男と女
2/2に少し修正しました。
時間というものは楽しい時は早く、つまらない時ほど流れるのが遅いものだ。
マリーはいつものように登校し、入学した時よりも少しは広がった友人の輪の中でそれなりに楽しい時間を過ごしていたが、それ以上に放課後のニコルとの約束が気になってしょうがない。
もちろん人との会話を適当に流すような真似はしないが、いつもよりもどこか気だるげとでもいうのか、どこか憂いを帯びた様な表情をうかべるマリーに見かけた男子がソワソワしているのは可愛いものだ。
更にマリーには少し気になることがある。ルミウスのことだ。新学期が始まってから2日目だが未だに登校してきていないのだ。先生に尋ねたところ体調不良だと聞いているが、5年生の中頃から少々様子がおかしかったのだ。最初は落ち込んでいたので何か辛いことがったのかと尋ねたが結局何も教えてもらえず。更に時間が立つとやけにルミウスには似合わないニヤニヤとした表情を浮かべる事が多々あった。その後も時間経過とともに変化して行くルミウスに心配になって色々尋ねてみたが、何でもないの一点張りだった。それも後半になればなるほど笑顔で言われるものだから、マリーもそれ以上突っ込み辛く、そのまま長期休みに入ってしまったのだ。
(体調が悪いって雰囲気でもなかったけど……。)
しかし、心配と言っても学院には連絡が来ているし、進級してから来ていないと言ってもたった2日だ。普通だったら2日休んだ程度でこんなに心配していたら過保護だとからかわれてしまうだろう。
そんな風にマリーが思い耽っていると近くから声が聞こえてくる。
「マリー?ぼーっとしてるけど大丈夫?体調悪いの?」
声に反応して意識を外に戻すと目の前に心配そうに顔を覗き込んでいるアルがいた。どれくらい近いかと言えば、一緒に食事を取っている他のクラスメイトがキャーキャーと黄色い声を上げるくらいには近い。一歩間違えたらキスしてしまいそうだ。
そんな周りの興奮とは裏腹にマリーは冷静なものだ。そもそもアルは年々距離感が近くなっていたので無意識のうちにこの近さに慣らされている。マリーは素直にルミウスのことを相談しようかと思ったが、周りのクラスメイトはルミウスと特別仲が良いわけでも無いので病気かも、などと無責任に噂を流布させることに繋がりかねないことは避けた方が良いだろう。そう思ったマリーはとりあえず何でもないと言って食事に戻る。アルは多少訝しげだったが、今問い詰めるようなことでもないだろうと食事に戻った。
あっという間に放課後になる。アルにはちょっと予定があるから一緒に帰れないと告げ、昨日の約束の場所へと向かう。つもりだったが、約束の時間まで大分あるので図書館で時間を潰すことにした。
国内最高学府ということもあり貯蔵量が豊富な巨大で立派な図書館だ。授業でも使う事があり、生徒はみんなそこそこ使い慣れている。特に農家の娘やしがない商店の息子などの一般庶民達は無料で読み放題ということで娯楽小説などを良く借りているようだ。
マリーは真面目な学生だが、今の家はとても裕福なのでわざわざ学校で借りなくても家にある本だけでも十分足りている為、授業以外ではほとんど立ち入ることのない空間だ。しかし、前世ではどちらかと言えば貧しい生活をしていたマリーは学校の図書室というのは馴染み深く、入った瞬間から鼻に届く本独特の香りに小さく笑みが零れる。
特に借りたい本があるわけではないので適当に娯楽小説も読んでみようかと館内を適当に歩いてみる。 吹き抜けで4階分の高さを誇るこの図書館でやみくも歩いて探すのは、中々骨の折れる作業だ。たまにやる分には良いのかもしれないが、今は時間つぶしなのだ。そんなどれだけ時間が掛るのか分からない作業していられない。幸いというべきか、子供も来ることを考えれば当たり前か、お勧めコーナーと呼ばれるものがある。とりあえずそこを覗けばハズレはないだろう。
マリーはゆったりと歩いて、その場所を目指す。1階の中央部分にその場所はある。年齢別にお勧めが置いてあるのは司書さんの配慮なのだろう。小さい子向けのコーナーにおいてある絵本を見て、過去を思い出す。よく兄達がこぞって読み聞かせをしてくれたものだ。時には兄弟全員参加の劇のようになったこともあった。今では長男は結婚し、次男は婚約者と結婚秒読みまで行っている為、再び劇を見るのは難しそうだが。
大分絞ってあるお勧めコーナーだが、それでもそこそこの量がある。どれにしようかと本棚を眺めてみる。読んだことある本もあれば、似てるだけで違う本も、全く見たことも無い本もあった。その中で特にマリーの目を引いたものがあった。
本棚に仕舞っている段階では背表紙しか見えないのだが、既にその背表紙が独特のデザインをしている。他の本に比べると多少よれている印象を与えるものだが、細かい金のデザインが施されており、どことなく上品な印象を与える。しかし、一番気になったのは背表紙ではない。本の間に挟まれているらしい銀の栞だ。誰かが挟んだまま誤って返却してしまったのだろうか。しかし本の整理は外部の人間を雇って行っているので、こんな風にはみ出した栞を入れっぱなしというのは可能性としてはほとんどない。
マリーは本棚からその本を取り出す。想像していたよりもずっと軽い。本の表紙も他の本に比べると大分薄く、固さが無い。よっぽど読み込まれたものなのだろうか。
そっと優しく本を開く。開くのはもちろん栞の挟んである場所だ。そこに書いてある文章は……。
「途中、までしか……出来てない?」
そう、開いた2ページの途中までで文章が途切れている。それも綺麗に終わっている訳でもなく、最後の文字などまだ文字自体が完成していない。完全に書き掛けだ。
どうしてこんな本が置いてあるのか、気になってその場で冒頭を読んでみる。……典型的な冒険譚のようだ。真面目だけど弱気な主人公が村のピンチに立ちあがって魔物退治に向かう、といった話のようだ。ページを大分飛ばして最後の所を見てみる。書き掛けの文章のラストは主人公と恋仲になる予定であろうヒロインの登場シーンだ。どうや直に書いているようで何か所も消した後が残っている。
「誰かの書いてる物、なのかな?」
もしかしたら誰かが間違って置いてしまったのかもしれない。それならば職員室か司書さんのいるカウンターにでも届けた方が良いだろう。そう思ったマリーは手に取ったその本を胸に抱いて、その場から離れる。
するとカウンターのそばにはマリーの苦手な人物が威風堂々という言葉が似合いそうな状態で立っていた。元来マリーはあまりこの人が嫌い、というのはない。ちょっと苦手な人はいたが嫌いという人はいないのだ。つまりこの人物はその少数派に属する人物ということだ。
彼の名前はボルド。マリーの二つ上、14歳の男の子だ。14歳とは思えない長身にギリギリ筋肉野郎の仲間に入らない程度の筋肉、ディルよりも更に濃い褐色の肌、鋭い眼光に短めの眉毛が前世でよく見かけたヤンキーを彷彿とさせる。ソフトモヒカンの金髪に斑に入った黒いメッシュが入った獰猛な野獣のようなイメージを抱く。
彼はマリーに何度もアタックを掛けている。アルのような純粋な好意ではなく、ディルへの当てつけや学院でも有名なマリーを手に入れたいと言うような欲求が先に来るような思いだ。今のところ想像よりは強引な手段で迫られたことはないが、良くない噂があるうえに異様に距離が近く、ボディタッチが多いのだ。おそらく既に女慣れをしているのだろう。痴漢とボディタッチの境界を彷徨うような絶妙な距離感は下手に怒ることをためらわせる。マリーは前世が男であることもあってそこまでタッチに敏感ではないし、アルやディルがさりげなくガードしてくれているので肉体的被害は今のところ無い。
マリーは踵を返して出口へと向かう。絡まれたら面倒だし職員室に渡しに行こう。そう思い、出口へと歩き出したその瞬間、ボルドが偶然振り返り、マリーに気付いてしまった。彼はニヤリと獰猛と呼んで差し支えない笑みを浮かべて静かにマリーへと近寄る。しかし、静かに歩いたところであの身長に体格。どうしても隠しきれないものが出てしまう。10歩ほど歩いたところでマリーはチラリと後ろを振り返る。
いる。今、私の後ろにあの人が付いてきている。そう気付いてしまうと自然と足が速くなる。
もし今、手や肩を掴まれたら振りほどけない。もちろん学院内の図書館だ。ひどいことはされないだろうが、それなりの時間をここで過ごしたマリーは今足止めをくらってしまうと約束の時間に間に合わなくなってしまう可能性が非常に高い。
また、チラリと後ろに目線をやると明らかに先ほどよりも距離を詰められている。目の前はもう出口が、気持ちだけ少し足を更に早める。扉を通って通り廊下に出る。それなりに遅い時間なので人は誰もいない。ただ窓から差し込む夕焼けに赤く染まる廊下があるだけだった。
図書館を出たことで静かにすることを辞めたのか、男らしい足音が響く。男性にはわかりづらいかもしれないが、女性が親しくない自分よりたくましい男性に追いかけられるというのは、非常に怖いものだ。 心臓が激しく運動し始める。ボルドが乱暴してくる訳ではないだろう。それでも怖いと思ってしまうのだ。
マリーは普段はしないであろう行為、廊下を走るという行動に出た。長いスカートが邪魔だが、流石女生徒を走って追いかけるほど頭の悪い男ではないと信じたい。マリーは全速力とは言わないまでも、駆け足で校門に向かう。そこにちょうどタイミングを見計らったように車が来た。マリーは急いでその車に乗ると、バクバクと走る心臓を宥めながら目的地へと向かう。
「はぁ、はぁ……はあぁー……。」
マリーは呼吸を整えて、最後に思い切り息を深く吐く。まだ心臓はうるさいし、手は少し汗ばんでいる。と、そこで本を胸に抱きしめたまま来てしまったことに気付く。それくらい恐怖を感じてしまっていたのだ。男の時には人に追われることでここまで怖がることはなかった。
マリーは目的地の停留所で待っているナナルに早く会いたいと思った。
次回以降の伏線ってほどでもないですけど準備回です。