ティル編その1「無謀な挑戦」
ヒイロさんの葬式を執り行ってから数日後、私は自らの執務室に向けて城の廊下を歩いていた。主様の代わりとして政務を行い、今しがた書類を渡してきた帰りである。
あの日から主様はほとんど政務に手が付いていなかったし、私達も無理に政務をさせるつもりはなかった。落ち着くまでーーーそれが遥か先の事であってもーーー代わりに私達が肩代わりする事にしたのだ。
そんなこんなで廊下を歩いていると、主様の執務室の方から音がした。誰が中にいるのかと気になり、私はそちらへ足を向けた。
「・・・主様、ですかね?」
扉の前で独りごちる。仕事に戻ると言うのなら喜ばしい事だが、それ以上に精神を安定させて欲しかった。
「・・・すみません、失礼します。」
軽くノックしてから部屋に入ると、そこには1人の男性が立っていた。その姿を見て私は絶句した。その人は姿形は主様と同じだが、髪色は黒から白へと変わっていた。ウェディングドレスのような白ではなく、骨のような白。
「・・・ぇ、貴方・・・主様、なんですか・・・?」
確認するように恐る恐る告げた私に、主様(?)は無感情な視線を向けた。いつもの主様なら絶対に見せる事のないそれに、思わず一歩後ずさってしまう。
「ティル」
「・・・な、何でしょうか・・・?」
私の名前を呼ぶ声にも感情はこもっていなかった。唯一読み取れる感情があるとしたら、諦観。この世全てに愛想を尽かした者しか出せないと直感的に思わせる声だった。
「俺は、決めた。」
「・・・何を、ですか・・・?」
次にその口から発せられたのは、信じ難い一言だった。
「この世界を、終わらせる。」
「・・・・・・・・・へ?」
思わず変な声が漏れてしまったのは仕方ない事だろう。
「・・・え、でも、どうやってですか?うちの軍を総動員させたとしても、それは難しい・・・というか無理ですが・・・」
その時、私は間抜けなことを言っていることに気付いていなかった。世界を終わらせるのに自国の軍を総動員させるも何もない。それほどに混乱していたという事だ。
それに対して、返ってきた答えは至ってシンプルだった。
「簡単だ。俺の能力を振るう。全力で、誰にも遠慮せずにな。」
その言葉を聞いて、私は戦慄した。何故だか分からないが、今の主様なら本気で世界を終わらせてしまうと思った。
(・・・何とかして、止めないと!)
そう思ったのもつかの間、私の頰を何かが掠めて壁に突き刺さった。
「・・・・・・っ!?」
思わず壁の方を見ると、万年筆が壁に突き刺さっていた。驚くべき事に万年筆には禍々しい翼が生えており、自らを壁から引き抜いて再び私を捕捉する。
「な、主様、これ、なん・・・っ」
「まずはティル、お前からだ。」
困惑する私の声に被せるように、主様はそう宣言した。そのまま机や椅子に手を触れると、思わず振り向いた私の目の前で信じられない光景が広がった。椅子や机が変形し、原型を留めたまま怪物に変化し始めたのだ。
「あ、主様、それって・・・」
元からそういうものだった、というわけでは勿論ない。
「言っただろう?『俺の能力を振るう』って。」
「・・・それにしたって・・・ぁ痛っ!?」
言い終わらぬうちに、肩甲骨の辺りに鋭い痛みが走った。手を伸ばすと、そこに先ほどの万年筆もどきが突き刺さっていた。腹が立ったので、引き抜いて力任せにへし折った。
そうこうしているうちにも室内の調度品が次々に怪物へと変化させられていく。数分後には部屋中が怪物で埋め尽くされていた。
「さあ、終わりの始まりだ。」
主様の宣言と同時に無数の怪物が襲いかかってくる。私は盾を取り出し、正面に構えて戦闘態勢を取った。
「・・・今ここで、止めないと・・・!」
一歩踏み出そうとした次の瞬間、私の体は制御を失って部屋を飛び出した。それとともに、頭の中によく知った者の声が響いた。
『今のお前には奴を倒すのはおろか止めることすら不可能だ。』
「っ、影さん!?」
私の意に反して体は廊下を駆けていく。苛つき、思わず影さんに怒声を浴びせた。
「何するんですか、体返して下さいよ!早く主様を止めないと・・・!」
しかし、倍ほどの勢いで返ってきた怒声に(体の制御権は無いが)思わず身をすくませた。
『話を聞いていたのか莫迦が!!!貴様では奴を止める事は出来ないと言っただろうが!!!』
「・・・っ・・・」
そのまま階段を駆け下り、城を飛び出したところでようやく体を返してもらえた。私の体から抜け出た影さんに視線を向け、改めて私は問い直した。
「・・・私じゃ、主様を止められないってどういう意味ですか?そりゃ本気の主様には太刀打ちできませんけど、多少の足止めぐらいなら・・・」
それに対し、相変わらず見下したような(実際私よりも高い目線に浮遊している)視線を私に向けて影さんは言った。
『今の奴は、もはや元の奴ではない。優しさは影も形もなくなり、代わりに無慈悲さと冷酷さと残酷さに満ちた別の存在だ。・・・言うなれば、奴のネガのようなものだ。』
「・・・・・・・・・・・・」
薄々勘付いてはいたが、改めて告げられるとくるものがある。
『・・・奴は、この世界を滅ぼそうとしている。それはお前も分かっているな?』
意気消沈している私を気にもとめず、影さんはつらつらと話を進めていく。
「・・・はい。でも、能力を振るうとしか・・・」
『奴にはそれで十分だ。奴が能力を全力で振るえばこの世界ぐらいは容易に飲み込める。』
そこまで言ったところで、城の方から爆音が響いた。反射的に視線を向けると執務室のあった場所が破壊されており、そこから無数の怪物が次から次へと現れて町を襲撃している。
「・・・不味い、止めないと・・・!」
『・・・ああ。奴め、手始めに自分の国を滅ぼすつもりか・・・!』
「そんな事、絶対にさせません!」
私は盾を持ち直し、怪物に襲撃されている場所へと駆け出した。
走っている最中にも城から爆発音が断続的に響き、その度に異形の怪物が町へと飛翔していく。数分で人々が襲われている場所へと着いた。ロッキングチェアの怪物は近くの人を容赦なく潰し、引き裂き、噛みちぎっていく。辺りにはむせ返るほどの血の匂いが立ち込めていた。
「ぎゃあぁぁぁぁっ!?」
「嫌だ、誰か・・・!」
「お願い、殺さないで・・・!?」
(・・・これ以上は、させません!)
私は盾を剣に変形させ、怪物へと斬りかかった。元は木だったにも関わらず、エネルギーを纏わせた刃でも容易には断ち切れなかった。
「こいつ、硬いですね・・・急所とかあるんですかっ!」
どこを狙っていいか分からないので、腕のように可動する肘掛けを狙って剣を振るう。接合部分が関節になっているのか、そこだけはなんとか切断できた。
「やった、この調子で・・・!」
そう思うのもつかの間、怪物の反撃が始まった。足の部分が百足のようになっており、見た目よりも素早い動きで迫って来る。
「しま・・・っ!?」
不意を突かれ、残っていた腕で思い切り切り裂かれる。腕の内部に爪があったのか、右の肩口を切り裂かれてしまった。
「〜〜〜〜〜〜っ!!?」
血に染まった爪を振り、げらげらと笑い声のようなものを上げる怪物。肩の痛みを堪えながら、私は剣を斧に変えて思い切り叩きつけた。流石に耐えられなかったのか、怪物はバラバラになって動きを止めた。
「・・・た、助かった・・・」
「・・・まだ怪物が来るかもしれません、早く安全な所へ!」
へなへなと座り込む生存者達に声をかける。慌てて頷き、木材を武器代わりに周りを警戒しながら去っていく彼らを見送ってから傷口を見た。深く切り裂かれていたのか、腕を動かす度に痛みが走った。
「・・・思ったよりも、深くやられたみたいですね・・・」
持っていた救急キットで止血し、辺りを見回す。今の戦闘の間にもさらに被害は広がっていたのか、あちこちから悲鳴や黒煙が上がっている。
「・・・早く、行かないと・・・!」
主様が敵側に回った今、町の人達を守れるのは私達だけなのだから。
その後も何度も戦闘を繰り返し、その度に苦戦を強いられた。怪物は元の素材の割に体が硬く、エネルギーを普段よりも消費しないと倒すことが出来なかった。その為、日が沈む頃には既に体力が尽きかけていた。
「・・・はぁ、はぁ・・・っ」
持っていた食べ物もほとんど食べるか町の人に渡してしまい、手持ちの食べ物はチョコレート一枚だけになってしまっていた。
「・・・これで、最後ですか・・・」
あまりエネルギーの無駄遣いは控えたいが、闇夜の中で明かりの一つも無いというのは流石に不安になる。仕方がないのでチョコを一欠片だけ口に放り込み、少しだけ手に入れたエネルギーを消費して近くの木材の残骸に火を灯した。
(・・・・・・・・・・・・)
パチパチと音を立てて弾ける炎を眺めていると、ふと涙が零れた。時間は分からないが、いつもなら城中を駆け回って仕事に追われていたはずの時間。そんな日常が一瞬にして瓦解し、突然非日常に放り込まれ張り詰めた緊張の糸が切れたのだろう。
「・・・ぅ、うぅ・・・うぇ、あぁぁ・・・っ・・・」
私はそのまま泣き続け、いつしか眠りに落ちていた。