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第1話

 皆さんはこんな言葉たちを聞いた事がないだろうか。夢は諦めなければいつか必ず叶う。努力を続けていれば必ず報われる。少年よ大志を抱け。諦めちゃダメだ。信じる力は奇跡を起こす。行動せよ、さすれば与えられん。うむ、歴史の偉人達もしくはその辺のイカした成功人あるいは夢追い人たちが残した素晴らしい言葉の数々である。

 であるからして、俺、下沢大地は夢を叶えるためというただ一点を原動力にして、社会人デビューする今まで、徳に徳を積んできた。病気の子供がいれば行って看病をしてやり、死にそうな人がいれば怖がらなくてもいいと言ってきたのである。あ、これは比喩だけど。

 一方で、徳を積むための努力も怠っていない。はっきりとした時期は覚えていないが、恐らく大体、天命に目覚めた高校一年生の頃から、学生の本分は勉強だという言葉をそのまま飲み込み、ひたすらに勉強し、その後進学した大学は日本でも指折りの有名大学である。しかし、そんなことは俺にとってはどうでもいい。勉強したのは、ただひたすらに、徳を積むためであるからだ。学歴、年収、高い、低い、それらを重視する人が世の中に一定数いるのは知っているし、それらを否定するつもりは微塵もないが、俺にとってそれらはただただ徳を積み、夢を叶えるための道具でしかない。生き方は人それぞれ、互いにそういったセンシティブな部分に関しては触れないで行こうじゃないか。

 では、徳を積むとは何か。言い換えれば善行を行うということである。定義について全てを説明していてはキリがないので割愛させてもらうとして、それはともかく、そんな徳積みたがりな俺に一世一代のチャンスが、今、訪れているということに注目してもらいたい。

 徳を積む方法は沢山あるが、俺はその手段を得るために、ごく普通に、この日本において社会人となり、ごく普通に実家から電車通勤で会社へ向かう人間になった。全て順調だった。なんだかんだ、真面目にやってればうまく行ってくれるこの日本社会、そして、さしたる不幸が訪れることがなかった己の強運に感謝感謝、ありがとうの日々である。

 そんな人生を送ってきた、俺が、今、何をしているかといえば、初出社である。最寄駅から少し都会の駅へたどり着き、そこで乗り換えの電車を待っているタイミングだ。

 地下鉄がキキキと悲鳴をあげて、接近してくる音が耳に入る。初出社。俺は、それなりに緊張していた。だからこそ、周囲を見渡してしまう。何の意味もない、ただ、じっとしているのに耐えられなかったのさ。

 周りのサラリーマン、学生は、誰もかれも、手に持ったスマートフォンを弄っている。人の顔なんて見ちゃいない。そりゃあそうだ、便利な道具、万能な道具、スマートフォン。情報収集をするのにもいい、ゲームをするのにも便利だ、友達と会話だってできる。常に世界とつながっていられるそんな夢のような道具。であるからして、俺みたいにキョロキョロと周囲を見渡している人など皆無だった。中には俺と同じ初出社の連中だっていることだろう。けれども、彼らはまるで己の正体を隠すが如く熟練のサラリーマン戦士たちの中に紛れ込もうとしているのである。新参者の俺に見分けられる術はない。

 だからこそ──訪れた。俺に、一世一代の大チャンスが。

 果たして、それをチャンスと言って良いのかどうか、それは未だに疑問である。あるいは、それは、チャンスではなく、俺の身に起きた最大の不幸だったのかもしれない。しかし、その当時、徳積みたがりチャンピオンの俺からしたら、それはまさしくチャンスに見えたのだ。

 地下鉄が近づく。ホームへ近づいているのが、音で分かる。だから、線路の上には何もあってはいけないのだ。何も──。けれども、そんな線路に、何かが落ちたことに俺は気づいてしまったのである。


「……あ」


 つい声が漏れる。何故なら、落ちたのは人だったからだ。まだ子供? いや、子供というには少し大き過ぎるか。しかし、私服であるからして、そう考えると、大学生だとか、その辺が妥当だろうか。そんなことを考えている暇などないはずなのに、俺の頭にはそんなことが一瞬のうちに連想される。


「人、人がっ……!」


 線路へ落ちた人は、俺のほとんどすぐ近く。しかし、周りの人々はまだ気づいてさえいない。辺りを素早く伺えば、遠くに居た駅員が気づいてこちらへ駆けてきているが、あまりに遅い、遅すぎる。間に合わない。絶対に間に合わないだろう。


「は、早くっ! 早く上がれっ!」


 俺は大声でその落ちてしまった人に向かって叫ぶ。すると、その人は俺の方へ振り返る。最も特徴的なのはその髪。脱色されたであろう白に混ざり合うようにして、ピンクというにはあまりに薄すぎる桃がかったセミロングの髪。その髪がサラリと舞い、その子は、目を見開いて、カクリと膝を落としてしまう。

 俺は、ドキンとした。

 こんな、命の危機が迫る場面において、まさか自分がそんなことを考えてしまうなんて思いもよらなかったが、その子のあまりの美しさ、あまりの可愛らしさにドキッとしてしまったのだ。大人らしさと子供らしさ、その両方を内包したその子は、潤んだ瞳で真っ直ぐに俺を見ていた。目が合い、トキメク──。可憐、といえば好かろうか。あどけなさが残っているが、決して幼過ぎない。丸っこい子供らしい可愛さが際立ち、睫毛の長さが目を大きく魅せる。天使、その単語が最も彼女を的確に表す日本語であろうと断言しよう。

 刹那──俺は、線路へ飛び降りていた。

 全くもって、冷静な判断ができていたとは到底思えない行為だ。あり得ないんだ、こんなことは。でも、ときめいてしまった上に、人の命を救うというあまりにも大きすぎる善行の前で、俺の身体は自然と動いてしまったのである。

 自然と、と一言で言うにはあまりにも儚いかもしれない。これは、きっと俺がこれまで積み上げてきた経験の上に成り立った必然的な行為なのだ。習慣というものは恐ろしい、同時に、頼もしい。人は習慣によって生きる。それが紛れもない真実だと声高らかに言うつもりはないが、何度でも言おう。俺がここで線路に飛び降りることができたのは、間違いなく、俺自身のこれまでの積み重ねの上にあるということを。

 何はどうあれ、俺の身体は動いてしまった。それは、俺の経験であり、習慣であり、また、人生である。感情的であるか、理論に基づいた行動であるか、そんなことはこの際どちらでもよろしい。ただ、動いたという事実は消えない。

 目の前に迫る列車は、物凄い音をたててブレーキをかけているが、停止に間に合う様子はまるでない。俺はすぐに、線路で動かなくなった子を抱き上げる。人一人抱き上げるにはそれなりの力が要るはずだが、俺の身体はそれさえも立派に成し遂げてくれた。よくやった、偉いぞ、俺の体! 賞賛の声もそこそこに俺はすぐにその偉い偉い俺の体を動かし、ホーム脇へと駆ける。

 無事、俺が抱き上げた子は、他のサラリーマンやら駅員やらの手によって引き上げられ、その子は俺を見て叫び────俺の目は何も捕えなくなった。


「──────!!」

「──!! ──!!!」


 叫び声と喧騒が僅かに耳に届く。視界には赤しかない。思い浮かぶのは死という一文字。それはものすごい速さで俺に迫ってくるのだ。

 赤はやがて黒になり、耳に届く音は、すぅと姿を消していく。沈黙が訪れる。世界の終わりが頭をよぎる。

 完全な暗闇は、やがて暗闇とも認識出来なくなり、俺は恐怖を抱く間もなく、俺の夢を思い出す間もなく──終わった。




 ああ、死んだのか。

 まさか、本当に死ぬだなんて──まぁ、思ってたよ、思ってたさ。しかし、なんというか、これも、また、本望──。馬鹿なことをと人は言うかもしれないが、俺にとってはこれが本望なのだ……。

 ……。

 沈黙。暗闇。そして、浮かぶ疑問。俺は、何で、考えているんだ? どこで、考えているんだ……? 何故、考えることができているんだ……? そして、世界から──声がする。


「──正常です。大丈夫そうです、ご主人様」

「ごくろうさま。後は──記憶が正しく受け継がれているか、起こして確かめないといけないですね」

「はい。起こします?」

「ええ、お願い」

「起きてください―、起きてくださいー、ダイチ様ー」


 遠くから──いや、とても近くで会話が聞こえる。どういうことだろうか、気になった。俺はそして、目を開けた。目を開けて、驚いた。まず、自分が目を開けたことに驚いたのだ。目を開けることができるということは、自分はまだ生きているということを意味している。そして、次に、自身の視界に入っている景色を認識してまた驚く。


「……病、院……?」


 自然と言葉が口から漏れ出る。天井は白く、自分の左右もまた白い布で囲まれていたからだ。首を動かそうとして、あまりに痛むものだから、それは諦める。代わりに左右を目玉だけを動かしてぎょろぎょろを確認する。

 そこにいたのは二人の人間。一人は、白衣を身にまとった女医……? だろうか。女医というよりは、博士、というのに近いかもしれない。いずれにせよ、長い黒髪を持った大人の女性。そして、もう一人は……。


「……!!」


 そこに居たのは、確かに──確かに、あの時、俺が救った子だった。間違いない。完璧に一致している。どこからどうみても、あの時俺が救ったあの子だ。そうか、そうか……なるほど。


「──あー、すると、ここは、天国……?」


 そうだ、間違いない。やっぱり俺は死んだんだ。そして、ここはきっと天国へ行く途中の夢みたいなものなのだろうと思う。目が開けられたからなんだ? 夢でだって目は開けられるし、物は見える。それらは、全くもってここが夢の世界ではなく、現世であるということの証拠にはならないのだ。

 難しいことを考え始めるよりも前に、しかし、俺の言葉に白衣の女性が否定の言葉を返す。


「いいえ、違います。ここは──えーっと、そうですね、一言で言えば、現実世界、です」


 まるで意味が分かない俺に、その女性は話を続ける。


「いいですか、簡単に言えば──」


 彼女の名前は、エーワン、見た目通り、研究者であり、同時に、ここの施設の責任者であるらしい。そして、横にいる女の子──俺が救ったはずの女の子の名前はイオ。まるで外国人だな、という俺の言葉に、ふふふ、という微笑だけが二人から帰ってくる。

 自己紹介くらいなら俺もすぐに理解できる。俺が理解できたと見ると、エーワンはさらに続けた。

 彼女の話によれば、俺が死んだのは確かなことらしい。俺は、俺の世界における死以外の何物でもないその現象によって、下沢大地としての生涯を終えたのだ。

 ところが、


「え、マジでいってる、それ」


 エーワン曰く、俺がいた、二十一世紀の地球というのは、この今現在、エーワン、イオがいる世界が行っていた仮想シミュレーションだというのだ。


「ええ、本当です。目的は──追い追い話すとして、とにかく、あなたは、この子──イオを助けてくれた。そして、貴方がこれまでしてきた素晴らしい善行の数々、貴方自身は素晴らしい人だった。これ以上にないくらいの賞賛を与えられる人だった。あなたは相応しかった。だから、私は、あなたをこちらの世界に招待したのです。あなたたちの世界の概念で言えば、そうですね、来世だとか、転生だとか、あるいは召喚でも、夢から醒めたでも、どんな呼び方をしてもらっても構いません」


 にっこり笑うエーワン。

 俺は実にたっぷり数十秒をかけて、彼女から話されたことを理解しようとした。そして、布団から出ようとした。首も動かせないほどだったから、無理だろうかと思ったが、不思議と、今度は全く痛むことなく体は動く。周りの白い布からも出て、部屋の中を見渡した。なるほど、ここはどうやら病院でもないらしい。一つある窓から外を見れば、そこに見えるのは──なんとも言えない、しかし、見た事のない街並み。都会だ。しかし、何かが違う……何が違う? そうだ、空が違う。ドーム状の何かに覆われたそれは、俺が知っている空とは違うのだ。何かから守るように、都市全体を囲っているように見える。

 俺は、すー、はーと深呼吸をしてみる。うん、問題ない、呼吸はできる。それだけ確認すると、再びベッドへと戻り、エーワンに問う。


「証拠は?」


 当たり前だ。そんなことを言われて、はい、そうですか、と信じることなどできる訳がないからだ。エーワンは、にっこり笑うと、懐から何とも分からない黒い、四角い、機械か何かを取り出して、俺に見せる。


「何か分かりますか?」


 俺は小さく首を横に振る。

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