第二話 不思議な井戸と虹の龍 その1
――ヴァルプルギスの夜。
それは年にニ回の魔女と妖精たちの祭りだと幼いときに祖母から聞いていました。
日本で言えば五月一日と十一月一日は冬から春は、秋から冬にと大きく季節が変わる時期です。この時期は自然の力が大きく動き、魔女は大きな力を得ることができます。
その得た力で魔女たちは、“薄暮の地”というこちらの世界と妖精界の間の世界を訪れ、宴を開くのだそうです。
祖母は幾度となくこのヴァルプルギスの夜に参加したそうですが、残念ながらわたしは一度も参加することが出来ませんでした。宴の話を聞けば駄々をこねるわたしに、祖母は優しい表情で「大人になったらね」と言うばかりでした。
帰りの車中は母が、祖母から聞いた“ヴァルプルギスの夜”の話をずっと話していました。
虹色のトンネルをくぐり抜けた先の、言葉では言い表すことが出来ないほどに美しい世界。
魔女たちと妖精、精霊たちの交流。
わたしも何度も聞いてきた話ですが、聞くたびに胸が高鳴るそんな魅力的な世界の話でした。
魔女の血がない母ですが、理解はすごくあって祖母からいろいろなことを教わっていました。野菜作りやできるだけ人の手を入れない庭造り、一見普通のなんの変哲もないことですが、妖精たちを怖がらせず共存ができる方法を祖母は教えていたのだといいます。
「婆ちゃんは魔女の中の魔女だな。ヴァルプルギスの夜に逝くなんて、魔女冥利につきるよ」
「それってお坊さんがお盆に亡くなるってことと同じ意味?」
さっきまでわたしと同じくわんわん泣いていたのに、父と母はけろっとした様子で会話をしていました。けれども、二人が話す内容は祖母にまつわることばかりで、わたしは懐かしく思いながら聞いていました。
「悠依が三ヶ月の頃だっけか?すごく幻想的で美しいところだったわね」
母親の口から信じられない言葉が発せられました。
「お母さんは行ったことあるの?ヴァルプルギスの夜に!」
わたしは車中にいることを忘れて思わず立ち上がってしまい、天井に頭をぶつけてしまいました。先ほどの話は聞いた話ではなく、本人が体験した話だったようです。どおりで具体的なわけです。
「あれ?言っていなかったっけ」
母はごく普通の家庭に生まれた一般人でしたが、父と結婚し、わたしを産んだことにより少しの魔力を得ることが出来たそうです。魔女術は使えませんが魔を感じることはできるので、妖精などのこちら以外の世界の住人と交流することが出来ます。ただ、新月の時はその力が完全に失われるようで、月の満ち欠けに左右される不安定なものだそうです。
「普段の母さんの魔力では行くことは叶わないんだけどね。臨月から出産、その後半年くらいまでは父さんと同じくらいの魔力を持っているから行くことができたんだよ」
あれ?
ということは、わたしは記憶に無いけれど赤ちゃんのときにヴァルプルギスの夜に参加していたようです。
「ねえ!どうやって行くの?どんなところなの?」
わたしは興奮して父と母に聞きました。
「普通のヴァルプルギスの夜はその土地の魔術師や魔女たちが集まって夜会を開くのさ。人目の付かない場所で術や魔法の自慢をしたりね。普通のお祭りとなんら変わりないよ。
ただ、満月の日に行われる夜会は特別なんだ。『薄暮の地』に行けるからね」
「家の裏に古井戸があるでしょう。あそこから行くのよ」
家の北側、大きな楢の木の近くに古井戸があります。普段は石で出来た蓋で閉じられていて、生まれてこの方中を覗いたこともなければ、そこから水を汲み上げたこともありません。
「どうやって?」
「飛び込むの」
母はいたずらっぽく笑いました。
「あれは井戸だけど、水が湧き出る井戸じゃないんだ」
父の言っている意味がわかりませんでした。井戸は地下水を汲み上げる場所です。稀に温泉水やら石油なんて話も聞きますが、そのような井戸が一般家庭にあるわけがないです。
「水が出ないなら、ただの穴なの?」
「まぁ、普段はそうだね。」
父親は楽しそうに笑います。
「あれは虹の根本を掘って作った井戸なんだよ」
虹の根本を掘る?そんなことができるのでしょうか。
「虹って、雨上がりに見る虹?」
そうだよ、と父はいいます。
「ご先祖様がね、大きな虹を追いかけてここまで来たんだ。そして根本をついに見つけ出して、そこに井戸を掘ったんだ」
子どものときなら誰にでも経験がないでしょうか?遠くに見える虹を追いかけたこと。わたしもありましたが、ついに根本までたどり着くことは出来ませんでした。近づけば見えなくなったり、また違う方向に見えたりしてその繰り返しです。
「縛るのさ。あいつは逃げ足が早いからね」
父は楽しそうにまた笑いました。
「婆ちゃんから聞いたことなかったかい?虹は龍なんだよ。とてつもなく大きな虹色のね」
そう言えば、昔祖母から聞いたことがありました。虹は雨上がりに妖精界からやって来る龍なんだと。しかし、父の話すことが荒唐無稽過ぎてよくわかりません。
「縛る、って虹の根本を縛るの?」
「そう」
当然!というように父は答えましたが、わたしの頭の中は「?」でいっぱいでした。
「そこが腕の見せ所なんだよ。おばあちゃんは上手だったよ。あの小さい体でよくやるもんだ」
決して人前では出来ない話ですが、これが我が家の日常でした。母親にいたってはメモを取り出して話に聞き入ってよく食事を作るのを忘れてしまうほどです。
「影縛りは知ってるよね?あれの応用だよ」
あれの応用、と言われてもその“あれ”をわたしは知りません。
「お父さん、全然意味わからない……」
その後、家に着くまでの間、父は楽しそうに影縛りやらなんやらたくさんの術について話をしていましたが、わたしにはさっぱり理解できませんでした。
☆魔女日記☆
“ヴァルプルギスの夜”…季節の変わり目、自然界の力が大きく変動する五月一日と十一月一日に行われる、魔女と妖精たちの宴。それは“薄暮の地”といわれる、この世と妖精界の間でとり行われる。