女と男と見せかけて男と女か
前日と同じ停留所に降りると既に着いて待機していたナナルが凛とした姿で立っていた。メイドといえど、高位の家に仕えるメイドだ。その辺の庶民など比較にならないほどの知能、気品、美意識を持っている。
マリーと一緒にきゃっきゃとしている時には忘れがちなので、思わずマリーもぼーっと見つめてしまう。しかし、それも数瞬の出来事。車の音で到着に気付いていたナナルがマリーの傍へと駆け寄ってくる。
「マリーお嬢様、如何なされました?顔色が優れないようですが……。今日は寄り道せずにご帰宅された方がよろしいのではないでしょうか。」
近寄ってすぐにマリーの顔色が、あまり良くないことに気付いたナナルが提案してくる。本当に心配しているのだろう、眉を下げてジッと見つめてくる瞳は不安げだ。正直、少し精神的に疲れてしまったので家で兄や両親によって癒されたいところだが青年との約束がある。あの時間に手伝いをしているような子が1周分も無駄に過ごすのは申し訳ない。
マリーは首を左右に振って大丈夫だと告げると待ち合わせの場所へと向かう。ナナルは本当は家に帰ってほしかったのだろうが、既にマリーが歩き始めてしまったため諦めて一歩後ろをついて歩く。
あのケーキショップ、ルヴィエールは停留所からはさほど遠い場所では無いためすぐに着く。マリーは街の中心にある大きな時計台を見る。もう少しで時間だが、まだニコルは着いていないのだろうか。軽く店頭前で視線を滑らせる。目印はパンと店のマークだということだが……。まだ来ていないようだ。店の手伝いをしているのなら、多少時間は遅れることもあるだろう。1は待つという文章も1刻みは待ってくださいという意味かもしれない。
店に入って待つか悩むところだが、このお店は決して安くはない。ニコルがやってきても気軽にお店に入ってきてマリーに声を掛けるのは難しいかもしれない。入口を避けて柱の前にナナルと立つ。と、ここでバタバタと元気な足音が響く。特に音が響いているのは大きな紙袋を持って走っているせいなのか。その大きな紙袋には大きくニコルの店のマークが入っており、フランスパンのように長いパンが入っている。どう考えてもこの子だろう。
大きすぎて顔が隠れているが、あの食堂のような店でパンのテイクアウトのあの大きな袋に入れて帰る客など稀だろう。
「ごめん!待たせたかな?ニコルだよ!」
そう言って元気に声を掛けてきたのは確かにニコルだったが、昨日とは違うところが一か所あった。
「ニコル、男の子だよね?なんでそんな恰好してるの?」
マリーが思わず尋ねてしまうのは仕方なの無いことだった。ニコルは庶民の間では一般的な膝下までのスカートにシンプルなシャツ、ベスト、そして頭にはスカーフのような物を巻いている。そう、どう見ても女性の恰好だったのだ。
「へへ。これでも一応頭は悪くないからね。やっぱりお偉いさんの子女が異性と遊ぶのは問題になるかもしれないって思ってね。それにほら、俺って可愛いから全部許されるよ。」
そう言って笑う姿は確かに可愛く、天真爛漫な看板娘に見える。スカーフを巻いたのは髪の毛の長さを誤魔化すためだろう。ショートヘアの女の子もいるが、流石に首から上がそのままでは分かる人には分かってしまう。マリーはなるほど、と1人で納得した。
「まぁ立ち話も何だし、アッチにベンチあるからそこでパンでも食べながら話そう。」
そう言うとニコルはマリーの手を取ろうとした。しかし、寸でのところで間に入る人物が1人、もちろんナナルだ。
前世のことなど知らないナナルからすれば女装をした変態が慣れ慣れしくお嬢様に絡んでいるようにしか見えないのだから当然の行動と言えば当然だ。これは事前に誤魔化しをしておかなかったマリーのミスだ。冷静に見えても元日本人と会えたことは、マリーにそれなりの動揺を生んでいたようですっかりフォローし忘れていた。
「すみませんが、どなたでしょうか?お嬢様に何か御用がおありで?」
いつもはニコニコと笑顔を浮かべているナナルも厳しい表情を浮かべている。普段から容姿の良さもあって冷たい視線にさらされることの少ないニコルは思わずヒッと縮こまってしまう。マリーはあわててナナルの肩を抱いて止める。
「ナナル!今日はこの子と話すために来たの。そんな責めるようなことをしないで。」
その言葉を聞いてナナルは絶望をしたかのような表情を浮かべる。あまりに壮絶な表情だったのでマリーは思わず手を離してしまった。もちろん良い顔はされないとは思ったが、ここまで拒絶反応を示すとは思わなかった。
「わ、私はてっきりマリーお嬢様がアルゼウス様と逢引きするのかと……だから私には詳細を話してくださらないのだとばっかり……。なに、何故この者と待ち合わせを?昨日会ったばかりですよね?」
ナナルは驚愕で眼を見開きながらマリーへと詰め寄る。それでも声を荒げないのは教育の賜物だろうか。ナナルは完全にニコルから背を向けてマリーを穴があきそうなほどジッと見つめる。
マリーは一生懸命頭を回転させる。何か良い言い訳はないだろうか。友達になった、では無理があるだろう。パーティーや学校ですら精神年齢の差もあって積極的には話しかけにはいかないマリーが接点が一回あっただけの青年と友達など違和感しかない。一目ぼれしたなど言語道断。落し物を届けに、などの言い訳はマリーの手荷物を把握しているナナルにはバレバレだろう。マリーはニコルの持つ紙袋を見てはっと閃く。
「……りょ、料理を習いに来たのよ。昨日ナナルも見たと思うけどこの子の皮むきは素早く綺麗だったわ。だから彼に習おうと思って……。」
無理のある言い訳だった。案の定ナナルも不審に思っているようだ。
「それなら家のコックに習う方がよろしいかと。マリーお嬢様の作る料理を口にする者なら、きっと一般庶民の料理より普段お嬢様の食べているような料理の方が舌に合うはずです。それに設備も家の方が揃っています。」
ぐうの音も出ないほどの正論だった。マリーは必死に頭を回転させる。ニコルは空気を読んで黙っておく。
「……家族には内緒で習いたいの。家でやったらどうしても伝わってしまうでしょう?内緒で練習してお兄様やお母様、お父様を驚かせたいのよ。設備だって食堂を営んでいるならしっかりしているでしょう?」
「しかし、先ほどベンチに行こうと言ってたではないですか。練習をするのならベンチに向かう必要はないのでは?」
ニコルは内心でアチャーと頭に手を当てた。てっきりマリーは何かしら対策をしていると勝手に思い込んでいたため、慣れ慣れしくしすぎてしまったようだ。しかし、ここで口を出すのは駄目だろう。マリーがどうにかするのを祈るばかりだ。
「今日は忙しい時間帯だし、まずは今後どうするか話すだけなのよ。」
マリーも必死だ。ここで下手にやり過ごすと今後ニコルと話すことが難しくなる。ナナルが張り付いていると日本の話はできないのだ。
ナナルも何故だかは分からないが、小さな頃からずっと一緒にいる可愛い可愛いお嬢様が必死なのは感じる。しかし、どこの馬の骨とも知れない男とむやみに一緒に過ごしてほしくないと思うのはしょうがないだろう。
マリーがまっすぐな瞳で力強く見つめてくる。ナナルも見つめ返す。特級の美少女とそれなりに可愛いメイドが見つめ合う姿は人々の視線を集めたが本人達は気付きもしない。
やがてナナルの方が根負けしたようにフゥーと大きな息を吐いて目をつむる。そしてそっとマリーの耳元に話掛ける。
「……、マリーお嬢様。断じて惚れたとかじゃないんですよね?」
マリーは、はっ?と言いそうになる口を押さえて思わず固まる。まぁ身分を考えたらそのことを心配されるのは当然だろう。この世界において高い身分の者が恋愛結婚するのは普通だが、流石に誰が見ても釣り合うことのない立場の人、それも男の方が身分が低いというのは一部例外を除いてありえないもなのだ。
マリーは急いでないない!と否定をした。失礼極まりない態度だがマリーも必死だし、ニコルには聞こえていないので許してほしいものだ。
ナナルもここまで必死に言い募られて、普段わがままなど言わないマリーがお願いしているのだ。一応恋愛感情も無いようなので諦めるようにマリーの前から引く。マリーは笑顔で有難うと告げるとニコルとともに歩きだした。
ベンチに着いたので座る。マリーの下には一応ハンカチを置いて紳士アピールをしてみるがナナルは少し離れた場所でなんとも言えない表情を浮かべている。ナナルにも作ってあげたいから内容は内緒にしたいの、そう言うとナナルも強くは出れないようで声は聞こえないが良く見える位置で待機している。
「さてと、いやーまさか話始めるのにこんなに時間がかかるとは思わなかったよ。へへ。」
困ったような、面白がっているような表情を浮かべて笑う。マリーも流石に申し訳無いと思っているので素直に謝る。
「ごめんなさい……。一応混乱?動揺?してたみたいで、昨日のうちにしっかりフォローしとくの忘れてたの……。えっと改めて、僕の名前は今はマリー、日本では百瀬冬樹って名前で中学生だったよ。」
「……マリーちゃんって、もしかして元男なの?え、うそ、え?だってめっちゃ女言葉……え?」
ニコルのリアクションに、そう言えば男だと言ってなかったことを思い出す。
「そっちも男言葉だったじゃないですか。」
少し見つめあってから我慢できないとでもいうように2人して噴き出す。
「へへっ。まぁ、ぶっちゃけ現代日本の女の言葉ってそう綺麗なもんでもないっしょ。一人称とリアクションくらいしか修正しなかったよ。」
言われてみればそんなものだ。一部のお上品な子や成人してからならともかく高校生くらいまでは女子でも結構口が悪いものだ。
「ふふ、こっちはまぁ一応良い所のお嬢様として過ごしてますからね、嫌でも口調が変わりますよ。」
マリーに関して言えば元々乱暴な口調ではないので、やはりこちらもニコルとは大差ない修正しかしていないだろう。でもそのことを言うと元から女っぽいと受け取られそうなので黙っておく。
「いやーそれにしても、まさか元日本人に会うとは思わなかったよ。マジで。」
「そんなの僕だって同じですよ。そもそもなんでこの世界に生まれて、なんで記憶を持ったままなのか分からないですし。」
マリーは生まれ変わった直後こそ原因が気になっていたが、気にしたところで何も変わらないし、特に伝承があるわけでもないので調べることを既に放棄していた。
「まーねー。私だって日本人だった時はそれなりにオタクで色々小説とかも読んでたんで、これは転生チートとか来たか?!なんて期待もしたけど、別に神様が何か告げるわけでもないし、何か特別な能力を授かったわけでもないし、美形に囲まれてハーレムな訳でもないし、6歳くらいの時に色々割り切ったよね。たまたま記憶を継いでるだけで生まれ変わりが当然なのかなぁって。」
ニコルはマリーよりも転生というものに興味があったようで熱心に調べたようだが、駄目だったそうだ。そもそも自動翻訳機能が無い時点で書籍で調べたりするのも難しいのだ。それに加え、裕福な家でもないのでのんびり前世にとらわれている暇も無かったのだろう。
「ていうかさ、思わず話したくて無理しちゃったけど、よくよく考えて話すことも無いよね。日本の思い出話くらい?原因とかつきとめるの諦めてるし、前世?では体が死んでるだろうから戻れないと思うしね。」
それもそうだ。
「うーんでも、やっぱりさ、無意識に疎外感……とまではいかなくても孤独みたいな、なんか皆と違うんだよなーって思いがあって、寂しいなってたぶん……。」
ずっと無意識に考えてたと思う。そう吐露すると、ニコルは優しい笑みを浮かべながら、そう……と静かに相槌を打った。湿った空気を払うようにニコルは明るい声で話す。
「いやーでもさ、やっぱり2人いるってことは他にもいるのかね?転生者。日本人以外とかさ、そもそも年代が違う可能性もーってマリーはいつこっちにきた?」
はっとしたように聞いてくるニコルに何年に来たか言えば、同じだねと返される。
「うーん、あの同じ時間に何かが起きて何人かはわかんないけど、こっちの世界にきちゃったのかな?そもそも、この体の持ち主は私たちでいいのかねぇ。」
まぁ、私は気にしてないけどとあっけらかんに言う彼女は軽い気持ちだったのだろうが、マリーは驚いた。そんなこと考えもしなかった。単純に生まれ変わったらあるものがなくなって、ないものが出来てたくらいの感覚だった。
顔を青くしているマリーに気付いたニコルは急いでフォローするように言葉を足していく。
「いや、ね?オタク特有の豊かな想像力っていうか小説の定番っていうか、ね?フィクションの考えだから!うん。今生きてるのは私たち!この体を作り上げたのも私たち!今更、気にするようなもんでもないよ!?ね!!」
それでもあまり顔色の良くないマリーに、やっちゃったセカンドなどと考えているニコルはとりあえず話題を変えようと話を振る。
「いや、それにしてもさマリーちゃん見事に美少女だよね!男の子にモテモテなんじゃない?彼氏できた?彼女出来た?ていうか元男としてその辺どうなのよ!?」
わーわーと身ぶり手ぶりで話掛けるニコルの様子にクスリと笑みがこぼれる。確かに今更考えても仕方ないし、転生した理由と同じで知ってもどうにもならない。一生懸命話題を振ってくれているのなら、それに乗ろう。そう考えるくらいには、この世界に馴染んでいる。
「恋愛とかは……特に。たぶん良い所のお嬢様なので男の許嫁と結婚するんじゃないですかね?告白はされますけど、ここの世界結構貞操観念固そうですし。まぁ進んで彼氏作ろうとも思いませんよ。彼女は……、まぁ今女ですし。」
そう言うとニコルは目を大きく開いて意外だと言わんばかりにへぇーっと感嘆する。
「女よりも男の方が性転換って馴染めないイメージあるけど、そうでもないの?」
言われてみれば、男同士より女同士の方がハードルが低いように思えるかもしれない。というか見栄えの問題的に男同士より女同士の方が違和感がないだろう。
「どう……なんでしょう?まぁ元から男くさい性格でもないですし、前世も中学生で終わったから、その辺も関係してるんですかね?それに結局は今が女なので受け入れるしかないですよ。」
「達観してる中学生だなぁ~。」
「中身は成人してますよ?」
2人でクスクスと笑う。
「というか僕からしたら女から男もなかなかだと思いますよ?上半身裸とか無意味に恥ずかしくなったりしません?ていうか彼氏も彼女もいる方が驚きですよ。」
徐々に語気を荒げながら尋ねる。彼女もいたことのなかったマリーからすればいくら生まれ変わって性別が変わったと言ってもどっちの意味でも同性と関係を持つのは驚愕に値する。
「まぁー可愛い顔に生まれたのが一番だよね。正直、下に息子いる以外は違和感ないもん。元々セックスのときに突っ込まれる側が突っ込むはそんなに抵抗ないしね。逆だと抵抗ありそうだけど。」
「セッ……!?」
あけすけな言い方に思わず顔を赤く染める。童貞で処女なマリーには少々刺激が強い。
「男とは女の時の感性でヤれたし、女の子とヤるときは可愛い子ばっかりで目の癒しだったし、刺激あれば下半身使い物になるから問題なかったし……。もっと大きくなってホルモンに変化あったら男に反応しなくなるのかは分かんないけど。それよりもマリーちゃんでしょ。」
びしっと指をさして未だに頬を赤く染めているマリーを見つめる。思ったよりも真面目な表情なので思わずうっと息を止める。
「私は高校生でもうやることもやったし、つっこむ方に変わったからまだいいけどさ、そっちは反応見る限り童貞だったんでしょ?それが突っ込まれて、さらに子供が出来る体だよ?しかも良いところのお嬢さんだったら子供作るの、たぶん必須でしょ?生理とか来てる?大丈夫なの?」
生々しい表現に更に顔が赤くなる。誤魔化したいが、やはりニコルの表情は真剣そのもので、本当に心配しているのが分かる。元オタクで小説もたしなんでいるのなら、色んな作品で主人公の葛藤や苦悩を見たことがあるのだろう。
「正直なところ……わかんない、かな。生理はまだ来てないけど、道具とかは見たよ。今の時点で、もう男だった時と違うところ一杯あるしね。ただ、まぁ男の時に男に告白されたこともあるし、元々服をよくつくってて女の子の服良いなーとか思ってたから嫌悪感も思ったよりないんだよ。それ以上に女の子の方がオシャレ楽しいかなって思いもあるし、家族も優しい。今はお金も余裕があるから色んなこと楽しめる。だから、まぁ男と結婚するのはその代償っていうのも酷いかもしれないけど。……あんまり男らしすぎるのは勘弁して欲しいけどね。」
そう言って下を向いていた顔を上げてニコルの方を向くと、なぜか彼は涙ぐんでいた。一応ナナルが見ていることは頭に入っているのか抱き締めたりはしないが手がワキワキと動いている。
「うぅー。健気やぁーやっぱり男の子の方が辛いよー。ていうか前世で既に男に告白されてるとか、私より美形だったでしょうー!うぅーうへー。」
「いや、あのね?そんなに苦しいとか辛いとか思ってないよ?たぶん大きくなるまでは綺麗な体でいられるだろうし、今のところ傍にいる男の子はみんなむさ苦しさゼロで綺麗だから、行けるって!たぶんきっと大丈夫!うん。もっとホルモン分泌されたらナチュラルにいけるようになるって!」
励ましているのか、自分に言い聞かせているのか分からなくなっているが、これはマリーの本心でもあった。実は既に何回かアルに胸をときめかせた(正直、母性なのか恋愛なのかくべつがついていない)こともあるので、時間がたてばいけるだろうというのも本心なのだ。ゴルドみたいなのは無理だろうが。
それでもニコルの中ではマリーは悲劇のヒロインになっているのか悲しげな表情を浮かべている。妄想力がたくましいのも考えものだ。
「せめて前世が女の子で、今は男の子の人がいたらいいのにねぇ……。」
「いやーそれは逆にどうなんだろう……。まだしぶとく残ってる男のプライド的に。」
そんなことを話しつつ、持ってきたパンを軽く食べ終えると今度話したくなったら日本語の手紙で文通をしようということになった。問題はマリーの家へ手紙を出す手段だが、この世界にも郵便配達があるので住所を互いに控えて、どんどん表情が鬼に近づいているナナルと一緒に家へと帰る。
この時、マリーの頭からは今日のニコルと合う以前の出来事はすっかり忘れ去っていたのだった。
ついつい更新が遅れてしまう……。週休3日欲しいですね。