タイミングの悪い男
マリーが生理による体調不良で早退した翌日。マリーは未だにベッドの上の住人となっていた。
「うー……。痛いぃ……。」
声帯を雑巾絞りしたような声で唸り声を上げる。顔色は相変わらず悪く、枕を積んで背もたれにした状態で腹をさする。いつもは瑞々しい唇も、煌く髪の毛も数段質が落ちている。それでも村娘より美しいのは、なんと言ったものか。
ベッド脇のサイドテーブルには水差しが置いてある。薬を飲むため、ベッドから気軽に降りれないため、常に水分が取れるようにナナルが配置したものだ。少量のお菓子も置いてある。しかし、そちらは減った様子が無い。
「おかしい……。生理ってこんなに体調悪くなるものだっけ?母さんも友達もちょっと痛いなーとかイライラしてる程度だったよね?……うーまた痛みが。」
小さな手でお腹をさする。これにどれほどの効果があるかは知らないが気休めにはなっていた。
「まさか、生理で学校を休むことになるなんて思わなかったよ……。うぅ。」
マリーが言ったように今日は学校のある日だったが、昨日から続く生理痛のため休んでいるのだ。これはなかなか珍しいことである。
大抵の人は痛くても歩けるレベルで、薬を飲めば乗り切れるものだ。ほとんどの女性は痛くてイライラする程度で済むものなのだが、マリーは思った以上に重体で、朝も起きようとして自室で立ちくらみを起こし、盛大な音を立てて座り込んでしまったのだ。部屋の前まで来ていたナナルがあわてて掛けより、今まで健康体そのものだったマリーの不調に焦って大騒ぎをしてしまい、屋敷中にマリーの体調が広まってしまった。
それを聞いた母も父も兄も、他のメイド執事達も学校へ行くことを反対したため、現状に至る。
マリーとしては昨日も早退したので授業の遅れが気になるところだ。退屈も敵だが、今のところ腹痛でそれどころではない。
激痛ではない。しかし鈍く響く痛みに集中という概念が吹き飛んでしまった。本でも読んで時間を潰そうと思ったマリーの考えは簡単に潰えて、とりあえず水を飲みつつ、お腹をさするだけの作業になっている。軽く朝食を済ませて薬を飲んだのでしばらくすれば落ち着くだろうが、それまでが長く感じてしまうのは人間の性だろう。
「うぅー。こんなに辛いものだったなら……もっと母さんにも、他の女の子にも優しく……して、あげる……べき、だった……な。」
今日の薬には睡眠導入剤としての役目もあったのか、慣れない痛みで体力を消耗していたのかは分からない。
マリーは自身のお腹を撫でながら静かに眠りについた。
「……さま、お嬢様。マリーお嬢様。」
ゆさゆさと優しく揺らされる体と、いつもの聞きなれた声で起こされる。
うっすら開いた瞼の隙間から見える部屋は淡い橙色に包まれている。目の前には見慣れた笑顔、ナナルの顔があった。首を動かし窓の方に顔を向けると、差し込む暖かい色に目を細める。と、同時に意識がしっかり覚醒してくる。そしてバサッと音を立ててベッドから上体を起こす。
「え、夕方!?」
完全に覚醒した頭で改めて窓を見ると、陽が沈み掛け、空は赤く染まっていた。どう見ても夕方だった。
「はい、夕方ですよ。お嬢様がぐっすり眠っていらしたので、起きて痛い想いをするくらいなら寝かしておいた方がいいとリディア様が……。実は水を飲むために少し起きたのですが、大分寝ぼけていらっしゃいましたし、覚えていないのでしょう。」
そう告げるナナルの声は、ほとんど耳に入っても頭には届いていなかった。だらけた生活を送っている人や夜型人間なら夕方に目が覚めると言うのは経験したことがあるものだろう。しかし母の代わりに家事をこなし、妹の面倒見ていたマリーには夜更かしもオールも縁遠いものだった。
今日一日を無駄にした。そんな考えがマリーの脳内に駆け巡るが体調不良で休んで、腹痛で唸っていただけの朝の状態を思い出せば、そうでもないものだが。
「夕方……、まぁそれは置いといて。ナナルが起こしたってことは何か用?晩御飯にはまだ早いよね?」
そう言って首をかしげる。季節によって差はあるが、大抵晩御飯の時間は完全に陽が沈んでからだ。そもそもいつもならこのくらいの時間は帰宅時間だ。
「はい、アルゼウス様がお見舞いにいらっしゃいました。病気ではないので大丈夫だとリディア様がおっしゃたのですが、『渡したいものがあるし、マリーに教えてあげたいことがあるんだ!』という事でしたので、体調が回復しているのなら会わせよう、ということになりました。顔色や寝ている時の表情も穏やかな物になりましたので、起こさせていただきました。」
ナナルの説明を聞いてなるほど、と頷く。朝は起きるだけで体が重たかったが、今は勢い良く体を起こしたのに眩暈はない。腹痛は少しだけジクジクと痛むが我慢できないほどではない。それにノートを見せてもらえるのはありがたい。マリーは自分の現状を確認するとアルを通すように伝える。
軽くショールを羽織り、髪の毛を整え蒸しタオルで顔を拭く。ほとんど乱れていないベッドも一応直し、部屋をぐるっと見回して満足したナナルは一礼してアルを迎えに部屋を出た。
マリーはアルが来る前に、のどをすっきりさせようと水を飲む。寝ぼけて飲んでいたようだが、足りていなかったようで飲んだ水がすぐ全身いきわたるような感覚が広がる。ナナルがさりげなく換気も兼ねて開けて行った窓から入る風が少し火照った体を覚ましてくれるのが心地よい。
ふぅーと息を吐いて軽く首や腕をまわしていると、コンコンと控えめなノックが響く。入ってきたのはもちろんアルだ。
「マリー、体調はもう落ち着いた?」
ずいぶんと男らしくなったアルだが、まだこうやって心配そうに眉を下げると昔のような子犬っぽい可愛らしさが強く出て可愛らしい。
昔のアルを思い出して小さく笑うとアルがなんで笑ってるの?と言いたげな瞳で見つめてくる。その表情が、思いのほか幼くてマリーはまた笑ってしまう。変なツボに入ってしまったのか、中々笑いが止まらないマリーに困惑するアル。そんな2人の様子にナナルもばれないようにこっそり笑みを浮かべると静かに退出して行った。
しばらくして、やっと笑いが治まったマリーはアルに軽い謝罪をして感謝の言葉を述べる。
「ノート、今日の分を持って来てくれたって聞いたわ。有難う。」
「どういたしまして。でも感謝されるようなことでもないけどね。ノート無いと授業どこまで進んだか分からないだろうし、幼馴染として当然のことだよ。……それにマリーに会いたい……会いたいって毎日思ってるからね。」
そう言ってほほ笑む顔が赤いのは夕方の日差しのせいなのか、それとも別なのかはマリーには判断がつかない。
年を重ねるごとに、どんどん積極性の増していたアルだが、特にここ1年くらいで告白と言っても問題無いような言葉や明らかな態度が増えてきた。
今の言葉も完全に口説き文句だろう。それも男女2人きりの、相手の女の子の部屋でというオプション付きだ。
正直マリーは少し戸惑っていた。小さい頃に告白をされた。他にも別の男子に告白されたり、ファンクラブが出来たりもした。それでもマリーには未だに告白にOKを出すビジョンというものが想像できないていた。
いつか、男を結婚をしてそれなりに愛情を育み、子供を産んで暖かい家庭を築くのだろう。という漠然とした考えはあった。だがその中で出てくる愛情というのはどれも親愛や友愛、博愛、慈愛等で性的なものではなかった。無意識に排除していたのだ。
小さな頃の告白は子供を見る大人の目線で断り、ある程度大きくなって声変わりも始まると無意識に『男性』からの告白とらえて拒否をしていたのだ。
おそらく一番真面目に考えて、結婚のことまで意識が行ったのはアルだけだ。ディルはわざとそうしているのかはわからないが、おふざけの範疇だったので軽い会話感覚だった。
そして、成長した今のアルのこういった性的欲求が見え隠れしている好意の示され方に戸惑っているのだ。おそらく声変わり具合や体格からして精通は迎えているだろう。さらに兄が2人もいるので性的な情報もそれなりに入っているだろう。
もしろんアルは紳士であることには違いないし、マリーへの態度も昔から変わらず優しい。優しいのだが、思春期の男子にありがちな、女の子へ対する舞い上がりのようなものを感じてしまうのだ。アルだっていつでもマリーを押し倒したいだなんて思っていないだろうが、思春期だから仕方無いのだろう。しかし、昔とは違うわずかな性の香りに下心を感じてしまうのは自意識過剰なのか悩むところだ。
小さい頃は対等に考えていたアルとの関係は時間とともにどんどん弟という枠に落ち着きつつあるのだ。
「……ノートはそこの机に置いてもらえると助かるな。」
アルは素早く、急ぎ過ぎない程度にノートを置くとすぐにマリーの傍へと戻ってくる。見守るような頬笑みを向けられて、また戸惑う。
おそらくアルの中ではマリーは守らなくてはいけない女の子というカデゴリに入っているのだろう。精神年齢は10以上も上のマリーからするとくすぐったいものだ。そのくすぐったさを隠すように声を掛ける。
「そ、そういえば何か伝えたいことがあるって聞いたけど、一体何?学校関係のことかな?」
「あ、そうそう!すごいニュースがあるんだ!マリーもきっとびっくりするよ!」
マリーが驚くようなニュース?それはいったい何なのだろう。とアルへ期待のまなざしを向ける。
「あのね……。」
そう言いだしたところでドアがバンと大きな音を立てて開かれる。普段は聞くことの無いような大きな音にびくっと体を震わせる。
入ってきたのは妹限定で心配性の三男、ダイカインだった。
「マリー!!ついに生理が来たって聞いたぞ!!おめでとう!!!だが体調がそのせいで悪いと聞いた。これは俺の婚約者から生理痛に良いと聞いた飲み物だ!飲むと良いぞ!!」
部屋に沈黙が満ちた。
内容を理解したアルは、マリーの状態にやっと気付いて顔を赤くしてマリーを見つめる。
マリーは幼馴染のアルに気付かれたこと、兄に性に関することを大声で言われた羞恥心に襲われて顔を赤く染める。
そしてダイカインはすぐに今の状態を把握し、やってしまったと思いながら固まった。
まるで部屋の中は時間が止まったようだった。どれほどの時間が過ぎたのか、思ったより短かったのか長かったのか分からない。
最初に動いたのはマリーだった。ギギギとブリキの様に下を向いてぼそぼそと何か言っている。
「……さい……。」
あまりに小さな言葉は2人には届かない。
「マリー何だって?」
出来るだけ和やかな声で兄が尋ねる。うっすら汗を書いているのは自分のしたことを理解し、この後の妹の好感度を気にした結果なのか。アルも赤いままの顔でマリーの方へと向き直す。
マリーは一度深呼吸をし、もう一度大きく息を吸った。
「ふ、2人とも……出て行ってください。」
顔も上げず告げる。ここですぐに出ていけば良いものをアルはマリーに思わず詰め寄る。
「え、あの、でも、まだ言いたいことが……。」
「出て行ってください。」
アルの言葉をさえぎり、感情を押し殺したような声で告げる。両手で顔を覆い隠しているが、隠し切れていない耳は真っ赤で少しだけ見える瞳が涙で潤み、声も震えているのは怒りというより涙声なのか。うっかりそんな表情にときめいてしまったアルはぶるぶると頭を振り、言い募ろうとするがダイがアルの首根っこを掴んで部屋を迅速に脱出し、玄関そばまで移動した。
大きくなったと言ってもまだ子供だ。兄弟の中でももっとも武術に秀でて体格の良いダイにとってアルを持ち上げることなど造作もないことだ。
「……。」
「……。」
「なんでお前がマリーの部屋にいるんだ!!許可をもらっていたとしても兄として許さない!」
「理不尽!?」
ちゃんと家から許可をもらって見舞いにきたというのにあまりの言い分だった。
「お前がいなければきっとマリーに『お兄様ありがとうございます!』って笑顔で言われる予定だったんだぞ!!」
「たぶんないと思います。」
ダイは冷めた表情で即答された。この後も玄関口でいかにマリーが可愛いか、最近はあまり甘えてくれなくて寂しいなどの愚痴に付き合わされ、赤くなった顔が普通に戻っても止まらないダイの妹トークは長時間に渡った。
ルイが戻ってくるまで拘束されることとなったアルに同情の視線が多く寄せられたのだった。
生理ネタひっぱりすぎぃぃ!もう、しばらくは来ないと思います。