第四話 千年王国と魔術師スウィフト
妖精王オベロンと妖精の女王ティターニアが統べる国。
それが“千年王国”です。
色とりどりの花が一年を通して咲き誇り、緑萌える美しく豊かな大地。そして夜には満天の星空に七つの異なる色を発する月が浮かぶ夜空が広がるそうです。
「あれは、本当に綺麗な夜空だよ」
胡桃おばあちゃんは、自分が見た妖精界について詳しく話してくれました。
妖精界には妖精、精霊にとどまらず、妖魔や幻獣の類も数多く暮らしているといいます。簡単に言えば、よくあるファンタジー世界から人間を抜いた世界、とでも言えばわかりやすいかもしれません。
森にはエルフが、山岳部にはドワーフたちが、草原にはハーフフットという、俗に言う小人族たちがそれぞれの社会を形成して、暮らしているといいます。ごくごく稀に、ヴァルプルギスの夜にも彼らが参加することがあるらしいのですが、人間と接触することを激しく嫌うためにその姿を見ることは非常に珍しいとされています。
「一度だけ、エルフを見たことがあるよ。
長い腰ほどにもあるきれいな金髪をしていて、耳は手のひらほどに長く尖っていた。よく絵なんかで見るあれにそっくり。
とても中性的な容姿をしていて、一見性別がわからないくらい美しく気高い存在だったね。人間の美人、美男子とは次元の違う、神がかった美しさだよ」
胡桃おばあちゃんは、“妖精の書”のエルフの項目を開くと、まさしくこういった姿だ、と言いました。
「わたしも見てみたいなぁ」
神がかった美しさがどういったものか、想像も出来ませんが、小説やマンガ・アニメで見たあのエルフをわたしも見てみたいと思いました。
「ちょっと勘違いしているかもしれないから言っておくよ。
わたしたちが行けるのは薄暮の地だ。そこはこの世と妖精界の間の世界。妖精界に直接足を踏み入れることなど、普通は出来ないんだよ」
忘れていました。ヴァルプルギスの夜が開催されるのは薄暮の地です。薄暮の地から妖精界を覗き見ることは可能だそうで、おばあちゃんの「見た」という話しも薄暮の地から垣間見た、ということだそうです。
「この妖精界は未だに解明されていないことが多くてね。それを調べに数多くの魔女や魔術師たちが旅立ったのだけど、妖精の地へ到達できた者はわずかだったらしい」
らしい、という曖昧な表現はそういった話は聞いたことがあるが記録が残っていないということです。行ったのなら、日記に記述され、後に発表されることになはずなのですが、その存在も殆ど無いということです。
数多くの名だたる魔女や魔術師たちは、薄暮の地から妖精界への“扉”を見つけたとしてもその扉は固く閉ざされ、開けることは叶わなかったそうです。しかし、例外がいたそうです。
「スウィフトという名の魔術師が、約一月の間、妖精界に留まったことがあったわ。彼はなんらかの術で“扉”を開けて、妖精界に侵入したの。
けれど、各地を放浪した後に王と王女によって追放されて戻ってきた。全てを失ってね」
「追放された?」
いったい何を仕出かしたのでしょうか?
「スウィフトは日記をつけていた。これが後に“旅行記”として言い伝えられるのだけど……」
わたしはおばあちゃんの声を遮って叫びました。
「ガリヴァー旅行記!原作者はジョナサン・スウィフトでしたよね!」
おばあちゃんは満足げに笑い、話を続けます。
「そう。
けど、あれは表向きに彼の仲間たちが作り変えて出版したもので、実際に話しとは大きく異なるわ。
あの“旅行記”は、“狂本”よ。写本をわたしも持っているけど、“禁書”として認定されている項目がいくつかあって、全てを読むことは出来ないの」
「狂本って、狂っているんですか?」
原作者は妖精界の探検中に錯乱したのでしょうか?
「万全の準備をしたスウィフトは、ヴァルプルギスの夜に妖精界に入り、なんらかの手段を用いて、妖精界に潜り込んだ。
スウィフトは詳細に記録を残していて、日々の生活がよく分かるわ。そして、彼の精神状態もね。
始めの一週間、見るもの触れるもののすべてが珍しく、彼は興奮していた。乾いた大地が雨水を吸うように、彼はさまざまな物を吸収して、その全てを書き留めたわ。
けど、次第に精神が蝕まれていくの。わたしたち魔女が知的欲求を求めて突っ走る時があるでしょう?それが暴走するのよ。
スウィフトは寝食を忘れて研究に没頭した。文字を持たない妖精たちから様々な話を聞き、植物を採取し、鉱物を掘った。そして、最後にその対象が妖精に移ってしまった。
彼は妖精を解剖してしまったの……」
!
衝撃的な話でした。
「解剖?妖精を?」
そんなことを考えたこともありませんでした。身近にいるパックやドギ、レームとリームの顔が思い浮かび、吐き気がこみ上げてきます。
「わたしの口から伝えることは憚られる。
けれど、あれほど強い探究心を感じられる魔術書はない、といってもいいくらいよ」
一瞬ではありますが、おばあちゃんの表情に奇妙な感情が宿りました。わたしも知っているあの“欲求”が満たされたときの感情です。
「スウィフトは怒りを買い、呪いをかけられて妖精界から追い出された。彼は日記、“魔術師の日記”だけを手元に残し、記憶と“火”を奪われてしまった」
「彼は魔術師ではなくなったんですか?」
「普通の人になったわ。妖精界で過ごした記憶と魔術に関する一切の記憶も失って、手元には意味不明の日記だけが残っていたの」
命だけは助けてもらったことは良かったのでしょうが、“火”を他人から奪うなんてことが出来るとは知りませんでした。
「彼が知識欲に呑まれたにしても、なぜそんな恐ろしいことをしたんですか?」
わたしも知識欲に狩られることはありますが、限度というものがあります。スウィフトの行為は常識から逸脱しています。
「月に当てられたのよ」
当てられた、とはどういうことなのか、わたしは少し考えました。
「月の数ですか?」
わたしの導き出した答えに、おばあちゃんは満足げに頷き話を続けます。
「わたしたちの魔力の源は“月光”。
考えても見なさい。あちらの世界にはその月が七つもあるのよ。ごくごく一般的な魔女や魔術師なら一週間も保たないわ。
と、まあスウィフトの話しはこのくらいにしましょう。後々、彼の旅行記は読まなければならないでしょうね」
おばあちゃんはまだまだ話し足りない様子でしたが、話がそれてきたことに気がついて“千年王国”に話題を戻しました。
「“千年王国”というのは、正確に言うと千年周期の事を言うの。
国など存在しないわ。いいえ。国はあるの、エルフ族の国。ドワーフ族の国。そういった国家はわたしたちの社会のように存在しているわ。
……そうね、妖精界の名前が“千年王国”という認識が正しいのかもしれないね」
ふと、思い浮かぶことがありました。
「アルフヘイムって、北欧神話に登場する妖精の国がありますよね?そこと千年王国はなにか違うんですか?」
「よく気がついたね。あれはどちらも同じ国のことなんだよ」
少しの沈黙の後、おばあちゃんは話を続けました。
「妖精の王オベロンについて話そう。
彼はフランク王国の最初の王朝、メロヴィング朝の伝説的な魔術師アルベリヒ、その人よ。
アルベリヒは、メロヴィング朝の名祖であるメロヴェクスの“異世界の兄弟”とされていた人物で、様々な逸話を残しているの」
「異世界の兄弟?」
「ええ。
アルベリヒは北欧神話の豊穣の神、妖精の国の王として名を連ねるフレイに結び付けられることがあるから、彼はもともと妖精の国の住人であった可能性が高いわ。異母兄弟なのか、異父兄弟なのかわからないけど、両親のうちのどちらかが妖精であったのかもしれないわね。
そのアルベリヒは、奇妙なことにニーベルング族の王として登場する物語があるの」
「ニーベルングの指輪?」
「そう。
ライン川の乙女たちから黄金の指輪を盗んで、ニーベルング族を彼は支配した。結局、彼は捕まって指輪を取られてしまうんだけどね。ニーベルング族は財宝を有していて、その財宝が目当てだったのか、その他に考えがあったのかわからないけど、彼は突発的に行動することが多々あるみたいね。
ギリシア神話を思い出してみて。
神は自由奔放で、理性の欠片なんて感じない行動が多々見られるから、恐らく彼の突飛な行動も、それらの血が濃いからなのかもしれないわね。」
ニーベルングの指輪は、竜殺しのジークフリートの非業の死と、彼の妻クリムヒルトの復讐劇を描いた大叙事詩で、ニーベルングの歌にでてくる一節です。あのアルベリヒが妖精王オベロンだとは、知りもしませんでした。
「次は、ティターニアね。
彼女の名前の由来はギリシャ神話の巨人族。ティターン神族に由来するので、“ティターンの娘たち”という意味とされているけど、ローマ神話に登場する、月と狩猟の女神ディアナからティターニアに変化したと言われている。本人なのか、それとも血縁者なのかは不明だけど、ティターン神族かディアナ、そのいずれかの子孫なのかもしれないのだけど、詳細は不明ね。
で、彼女も困った癖というか突飛な行動をしてよくオベロンと揉めているわね」
シェイクスピアの『夏の夜の夢』には、ティターニアが『取り替え子』をしてオベロンともめる話しがあります。
「取り替え子ですか?」
「よく知っているわね」
おばあちゃんは少し驚いて目を見開きました。小学生の頃は神話やらなんやらの本を読み込んだおかげで、こういった知識には事欠きません。
『取り替え子』というのは、ティターニアが人間の子どもを妖精の子どもをすり替えてしまう事を言います。彼女は気に入った人の子をさらって、妖精界で育てるといいます。
「まぁ、いずれにしても、ロクな人格を持ち合わせていない困った二人が象徴として君臨する世界が千年王国だ、ということよ」
今までの声の調子とは違い、力の抜けた人物紹介の締めにわたしはズッコケました。
「ええー。なんて、身も蓋もない」
お茶を一口飲むと、胡桃おばあちゃんは首をかしげました。
「理性があるのはわたしたち人間だけなんだよ。神にも動物にも理性はない。“理性”というのは、“呪い”なのかねぇ?」
確かに神話を読んでいると、理性の欠片どころか倫理観すらもぶっ飛んでいる話しが続きます。人間であんなことを仕出かしたら、極刑に処されること甚だしい行為がまかり通るのだから不思議です。大らか、といえばそうなのかもしれませんが、人間として大切な部分が欠落しているようにしかわたしには思えません。
「いずれにしても、神族や妖精の血を引く二人が象徴として存在しているのが妖精界、千年王国なのよ」
オベロンもティターニアも妖精を代表とする存在であるのにも関わらず、意外とあまり多くのことが分かっていない、というのが意外でした。
「存在自体は有名だけど、彼らに会ったことのある人なんてそうはいないからね」
さて、と話しが本題に入りました。
「周期とは、世界を守るための最善の手段であり、呪いでもある。
わたしは婆様からこう聞いたことがあるの。わたしたち一度きりの人生を生きる者にとって、周期の世界は魅力的に見えるかしら?」
想像もつきません。わたしが死んでも、わたしはまた火乃香悠依として生まれてくることなどあるんでしょうか。
「少し聞いてもいいですか?
千年周期というのは、全く同じ歴史が繰り返されるのですか?」
ひとつ頷き、おばあちゃんは教えてくれました。
「妖精界に限って言えばそう。不慮の事故で死んだ者がいたとすれば、次の周期でもその妖精は同じ事故で死ぬわ。周期の世界で生きている限り、その運命の輪から逃れることはできないの。
一千年の間、同じ妖精たちが同じ順番で生まれ、死に、まったく同じ歴史が繰り返される。と、言われているわ」
?
「言われているってどういうことですか?」
「わたしたち人間の世界は有史二千年ちょっとの世界よね。それに対し、妖精界は千年周期――」
『意味がわかるかしら?』と少し意地悪な表情でわたしにおばあちゃんは問いかけました。
「人間の寿命はせいぜい八十年と少し。誰も始まりと終わりを見続けた人がいない。ということですか?」
しかし、私たちには魔術書があります。己の知り得た知識を書き記し、後世に伝えることが出来れば例え千年でもそれが継がれていくはずです。私たちが受け継ぐ“火”のように。
「千年王国の始まりと終わりがどういうものなのか、それが記されている書物はわたしが知る限り、この世には存在しないわ。わたしたち魔女や魔術師たちは誰も目にしたことがないの。
妖精たちは文字を持たず、時間の概念が希薄なために今が何年なのかわからない。だから、わたしたちが聞いても答えられないの。今が周期のどれくらいで、あとどのくらいでその周期が終わるのか、オベロンとティターニアしか知らないのよ」
妖精たちの世界は聞けば聞くほど、理解するのが難しいです。
わたしたち魔女は妖精たちの声を聞いて、自然との融和を図ってきたのが始まりです。ですから、とても近しい存在として彼らのことを“隣人”と呼びますが、その隣人のことを実は全然理解していなかったのには驚きでした。
「妖精の寿命って、どのくらいなんですか?」
信じられない答えが返ってきました。
「外的な要因がない限り、彼らは“不死”よ」
“不死”!
「え?だったら、千年を過ぎたら彼らはどうなるんですか?」
意味がわからなくなってきました。
不死の妖精が住むのに、世界は千年に一度崩壊し、再生するだなんてどういうことでしょうか?
「わからないわ。何もわからないの。
賢者様たちなら何かを知っているかもしれないけど、知ったところでわたしたちが妖精界に干渉することは出来ないし、ひょっとしたら知ってはいけないことなのかもしれない。
あなたが持つ疑問は、おおよそ全ての魔女や魔術師たちが抱いた疑問よ。ただ、求めてもたどり着けない場所があるというのは知っておいたほうがいいね。
あのスウィフトのように、全てを失うかもしれないから……」
“禁忌”という言葉が思い浮かびました。妖精界の成り立ちは、触れてはならないものなのかもしれません。
「じゃあ、なぜ周期というものが生まれたんですか?」
「オベロンとティターニアは、『過去に凄惨な大事が妖精界を襲った』と話したことがあるらしいわ。『その悲劇を繰り返さないため』に“周期”というものを作り出したらしいけど、これも本人に聞かない限り真相は不明よ」
結局のところ、妖精界自体を千年王国と言い、そこには“周期”というものが世界の理として存在するが、詳細は不明ということなのでしょうか。
「わざわざ出向いて話した割には、がっかりだったでしょう?」
眉間にしわを寄せて考え込む私に、おばあちゃんは「納得していない様子だね」と楽しそうに言いました。
「妖精のことを"隣人”なんて言う割には、彼らの住む世界のことを全然わかっていなくて驚きました。
私程度の魔女がこれほどの疑問を持つのだから、おばあちゃんたちが何もしなかったわけはないですよね?」
もちろん、とおばあちゃんは声色を上げます。
「そうだね。私たちは知識欲の塊だからね。みんなが知ろうとしたさ。けどね、スウィフトの話しで少し触れたけど、どうしようもない問題があってね。そこから前に進めないんだよ」
恐らく“鍵”のことを言っているんでしょう。
「“鍵”が見つからないんですね」
おばあちゃんは頷き、続けました。
「そう。スウィフトの日記はとても貴重なものだったけど、一番肝心なのは“鍵”。けれど、その肝心な“鍵”の記述はどこにもなかった。
オベロンとティターニアの逆鱗に触れた彼は、日記は手にしていたものの、記憶のすべてを失い、後の魔術師たちの審問会においてもなにも語ることはなかった。彼の協力者として知られていた人々も召喚されたものの、妖精王たちの呪いが怖くて証言する者はいなかったわ。
しかし、唯一エスター・ジョンソンだけが真実を語ろうとした。しかしその彼女は死んでしまう。オベロンの呪いによってね」
エスター・ジョンソンは、スウィフトの内縁の妻のような女性だったそうです。しかも、彼女はなんと“取り替え子”ではないか、という話しがあったそうです。だとすると、ひょっとしたら彼女が妖精界へスウィフトを導いたのかもしれません。
ふう、とひとつ息を吐くと、おばあちゃんはまたあっけらかんと話しました。
「一つだけ言えることがあるわ。
大それた話よりも目の前の事を見て、考え、人に聞き、自分の糧としなさい。遠くのものばかり気にしていても、はっきり言って無意味よ。」
胡桃おばあちゃんは、こういう言葉で時折私の目を覚ましてくれます。
「そ、そうですよね」
つい、のめり込んで突っ走るのが私の良くないところです。
「私たち魔女は、妖精の声を聞くことが仕事。
時に彼ら、彼女らの気まぐれに付き合ってあげて、私たちに有益な情報を聞き出すのが私たちの努めね。
ただ、現代社会においてわたしたちの居場所もあまりないのだけれど……」
少し寂しそうに、おばあちゃんは庭を眺めました。
☆魔女日記☆
千年王国…ニブルヘイムという別の名も持つ妖精界の総称。




