朝顔
幼い頃、青いスカートがお気に入りだった。
さらさらした布でできていて、くるっと回ってしゃがむと私を中心に丸く広がった。
「朝顔みたいだね」
「俺たちの親指姫だ」
そう言って、従兄弟たちが笑ってくれるのが嬉しかった。
皆が幼稚園に行く歳になっても、私は家の中から出たことがなかった。欲しいものはいつも、いつの間にか与えられていた。
両親はいなかったけど、いつも側に従兄弟達がいるから寂しくはなかった。
壁に囲まれた家は大きくて、庭に滑り台のついた遊具があった。
3人の従兄弟たちと「公園」と呼んで、毎日のようにそこで遊んでいた。
今思えばそこはまるで、固く閉じた朝顔の蕾の中のようだった。
他の誰も中に入れないそこは、私たちの楽園だった。
6歳になり、義務教育が始まった。
お祖父様は「行かなくていい」と言っていたけれど、お祖母様が強く反対して小学校には行くことになった。
3人の従兄弟たちも一緒の学年で、休みの時間はいつも私の席に集まっていた。
本当は女の子の友達が欲しいなと思っていたけど、従兄弟たちに囲まれている私には誰も近寄ってこなかった。
「優依は俺たちといればいいんだよ」
そう言って、従兄弟たちは私が他の子と仲良くなるのをいつも邪魔した。
中学生になる頃には、従兄弟たちは皆、それぞれにモテていた。
短い黒髪に彫りの深い顔だちの桂君は勉強もスポーツも万能で、生徒会長までこなす俺様な男として。
ふんわりした色素の薄い長髪に優しい顔だちの陽君は、誰にでも優しく笑顔を絶やさない王子様として。
癖っ毛で髪を少し茶色に染めた連君は、いつも元気で誰にでも話しかけていて、いるだけで周りを盛り上げるムードメーカーとして。
その3人に囲まれた私は、勉強は苦手だし運動も下手。従兄弟たち以外とは上手く話すことも出来ない人見知りで、従兄弟達がいない場所ではよく気の強い女の子達に囲まれた。
「なんで、あんたみたいなのが桂くんの側にいるのよ!」
「陽くんに上手く私たちを紹介することも出来ないの?役に立たないんだから」
「従兄弟たちに頼らなくちゃ、1人じゃ何にも出来ないのよね。棒に巻き付かなきゃ生きていけない朝顔みたい。絡み付いていないでさっさと解放してあげなさいよ!連くんが可哀想!」
もちろん、そのあとは従兄弟達が助けてくれた。
「優依を傷つける連中には関わりたいとも思わないな」
「俺たちの大事な子に手を出すなんて、許せないよ」
「人の宝物に何してんの?優依を大切に出来ない子をオレらが彼女にするわけないだろ」
意地悪を言う子は3人の従兄弟達に嫌われ、それに気を使った周囲によって学年全体で無視をされるのが当たり前のようになった。私は皆に怖れられ、距離をおかれた。
中学3年生の夏。高校への進学を決める頃、お祖父様に呼び出された。
「優依。お前はこのまま、家で過ごしてもらう」
「どうしてですかお祖父様!私は、桂くん達みたいには勉強が出来ないけど、違う高校になら行けます!1人でだって高校に通いたいです!」
「お前には本家の血筋を残すという大切な役割がある。3人の従兄弟の中で、お前と子を成せた者が次の当主となる。これはもう、お前が赤ん坊の頃に決められたことだ。これ以上外の世界に出て、お前の親のように他の血筋と子を成させる訳にはいかないのだ」
お祖父様との話は、それで終わった。
私ははじめて知った話の数々に混乱し、冷静ではいられなかった。
私は、泣きながらお祖母さまの部屋に駆け込んだ。
そこではじめて、私を産んだ両親のことを教えられた。
母は分家の婚約者から逃げて外の男の人と結婚した。お祖父様は長女である私を引き取ることを条件に、母を縁切りしこの家から出したそうだ。
「涼…優依のお母さんが結婚を考える頃、、分家筋は女の子しかいなくてね。1人だけ男だったからその男を婚約者としていたんだけど、小さいときから次期当主と扱われたせいでろくな男じゃなかった。そのお陰もあって次代で必ず薄まった血を戻すからと分家筋を説得することができて、優依を本家に引き取れたんだよ」
知らなかったことを一度に教えられて混乱したけど、1番気になったのは。
「つまり、私は、従兄弟たちの誰かと結婚するために育てられていたのですか!?」
「そう。だから桂たちにも、優依を守るよう小さいときから言い聞かせてきた」
「じゃあ、桂くんも陽くんも連くんも、みんな、お祖父様たちに言われたから優しくしてくれてたんですか?私と結婚すれば当主になれるから、それが目当てだったんですか!?」
――なんてひどい現実なのでしょうか。
あの優秀な従兄弟達が私に恋しているなんて自惚れはしていませんでしたけど。でも、単純な好意で側にいてくれていると思っていました。
ショックを受けた私は、熱を出して寝込んだ。
熱が下がっても、外に行く元気が出ずにずるずると学校を休んで二日目。
昼前に連くんがお見舞いに来てくれた。
「優依、オレらが婚約者候補だって知ったんだってね」
いつもの明るい笑顔を消し、真剣な顔で見てくる連くん。
「連くんは、知ってたんだね。いつから?」
「覚えているのは、はじめてこの家に連れてこられたときかな。こんなに広い家で、庭に公園まであって。この家に住みたいって言ったんだよ。そうしたら、この家のお姫様と結婚出来るように頑張れって言われた」
懐かしそうに笑う連くん。
「連くんは、この家が欲しいの?だから、私に優しくしてくれるの?」
そう問うと、連くんは目をぱちくりと瞬いた。
「この家は好きだけど、できれば当主にはなりたくないな。責任が重すぎる。まぁでも、優依のためになら、頑張るけどね」
「え?」
「目標だったから。将来、優依に選んでもらえるような男になりたいって。だからオレ、勉強も運動も一生懸命やってこられたんだ。これからも、そうしていくつもりだよ。優依が、好きだから」
ぎゅっと抱き締められ、心臓が止まりそうになる。
いま、こくはくされた?
「好きだよ、優依。ずっと昔から。ふわりと笑う顔や近づいたときのいい匂いに、いつもドキドキしてる」
人生で初めての告白に、どう言葉を返したのか覚えていない。
気がつくと、連くんは帰ったあとだった。
次に来たのは、陽くんだった。
「連に先を越されちゃったな。僕も、優依が好きだって伝えに来た。優依が僕たちの誰かを自分から好きになるまで抜け駆け禁止って話し合ってたから、今まで言えなかったんだよ」
陽くんまで、私のことが好きだなんて。
「なぜ、私なの?陽くんも連くんも人気者で、いろんな子に告白されてるのに。こんな、頭もよくないし綺麗でもない何も取り柄がない私のことが好きだなんて」
信じられないままに問うと、陽くんは困った顔をした。
「なぜだろうね。僕も、他の子を好きになろうとしたこともあるんだよ。連や桂と争いたくなくて。でもね、駄目だった。どんな子と話しても、優依ならどんな風に返事をするのか考えてしまうんだ。どんな子といても、優依の側にいるほど幸せな気持ちにならないんだ。理屈じゃない。優依が好きで、どうしようもないんだ」
それまで考えたこともなかったのに。物心つく前から側にいた従兄弟達が、急に『男』という別の存在になってしまったようで。
顔を真っ赤にして何も言えないでいる私の頭を撫で、陽くんは帰っていった。
夕方になった頃、桂くんが慌てた様子でやって来た。いつも冷静で感情をはっきり見せないのに、珍しい姿だ。
「連と陽から、話を聞いた」
言われた言葉に、顔が赤くなる。
そんな私を苦しそうな顔で見ながら、桂くんは続ける。
「俺は、本家の娘である優依が好きだ。優依と結婚して本家を継ぎたいと、そう思って今まで努力してきた。優依が本家の娘じゃなかったらなんて、今日あいつらに優依が気にしてるって言われるまで考えたこともなかった」
あぁ、そうだ。桂くんはいつも、嘘をつかない。
私から家柄を取ったら何も残らないと、はっきり言われたようでまた苦しさが込み上げてきた。
うつむく私に、桂くんは続ける。
「考えたけれど、わからない。優依と小さい頃から出会っていなければとか、本家の当主を目指していなければどうなっていたかなんて。どんなに考えても、昔から俺の側には優依がいて、ずっと守るべき存在で、そのために努力してきた。今の俺があるのは優依のお陰だし、優依のために俺が存在する」
「じゃあ、私がこの家の娘でなくなったら?高校に進学したいからと家を出て、そのまま勘当されたら、桂くんは私のこと嫌いになる?」
「ならないな。これからのことなら、想像できる」
桂くんは即答してくれた。
「そのときはお祖父様から当主の座をもぎ取って、優依を迎えに行く」
桂くんはうつむいていた私の顎を指で持ち上げ顔を覗きこんだ。目が合うといつもの自信たっぷりな笑い顔になって、私にささやく。
「お前を俺のものにするために」
結局私は、その後家から出ないままに夏休みを迎えた。
従兄弟たちにどんな顔で会えばいいのかわからなかったため部屋に引きこもっているうちに残りわずかだった授業が終わってしまったのだ。
二学期が始まり進路相談が本格化しても、お祖父様は私の進学を認めようとしなかった。
それどころか従兄弟たちまで、私の進学に反対した。
「俺たちの側にいろよ」
「家にいて、僕たちが帰る場所になって欲しいな」
「オレの知らないところに優依が行くなんて、想像したくない。オレらから離れていかないで」
あのあと堰が切れたように恋愛モードで接してくる従兄弟たちに何をどうしてわからないまま、時が過ぎ、私はお祖父様の言っていたとおりに本家で家を継ぐための教育を受けるようになった。
従兄弟たち3人とも婚約者候補のままで、私の心が決まるまでと1人に決めるのを待ってくれている。
朝顔みたい。そう誰かに言われたことを思い出す。
本当にそうだなと思う。
朝顔は一つの花の中で種を作る。花の中の雌しべに、周りの雄しべからの花粉がついたらそれでもう、種が出来る。虫が運ぶ他からの花粉なんて必要ない。なのにあんなに大きな花びらをしているのは、雌しべを閉じ込めるためだ。
朝に開く花びらは閉じるとすぐにくっつき、中の雌しべや雄しべを閉じ込める。
虫がどんなに入ろうとしても、もう二度と開かない。
私の世界は、再び閉じられたんだと思う。
固く閉じられた花の中、従兄弟たちと私だけの世界。
「愛してる。毎日会えたらいいのに」
「側にいるだけで、僕は幸せだよ」
「なにもしなくていい。ただ、笑っていてほしい。そうしたら、俺は頑張れる」
毎日、愛の言葉がシャワーのように降り注ぐ、朝顔の世界。