第二話 家つき妖精の悪戯
朝から降り続いていた雨は勢いを増し、今では窓を横から叩きつけるような降り方に変わっていました。
昼過ぎで家に帰る予定だった美希も出るに出れず、結局、本日三杯目のコーヒーを飲み始めています。
先ほどの〈妖精の書〉は「祖母が集めていた古書」、ということで事なきを得えました。ホッとしたところでコーヒータイムです。
「美味しい……」
サイフォンコーヒーは初めて、というみなみさんも気に入ってくれたようです。
「わたしも紅茶とかハーブティーとか勉強しないとなぁ」
みなみさんは魔女の修行のことを言っているのでしょう。魔女はハーブやお香、お茶、お菓子作りなどお茶会に欠かせないものは一通り身につけなければなりません。
わたしも先日参加した〈お茶会〉は、魔女にとって大切な社交場です。
近隣、時には遠方の魔女たちがお菓子を持ち寄り、お茶を飲みながら知識交換や己の研究を披露するのがお茶会です。お茶会への参加は自由ですが、参加することにメリットはあってもデメリットはありません。
そして魔女社会には、こんな古いことわざがあります。
――知識と人脈を広げるためには、まずは相手の胃袋から掴むこと。
どこかの国の男性を射止める話しに似ていますが、甘い物好きな女性たちの興味を引き付けるにはこの方法が一番確実だということです。
「わたしも淹れられるのはコーヒーくらいで、お菓子もクッキーくらいですよ。美湖さんはお菓子作りがすごい上手だって聞きましたけど」
漆真下樹里さんの娘、美湖さんはわたしと同い年の中学三年生です。就学前に火継ぎをしたという話しだったので、お菓子作りも含め、たくさん教えて欲しいことがあります。
「そうなの!シフォンケーキとかロールケーキとかすごく美味しいんだよ」
わたしとみなみさんはお菓子作りの話しで盛り上がっていると、美希がすね始めます。
「女子力高いなぁ。あたしは……ホットケーキ焼けるくらいだな」
がっくりと肩を落とす美希にわたしとみなみさんは笑いました。
「みなみさんと美希は今日、この後予定あります?」
緊張感が皆無ですが、ここにいる三人は皆受験生です。
「今日は予備校休みだし、なにもないよ」
「わたしも何もないよ。ただ、そろそろお昼だねー」
気がつけば時計は十二時半を回っています。
「じゃあ、みんなで何か作る?」
みなみさんの提案で急遽調理実習の運びへとなりました。が、美希の存在が不安でなりません……。
喫茶では、飲み物やケーキ、クッキーの他にパスタやトーストなどの軽食も出します。
さて、どうしたものか……。
「これ見ていい?」
みなみさんが手に取ったのはメニューでした。取り扱いが少ないので、A4の紙をラミネートしただけの簡素なものです。
「この絵かわいい」
メニューには、箒にまたがって空を飛ぶ魔女が描かれています。
「これ、わたしが小学校に上る前に描いたんです」
とんがり帽子を被った魔女鼻のおばあさんが、満面の笑みで箒にまたがる姿は、自分で言うのもなんですがなかなか可愛らしいです。
「そうだったんだ!子どもの頃って、変に意識しないで描くからいいよね」
美希は絵がとてもうまく、体育祭の応援団幕を作るときはその腕をいかんなく発揮します。ポスターの公募なんかでも、いくつか選ばれて表彰されていました。
芸術系に進むというのも個人的にはありのような気がしますが、本人は「強制されて描きたくない」ということで、あくまでも趣味に留めたいようです。
「あ、ピザトーストいいね!」
美希がメニューを指さし、「どう?」とわたしたちに聞きました。簡単に手早く作れるし、材料もさほどかからないので満場一致。わたしたちはピザトーストを作ることにしました。
家のピザトーストは、四つ切の分厚いパンにバターを塗り、その上にケチャップ。そこに千切りの玉ねぎを敷いて、ベーコン、輪切りピーマン。最後にたっぷりチーズで焼けば完成です。本来ならばサラダとコーヒーもしくは紅茶が付くのですが、今回はサラダはパス。
みなみさんと美希が意気込んでいるので、トーストのほうは二人に任せることにしました。
さて、こちらは何を作りましょうか。
コーヒーは十分飲んだので、スープのようなものがいいか、それともスッキリとした炭酸系の飲み物がいいのか悩みます。冷蔵庫には父がハイボールに使う炭酸水とレモンがちょうどありましたし、ハニートースト用の蜂蜜もありました。
「飲み物、レモンスカッシュでいいかな?」
わたしの問いに美希が驚きます。
「え?それって自分で作れるの?」
「あ、飲みたーい」
みなみさんは柑橘系の果物が好きなそうなので、蒸し暑い日だし、いいかもしれません。
「簡単だよ。混ぜるだけで作れるから」
まずはレモンを横に半分に切ります。そうしたらレモンを絞り器にかけて汁を抽出します。レモンは三個あったので、二つを絞りました。
コリンズグラスにレモン汁を大さじ二杯入れ、蜂蜜も大さじ二杯入れます。そこに炭酸水を入れてよくかき混ぜたら完成です。注意点としては、蜂蜜が沈殿するのでよくかき混ぜることです。
レモン汁と蜂蜜はお好みなので、酸味が欲しかったらレモン汁を。甘みが欲しければ蜂蜜をお好みで足します。
ちなみに、炭酸水を水に変えると「はちみつレモン」になります。
こんな感じで簡単にできてしまうので、下準備をして隣を見ると、信じられないことが起こりました。
一度軽く焼いたパンに、バターとケチャップを手際よく塗るみなみさんに対し、包丁を右手に仁王立ちのまま固まる美希。
動いた、と思ったら斧で薪を割るがごとく、包丁をまな板の上の玉ねぎに振り降ろしました!
「「なにやってんの!!」」
みなみさんと同時につっこみが入りました。
美希は息も荒く、まな板に包丁を叩きつけたまま微動だにしません。ちなみに玉ねぎは足元に転がっています……。
怖い!
怖すぎる!!
「い、いや……前にも言ったじゃん。苦手だって」
これは……想像以上でした。
ここまで苦手というか、恐らく包丁を握ったことのない人を見るの初めてです。学校でも調理実習やら林間学校やらあったでしょうに、この人は今までどうやって乗り切っていたのか不思議で仕方がありません。
「美希、調理実習のときは何の係をしていたの?」
わたしの問いに彼女は左に目をそらして答えます。
「こ、米とぎ係」
わたしに続いてみなみさんが今度は質問します。
「林間学校の時は?」
今度は右に目をそらして答えます。
「火起こし係……」
うん、どちらも普通は男の子がする係です。
「悠依ちゃん、これはわたしたちがいろいろと教えてあげないといけないわね。女子力上げないと、男の子にもてないぞー」
というわけで、手取り足取り、みなみさんの包丁の取り扱い講座が始まりました。握り方、物を切る時の手の添え方、千切り、輪切りなどの簡単な切り方など、など。
気がつけば、十五分程度で食べられるはずのものに一時間かかってしまいました。
やっとのことでトースターに投入して焼き上がるのを待つ間、わたしたちのレモンスカッシュはすでに二杯目でした。
「美希、どうしてそんなに憔悴しきっているの?」
テーブルに突っ伏したまま、彼女は動きません。
「いや……疲れた」
それにしても、みなみさんは包丁の扱いにとても慣れている様子です。
「これ、美味しいなー。缶ジュースでしか飲んだことなかったよ」
レモンスカッシュがお気に入りのみなみさんは、作り方を聞くとメモを取っていました。
「みなみさんはよく料理するんですか?」
「お母さんが料理とかお菓子作りが好きで、よく手伝ってたの」
聞けば、みなみさんのお母さんはかなりの料理上手だそうです。みなみさんの女性らしい立ち振舞いや、服のセンスを見ても、お母さんの凄さが想像できます。
「ただ、わたし料理のほうが得意なんだよね。食いしん坊だから、お菓子よりもコロッケとか作っちゃう」
いや、いや、いや。
どちらにしても、すごいですし!
わたしが感心している最中、美希が隣りでおかしな顔をしていました。
「ここの砂糖の色って、白じゃなかったよね?」
我が家と喫茶店では一般的なグラニュー糖ではなく、きび砂糖を使っているので赤みのある砂糖が入っています。
「白いんだけど……どう見てもこれ、塩だよね」
一般的に塩のほうが結晶が大きいので、砂糖ほどサラサラしていないのが塩です。冗談かと思って、手渡されたそれを見ると、確かにそこには塩が入っていました。
「さっきまで、砂糖入ってたよ?」
みなみさんも不思議そうに調味料入れを覗き込みます。
「ん?」
カウンターテーブルの上には、いくつかの調味料が置いてあります。砂糖、胡椒、タバスコ。メニューも少ないのでこのくらいなのですが、残りの胡椒とタバスコもなんだか怪しく見えてきました。
まずは胡椒を手に取って見てみると……。
「胡麻だ!」
しかも塩も一緒に入ってごま塩になってます。タバスコは……?
赤い液体がたしかに入ってはいますが、タバスコよりも粘度があってもったりとした感じがします。恐る恐る美希が舐めてみると……。
「ケチャップ……」
みなみさんとわたしは驚いて、自分たちも両方確かめてみましたが、美希の言ったことに偽りはありませんでした。
「なんで?いつすり替わったの?」
美希は突然のことに動揺というよりも、嬉々としている様子です。みなみさんはキョロキョロと周囲をみわたしていますが、ここには私たち三人とヴァイスとギリーさんしかいません。
戸惑っているわたしたちにギリーさんがこう言い放ちました。
「パック、パック!」
パックとは、悪戯好きの妖精です。
「わたしが話に夢中になっている隙を狙ったのね!」
みなみさんは、わたしが何を言っているのかすぐにわかったようです。
「今もここにいるの?」
目を輝かせて椅子から飛び降りると、身をかがませて店内を調べはじめました。
「パック?」
「そう、悪戯好きの妖精がここにいるの」
美希は「まさか」と笑いましたが、わたしとみなみさんは真剣なので次第に笑顔が消えていきました。
「マジで言ってんの?」
美希は席を立ち上がり、カウンターの内側を覗いたり床に這いつくばったりして妖精を探しだしますが、見つかるわけもありません。
「たまーにあるの。言ったでしょ、ここは魔女が住んでる家なんですよー」
わたしはいたずらっぽく笑うと、美希は「冗談に聞こえないんだけど」と、中身が替えられた調味料入れを両手に持って不思議な顔をしていました。
先日の夕方と同じですが、こういった場合はすごく困ります。
わたしに見えているものが美希には見えない。これは理解出来ています。なので、わたし自身も見えていないように振る舞うのはなかなか大変なことです。
未だ周囲を見渡して、何かいるのかと警戒している美希の肩の上にそのパックが座っているんです。しかも腹を抱えて大笑いをしながら。
ゲラゲラと笑う様子がおかしくて、わたしももらい笑いしそうになり、堪えるのが大変でなりません。ついに我慢出来ずにカウンター内でしゃがみ込み、パックに注意します。
『パック!やめて、わたしまで笑っちゃうから』
念話でパックに話しかけると、『この人は魔女じゃないんだね』と返ってきました。
『そう。だから、悪戯もほどほどにね。怖がるかもしれないから』
パックはつまらなそうに返事をすると気配を消しました。
妖精は人の驚く様子がたまらなく好きです。だから、時折悪戯をしかけてこちらの反応を楽しむのですが、その悪戯はどれも笑って許せる程度のものです。
中身をすり替えたり、物を移動させたり。
絶妙な加減で行うので問題ないのですが、人間のほうがそれに過剰に反応してしまうと悪戯妖精はその家を出ていってしまいます。申し訳ないことをした、とがっくりと肩を落として出ていくそうです。
逆に、良い意味でリアクションを取ると、妖精たちはご機嫌となります。そして、自分を喜ばせてくれたお礼として、気づかないうちに洗い物をしてくれてたり、物を片付けてくれたりします。
皆さんは経験がないでしょうか?
玄関に散らばっていた靴がいつの間にか整理整頓されてたこと、ありませんか?
「まぁ、いいか。
さぁ、トーストも焼けたし、お昼ごはんにしますか」
美希は既に両手を合わせて合掌のポーズを取っています。
「「「いただきます」」」
ピザトーストは、美希の奮闘ぶりが垣間見えて微笑ましいものでした。
玉ねぎの千切りはつながっていたり、細さがバラバラでたまに大きい物を噛んでしまうと辛かったり。これを気に、美希も少しは包丁に慣れてくれるといいのですが。
「なんか、いいね。こういうの」
みなみさんは口元についたケチャップを舐めとって笑いました。
「簡単なんだねー。家で今度挑戦してみよう」
美希の意外な言葉に、わたしとみなみさんは吹き出しましたが、本人はいたって真面目なようです。
「文化祭で魔女コスしてさ、魔女喫茶なんかいいかもね。
あ、けど中学校じゃ喫茶店開けないのか」
美希の提案は名案だと思いましたが、中学校の文化祭では飲食店を出店ことができません。
「みなみさんは高校でどういったのしました?」
「うーん。タロット占いとか、喫茶店もしたよ。ホットケーキと紅茶、コーヒー、オレンジジュース、アイスなんかをだしたなぁ」
聞けば、簡単に調理できるものは提供が可能なようです。
「いいなー。高校の文化祭って行ってみたいな」
「じゃあ、おいでよ。毎年10月にあるからさ。たぶん中学校とは日程がずれているはずだよ」
みなみさんが通っている高校は、わたしが目指している第三高校です。学校見学もできるからいいかもしれません。
「行きます!」
急にわたしが食いついたので、二人を驚かせてしまいました。
「え?悠依ちゃんて第三受けるんだ」
美希の説明にみなみさんは驚いていました。
「最近決めたんですけどね」
「しかも、卒業したら大学行かないで海外行くって」
「???」
美希の続けた言葉に、みなみさんは驚かされている様子でした。美希にしたように同じく説明してもあっけにとられている様子は変わりません。
「なんだか、すごいね。わたしとはスケールが違うわ」
美希はトーストを頬張りながら頷きます。
「でひょ?てゅーかさ、よくお父ひゃんとお母ひゃん許ひゅよね」
「美希、口の中の物を飲み込んでからしゃべりなさい」
その美希の話し方が面白かったのか、パックが美希の肩の上でまたゲラゲラと笑い始めました。そして、隙を見てはトーストから落ちそうなチーズを指ですくい取っては頬張っています。
食べながら、飲みながら、食事中は進学についての話しに花が咲きました。
みなみさんは県立大学の自然科学科を目指していて、将来は動物に関わる仕事に就きたいそうです。
「一人暮らしもしてみたいし、夢は広がるんだけど、まずは受験だよね」
みなみさんの言葉にわたしたちも身を引き締める思いです。
「推薦、って言ってもそれなりの学力は必要だからね。うん、がんばるか。
けど、アニキたちと同じ高校は嫌だ!
くそう!どうすりゃいいんだ!」
どこまでもお兄さん嫌いの美希には笑わせられます。
ものすごい苦汁をなめるような顔で、彼女は頭を掻きむしり呻いていました。
「な、仲が悪いのかな?」
「それが、逆というか、お兄さん二人ともシスコンなんですよね」
わたしは一度しかお会いしたことがないんですが、それはもう美希にベッタベタでした。
「出かけるにも、『送ろうか』とか。『迎えに行こうか』とか、もう気持ち悪い!」
その後、身の毛もよだつお兄さんエピソードを聞き、わたしとみなみさんは美希の兄嫌いに納得しました。過保護を通り越して、もはやサイコパスの領域です……。お兄さんたちは、なぜああも方向性を間違ってしまったのでしょうか――。
食べ終えた食器を洗い終えると、ようやく雨が弱くなりました。
パックは雨上がりの予兆を感じたのか、わたしに戸を開けるよう催促するので、さり気なく外の様子を伺うかのようにわたしは戸を開けました。
「お、そろそろ帰り時かな?」
開けられた戸から美希も外を覗き込み、晴れ間が見える空を見上げました。南の空には綺麗な大きな虹がかかっています。
「わたしも帰ろうかな。また、ゆっくり来るね。ごちそうさま。
あ、お金は?」
律儀にお財布を取り出したみなみさんに、なぜか美希が。
「親睦の証として、次回からということで」
なぜか右の手のひらをみなみさんに突き出し、「いらない」と言いだしたので、わたしはすぐに小突いてやりました。
「それはわたしのセリフ!」
三人で大笑いした後、楽しい昼の一時は幕を閉じました。
わたしは喫茶店の入口で店を後にする二人に一礼して見送りましたが、パックは二人を追いかけるなり暫くするとまた舞い戻ってきました。
「なーに?また悪戯?」
わたしが意地悪そうに聞くと、パックは『さあネ』と笑い、どこかへ飛び去っていきました。
その夜、美希とみなみさんは素敵な贈り物に気がつきました。
雨露で織られたかのような、透明で光沢のある小袋には、色とりどりの花びらが入っていました。そこからは清々しい花の香が漂い、その夜二人を深い眠りに誘いました。
〈妖精の香り袋〉。
それは親しい友人に贈る、再会を約束する贈り物です。
☆魔女日記☆
家つき妖”…家に住み着く妖精。住人に悪戯をして驚かせることに喜びを感じる。いいリアクションを取ってくれると、後日家の片付けなどを知らないうちに手伝ってくれる。お礼に甘いものを上げれば、さらに絆が深まるだろう。
妖精の匂い袋…妖精が親睦の証として人間に贈る物。甘露で作られたかのような光沢のある透明な糸で作られた小袋に、様々な花びらが入っている。その花びらはなかなか枯れず、ひと月は摘みたてのような状態が続くという。




