缶であったとしても、ゼロ距離へ接近するのにはコツがいる。左右へ攻撃の的をズラすように動き、その隙を見極める。
素早い動きに、ドラム缶はよくついてきた。その懸命さは褒めるべきものだろう。しかし、所詮、彼はドラム缶であり、機械である。そこにある思考は、ただ、敵となるオレに一撃を加え葬り去ろうとする単純明快なものだけだろう。オレも、ただただ床になりたいという単純明快な思考を持つ男ではあるが、同じ単純なもの同士の戦いで負ける訳にはいかないぜ!
ここだというタイミングで、大地を蹴り上げる。棒高跳びの選手でもなければ、走り幅跳びの選手でもないオレであったが、何故かオレの足は力強く地面を蹴り、オレの体はドラム缶の上へと舞い上がり、そして、飛びつく。
「ここか、ここだな!」
ドラム缶が激しく揺れ動く中、オレはその頭の小さな開閉部を開けようと試みる。引きはがされさえしなければ、ドラム缶の銃撃はもう受ける心配はない。ゼロ距離こそ最強、ゼロ距離こそ正義! 金属の頭の開閉部を開けると、そこにはよくわからないスイッチがいくつもある。
「あー……」
考えた末、オレは手当たり次第にそれらを押しまくる。何故かって? 簡単なことさ、もうこのドラム缶は最低最悪の状況に陥っている訳だからして、それ以上に悪い状態になんてなる訳がないと考えたからだ。自爆なんてワードも頭をよぎったが、そもそも、手動で行われる操作において、即座に自爆なんてものがあるはずもない。
どうやら、そんなオレの大雑把な行動は正解だったようで、どれかを押したと同時に、ドラム缶の動きが完全に止まる。
「ふぅ」
一息ついて、ドラム缶の上から降りると、イオが、とててと駆け寄ってくる。
「お疲れさまです!」
「ああ、うん。それで、一体全体オレの体は──」
「その話はあとです! 今は、この警備マシンが暴走した理由をつきとめないと……!」
「ま、そうか……」
大人しく疑問を引っ込める。ドラム缶の頭のオレが開けたパネルへと手を伸ばすイオ。身長が足りないため、つま先立ちになっているのが少し可愛い。
「何か分かるのか?」
「デバイスを接続します。解析にはほとんど時間はかからないはずです」
「へぇー。接続しないとダメなんだな」
「はい。警備マシンに通信機能を持たせてしまうと、容易に全ての警備マシンに今回のような暴走を引き起こさせるような悪意が入り込む可能性が高まってしまう、です」
「なるほどねぇ」
一生懸命に作業をするイオ。その横顔には、淡い桃色の髪が垂れかかり、表情からは必死さが汲み取れる。
「……!」
そして、イオの表情が変わる。目を大きく見開いて、何か衝撃を受けているようである。
「どうしたんだ?」
「えと、その、それが、ですね……まさか、もう……」
「なんだ、分かりやすく説明してくれ」
「はい、えっと──簡潔に言いますね。警備マシンは先述の通り、外部からは切り離されて動いています。彼らは、この街に迫る脅威からイオたちを守るために配備されているマシンです。あくまでマシン、そこに高位な思考は存在しません」
頷き、続きを促す。
「そして、マシンの基本構造の中にはマシンプリンシプルが組み込まれている。それを書き換えられるのは、創造主だけです」
「創造主……?」
「はい、創造主です。創造主とは、人間のことです。人間以外に、マシンプリンシプル、即ち、機械から人間を守るための条項を書き換えられる者は存在しません。そして、この警備ロボは、それが書き換えられている」
「なんだって? それじゃあ、誰かが、それを書き換えた、ってことか? この街に住んでいる、誰かが?」
「いいえ、それはあり得ないです。これは、外部からの仕業、外部からの、この街に対する、攻撃、です」
「なるほどな……」
問題は深刻に思えた。しかし、オレには取るべき手段が分からない。何を、どうすればいいのか。その先が分からない。
「なっ!」
イオが再び声を上げる。どうやら、まだ解析は続いていたらしい。
「なんだ、今度は? もしかしてあれか、お腹がいたいのか」
イオはオレの問いを完全に無視して事実を伝える。
「これは──何かは分かりませんが、本来、この警備マシンが持っているはずのないデータが組み込まれている……」
「それが、どうだっていうんだ?」
「けど、これは、このマシンが持っていても仕方のないデータ。誰かが、これを求めていた──ということは、このマシンは、どこかへ向かっていた……」
オレはすぐに、このドラム缶が登ろうとしていた梯子を見上げる。
「……! この上は!? どこに繋がってる!?」
普通に考えれば、オレが入ってきたように、道。イオは、言われるがままに、現在地と、この街の地図をデバイスに表示して、この上に何があるかを確認する。そして、結論を導き出す。
「おかしいです、ダイチ様。この上には──建物がある……? いや、なんでしょう、この建物──詳細が出ないですね」
「てことは、つまり、そういうことだよな」
結びつく事実。この警備マシンは、何者かの命令で、何か不明なデータを運んでいた。それが何であるかはさておき、運び先の詳細が調べられないような場所であるということは、疑いを持つには十二分過ぎる要素となり得る。
オレは梯子へと駆け寄り、それを登っていく。
「えと、あの、えっと……」
イオがおろおろしているのを振り返る。さて、オレはイオにどう声をかけるべきだろうか。ついてこい? いや、危険だろう。銃弾を避けられたオレなら大丈夫だろうが、彼女にはそれができないだろうから。迷うオレであったが、イオは自ら足を踏み出す。
「大丈夫なのか?」
「は、はい、イオは、ダイチ様に、どこまででもついていきます……!」
健気である。健気過ぎる。彼女は、自らの危険も顧みず、オレについてくるというのだ。大和撫子も真っ青の健気さである。一瞬キュンときてしまうオレであったが、そうはいかない。亭主関白? そんなもの糞くらえだ。男は敷かれてなんぼのもんよ、すまんな、イオ。しかし、その健気さを完全に無視するのは外道のすることである。オレはイオに共に行こうと手を差し伸べた。
オレたちは、数十分ぶりに地下から地上へと上がる。そこは真っ暗で、つまるところ、外ではなく、建物の中だということを意味していた。
後ろから出てくるイオの手を引っ張り上げ、二人とも揃ったところで、見計らったように辺りがまぶしさに包まれる。反射的に光源から目を守るように手を掲げる。それはイオも同じであり、数秒してから、ようやく目が光に慣れる。同時、視界に入るのは、オレとイオの周りをグルリと取り囲む──警備マシン。
「なっ……!」
「そんな……」
彼らは一様に銃口をオレたち二人に向けており、顔がどこだか分からないものの、その視線は間違いなくオレとイオを捉えていた。囲まれた。絶体絶命。オレは避けられるかもしれないが、イオには無理。見えていた罠だったのかもしれない。愚かであった。残念無念。様々な言葉が頭に過る中、突如振りかかる謎の声。
「やぁ、やぁ、間抜けどもぉ~♪」
嬉しそうな甲高い少女の声は、その内容とは裏腹にあまりにも明るく、楽しそうで、まるでオレとイオを歓迎しているかのようにさえ聞こえた。声のする方へ眼をやる。警備マシンの隙間から見えるのは少女の姿。イオとさほど変わらない背丈のその女は、けれども、イオとはまるで正反対の外見と言ってよい。
髪は黒く、長く、美しい──それこそ、大和撫子を髣髴とさせる。けれど、身にまとう服の露出は多い。身軽さを意識してか、そこにはまるでお洒落さはない。それでいて、美しく見えるというのは、彼女の魅力のなせる業だろうか。髪と対称的であるが故に、彼女に対してより強い印象を覚えさせる。
「だ、誰だ」
オレの問いに、彼女はハイテンションで怒鳴りつける。
「ダーッ! うるさいなぁ、ホントにぃ! ボクはねぇ、今、機嫌が悪いの! 何でか教えて欲しい? 教えて欲しい? それはさぁ、お前らがボクの完っ璧な計画を邪魔したからだよねぇ~」
にやにやして話す様子は、機嫌が悪そうには見えない。恐らく、彼女は、自分が優位に立っているという状況に満足して、機嫌を治しかけているのだろうと推測できた。トン、トン、とゆっくり歩みをすすめ、オレとイオの前へと出たかったのか、行く手を阻む警備マシンを、舌打ちをしながら蹴りつけてその間を前へ出る。態度悪っ!
それらの行為で、オレの脳がピンと来る。まさか、こいつは──この子は──アレ、じゃないか、そう……その、天然の──そう、天然の、生まれつきの──ドS……!?




