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妖精の育て方  作者: いちまるよん
第二章 妖精
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第三話 妖精と千年王国

 〈魔術書〉。

 魔術を志す者にとって、これほど好奇心をくすぐる物はありません。


 わたしたちが使う〈魔女術ウィッチクラフト〉というものは、古来から教え伝わったものがほとんどです。相伝の火とともに潜在的に受け継がれるものもありますが、大半がその後の己の勉学によって習得します。

 師となった者は、弟子に自分の持っている全てを基本授けることになりますが、素質や相性というものがあり、教わればその全てを使えるわけではありません。その習得に漏れたものを記憶として書き記したり、または自分が構築した新しい魔術を書き溜めたりしたものが魔術書となります。

 〈魔女日記ブックオブシャドウ〉が実験ノートなら、これはその成果を記した論文みたいなもの、と言えばわかりやすいでしょうか。

 自分の血統の魔術なら、師を頼れば学ぶことは出来ますが、他の系統の物を学ぼうとすると、新たな師を探すか、この魔術書を求めなければならなくなります。

 しかし魔術書というものは、金銭で取引されるものではありません。全く無い、といえば嘘になりますが魔女は基本、対価交換で己の知識を与えるので、それに見合った対価を差し出さないと入手は困難になります。簡単にいえば、自分が欲する魔術と同等の魔術との交換になるということです。

 ですので、魔女たちはお茶会を開いて親睦を深め、グループを作ります。

 一匹狼、という人も中にはいますが、「知識の数は師の数に比例する」という言葉があります。多くの人から学べば、自ずと多くの知識を身につけられるということです。

 稀に、世界的なオークションに魔術書が流出する場合があります。このとき、高額な金銭を支払って一般人が手にするのですが、それを本来の使い方が出来る人は皆無です。まずは、何が書かれているか理解できません。

 魔術書は主に〈魔法文字ルーン〉で書かれています。

 〈魔法文字ルーン〉は現在では使われることがない、大昔の呪術師たちが使った古代文字です。そして、そのルーンにも様々な種類があります。この文字の特徴としては、ラテン・アルファベットの音を基準にして縦横の直線の長短と斜線の数で表現する独自の記号のような文字であるということです。

 本来、木片などにナイフで刻みつけて表記していため、木目と紛れて読みにくくなりがちな横線が避けられ、縦の長い線と斜めの短い線とを組み合わせた字形になっているそうです。

 基本は楷書体のような長枝ルーン。行書体のような短枝ルーン。

 さらに草書体のようなヘルシングルーンというものがあります。

 ニ世紀、もしくは三世紀ころからゲルマン民族が使い始めたと言われ、ゲルマン民族の間ではゲルマン共通ルーンが主流となり、北欧では北欧ルーンが使われ始めたそうです。

 ちなみに共通ルーンは二十四文字ですが、北欧ルーンは十六文字に減少していて、この時期の古ノルド語が、音韻変化により音の数を大幅に増やしたことに反します。

 アルファベットも二十四文字なのですが、母音と子音の発音がしっかりと表記できるので読み書きしやすいものですが、共通ルーンは文字数が減少したために一文字で複数の音を表すことになり、読み書きの場合には非常に難解になり読むのに難儀します。

 

 このように、ゲルマン共通ルーンをベースに地方によって独特の発展を遂げたのがルーンです。なので、その書物の出処の地域が分かれば、自ずとどの文字で書かれているのかが分かります。


 そしてこの書物。

 先日みなみさんが届けてくれた魔術書ですが、これはまた違ったルーンで書かれていました。

 オガム文字です。

 オガム文字とは、古代ケルトにおいて使用された文字です。

 オガムの語源は、神話に登場するトゥアハ・デ・ダナーン神族の一人、雄弁の神オグマにちなんで名付けられたとされています。

 南アイルランドで考えられたとされるこの文字は、ラテン・アルファベットの音を基準にして縦横の直線の長短と斜線の数で表現する独自の記号のような文字です。

 この文字は主に神官である〈樫の木の賢者ドルイド〉達が使用した文字ですが、元々、彼らは口伝によりその秘技や一族の歴史と系図、伝説を語り継いできました。

 〈予言者ウァテス〉と〈吟遊詩人バルド〉の階級に分かれるドルイドにとって、膨大な量の聖なる歌を暗記することは、辛く厳しい修行の一つでした。大切な物事を記録する媒体は〈記憶〉のみだったわけです。

 しかし、オガム文字には魔力があると信じられていたために、占いや神事の際など通常の記述以外で使用され、秘儀の伝承に役立ったとされています。ですが、それは紙が発達される前の話で、石碑や木片に刻む使い方がされていました。こうして紙媒体で残っているのは、後に中世以降にわざわざこの古代文字を使って作られたものだと思われます。


 わたしは喫茶店のカウンターにこの本を置き、ギリーさんと話し込んでいました。

 胡桃おばあちゃんとは連絡が取れず、この本をわたしに届けた真意は不明ですが、魔女修行の一環として贈られたものというのは確かです。

『オガム デ マチガイナイ』

 ギリーさんは、ページをめくるようにわたしに催促すると魔術書を覗き込みました。

 キバタン特有の頭の黄色い飾り羽を扇のように開いたり閉じたりさせながら、ギリーさんはめくられていくページを興味津々に見ていました。

『ヨメルカ?』

 大きな目を忙しく横に動かしながら、わたしに問いました。

「所々読めないところもあるけど、大体は……」

 魔女たちは、幼少期から日本語を学ぶように〈魔法文字ルーン〉も学びます。なので基本的なものは読めるのですが、それでも特殊な文法などは更に専門的な知識を要します。

 なにせ、万人に読ませるのが目的ではなく、秘匿されるべき物事を特定の人だけに伝承させるためのものですから、さながら諜報機関の暗号解読者のように、読み進めなければなりません。

『アセラナクテ イイ。ホンハ ニゲナイ』

 ページを引き止めているわたしの指を軽くくちばしで小突くと、ギリーさんはまた目を忙しなく動かし始めました。

「ギリーさん、これは図鑑ですか?」

 わたしの問いに彼の飾り羽が大きく開閉します。

『ソウダ。ヨウセイノ ズカンダ』

 〈魔術書〉というと、あたかも術の解説書ばかりを創造してしまいますが、こういった図鑑も魔術書のひとつです。魔女、魔術師の知識を深める本は総じて魔術書と呼ばれます。

『マジョ ニ ナリタテノ オマエニハ イイモノダ』

 ギリーさんはしばらく上機嫌でこの本を読み進んでいました。

 わたしは彼の読む早さについていけず、ページをめくるのに徹していましたが途中、面白い項目を見つけました。


 ――妖精との暮らし方――


 表題にはそうありました。

 妖精と共に暮らし、生涯を共にしようというものです。


「暮らす?妖精と?」

 先日のパックは〈家つき妖精〉という種類の妖精ですが、こちらの世界で生まれ、暮らしているわけではありません。

 彼ら妖精はこの世と表裏一体のもう一つの世界に普段は暮らしています。ただ、夕暮れ時やヴァルプルギスの夜など、ふたつの世界の境界が曖昧になった時にこちらへやって来たとされています。そして、各々好きな場所、居心地の良い場所を見つけて大抵はそこを根城にして遊び、飽きたらまた妖精界へと帰っていきます。ですので、〈家つき妖精〉とは人が住む家が好きな妖精なのです。積極的に人間と関わろうとする好意的な妖精ともいえます。

 逆に人からは徹底的に距離を取る妖精もいます。自然豊かで、人が足を踏み入れない場所を好む妖精たちもおり、わたしたち人間と同じように妖精たちの性格も千差万別です。

 わたしはここで読むのを止めました。

「生涯、共に生きる?」

 果たして、妖精の寿命とはどれくらいなのでしょうか?考えたこともありません。

「ギリーさん、ギリーさん。

 妖精の寿命ってあるんですか?」

 わたしが問いかけると、ギリーさんはご機嫌よろしく頭を縦に振りながら答えました。

『ソレヲシルタメニ ヨムンダロウ』

 ごもっともな答えにわたしは納得してしまいました。感心しているわたしにギリーさんは頭を差し出し、目を瞑ります

「はい、はい。カキカキーっと」

 人差し指で頭をコチョコチョされるのが大好きなギリーさんは、暫く頭部をL字型に曲げながらわたしに頭をかかれていました。


 妖精の寿命?

 妖精との共同生活?

 そもそも、妖精はどうやって生まれるのか?

 何を食べるのか?まさかお菓子ばかり食べているわけがありません。

 排泄はあるのか?

 お風呂には入るの?


 考えだしたらキリがありませんでした。

 気がつけばそこにいる隣人、それが妖精でしたが、なぜ今までこういった疑問や興味が沸かなかったのか不思議です。

 気になります。

 気になって仕方がありません。


 その日の夜、わたしはいつものように枕元に花の妖精ニンフたちを呼び寄せて話をしました。

 彼ら彼女らの話しを一通り聞いたところで、寿命について聞いてみました。

「ねぇ、わたしたち人間は八十年位で死んでしまうんだけど、あなたたちはどのくらい生きるの?」

 いたって単純なことを聞いたと思ったのですが、花の妖精ニンフたちは困った顔をして顔を見合わせてしまいました。

『死ヌ、ってなあニ?』

 予想もしなかった返答にわたしは驚きました。

「え?え、えっと……。

 この間、千歳おばあちゃんが亡くなったでしょ?

 呼吸が止まって、ずっと眠り続けるの。もう、決して起きることがないから、わたしたちはおばあちゃんの遺体を焼いて、自然に返したのよ。それが死ぬ、ということなんだけど……」

 彼らも、祖母の死に際に来てくれた妖精たちの一人でした。しかし、それでもピンとこないようです。

『チトセは、もう目を覚まさないの?

 なんだ、また会えると思ったのに』

 ?

 なんでしょう、微妙に話しが噛み合いません。

「あなたたちは違うの?」

 わたしの問いに花の妖精ニンフたちは聞き慣れない言葉を言いました。

『ボクたちハ、〈周期の世界〉に住んでいるんダ』

千年王国ミレニアムハ千年で崩壊して、また千年王国ミレニアムを作り上げるのヨ』

 花の妖精ニンフのレームとリームは、「なにを当たり前のことを」とでも言いたげな表情で、むしろ驚いているわたしに驚いている様子でした。

『ボクがいつ消えるカ、そんなことなんか分からないヨ』

『そうよネ、レーム。

 例え消えてモ、またわたしたちはレームとリームに生まれ変わルからなにも困らないけどネ』

 ――また生まれ変わる。

 そう、花の妖精ニンフたちは言いました。

 例え、命を落としたとしても同じ一個体として生まれ変わる、そんなことがあるのでしょうか?

 次に質問することを考えていると、飽きやすい花の妖精ニンフたちは、飴玉が入っているガラス瓶を自ら開けると、飴玉を抱えて飛び去ってしまいました。


 妖精たちがいなくなると、ヴァイスがのそのそとベッドの上にやって来て、わたしの隣で丸くなりました。

 ピンとした長い立ち耳を指先で弄びながら、わたしは先程の〈周期〉という言葉を考えました。

 〈周期〉とは、定期的に同じことが繰り返されることを言います。しかし、これに世界観を当てはめてみたらどうでしょう。

 単純に、世界の始まりと終わりが想像できません。

 地球というか、銀河系規模で考えたら、ビッグバンにはじまり、超新星爆発に終わる、そういうことなのでしょうか?

 いやいや、これでは規模が大きすぎて妖精たちの一生には結びつきません。わたしに置き換えて考えてみましょう。

 わたしという人間は、父と母から生まれました。

 わたしの上には兄が一人います。当たり前ですが、両親が先に亡くなり、その後にわたしたち子どもたちが続きます。兄やわたしが結婚して子どもが生まれれば、同じように続きます。しかしこれが周期だとしたら、どこからかが始まりで、どこかで終わり、それが始めに戻るということです。

 ――意味がわかりません。

 終わり。

 終わりって、どういうことでしょう?

 先程リームは「千年王国ミレニアムが崩壊する」と言っていました。

 崩壊、ということは国としての機能を失って国が潰える、ということなのでしょうか?

 わたしは妖精について学ぶよりも先に、妖精の世界を学ぶ必要がある、と考えました。


 水上みなみさんから本を届けられて二週間が経った頃、ようやく胡桃おばあちゃんと連絡が取れました。

 わたしは庭の池を覗き込み、水面に映るおばあちゃんにあれやこれやとここ最近の出来事を話すと、おばあちゃんは朗らかに笑いました。

「いいわね。魔女らしいこと、この上ない」

 師匠(胡桃おばあちゃん)曰く、魔女とは考え、悩み、そして学ぶ者だそうです。まさに今のわたしなのですが、何から学べばいいのかがわからず四苦八苦しているところでした。

「妖精界についてね……」

 水面に映る胡桃おばあちゃんは、瞳を閉じて少し考えました。

「断片的なことを記述している書物ならあるけど……わたしが聞かせたほうが早いかもしれないね。

 悠依、これから時間はあるかい?」

 今日は日曜日。しかもまだ午前中なので時間はたっぷりとあります。

「大丈夫です」

「じゃあ、行くよ。下がってて」

 そう言うなり、胡桃おばあちゃんは杖を手にし、詠唱を始めました。

 こちらに〈転移〉してくるようです。

 胡桃おばあちゃんは、水を使った魔女術が得意です。

 代表的な魔女術がこの〈転移魔法〉で、蓮が咲く池に限定されますが、蓮が自生する池ならその間を好きに行き来出来るという事です。蓮のある池なんて、そうはないような気がしますが、おばあちゃんいわく、立派な庭園のある池には大抵あるとのことで、大都市の有名な庭園に頻繁に行けるらしく非常に便利ということでした。

 池から数歩離れて待っていると、水面に〈五芒星ペンタグラム〉と〈魔法文字ルーン〉が金色の線で描き出されました。それらはゆっくりと書き進められ、五分ほどで魔法陣が完成すると、水面下からゆっくりと胡桃おばあちゃんがせり上がって現れました。

「お待たせ」

 いつものようにリーピチープを肩に乗せたおばあちゃんは、わたしの顔を見ると微笑みました。

「おばあちゃんこそ時間、大丈夫だった?」

 駆け寄るわたしに「ちょうど退屈だったから」と、いつものようにおばあちゃんは笑い、変わらない様子にわたしはほっとしました。

 家の中に移動する間も繋いだ手をずっと離さずにいると、胡桃おばあちゃんは「どこにも行かないわよ」とまた笑いました。

 千歳おばあちゃんが亡くなってから、歳の近い胡桃おばあちゃんも……と考えてしまう時があります。胡桃おばあちゃんも恐らくわたしの気持ちを察してくれているのでしょう、わたしの手を離さないで握っていてくれたことにわたしは少し泣きそうになってしまいました。

『どうしたの?』

 不意にヴァイスの声が聞こえました。わたしの感情の変化を敏感に捉える彼は、昼寝から飛び起きて迎えに来てくれたようです。

『おばあちゃんだ!』

 大好きな胡桃おばあちゃんを見ると、ヴァイスは、はしゃいでわたしたちの周りをグルグルと回って喜びました。

「ほいほい。わかった、わかった」

 散々走り回ったヴァイスをなだめると、「お姉ちゃんに挨拶させて」、と縁側から居間に上がったおばあちゃんは神棚の前に立ちました。

 我が家には仏壇はありません。あるのは神棚と故人の御霊を祀る祖霊舎です。

 〈祖霊舎〉という言葉を聞いたことのない方は多いと思います。これは仏教における仏壇に相当するもので、神道を信仰する家では、故人の御霊がここに安置されます。

 神棚にまず拝礼し、次に祖霊舎を拝礼します。

 お参りの仕方は神棚と同じように、二回お辞儀をし、二回拍手かしわでを打ち、一回お辞儀をする「二拝・二に拍手・一拝」の作法で行います。

 拝礼が終わり、少しの時間祖霊舎を見上げるおばあちゃんは、少し寂しそうな顔をしていました。

「征爾と依理恵さんはお出かけかい?」

 両親は朝早くから出かけていて、帰りは夕方ということでした。今日は喫茶店もお休みなので、時間はたっぷりとあります。

 縁側に座布団を敷いて、お茶とお菓子も用意したところでおばあちゃんは話し始めました。

「さて、話してあげようか。妖精たちの千年王国についてだったね」

☆魔女日記☆

魔術書…魔女の知識を深めるための書物の総称。それは魔術が記載されているものだったり、図鑑であったりする。金銭的な取引は基本的にされておらず、己の知識などとの対価交換が基本とされる。


魔法文字ルーン…古代人たちが使った文字だが、後に呪術師たちが好んで使うようになった魔力を帯びているとされた文字。ゲルマン共通ルーンが一般的だが、地域や年代によってさまざまな発展を遂げる。

 もとが木片や石版に刃物で刻むことを考えて作られた文字なので、縦横の直線で文字が構成されている。

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