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星空ロスト

作者: 大和和樹

 黒野星羅は僕の幼馴染だ。

 セミロングの綺麗な黒髪に、邪気のない大きな瞳。

 桜色の唇には、いつも穏やかな微笑をたたえていた。

 僕と彼女は、家が隣だったこともあって、まるで兄妹のように育った。

 つまり、よく互いの家を訪れては、日が暮れるまで遊んだ。

 星羅はおとなしくて、上品な女の子だった。

 僕はいつからか、彼女に恋をしていた。


 星羅は星が好きな子だ。

 六歳の誕生日に天体望遠鏡を買ってもらってから、晴れの日は毎日、夜空を眺めていた。

 大抵の場合、僕も一緒にいて、星羅が嬉しそうに笑うのを眺めていた。

 望遠鏡を覗くと、黒く塗りつぶされた夜空の中に、キラキラと色んな色の星が瞬いていて、とても幻想的だった。

 でもそれ以上に星羅の横顔はとても綺麗で、何時間でも見ていられた。

 いつの日か、星羅に聞いたことがあった。

「どうしてそんなに星が好きなの?」

 星羅はふわりと笑って答えた。

「星って、とても不思議だと思うの。本当は目が焼けるくらい眩しいのに、実際に見えるのは僅かな儚い光だけ。わたしと正反対ね」

「どういうこと?」

「儚く見えるけど、わたしはもっと眩しいんだよ」

 星羅はお茶目にウィンクまでした。

 その姿は僕にはとても眩しかった。


 星羅はお人よしだ。

 決して積極的じゃないけど、ちゃんと周りを気にかけていた。だから、僕を筆頭に、みんなから好かれた。

 星羅の微笑みには、他人を癒す力があったと、僕はそう思った。

 休み時間、放課後、星羅の周りにはいつも友達がいた。

「優子ちゃんって言うの。わたしの一番のお友達」

 そう言って紹介してくれたのは、ボブカットにした茶髪が印象的な、明るい女の子。

 楽しそうにしている星羅を見ているだけで、僕は幸せだった。

 小学校、中学校と進むうち、僕と星羅が一緒にいる時間は減った。

 それでも僕は、星羅が好きだった。


 星羅はお人よし過ぎだ。

 誰にでも優しい。その優しさを、妬むものが現れたほどに。

 だから、星羅はいじめられた。この時僕らは高校生になっていた。

 星羅は誰からでも好かれた。恋愛感情を向けられ、告白された回数は、両手の指に収まらない。

 それが、主に女子から反感を買った。

 はじめのうちは、星羅の陰口を耳にする程度だった。それが、優子と言う子の彼氏が星羅に惚れて以来、爆発したようにいじめが始まった。

 最初は、些細な悪戯だった。筆箱を隠し、あたふたする星羅を、いじめっ子たちは笑ってみていた。

 それはエスカレートした。

 いじめっ子たちは、星羅に暴言を吐き、暴力を振るい、所持品を壊し、金銭を請求した。

 彼彼女たちの、狂ったピエロみたいな笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。しばらくはトラウマになりそうだった。

 星羅が次第に壊れていくのを、僕は見ていることしかできなかった。


 星羅は純粋だ。

 星空を眺める星羅の笑顔は、とても純粋で美しい。

 そして、いじめられる原因が自分にあるんだと自己嫌悪に陥った星羅の涙は、

 いじめっ子を恨むことができず、自分を追い込むことしかできなかった星羅の苦悶の表情は、

 ……僕はそれを、どんな気持ちで見てきたんだろう?

 星羅は自らの純粋さによって、どんどん追い詰められていた。

 多分、純粋で優しい星羅は、誰かを嫌うということができなかったんだ。

 いじめられるのは、自分が悪いことをしたから。

 そう自己完結した星羅の瞳から、見る間に光が消えていった。

 僕の知っている星羅の姿は、どこにもなかった。


 僕は星羅の幼馴染だ。

 だから、たとえ周りが星羅をいじめようと、僕だけは星羅の味方になると決めていた。

 たとえ、クラスのみんなが僕を避けようとも。 

 そして星羅も、僕を頼ってきた。

「みんながわたしの悪口を言うの」

「今日ね、優子ちゃんに言われたの。『汚らわしい。近づくな』って」

「これ、見て。わたしの数学のノート。汚くて読めないかもしれないけど、いろんな人の字で『死ね』って書いてあるんだよ。え、この赤い汚れは何かって?これは、わたしの血液。ああ、大丈夫だよ、刺されてはいないから。顔面を箒で殴られて、鼻血出しちゃったんだ」

「今日、先生にお願いしようとしたの。いじめを止めてくださいって。そしたら優子ちゃんに出くわして、体育館の裏に引っ張って行かれた。お金をくれたら許すわって優子ちゃんが言うから、あげたの。三千円」

「……寒いの。トイレの水、掛けられた」

「優子に殴られて、金取られた」

「脅されたから万引きした」

「蹴られた」

「殴られた」

「叩かれた」

「痛いの」

「もう嫌」

「助けて」

「カズくん、助けて」

「たすけて。いたい」


「汚らわしい。近づくな」


「え…………カズくん…………」

 星羅は血走った目を見開いた。

 ごめん、ごめんね、星羅。

 そうしないと、僕がいじめられる。

 星羅の話を聞くたびに、あんな目にだけは遭いたくないって、思ってしまったんだ。

 だから僕は、君を突き放す道を選んだ。

「カズくん……かずくん……たすけて…………いたいの、こわいの、いやなの、ねえ、たすけて。たすけて、ねえ、たすけて、ねえ、やめてよ、ねえ!いたい、いたいいたいいたい!やめて、やめてええええ!!」

 星羅を殴ればいじめないでやるって、その優子って子が言ってたんだ。

 ごめんね、僕の右手も、すごく痛いよ。

 きっと星羅は、もっと痛いんだね。

 ごめんね。

 星羅は狂ったように泣き叫んだ。顔は涙と痣でグチャグチャだった。

 その様を直視できず、僕は赤くなった右手をじっと見つめた。

 結局僕は、星羅より自分がかわいいようだ。

 でも、たとえ僕が星羅を殴っても、蹴っても、脅しても、虐げても、

 それでも僕は、星羅が好きだから。


 星羅は、美しさを失っていった。

 潤しかった黒髪はばらばらの長さに千切られ、炭みたいな色になっていた。

 大きな瞳は涙で潤んでいた。涙が枯れると、赤く血走り、瞼を重く腫らしていた。

 白くてすべすべだった肌は切り傷とカサブタと痣が妙な模様を描き、見るに耐えない色をしていた。

 僕の好きだった星羅の姿は、もうどこにもなかった。 

 それでも、星羅を嫌いになってはいけなかった。

 星羅をこんな醜い姿にしたのは、まぎれもない僕自身だったから。


 星羅は、優しい子だ。

 あれだけいじめられて、心も体もボロボロにされた星羅にとどめを刺すように裏切った僕を、星羅は嫌わなかった。

『カズくんも苦しんでいたの、知ってました』

 星羅の遺書には、そう書かれていた。


 星羅は、孤独だった。

 星羅がもう何週間も学校に来ていないことは知っていた。

 星羅が自殺する前日、僕は彼女の家の庭に星羅を見つけた。

 狂ったように何かを叫びながら、ガキン、ガコンと音を立てて何かを壊していた。

 数年前に僕と星羅が一緒に夜空を見上げた望遠鏡だった。

 ばらばらにされていく望遠鏡と、悪いものに憑かれたような星羅の姿を見て、声をかけよう、と思った。

 あの望遠鏡には、僕と星羅の思い出が詰まっている。それを壊されるなんて、耐えられない。

 僕は星羅に駆け寄ろうとして、

「へえ、黒野ってここに住んでんだ?汚い家」

「近づかないでおこうぜ、呪われる」

 やっぱり、やめておいた。


 そして星羅は、自室で首を吊った。


 それを聞いたとたん、僕の中で何かがあふれた。

 僕のせいだ。

 あの時、星羅を突き放さなかったら。あの時、僕が代わりに先生に伝えていたら。あの時、僕が代わりにいじめっ子を殴っていたら。あの時、星羅に声をかけていたら――。

 僕が一番好きだったのはこの我が身だった。自分を守ることしか考えていない、どうしようもなく最低な人間だ。

 それで星羅が好きだったなんて、馬鹿らしいにも程がある。

 後悔なんて生易しい言葉で表現できないほどの自己嫌悪に、絞め殺されてしまいそうだった。

 いや、いっそ絞め殺してほしかった。

 そうすれば、僕は星羅と同じところへいける。

 いや、やっぱり無理か。星羅はいい子だから天国へ行くけど、僕は確実に地獄に落とされるだろうな。

 いやいや、もういっそ、地獄の底まで、堕ちてやろうか。そうするのが星羅のためだよな。

 引き出しを開けて中を覗き込むと、錆びかけた鋏の刃に、僕の醜い顔が写った。

 星羅の母親が声をかけるのがあと三秒遅かったら、僕の返事はなかっただろう。


「和人くん、いる?」

 泣き腫らしてすっかりやつれてしまった星羅の母親が、僕の部屋に入ってきた。

 僕は彼女に見つからないように、手に持っていた鋏を引き出しに戻した。

「突然お邪魔してごめんね、和人くんも悲しいよね。星羅とは小さい頃からずっと一緒だったんだから」

「いえ……」

 僕が殺したんです。

 その言葉は、のどの奥でこびりついた。

 悲しいなんて、僕が言っちゃいけない。星羅のお母さんの悲しみは、僕の悲しみなんかより数百倍も大きいだろう。

 僕が黙っているのをどう捉えたのか、お母さんはかなり無理のある笑顔を作った。

「さっき星羅の部屋を整理していたら、これを見つけたの。和人くんに渡しておかないといけないから」

 そう言って差し出したのは、一通の便せんだった。

 星羅の丸っこい字がびっしりと並んでいる。

「よかったら、読んでみて。星羅の気持ちがきっとわかるわ」

 お母さんはそう言って部屋を出ていこうとする。

 お礼を言おうと僕が口を開くより前に、

「死んで救われようなんて思わないでね。ちゃんと星羅の分まで生きて、償うこと。わかった?この人殺し」

「え…………?」

「……いえ、なんでもないわ。体に気をつけてね、カズくん」

 お母さんは丁寧にドアを閉めて、部屋を出ていった。

 僕は茫然として、彼女から預かった手紙に目を移した。


『カズくんへ。

 カズくんがこれを読んでいるということは、自殺は成功したのですね。

 少し不安でした。首なんて吊ったことがないから。

 でも、うまくいったようで、安心です。


 カズくん、どうか、自分を責めないでください。

 カズくんは悪くありません。

 いいえ、これは嘘です。カズくんはとても悪いです。地獄に落ちるくらい悪いです。

 それでも、わたしはカズくんを嫌いになっていません。

 わたし、知っていたんです。

 わたしを殴る時、カズくんはいつも、泣きそうな顔をしていたこと。

 わたしを見るカズくんの目はとても悲しそうでした。

 壊れていったのはわたしだけじゃなかったんですね。

 カズくんも苦しんでいたの、知っていました。

 だから、間違っても、後追いなんてしないこと。

 そんなことしたら、今度こそ怒りますよ?


 あと、カズくんに謝らないといけないことがあります。

 望遠鏡、壊してしまいました。ごめんなさい。

 でも、わたしは今星になって、空から地上を見下ろしていると思います。

 大好きな星と一緒に、空で輝いていると思います。

 儚く見えるけど、わたし、本当は眩しいんですよ?

 だから、カズくんも、頑張ってわたしを見つけてください。

 なんだかロマンチックなこと書いちゃいましたね。ごめんなさい。

 でもこういうの、一度やってみたかったんです。最後だし、いいじゃないですか。


 最後に一つだけ。

 ちゃんと、わたしの分まで生きてください。そうじゃないと、わたし、救われません。

 さようなら、カズくん。ずっと、××(涙で滲んでいて読めなかった)でした。

 せいら 』


 涙が便せんの上に落ちて、文字が滲んだ。

 一滴、二滴、三滴……やがて滝のように流れ出し、僕の視界を奪った。

 星羅は、とても儚かった。

 あっけなく命を絶って、星羅は大好きだった星と一緒に輝いているんだ。

 星羅はお人好し過ぎた。

 こんな僕を嫌わないで、許してくれて、生かしてくれるなんて、いじめられるのも納得できるくらい、お人好しだ。

 そんなところを、僕は愛したんだ。

 たとえ星羅がどこにいようと、この気持は変わらないよ。

 僕はふらふらとした足取りで窓に近づき、カーテンを開けた。

 陽はどっぷりと暮れていて、闇に覆われた空にたくさんの星が瞬いていた。

 いつぞや星羅と見た夜空。星羅が大好きだと言った星空。

 ずっと見ているのがつらすぎて、僕は目を背け、乱暴にカーテンを閉めた。



 僕は星が嫌いだ。

 眩しすぎて、星羅がどこにいるのか、わからないじゃないか。


 


 

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