第四話 魔女を継ぐ その1 ~火守女~
今年のゴールデンウィークは祖母の葬儀と重なり、家で過ごすこととなりました。
祖母の遺品を整理しながらゆっくり過ごそうと考えていましたが、その間も近所の方々や生前お世話になった方々が線香を上げにいらしてくれて家の中は賑やかなものでした。
胡桃おばあちゃんは千歳おばあちゃんの妹です。隣町に住んでいて、月に一回は家に来たり、または千歳おばあちゃんが出向いたりしてお茶をする仲の良い姉妹でした。
姉妹なので、胡桃おばあちゃんももちろん魔女です。
「悠依、姉さんから預かっていたものを渡すわ」
縁側で二人でお茶をしているとき、胡桃おばあちゃんはわたしに三十センチほどの細長い箱を渡しました。
桐で出来た箱はまだ清々しい香りがして、手に取った瞬間温かい感触が手に伝わって来たような気がします。
「開けてみて」
言われたままに開けてみると、そこには油紙に包まれた一振りのタクトが入っていました。しかし、魔女が指揮棒など贈るわけがありません。
「魔女の杖?」
手に取った杖は艷やかな漆黒の漆で塗られており、握りの部分には光の加減で虹色に光る革が巻かれています。
「姉さんから頼まれていたの。あなたの杖よ」
「わたしの……」
感慨深そうに杖を握りしめるわたしを優しい瞳で胡桃おばあちゃんは見つめました。
「姉さんの髪が中に入ってあるわ。極東魔女として名を馳せた『虹龍』の二つ名を持つ魔女、それが姉さんよ」
祖母の髪は黒そのものでした。魔女の黒髪は魔力の象徴とされます。強い魔力を持つ魔女は決して白髪になることがなく、その魔力によって髪が黒く保たれるといい、黒く長い髪ほどその力が強いと言われますので、その髪が込められた魔女の杖の力はわたしでも想像でも想像がつきます。
「姉さんに頼まれてて作ったの。五年もかかっちゃったから、姉さんには申し訳なかったわ。
本当は『お茶会』に参加した時に授ける物なんだけどね」
胡桃おばあちゃんは魔女ですが、物を造るのを得意とする魔女です。術を施したお守りやら魔女御用達の魔道具を造るのを生業にしています。
「本当はあなたに直接すべてを伝えたかったようよ。ただ、あなたはまだ中学生ですものね」
わたしは今年で中学校三年生になります。本来は生まれながらにして教育を受けるようですが、今は魔女がほとんど忘れられた存在なのでその力に頼る者もおらず、強い力を求められることがないために焦らなくていいということでした。
「胡桃おばあちゃん、わたし魔女になりたい。だからわたしを弟子にしてください!」
先輩魔女の目をじっと見つめると、一呼吸置いてからおばあちゃんはわたしの右手をそっと取り、薬指に指輪をはめてくれました。
「月長石の指輪よ。これも姉さんから託されていたの」
指輪に輝く月長石は淡い青色のシラー効果(虹色の輝き)が見られる石でした。
「青月長石{ブルームーンストーン)よ。とても希少な鉱石で、月の魔力が強く込められているわ」
右手の指をいっぱいに開き、わたしは太陽の光を石に当てました。僅かに角度を傾けただけで石は妖しく透明感のある青で光り輝きだし、わたしはすっかりと見とれてしまいました。
「学校にはもって行けないと思うけど、できるだけ身につけていてね。その石はあなたを守ってくれるし、あなたの力を引き出してくれるわ」
一呼吸をおいておばあちゃんは続けました。
「――悠依、あなたは魔女の理りを知り、この世の森羅万象の一部として生きることを誓いますか?」
胡桃おばあちゃんの心地いいアルトの声がわたしに響きました。
「はい、わたしは魔女の理りを知り、森羅万象の一部として生きることを誓います」
わたしが応え終えると、胡桃おばあちゃんは自分の胸に両手を当て唱えました。
「流れる赤い血は太陽の炎。
流れる黒髪は宇宙の深淵。
その眼は薄暮の地を見て、その耳は小さき者の囁きを聞く。
原始の火たる魔力よ。この娘の魔女の血を目覚めさせたまえ」
わたしは言葉を失いました。
おばあちゃんの胸に置いた手のひらから真紅の光が溢れ出し始めました。そしてその光りを慈しむようにそっとわたしの前に差し出すと、その手のひらを開きました。
そこにはマグマのような、融解した金属のようなドロドロとしたものが紅く心臓のように脈を打ちながら光を放っているではありませんか。
「あなたは正当な魔女を継ぐ子として六十年ぶりに生まれました」
胡桃おばあちゃんの優しい声がすべての音をかき消してわたしに語りかけます。
「子は宝。
生まれたばかりのあなたがわたしの指を握ったあの日から、どれだけこの日を夢見たことでしょう。
姉さんとこの日を迎えられなかったのは残念だったけれど、わたしはあなたが生まれた時と同じくらい幸福感で満ち溢れているわ。
受け取りなさい。これが魔女の魔女たるものよ」
促されるままにわたしは両手を差し出すと、おばあちゃんはそこにそっとその真紅の塊を乗せました。それはとても暖かく、懐かしく、なんとも言えない心地の良さが全身を満たしてくれましたが、それど同時に激しい欲求がわたしを襲います。
――早く!早く身体に入れたい!!
一体化したいという衝動が抑えきれず、わたしは震えました。まるで酸欠の魚のように口をパクパクして、お預けを食らった犬のようによだれが出てきそうな勢いです。
「自分がしたいようにしなさい」
おばあちゃんの声と同時に、わたしは両手のそれを口元に運び一気に飲み込みました。手のひらにあったときとは違い、喉を通る時は信じられないくらい熱く、流し込むと全身の毛穴が一気に開くのがわかりました。
「すごい……」
体中の血管を巡る血液が騒いでいる。血の巡りを強く意識するに連れて、今度は頭に膨大な記憶が流れ込んできました。
――宇宙のはじまり。
銀河の成り立ち――。
あまりにも壮大で、わたしの頭では到底理解の出来ない遠い宇宙の記憶。
漆黒の虚無の空間で起こった大爆発。飛び散った破片は爆心を中心に渦をつくり、それが次第に銀河を形成していきました。
そして、燃え盛る灼熱の惑星を中心とした惑星の中にひときわ美しい天体が見えてきました。
――地球。
真っ赤に燃えていた星は次々とその姿を変えていきます。マグマが冷えて固まると陸地になり、大気が出来、海ができました。
数多のDNAの螺旋構造。
小さな生物は進化を遂げ、次第に大きくなり、時には滅び、また新たな生命体が生まれました。
気の遠くなる年月を経て、一人の黒髪の少女が火山に立っている様子が目に入りました。
その少女は火を抱いています。
先ほどのおばあちゃんのように両手で火をすくい上げるように持ち、そしてそれを自分の胸に収めました。
――ドクン!
わたしの心臓が大きく脈打ちます。
――ああ、この少女は『始まりの魔女』なんだ。
火守女。
魔女は火守女と言われていたそうです。
火を守り、人々に火を授けた存在なのだとわたしは初めて知りました。
☆魔女日記☆
“魔女の杖”…長さが三十センチほどの短い杖。悠依の祖母の黒髪が触媒として入っている。
“月長石の指輪”…祖母から託された貴重な青月長石が埋め込まれた指輪。月の魔力が強く込められており、インスピレーションと感受性を高め、己の魔女としての素質を高める効果がある。
“魔女の火”…魔女が魔女たる所以の力。魔女は体内に火を宿す。
“始まりの魔女”…何者かもわからぬ大いなる存在から火を授かった、始まりの魔女。しかしそれが一人なのか、複数なのか、誰にもわからない。
“火守女”…古い魔女たちの呼称。