第七話 魔女を継ぐ その4 ~お茶会~
魔女といえば黒いローブに黒いとんがり帽子。そして箒だと思います。
この伝統の服装は普段着ることはありませんが、特別な日にはこの出で立ちとなります。魔女の正装といったところでしょうか。
わたしは帽子こそ被ってはいませんが、今まさにその正装で庭の池の前に立っていました。週の初めに誘われた〈魔女の茶会〉にこれから参加するためです。
――ボーン、ボーン、ボーン……
家の柱時計が十一時の時を刻み始めると、風もないのに庭の木々がざわめき始めました。
「クククッ」
――聞き慣れた独特の鳴き声。
不意に足元から聞こえたそれは、フェレットが機嫌のいい時の鳴き方です。
「迎えに来てくれたの?」
彼は胡桃おばあちゃんの使い魔、リーピ・チープです。いつの間にやって来たのか、ヴァイスも気配を全く感じなかったようですごく驚いていました。
わたしは彼を抱き上げようとしたんですが、するりと手をくぐり抜けると、そのまま池へ躊躇なく飛び込んでしまいました。
すると……月明かりが差し込む水面に、六芒星が描かれた〈転移〉の魔法陣が浮かび上がっています。複雑に絡み合った三角形と四角形の中央に六芒星が描かれ、びっしりと魔法文字が書き込まれてあるそれにわたしは見覚えがありました。
「行こう、ヴァイス」
わたしたち二人は緊張した面持ちで水面へ足を踏み入れました。
時間にして十秒ほどだったでしょうか、わたしとヴァイスは水泡に包まれ、気がつけば見慣れぬ日本庭園の池にいました。
「魔女たちのお茶会へようこそ」
ゆったりとした濃紺のローブをまとったわたしよりも少しお姉さんの魔女がわたしたちを出迎えてくれました。
「奥へどうぞ。先生たちがお待ちです」
水面から陸地へと促された後、わたしとヴァイスは彼女の後をついて歩きました。
――夜の日本庭園。
緊張のためか庭園の様子に始めは気がつきませんでしたが、数分で違和感を覚えました。
今わたしは、落ち葉を踏み桜が舞い散る中を歩いています。落ち葉は山林に降り積もった茶色い枯れ葉ではなく、真っ赤に紅葉した楓や黄色く色づいた銀杏の葉が、今まさに木の葉を舞い散らせながら落ちたものです。それに辺りからは鈴虫などの無視の鳴き声もするではありませんか。
「ここは……いったい?」
寒くもなく、暑くもなく、四季がめちゃくちゃで様々な花が咲き乱れ、落ち葉が足元を彩っている不思議な庭園です。
右に左に見とれて歩いているところで急に前を歩く案内魔女に声をかけられました。
「――申し遅れました。わたくしは水上みなみと申します。よろしくお願いいたしますね」
会釈する魔女はわたしよりもいくつか年上ではあるものの、そう年が変わらないようでした。ゆるいウエーブがかかった髪がよく似合う柔らかい印象の女の子です。
水上さんに話しかけようとしたとき、逆にわたしが話しかけられて驚きました。
『あンれまァ。めンこい魔女ダごと』
東北訛りのしわがれた声が頭の中に響きました。
「婆様、今、お連れしました」
水上さんが蓮華躑躅生い茂る斜面に向かって両手で韻を踏むと、突如としてそこには古ぼけた曲り家が現れました。
――枯れ木の茶屋――
曲り家の入り口にはそう書かれた看板が立てかけてありました。今は農家レストランが流行っていたりしますが、まさかそのような場所ではないと思います。
水上さんは引き戸を開けるとわたしとヴァイスを中に促しました。
曲り家は、土間、板間、畳間、馬屋の四つで構成されています。土間から中に入ると一方が馬屋、もう一方には板間、畳間というのが間取りです。
わたしたちが土間に足を踏み入れると、それに反応してか、突如いくつかの明かりが点きました。その明かりは鬼火なのでしょう。ひとつひとつが僅かに色が違い、大きさもまちまちで、大きい物は人の頭ほどもあり、小さいものは拳くらいのものでした。
「どうぞ、こちらです」
水上さんからさらに奥に進むように促されると、板間の囲炉裏を囲んで他の魔女たちが座っていました。
「千歳ハ、残念だったネ」
ギュッと閉じた瞳から一筋の涙が流れました。この方はわたしのおばあちゃんのことをよく知っているようです。
「婆様、わたしからご紹介させていただきます」
婆様と言われた老婆の右に座っていたのが胡桃おばあちゃんでした。おばあちゃんはフユさんの手に触れると立ち上がり、わたしに向き直りました。
「お待たせいたしました。皆さま、姪の火乃香悠依です。
悠依は〈虹龍乗り〉の火乃香千歳の孫です。父は〈黒炎〉の火乃香征爾。
この度、千歳の火を悠依が注ぎました。そして隣りの白い犬が使い魔のヴァイスです」
――千歳の火?
おばあちゃんは確かにそう言いましたが、わたしは胡桃おばあちゃんから火を継いだはずです。
「悠依、ご挨拶なさい」
促されるまま、わたしは上ずる声で挨拶しました。
「皆様方、今宵は新米魔女のわたくしをこのような会にお招きいただきありがとうございます」
魔女のローブの両裾をつまんで会釈するわたしの声は、緊張で満ちていました。
「オレは〈枯れ木の魔女〉、朽木フユだ。
南部地域の長をやラせてモらっちょる。オレのことハ婆さまと呼べい、ナ」
南部地域というのは、千歳おばあちゃんからよく聞いていました。下北半島を含む青森県の東側から岩手県中央部までだそうで、旧南部藩の領地を指すようです。
「んデ、こいつぁはオレの使い魔だ」
婆さまの膝の上で丸くなっている黒猫は、起きる様子もありません。
「オレもまんずくたびれたガ、黒丸は一回転生しちょる。この体もそろそろ終わりダでな」
〈転生〉。
今、転生と婆さまは言いました。婆さまのお年は百歳近くに見えます。使い魔の寿命は一般的な動物に比べて恐ろしく長いのですが、婆さまの猫はおおよそ五十年あまりの寿命ということになります。
わたしはヴァイスといつまで一緒に居られるんだろう?急に不安になってきました。
「次はわたし。〈白雲の魔女〉、雲然雷です。よろしく」
次に挨拶をしたその熟年の魔女は白いフード付きのローブを着ていました。そして肩には純白の梟が止まっています。
「この子は木蓮、わたしの使い魔よ」
木蓮はヴァイスに向かって一つ鳴きました。
「木蓮も気に入ったようね。よろしくね、悠依ちゃんにヴァイス」
雲然さんは上品で、まるで料亭の女将さんのような方です。
「〈紫紺の魔女〉漆真下樹里です。よろしく」
珍しい苗字が続きます。目も覚めるような藍色のローブをまとったその魔女は、にこやかに口を開きました。
「そのローブの仕立てはどうかしら?気に入ってくれてるといいけれど」
漆真下さんはわたしの母と近い年のようでした。それにしても、ローブの仕立てとは……?
「悠依、あなたのローブは依理恵さんが樹里ちゃんにお願いしてつくってもらったのよ」
たしかにこのローブはお母さんが用意してくれました。
「依理恵とわたしは親友でね、喜んで作らせてもらったわ」
「寸法はピッタリです。手触りも良くて、こんな素敵なものをありがとうございます」
会話をしていくうちに、漆真下さんの顔をどこかで見たことがあるような気がしてきました。
「ひょっとして……染物屋さん……?」
言いかけた所で、漆真下さんは喜んで手を打ちました。
「覚えててくれたのね、嬉しい。
そうよ、その染物屋のおばさんよ」
ここ数年は行っていませんが、小学生のころまでよく母に連れて行ってもらった染め物工房がありました。
天然の染料を使って染め物をする工房で、オリジナルブランドの服なども作っており、母は気に入ってそこでよく服を買っていました。というか、わたしが行かないだけで毎月のように買っているようですが。
「ごめんなさい。ぜんぜん分かりませんでした」
あんなに行っていたのに、なんで気がつかなかったのでしょう。
「いつもは髪をアップにしてるけど、今は下ろしてるしね。それにいつも作業着だから」
漆真下さんは笑ってゆるしてくれましたが、わたしは耳が真っ赤っ赤です。
「わたしは洋裁師で染物師で魔女なのよ」
意外でした。こんなにも近くに魔女がいただなんて!
それと、お母さんの秘密を少し知った気がします。通りで魔女に対して理解があると思ったら、親友が魔女だったんですね。
「で、この子がわたしの使い魔のミャオ」
漆真下さんに身体をぴったりとくっつけた三毛猫さんがミャオです。そういえばこの猫さんはお店で見たことがあります。
「次は、あたしね。
あたしは、漆真下美湖。あなたと同じ十四歳。よろしくね」
漆真下さんのお嬢さん!わたしと同い年の魔女がいたなんて!わたしは嬉しさのあまり美湖さんの手をとってしまいました。
「よろしくお願いします!いろいろと教えて下さいね!」
「え、あ、はい」
美湖さんが若干引き気味で、わたしはまた顔が真っ赤です。
「んでね、この子がわたしの使い魔のキトン」
キトンと呼ばれたの子はロシアンブルーの猫さんでした。
「で、最後はみなみちゃんの紹介ね」
胡桃おばあちゃんはわたしの後ろに控えていた水上さんをわたしの前に呼びました。
「水上みなみです。昨年、蓮池さんに弟子入りした魔女見習いです。先輩かもしれませんが、全然魔女らしいことは出来ないので、逆にいろいろと教えてください」
恥じらうように水上さんは目を伏せて再度自己紹介してくれました。
「この娘ハ、ぴゃっコ珍しくてノ」
婆様が説明してくださいました。
水上みなみさんは魔女ではなく、人間だそうです。
両親も人間ですし、血統を見ても一切魔女の血ははいっていないそうですが、本人の強い希望があって魔女に弟子入りしたそうです。
「火を分けてあげることは出来ないのですか?」
わたしは胡桃おばあちゃんから火を分けてもらいました。だから今こうしてここに居られるのです。
「魔女の火は血統で継ぐものなの。あなたの火は姉さんから生前にわたしが継いでいたものよ」
胡桃おばあちゃんの言葉にわたしは「はっ」としました。
「あの火はおばあちゃんのもの……」
わたしは胸にそっと手を当てると、自分の内側にある温もりを感じました。
「魔女の火は代々受け継がれていくものなの。母から娘へ、娘から孫へ。
これは先天的なもので、後から授かることは絶対にないわ。継ぎ火が途絶えても素養は残るから、何代か飛んでその力が発現することはあるけれど、この子にその素養はないわ」
婆様も雲然さんもきっぱりと言い切ります。「この子にその素養はない」と。物事に手を付ける前に否定をされているようで、わたしは少し悲しくなりました。
「魔女の火は魔女の血を目覚めさせるためのもの。普通の人間には、あの火を見ることも触ることもかなわないのよ」
漆真下さんも「火継ぎは出来ない」といいます。先輩魔女たちの話を聞いていると、意気消沈するばかりのわたしですが、話の当人の水上さんは「承知しています」という表情でした。
「悠依さん、わたしには確かに魔女の血は流れていないから、箒で空を飛ぶことも、妖精を見ることもかなわないけれど、きっとわたしにも出来ることがあるはずなんです」
水上さんの表情は明るいです。
「心配しないで。〈火のない魔女〉なんてたくさんいたのよ?
ハーブとか、お香を扱う店も〈火のない魔女〉が始めたものよ。確かに魔女術はわたしたちのようには使えないけど、数多くの呪いを身につけることが出来るわ」
胡桃おばあちゃんは優しく水上さんの手を取りました。
「ワシらは親子であり、姉妹じゃ。火のある無しに関わらず、大切な家族だテ」
秘密を共有する仲間のようで、わたしは少しドキドキしました。
「枯れ木の魔女が歓迎するデ。
さァ、宴を始めようか!」
婆様が大きく柏手を打つと、急に部屋が明るくなりました。
しばらくすると、部屋の奥からゾロゾロと積み木で作った人形たちが湧いて出てきてお給仕を始めます。
「オレの従者ダ。めんごいベ?」
この子たちは〈木人〉だそうです。
〈木人〉は木で作った人形の中に魔力を込めた〈核〉を埋め込み、作ります。とても高度な魔女術で、より強い魔力を持つ魔女なら、家よりも大きい〈人工生物〉を作り出すことが可能とのことでした。
松、檜、檜葉、杉、桐、櫟。
それぞれの材質で作られた木人は六体で、どの子たちもよく働いていました。
「名前、覚えデな。
マっちゃん、ヒのくん、ひーくん、スぎちゃん、キりコ、いちコ、いうからナ」
素材に由来した温かい名前のようです。
どの子も無骨な作りですが、温かみがあってわたしはすごく好きになりました。
「悠依ちゃん、この子たちね。婆様が五歳のときに作ったんだってよ」
わたしの隣りに座った美湖ちゃんが教えてくれました。
「え?五歳のときに?」
信じられません。わたしが五歳のときは庭で妖精たちを追っかけ回っていたときです。
「婆さまはお母さんのお腹の中で〈火継ぎ〉をしたんだって。だから生まれながらの魔女なんだってお母さんが言ってた」
ということは婆様のお母様も魔女ということなんでしょう。
「ん?ひょっとして美湖さんも生まれながらの魔女なんですか?」
美湖さんのお母様の樹里さんももちろん魔女ですから、その可能性があると思ったんですが……。
「いやいや。婆様が特殊なよ」
魔女といってもいろいろな成り立ちがあって興味深いです。
「わたしは小学校に上がる時に魔女を継いだの。もうね、大変だった。みんなに見せたいし、自慢したいけど絶対に話したらいけないことだし」
今度は樹里さんが笑って続けました。
「この子ね、自転車よりも箒に先に乗れたもんだから、友だちの家に行く時も箒に乗って行こうとするし、もうとにかく大変だったのよ」
これはわたしにも覚えがあります。さらに、我が家では人目につかないように夜しか箒に乗ってはいけない、ということになっていたんですが、夜だから立ち木に激突したり木の枝にひっかかったりとよく親を困らせていました。
「魔女って、現代社会に馴染むのがけっこう大変だったりするのよ」
樹里さんの隣りに座った水上さんに「もう、嫌!」と言わんばかりの口調で笑いを誘いました。
「わたしが子どもだったら、確かに我慢なんてできませんね」
くすくす、と可愛らしい笑い方の水上さんの隣で、今度は雲然さんが逸話を披露します。
「婆様なんて、豚で空飛んで近所の人が腰抜かしたらしいわよ」
!?豚で空を飛ぶ??
「豚を箒の変わりにしたんですか?」
魔女が空を飛ぶ時に使うのは何も箒だけではありません。
熊手や、フォーク、鍬、物干し竿。
持ち運びしやすく、乗りやすく、一般人に見られても不思議に思われないものが一般的に多いですが、動物は聞いたことありませんでした。
「ほニ、あレは存外乗り心地がええヨ。
まるっケぇから、またがるにあんべエエしな。
だけんど、毛がぴゃっコ尻さ刺さルのナ。あーレが、いんずクてナ」
婆様は豪快に「ワハハハ」と笑い、わたしも釣られて笑ってしまいました。
「すごい会話だよね。荒唐無稽で支離滅裂」
そういう水上さんも笑顔でした。
魔女のお茶会が始まります。
眼の前にはたくさんの焼き菓子やらケーキやらお団子が並び、木人たちが持ってきた〈お品書き〉には紅茶から日本茶、コーヒー、お酒まで書いてあります。
それぞれが飲み物をオーダーすると、再度胡桃おばあちゃんが立ち上がり音頭を取りました。
「新しい妹に、乾杯!」
長くて楽しい夜が始まりました。
☆魔女日記☆
魔女の正装…とんがり帽子にローブ。帽子はローブについたフードでも可。
朽木フユ…〈枯れ木の魔女〉の二つ名を持つ、南部地域の頭。使い魔は黒猫の黒丸。数々の伝説を持つパワフル婆ちゃん。
雲然雷…〈白雲の魔女〉の二つ名を持つ。使い魔は白梟の木蓮。実は、日本秘湯の会に属する隠れ宿の女将。
漆真下樹里…〈紫紺の魔女〉の二つ名を持つ。使い魔は三毛猫のミャオ。悠依の母とは高校時代の同級生。仕立師、染め物師として店を営む。
漆真下美湖…樹里の娘。悠依と同じ中学三年生。使い魔はロシアンブルーのキトン。お菓子作りが得意で、将来はお店を開きたいと考えている。
水上みなみ…胡桃に弟子入りした高校生。一般人であり、魔女の素養はない。火のない魔女を目指す。