続・放課後
「まったく、俺を置いていくなんて不義理なやつだなぁ。」
やれやれ、と首を左右に振りながらやってきたディルにアルは「はいはいごめんね」と棒読みのお手本のような謝罪をした。ディルの方も本気で怒っているわけではないので「許してやろう」などと軽口を交わして、この件は終わりということになった。
マリーとしては2人のやり取りの気易さに羨望のような思いを抱いているのだが、性差があり、なおかつそれなりの身分でここまでの気易さを求めるのは贅沢なんだろうと自己完結していた。クラスメイトの女子とは一応話すくらいの仲にはなっているし、私はボッチではない。そう自分に言い聞かせてウンウンと頷く。
3人で揃ったところで目の前のお店へと入る。なかなかにファンシーな雰囲気のお店だ。白とピンクをベースにした内装はふんわりとした可愛いらしい装いで、男だけでは入りにくそうだ。そのお店に先頭を切って入れるディルの精神の図太さにはマリーも感服だ。まぁ、先ほどから見ている女性への対応を見れば、よく他の女性と来店してるのかもしれない。
まぁ、いいか。と意識を店に戻す。誘導された席は通りに面しておらず、静かだ。眩しい光に満ちている、ということはないが木漏れ日が差し込むテラスにセットされたテーブルと椅子はそれだけで、どこかの舞台のような可憐さがあった。
椅子に座ればすぐに温かい紅茶が振る舞われる。何も注文していないのでウエルカムティーといったところか。優しい果物の香りのする紅茶に舌鼓を打つ。香りも素晴らしいが入れている容器も白地に小さく花をあしらった可愛らしいデザインで、見ているだけでも心が和む。
これだけ良いものが無料で出てくるのだ。おそらく高貴な身分からしたら大分安いのだろうけれど、一般庶民の人からしたら贅沢なものなのだろうと予想出来る。それでも入ってすぐに客席がすべて埋まっていたということは相当人気なお店なのだろう。
マリーはこのお店を紹介してくれたディルに聞けば早いかと、早速質問をしてみる。
「ねぇ、ここって有名なケーキ屋さんなんでしょう?」
マリーが紅茶に夢中な間に注文を済ませていたディルは、紅茶に口を付けて、完全にリラックスモードだった。飲んでいた紅茶をほとんど音も無くソッと置く。アルもお店の印象が良かったのだろう。身を乗り出すようなことはしないが目線はしっかりディルへと向いている。
「そうだ。特にここの席は人気でな、初めて来店した人はまずここの席には通されないんだ。俺はここの顔馴染みだし、家で出資もしてるからな、特別に通してもらった。この雰囲気はマリーにぴったりだと思ったから是非連れて来たかったんだ。」
そう言いながらマリーの手をさりげなく握る手腕に苦笑せざるを得ない。姫様扱いは流石に慣れてしまったが、未だに自分に対してやって意味ある?という気持ちにならないでもない。
アルはすぐに大きめの咳払いをする。あからさまな威嚇にディルはにやりと微笑むが、何事もなかったかのように手を離す。一口紅茶を飲んで口を湿らせる。
「それに雰囲気だけじゃなくて味も確かなんだぞ?まぁそれはこの紅茶を飲めばわかると思うが。」
そう言いながら、また一口。自分の家が出資していることもあり、自慢げだ。ライバル視しているアルからすれば、あまりディルのことを褒めたくはないのだが、自分の舌に嘘は付けなかったようで「確かに……」と小さく言葉を零す。
そうこう話ているとディルご自慢のケーキが運ばれてくる。家でもそこそこの頻度でデザートは出るし、学食も毎日小さいデザートがついてくる。マリーもアルもケーキは特別珍しいものではないが、それでも見惚れてしまうようなケーキがテーブルへと運ばれる。1人1皿ではなく、3人で1皿で一つの大きな更に5つの小ぶりなケーキが乗っている。ひとつとして同じケーキは乗っていない。そして5つ全てが美しいデザインだ。
デザートがふんだんに使われ、果物の宝石箱のように輝くタルト。全体的に白で構成され、ポイントで淡い桃色のクリームと花弁が添えられた丸いケーキ。青という日本人なら引いてしまいそうな色なのに、エーゲ海のように透き通った青の上に飾られた見事な飴細工を合わさって芸術品のような上品さを感じさせるゼリームース。おそらくチョコベースであろうハート形ケーキには赤と紫のソールで美しい曲線が描かれて、更に金箔のような粉が散って、まるで銀河のようだ。朱色のロールケーキらしきものは中に入っているクリームが黒に近い紫で、一体どんな味なのか想像が出来ない。一見ダークな印象だが、添えてある白とレモン色のクリームによって描かれたリーフによって可愛らしさもある。
「すごい綺麗……。食べるのが勿体ないね……。」
現代日本にいた時代にも十分すごいケーキを見てきたマリーでも、思わず惚けてしまうほどだった。それはアルも同じようで、先ほどのとげのある顔から一転、純粋に感動したような顔でケーキを見つめる。
そんな2人の様子を見てディルもご満悦だ。ふふんと鼻を鳴らして胸をはる。
「綺麗で思わず見惚れるのもわかるけど、食べちゃおうぜ。特にこのロールケーキはまだ温かいんだ。冷める前に食べよう。マルーはどれが食べたい?」
ディル問いかけにマリーはうーんと唸りながら悩む。
「どれもおいしそうだから悩んじゃうなぁ。……ちょっとお行儀悪いけど全部ちょっとずつ食べたいなぁ。」
チラっと上目遣いでディルの目を覗く。おいしいものは分け合いたい。その感覚は昔から抜けることなくマリーの中にある。ディルは多少面をくらったようだが頷き、アルは既に小皿とナイフを用意していた。
ここで、高級料理店ならば、ウエイターなりコックなりが出てきて切り分けそうなモノだが、ここは庶民も利用するちょっと贅沢なお店だ。声を掛ければやってくれるだろうが、会話を盗み聞いて、わざわざ客席まで来てカットしたりはしない。
傍に控えているメイドや執事は何かあったらすぐに動けるようにはしているが、主が自分でやりたがっていることを無理矢理奪うようなことはしない。
「マリーのお願いじゃ断れないな。じゃあ全部三等分にするか?」
「でも、ケーキで三等分って上に飾ってるものも考えると微妙に難しくないか?」
アルの意見ももっともだったので全部を少しずつフォークで削るように食べ合う。公式の場だったら怒られそうな、でも楽しそうな食事会はほのぼのと進行した。
「あー……。おいしいね。うふふ。」
マリーは思わず零れてしまった、と言った感じに笑みを浮かべる。いつもの綺麗な微笑みというよりは、頬が緩んだという表現の方が正しいような気がする。顔がとろとろにとろけてしまっている。
「確かに……。あの朱色のケーキがまさかあんな味だとは思わなかったなぁ。新しいよ。」
アルも、しみじみとケーキの感想を言う。2人とも満足そうにケーキの余韻を噛み締めている。そんな2人の様子にディルは満足気だ。
「マリーが……2人とも満足してくれて嬉しいよ。でも、アルはせっかく女の子をエスコートするつもりだったならもうちょっと色々調べておくべきだったんじゃないか?」
優雅に紅茶を口に手に持ちながらフフと笑い声を漏らす。その言葉にアルは少しカチンと来たが、正論でなおかつ今はケーキで気分が良いので冷たい一瞥をくれやると紅茶を一口飲んでふぅーと一息吐く。そんな様子にマリーは微笑ましい気分になる。初めて会ってからもう5年以上たったが、やはり根っこの部分は簡単には変わらないな、と1人心の中で考えていた。
「……ちょっとお花摘んでくるね。」
席を立ちながら言うと2人とも一瞬で何のことか分かり、首を縦に振って紅茶をまた口に含んでマリーを見送る。マリーが向かう先はお手洗いだ。
マリーとしては未だに花を摘んでくるという表現が苦手だ。出来ればちょっと失礼、くらいで済ませておきたいもだ。しかし、そうも言ってられない。どこに何をしに行くのか告げなければ色々と対策できないのだ。
たとえばトイレに行くと知らずに席を外し、しばらく時間が掛ったとして、どれくらい時間がたったら心配すべきか、誰を派遣して探させるべきかなどが分からないのだ。
このあたりは治安がいいとは言え、犯罪率がゼロではないのだ。ましてやマリーは美少女で金持ちの娘。誘拐される可能性は十分に高い。もちろんメイドは静かについていくが、それでも待っている人間を安心させる、という意味でも大事なことなのだ。
花を摘んでくると言われた黙って頷いて見送るのがマナーなのだ。
「はぁ。それにしても本当においしいケーキだったなぁ。家に買ってかえろうかな?ナナルはどう思う?今さらお母様達にはいらないかな?」
「そうですね、マリーお嬢様が買っていかれたものなら何でもお喜びなるかと思います。」
テンプレのような返事で悩むところだが、物心ついたころからずっと一緒のナナルの言う事である。こんなところで嘘をつくような子ではないのは分かっているので、その言葉を信じてケーキを何個か買って帰ろう。そう決めたマリーはさっさとトイレを入る。豪華なトイレだ、マリーがそう感じる程度には装飾の施された良い香りのトイレだ。とは言っても流石に日本では男子トイレしか知らないマリーからしたら余計に豪華に感じている。おそらく日本の女性が見たら「あ、ちょっといいところのトイレっぽい」というくらいで済むかもしれない。
(あーこっちの世界のトイレも普通に洋式トイレでよかった。)
便座に座りながら、そんなことを考える。そこに照れはない。なんだかんだで10年以上この女体と付き合ってきたのだ。お風呂も照れないしトイレもなんのそのだ。女性物の小さい下着だって前世では母親と妹の洗濯をしていたので今更だ。
ただ、日本とちがうのはトイレットペーパーくらいだろうか。ロール式は存在しておらず、手を洗う場所によく付いている一枚一枚引きぬくタイプの紙が置いてある。紙質はマリーのいくところならば大抵柔らかく、前世のものと大差ないのだが。
用を済ませ、手を洗う。流しの傍には、ハンドソープと消毒液が置いてある。ちなみに転生物でありがちな石鹸、シャンプーが高い、ということはない。もちろん質の差はあるが、それでもどの家庭でも普及している者であり、若い子のバイトの定番として石鹸作りがあるくらいだ。閑話休題。手早く手を洗って備え付けの紙で拭こうと手を伸ばした時にコトンと音がした。
何かがマリーの手にあったようで、置き場所がずれてしまったようだ。マリーはとりあえず手を拭いて紙を捨ててからぶつかったものを元に戻そうと音源を見る。そこには店の雰囲気にあった金で縁取られた白い陶器のオルゴールの箱のようなものがあった。
「何だろう……。家では置いてないし、学院でも見たことないなぁ。忘れ物ってことはないだろうし。」
よくレストランとかに置いてある爪楊枝や脂取り紙のようなものだろうか。なんとなく興味の湧いたマリーはそっと箱を開けてみる。
中にはコットン、何かの紙、そして白い何かが入っていた。
「なんだろう……。コットンはまぁわかるとして……この紙は脂取り紙でいいのかな?この世界にもあるのか。でもこの白いのは何だろう?テープで留めてある。」
流石に開けるようなことはしないが、白い何かをくるくるとまわしながら眺めてみるが、用途は相変わらず分からない。
「うーん、気になるなぁ。ナナルに聞いてみようかな?」
普段行かない場所だからだろうか、マリーは気になってしまいナナルを呼ぶことにする。トイレの外で待っているナナルをそっと呼び出し、中へと入れる。
「ねぇナナル。これが何か分かる?」
そう言いながら白い何かを渡す。すると、受け取ったナナルは少し驚いたような顔をするとコホンとひとつ咳払いをして一言。
「ナプキンでございます。」
ナプキン?なぷきん?napkin?ほわわーんと頭の中にレストランで見かける紙ナプキンを思い浮かべる。しかし、場所はトイレ。しかもわざわざテープで留めてあるのだ。違うだろう。……しばらく間をおいてマリーも流石に思い至った。
「あぁ……なるほど。」
どこか達観したような表情でナプキンを眺める。
「お嬢様はまだ変髪が始まっていませんが、そろそろ必要になる頃合いですね。早い方だともう始まっている年齢ですし。早いものです。」
しみじみと時間の流れを噛みしめるナナルに、マリーは大したリアクションもせずに黙っている。
「お嬢様も生理については既に習っていらっしゃいますよね?子供を作れるようになるのに必要なものですので、大体変髪する成長段階に入ったら大抵始まるのですよ。」
などと説明をしてくれているが、あまり頭に入ってこない。
(あーそうだよね。今、女の子だもんね。来るよね。お母さん大変そうだったもんなぁ。)
色んな女体化に伴うあれそれを体験してきたマリーだが、一番想像も出来ないのが生理だった。なんせ男では絶対に体験することのないことで、うっかり女性がその話題を始めたら気まずくなるなること間違いないのだ。
(胸だって、局部だって長い時間かけて慣れてきたけど……流石に生理はなぁ。突然来て血がでるんだよなぁ?無理でしょ……そんなの痔しか連想できないよ。なんで血が出るんだろうなぁ。いや、原理自体は知ってるけどさ。)
なんとも言えない寂寥感に襲われて乾いた笑みを浮かべる。
「お嬢様、そろそろ席に戻られた方がよろしいかと……。少々長めになってしまいました。」
その言葉に従ってマリーはトイレを後にする。ケーキを食べて上がったテンションはだだ下がりだった。
男と女の気持の差が難しい!男の人ってどこまで生理に関して忌避感みたいなのあるんですかね?
あとこの作品は普通に生理ネタ入るので、苦手な方は薄目で読んでください。女になったら逃げられないものなので避けません。
あと予想より進みませんでした。ケーキ解説しすぎですかね。次回でどこまで書こうか悩みますね。