kenji-E
「瑶二、お前はやはり、千賀の家を継ぐんだろう?」
西陽の射す教室で放たれた六佳からの問いかけが、脳内で執拗に再生され続けている。
進路指導の面談だった。本人の希望と得意分野、戦闘傾向を明確にし、今後のカリキュラムを組んだり、部隊編成の資料にするという、学校の方針によるものだ。入学して間もない一年生からは、希望もなにもあるかと、毎年のように愚痴が溢れる。瑶二はそれを、他人事のように聞いていた。二年になっても、それは変わらない。
瑶二には、意味のない面談だ。将来は生まれたときから決まっている。千賀家の旧慣に従い、父を殺して当主の座に就く。その後は、分家を含めた千賀の一切を取り仕切ることになる。
千賀は暗殺を専門とする旧家だった。千賀家の暗殺は、ビジネスだ。古い歴史の中で、一度として特定の主に仕えたことはなく、金で雇われて任務を受ける。雇い主は黒軍に限っていたが、金さえ積まれればなんでもやった。同士討ちさえも厭わない。
瑶二はそのための教育を受けて育った。五歳で父の仕事についていき、初めて人を刺した。幼い瑶二の力では息の根を止めることができず、目の前で悶え苦しむ標的に止めを刺したのは父だった。そのときの相手の表情も、苦しむ声も、顔にかかった血の温かさも、自分がどう思ったのかさえ、忘れてしまった。教育として父に施されてきた非情な行いは、全て日常の中に霧散してしまっている。
異常だと知りながら、そうなることになんの疑いもなかった。だというのに、瑶二は六佳の問いに答えることができなかった。
改めて投げかけられた将来への疑問は、瑶二の心に溶けて消えるはずが、大きな波紋を残して広がり、今もまだ深く沈殿している。
最初は、聞いた相手が六佳だからだと思った。瑶二の父と六佳は、古くからの友人だ。千賀を継ぐということは、六佳の友人を殺すことと同義である。
しかし、そんなことは六佳自身、何年も前に承知のはずだ。その上で、今も昔も、そしてこの先も、変わることなく自分を支えてくれるのだろう。
原因は、もっと別のところにある。父への反抗心か、母の歪んだ愛情か、璃緒の離反か。考慮できることは全て検証したが、どれも違うという気がした。この小さな凝りの原因が分からないままでは、父を殺すことなど到底敵わないだろう。
瑶二は屋上の手すりにもたれ、校庭に向かって深い溜息をついた。普通の高校の何倍も広い校庭では、クラス対抗の模擬戦が行われようとしている。学年の垣根を越え、東西二つの軍に分かれて、実戦形式の訓練をするのだ。
級友たちは、この日のためにいくつもの作戦を練り、備えていた。上級生も参加するこの行事に気合を入れるものは多い。上手くやれば、憧れの部隊に入隊できるかもしれないのだ。
もちろん、参加は義務だ。面談同様、今後の配属に関わる重要な行事である。今頃、六佳は必死で瑶二を探しているのだろう。もしかすると、ゼラや篤輝に助けを求めているかもしれない。ゼラはまともに取り合わないだろうが、篤輝は必死にかけ回っていそうだ。
屋上の扉が勢いよく開いたのは、そんな友人たちの様子を想像したときだった。三人のうちの誰かかもしれない。そう思って、笑いながら振り返ろうとした瑶二の背に、三人の誰とも違う声がかかった。
「こんなところにいたのね、千賀先輩」
話し方こそ女のようだが、その声音は間違いなく男のものだ。篤輝も女のように話すが、彼ともまた違う。おどけた調子を含んではいるが、若くして人の上に立つ者の威厳が漂っているのだ。振り返った先には、品のいい青年が立っていた。
瑶二は彼を知っている。家柄がよく、その風貌から噂も絶えない。何より、その個性に負けぬ実力を持ち、今年度入学した一年の中でも、格別の異才を放っている男だ。
「小西か」
小西=I=拳児というのが、彼の名だった。アイはヒールブーツを軽快に鳴らし、瑶二の隣に立った。近くへ来ると、その存在感はより一層色濃くなる。
「あら、アタシをご存知なの?」
「知らねぇやつなんか、いねぇだろ」
「やだ、恥ずかしいじゃない!」
アイは両手で頬を包む仕草をしながら、体をくねらせる。かなりの力で肩に平手打ちをされ、瑶二は盛大に噎せた。
「で、なんか用か?」
「なんか用か、じゃないわ! 対抗戦、始まっちゃうじゃないの」
「俺、パスすっから、ほっとけ。な?」
「ダメよ。先輩、アタシの部隊に配属されたんだから、しっかり働いてもらわないと!」
照れたように左右に揺らしていた身体を静止させ、アイが言う。意図して高めに出していた声が、少しだけ低くなった。
「働くっつっても、俺は情報収集部隊だぜ?」
「情報収集部隊でも、戦闘訓練は十分受けているはずでしょう?」
「苦手なんだよ、戦闘は」
瑶二は、苦笑を浮かべた。これで騙されてくれる人間も多いのだ。しかし、アイには通じなかったらしい。
「馬鹿言わないでちょうだい。アナタ、本当は暗殺部隊なんでしょう? 公言してるって有名じゃない。それに、千賀家の跡取り息子が戦闘下手なんて、笑えない冗談だわ」
逆に微笑み返されて、瑶二は盛大に顔を顰めた。瑶二が暗殺部隊に所属していることは、本人が公言しているため知っている者も多い。しかし、千賀家のことは別だ。どれほど辿っても、千賀の情報は巧妙に隠されており、どれほど調べても瑶二の出自は平凡な家庭となっているはずだった。
「千賀家を知ってんのか。まぁ、当然か。小西家の御曹司様だもんな」
「身も蓋もない言い方するのねぇ。でも、まあ、そうね。使えるものは使わなきゃ、もったいないじゃない?」
「さすがの情報網だぜ。それで、俺を訓練に出させて、お前に得することがあんのか、小西?」
「もちろん、あるからこうして、アタシが直々に呼びに来てるんじゃない。ところで、その小西って呼び方、やめていただけないかしら? アイちゃんって呼んでちょうだい」
腰に手を当てて、頬を膨らませる仕草は、やはり少女のようだ。
実際に会話をしたのは、これが初めてだった。瑶二はすぐに、アイのことを好きになった。軍人として、この男に惹かれている。
ほんの僅か、人の上に立つ者の中には、こういう男がいるのだ。惹きつける要素は人それぞれだが、やはり何れもこの男について行こうと思わせる魅力を持っている。
アイは一見友好的だが、本当の心は壁を一枚隔てた向こう側にある。そういう部分を隠そうともしない。陽気な外面の奥に、思慮深さがある。だからこそ、信用できる。僅かな会話の中で、それが分かった。
こういう男を、何人も殺してきた。それが仕事だった。そして初めて、殺したくないと思った。
「先輩、アタシの連隊に入ってくださらない?」
「いいぜ。臨むところだ」
一も二もなく返事をしていた。ふけるつもりでいたが、一度この男の下で闘ってみるのもいいだろうと。
「あ? いや、待て。連隊って言ったか?」
「言ったわ」
この模擬戦に、連隊はあっただろうか。大隊から班までの部隊編成で、連対以上はなかったという気がする。
「まさか……」
「いやだわぁ、先輩。アタシ、模擬戦の話だなんて、一言も言ってないわよ?」
アイは口元に手を当てて、上品に笑った。嫌味なその仕草さえ、様になる。それがまた腹立たしい。舌打ちして睨めつけてみても、少しも気にした様子はない。
「そんな目で見ないでちょうだい。アナタの力は、私が最大限に活かしてあげるわ」
「んなもん、自分で活かせるっての」
「そのための場所と、気持ちを整えてあげるって言っているのよ」
「気持ち? 気持ちなんか、いらねぇだろ」
アイが何を言おうとしているのか、瑶二には予想ができていた。千賀の家で育ち、金のために闘ってきた自分にはないものだ。
「瑶二先輩は、自分に志がないと思ってるんでしょう? でも、アナタの中にある小さな種は、ちゃんと芽吹いているのよ」
目をそらし続けてきたものを、明らかにされた。アイは全てを見透かし、暴くような目を向けてくる。
「全てがアナタの糧になっているはずよ」
「何を知ってる?」
「あらゆることを。この学校で連隊を作るために、あらゆる方面の逸材を調べ上げたわ。アナタのことも」
「千賀がどういう家か知ってて誘ってんのかよ?」
同士討ちも請け負っているのだ。下手をすれば、この男の知り合いにも手をかけているかもしれない。エリートであればあるほど、その可能性は高くなる。
「当然よ。千賀の跡取りであることも踏まえて、アタシはアナタに声をかけているんだから」
「随分とはっきり言うんだな。普通、こういう勧誘するときは、家柄なんか関係ねえって話をするんじゃねぇのかよ」
「誤魔化したって仕様のないことよ。アタシの連隊には、アナタみたいな男が必要だわ」
「聞いちゃいたが、とんでもねぇ変態だぜ」
「変な言い方するんじゃないわよ!」
鋭い視線から逃れるように戯言を口にすると、アイは容易に乗ってきた。わざとそうしたのだと、瑶二にも分かった。
「何をさせてぇんだ、この俺に」
「やることは今とそう変わらないわ。ただ、アナタが持ち続けているその反抗心に、アタシが志を添えてあげる。だから来なさい、アタシの隊に!」
最高の口説き文句だった。
窓の外からアイの姿を認め、瑶二はテラスに着地した。ガラスを軽く叩き、存在を知らせる。近くに控えていた高良が気づいて、窓を開けた。
「おかえリなさイ」
「よお、今日も高良は可愛いな」
茫洋とした様子の高良は、いつも瑶二の軽口に反応を示さない。その代わり、過剰に嫌がったりもしなかった。細い肩に腕を回し、共に室内へ入ると、アイの冷たい視線に出迎えられた。
「もういちいちツッコむのも飽きてきちゃったわ」
「冷てぇじゃねぇか。こっちはお前の無茶な任務をこなして、帰ってきたってのに」
「それで、どうだったの?」
「滞りなく。明後日のニュースをお楽しみにってとこだな」
「そう。問題なかったなら、いいわ。ご苦労様」
無茶とは言ったが、本当に遂行できないほどの任務をアイから与えられたことはない。力量を見極め、人員を配置できるのも、隊長としての重要な能力だ。
普段なら、瑶二は労いの言葉を受けて、早々に退室する。しかし、今日は違った。
「どうかしたの、瑶二?」
「今日は、許可をもらいにきた」
「雅とのことなら、ちゃんとケジメをつけてからになさい!」
「なんの話だ! つか、なんで知ってんだ、てめぇ!」
「調べさせたのよ」
「諜報部隊使って、部下の恋愛事情なんか調べんな!」
「冗談よ」
「趣味悪ぃぜ……」
「それで? なんの許可かしら?」
アイに誘われ、連隊を作り上げてから、一年になる。今年度入学の一年生隊員も迎え、連隊はまた大きくなった。これからも人は増え続け、任務内容も変わってくるだろう。そんな中で、瑶二にもやりたいことができたのだ。
「俺は今年で卒業だ。アイ、お前が卒業するまで、一年ある」
「そうね。アタシが卒業するまで、待っていてちょうだい」
「当然だ。だが、それまで待ちぼうけするわけにもいかねぇ。やりたいことがある」
本当は、許可をとる必要などないのかもしれない。今までも、好きにやってきた。それでアイが文句を付けてきたことなど、一度もない。
「アンタがわざわざ許可を取りに来るなんて、珍しいじゃない」
「死ぬかもしれねぇ」
アイが息を呑む音がした。
この連隊に入ることを決めた日から、自分の命はアイに預けていた。アイが必要とするときに、然るべき方法で死のうと誓っていた。
「親父を殺して、千賀を継ぐ」
命を賭けなければならない。因襲に囚われるのは遺憾だったが、今後のことを考えれば、瑶二が千賀家を継いでおいた方がよかった。
「そう、千賀を……」
「この因襲は俺の代で終わらせる。その後は、千賀本家と、各地に散る分家を統合にかかるつもりだ」
「しばらくは、ここを離れるということね」
千賀とその分家は、全国に散って暗殺稼業を続けている。本来、これらを招集するために、各地を直々に回る必要はない。独自の通信手段を持っているのだ。しかし、瑶二は訪う必要があると考えた。千賀を継ぐことが、目的ではないからだ。
「通信役を一人立てておく。どうしてもというときは、そいつを通して連絡しろ」
「それはいいけど、璃緒はどうするつもり?」
「一年の間に決着をつける。あいつも俺も、もう解放されるべきだ」
「なら、いいわ。雅との結婚は認めましょう」
「なんの話だ!」
茶々を入れられ、少しばかり力が抜けた。関係上、これまでも真剣な話をすることが多かったが、空気を抜くのはいつもアイの役目だった。
「とにかく、しばらくは帰らねぇ。後のことは頼んだぜ」
「分かったわ。好きになさい」
やはり、アイは瑶二の提案をあっさりと受け入れた。
「アンタが千賀家をどう導いていくのか、楽しみだわ。統合した後は、どうするつもりなのかしら?」
当然、連隊のために統合するのだ。その後のことは、まだ構想段階だった。成し得るかどうかも分からないことを、初めてやろうとしている。
「それなんだが、お前に考えておいてほしいことがある」
「アタシに?」
「特殊部隊として、連隊で使いたい」
「そうだろうとは思ったけど、暗殺は特報隊に任せているし、組み込むつもり?」
「いや、特報隊とは別で動く。暗殺もするだろうな。ただ、千賀家の全てを取り込むことができれば、小隊程度の規模にはなる。暗殺以外にも、できることは増える」
「具体的には?」
「戦場に出る」
アイの口角がつり上がったのを見て、瑶二は肩の力を抜いた。それだけの提案なのだ。これまで、暗殺部隊が、正規の戦に出ることなどなかった。
「主に、陽動と攪乱を担当する。動きは暗殺任務のときと、そう変わらねぇ。味方の攻撃に合わせて、敵を内部から混乱させる。もしくは正規軍の突撃に紛れて、敵陣営に深く入り、切り口を広げる。目的を果たしたら、直ちに離脱して、また別の方法で支援する」
「へぇ、面白そうね」
「最初は、うちの連中を訓練して、部隊を編成するつもりだ。元は暗殺部隊の人間ばかりだからな。仕上がるまで、そう時間はかからねぇだろ」
「そのうち本隊からも、そういうことが得意そうな子を増やしたいってことかしら?」
「そういうことだ」
アイは顎に手を当てて、思案している。
「なるほどねぇ。いいわ、考えておきましょう。でも、千賀家の人たちは受け入れてくれるかしらね」
アイの懸念は最もだった。ただの連隊ではない。なんのことを言っているのか、瑶二はすぐに理解できた。
「お前の言う、気持ちってやつのことを言ってんなら、俺がなんとかしてみせるぜ」
アイが自分にそうしたように、今度は瑶二自身が千賀家の者たちに、大事なものを与える。
正規部隊のように派手な戦いをして名を上げるのでも、特報隊のように名のある官僚を暗殺するのでもない。個の名声を求めず、ただ連隊のために、死をも恐れず闘う。それだけの部隊だ。そのための、志だ。
「そう、それなら任せるわ。アタシも考えておくわね」
「頼んだぜ」
話したいことは、全て話した。これで卒業後も、心置きなくやりたいことをやれる。
「兄サマ、楽シそう」
瑶二の腕の中で、高良が小さく呟いた。