初登校。
「マリー……気を付けるのよ?困ったことがあったら遠慮なくお兄様達か先生を頼りなさい。」
心配気な瞳で見つめるリディアに殊勝な態度で頷く。
今日はマリーの初登校日だ。この間の入学式は自家用車で家族で行ったが、通常授業の始まる今日からは学校行きの車、スクールバスのような物で通うことになる。とは言っても、座る場所こそ指定は無いが人数分しっかり席が確保されている仕様なのですし詰め状態とは程遠い存在だ。本来ならば車酔いもしないマリーはそんなに心配するようなものではないのだが、いかんせん初めての目に入れても痛くない娘。親の手を離れて移動するだけでも大事件なのだ。
「お母様、安心してください。マリーの周りは私達がしっかり確保して、不逞の輩には指一本触れさせません。」
四男のナディが、そう声を掛けると少し安心したのか表情が和らぐ。
「そうね。ナディとハルはまだマリーと一緒に登校できるから安心ね。」
「そもそも、学院に来る人にそんな変な人いないですよ。」
五男のハルの言葉に「それもそうね」と返し今度こそ完全に落ち着く。車が来るまでまだ時間があるため5人はもう少しだけ話しをしてマリーの緊張をほぐすつもりだ。マリー自身、前世では徒歩通学しかしたことが無いため車で学院に通うのは多少緊張するのだ。
この場にいるのはこの5人だけだ。ギル、シェリー、ダイの3人は既に役員やクラブでの活動が忙しいためマリーと一緒に登校することができない。そのことを知ったマリーが悲しそうな目をしたためひと悶着があったのだが、それは割愛しよう。
「お兄様、学院で気を付けることってありますか?」
日常の話しを色々と話していたが、やはり学院内で変な目立ち方をするのは勘弁だ、とマリーは在学生である兄2人に話しを振る。その質問に対し、2人は互いに目を合わせた後にナディのほうが話し始める。
「うーん家で習ってることを忘れなければ、まず大丈夫だと思うよ?あとの細かいことは学院で先生が教えてくれるし。……あっ!そういえばマリーの担当は誰だっけ?」
「クレイオル先生です。こう、団子頭をぴっちり固めた……。」
ナディの問いに対し、自分の髪の毛をまとめるような仕草をして応えるマリーに一瞬だけ場がなごむが、すぐにハッとなって顔をしかめる。
「クレイオル先生かぁ……。良い先生なんだけどねぇ。」
「うん。確かにすごい為になるんだけど。」
どこか気まずそうに言い淀む2人に対し、ニコニコと笑みを浮かべるリディア。その反応に対し頭の上にクエッションマークを浮かべる。
「良い先生……なんですよね?何か悪い噂でも……。」
不安そうに揺れる瞳に良心を痛めたのか、慌てて2人が両手を振りながら否定をする。リディアは相変わらずニコニコと笑みを浮かべるだけだ。
「ふふふ。2人ともちょっとトラウマになってるだけよね?……ふふふふ。」
笑みを抑えきれなくなったのか、少しだけ開いてしまった口元を隠すように笑う。そのリディアの言葉に兄2人はバツの悪そうな表情を浮かべるが、肺が空になるくらい溜息を吐くと目線を合わせることなく、少し早口で説明をする。
「あーっと、クレイオル先生はなぁ、ちょーーーっとだけ厳しいんだよ。主に校則関係が……な?」
「……うん。」
2人ともバッチリ怒られた過去があるのか顔色が良くない。特にナディは冷や汗をかいている。そこまで激しい反応を示す2人にマリーも不安になってくる。もしや、ムチでも振るうような昔の漫画に出てくるスパルタ教師のような人なのか、引きづられるようにマリーも顔色を悪くする。
「大丈夫よマリー。ちゃんと校則を守る子には優しい先生ですからね。私も昔、通っていたときに注意されたことはありますが、よほど悪いことをしない限りは大丈夫よ。」
よほど悪いことをしない限り、ということはトラウマがばっちり埋め込まれている兄2人はどんな悪いことをしたんだ、と胡乱気な目で見ると視線に気づいてハルが必死に反論しようとする。
「お母様!その言い方では、まるで僕たちが極悪人のようではないですか!?」
と言ったところで迎えの車が来た。バス、というよりは形状だけなら新幹線のほう近いだろう。水色ベースに銀フレームの眩しい清潔感と高級感を兼ね備えたデザインだ。この世界の中世時代と現代日本が混ざったような雰囲気は、その二つは別物だと先に認識しているマリーからすると違和感が残る。
リディアは未だに良い募ろうとするハルを宥めて車へと背中を押す。
「はいはい。話しの続きは車の中で。じゃあ気をつけてね?」
3人を乗せた車のドアが閉まり、ドアの外でリディアが手を振りながら見送る。マリーも窓越しに手を振り返すが、あっという間にリディアの姿は小さくなっていった。
マリーが手を振るのを見守っていたナディはマリーが最後まで手を振ったのを確認すると移動するように促す。特に否定する理由も無いのでマリーもナディに大人しく付いていく。ハルはまだ何か言いたそうだったが、車内で騒ぐつもりはないのだろう、マリーを前後で挟むように並んで車内を歩く。
車内はまるで漫画喫茶の個室のようだった。全体的に外装と同じように水色と銀色系統で統一されている。床は白いコルクのような素材で足音がほとんどせず、衝撃が吸収されているような感覚がする。壁は家の中とあまり変わらず、大きめの窓には空色のカーテンがついている。車内にしては広い廊下の片側に光沢のある水色のドアがいくつもあり、それぞれ個室になっていることが分かる。小窓があるため中の様子が伺える。複数人で座っている者、1人で座っている者、さまざまだが皆リラックスしているようだ。
少し歩くと空席になっている場所を見つけたナディがドアを開ける。
「マリーおいで、こっちだよ。」
中に入ると左右で向かい合うようにソファーが設置されており、小さなテーブルも置いてある。何よりマリーが驚いたのは両脇に2段ベッドがあることだ。
「お兄様!ベッド!ベッドがあります!何故、通学用なのにあるのですか?」
興奮したようなマリーの問いに後から入ってきたアルが得意げな顔で応える。
「それはね、課外学習で遠くに行くときにここで寝れるようにしてるんだよ。」
つまり、寝台列車の役目もあるのかとマリーは納得する。トテトテと歩いてベッドに触れてみる。家の物には劣るがフカフカとしていて気持ちが良い。確実に前世の布団よりも良いものだろう。そんなところに格差社会を感じつつ、ソファも触ってみる。柔らかすぎず、硬すぎず、適度に体の休まる硬度のようだ。手でグイっと座る部分を押してみる。低反発枕に少し似ているような気もするが、しっかり跳ね返ってくる感覚もする。兄2人がいなかったら跳ねて遊んでいたかも知れない。テーブルも窓から入る光を反射して輝いている。脇にはチェストのようなものがあり、花が飾られている。しばらくわきわきと色々調べていたマリーだが、ハッとしてドアの方へと振り返った。
そこにはちょっと外で女の子には見せられない弛みきった顔した兄2人がいた。
マリーは自分の車内でのはしゃぎっぷりを思い出して顔を真っ赤に染める。それすらも可愛いとしか思わないのか兄2人はそっとマリーに近寄ると髪が乱れない程度に頭を撫でて席へと座る。マリーもここへおいでとナディが自分の席の隣をポンポンと優しく叩くと、マリーは顔を赤らめたままツツツと移動して席に大人しく座った。両手は膝の上でギュッと握られている。
そんなマリーの前へとコツンと何かが置かれる。視線を少しだけ上げて、自分の前を見てみるとオレンジ色の飲み物が注がれたグラスが置いてあった。これは何だと目の前にいるハルへと視線をやると、ハルの手には紅茶ポットよりも少し大きい程度の透明のポットがあった。そこから注がれたのだろう。マリーが質問するより早くハルが説明する。
「各部屋には飲み物と軽食があってね、自由に飲食して良いんだ。」
そう言いながら左手が指し示すのは、チェストらしきものだ。どうやらアレは冷蔵庫の役目も果たせるらしい。一口飲んでみると、爽やかな初夏の香りが広がった。よく冷えており、先ほど火照った頬が元の白磁のような肌へと戻る。思わず、ほふぅと息を吐く。
「で、さっきの俺達が悪いことしたみたいな話しだけど。」
「あ、はい。」
マリーは車内でのカルチャーショックで忘れかけていたのだが、兄としては自分の情けないところや悪いところは知られたくないのだろう、先ほどの話しを掘り返す。
「別に、人を悲しませるようなことをしたわけじゃないんだ。ただ、武術の授業の後に急いで行かなきゃいけない用があって、その、ちょっと着替えの時の身だしなみが完璧じゃなかったんだ。そしたらクレイオル先生にその状態で見つかっちゃって、汚れが落ちてない+制服をキチンと来ていない+廊下を急ぎ足で移動しないの3つが重なって、すっごい怒られたんだよ……。でも、誰かを傷つけたり犯罪を犯したわけじゃないからな!」
ちなみに服装はちょっと乱れているどころではなかったことをここに記しておく。
ともかく、ハルとしては妹に犯罪紛いの悪事を働いたと思われる方が辛かったようだ。ナディもハルに乗っかるように話し始める。
「まぁ俺も似たようなものかなぁ。ちょっと制服にアレンジを入れてみたんだ。別に切ったり、染めたりしたわけじゃないんだぞ?ちょーっと刺繍を入れたり、ちょーっとリボンを足したり、ちょーっと結んだり折ったりしただけなんだ。でも、校則には本当に厳しい人だから、すっごい怒られた。」
ナディのほうは納得いかない、という不満が隠せないらしくブツブツと何か言っている。マリーはそんなナディの状態は軽やかにスルーして自分の制服姿を見降ろす。……校則通りのアレンジの一切無い着こなしだ。
「んー?はは、マリーのその状態なら大丈夫だよ。ただ、これから暑くなる季節が来たときにシャツのボタンをうっかり開けたりするとクレイオル先生の小言が飛んでくるよ。」
どうやら、生活態度や服装に厳しい先生のようだ。他の科目などはそれぞれ別に先生が付くそうなので、そちらには口を出さないようにしているのだろう。ナディはブツブツ言うのをやめて、はぁーと大きな口を開けて溜息を吐いた。
「あー俺13歳だし、役員に立候補しよ。やっぱりそうしよう。うん。」
「役員?役員ってなんですか?何かあるんですか?」
その一言にマリーが反応する。話しの流れ的に役員とやらになったら校則が緩くなるのだろうか。ナディが少し得意気な顔して説明を始める。
「役員ってのは役職持ちの生徒のこと。生徒会、風紀会、情報会、福祉会、武術会、知学会、芸術会の7つある会に入ってるメンバーなんだ。ちなみにギル兄さんは生徒会、シェリー兄さんが知学会、ダイ兄さんは武術会だよ。」
そこまで説明すると、一口ドリンクを飲んで喉を潤す。そしてハルが説明を引き継ぐ。
「それでね、会に入ると特別な制服が支給されるんだ。と言っても着用が許されるのは学院内だけだけど。で、その制服はアレンジが自由なんだよ。」
「へぇー。それは誰でも入れるんですか?」
ナディが随分簡単そうに入ると言っていた為、質問してみる。だが、答えは否だった。どうやらどの会に入るにしても先生と現役員の推薦が必要なんだそうだ。そしてナディは学内、特に同学年の間では相当人望があるらしく芸術会か情報会なら確実に入れるそうだ。
「結構面倒な仕事もあるし、いいかなぁと思っていたけど、やっぱり美に関することの妥協は良くないよな。」
うんうんと1人で納得する。どうやら今回話したことにより、制服をアレンジしたい欲が高まったらしい。だが、そんなことよりもマリーにとって重要だったのはその後だった。
「13歳からだけど、たぶんアルも入るようになるんじゃないかな?」
「え、アルもですか?」
「だって、アル次席でしょ?それであの家で、三男で、マリーと……でしょ?箔付けるためにも入るべきだし、たぶんアルの性格と実力なら周りが放っておかないよ。」
確かに、とマリーは思案する。どうやら人望が必要なようだが、アルはマリーの前でこそ可愛いところを見せているが、パーティーなどでは7歳には見えない大人びた態度で臨んでいるようだし、学院のテストでも次席だ。優しいし、家だって立派だ。そして三男。これは放っては置かないだろう。
「……ハルお兄様。役員になったら忙しいんですか?」
「んー。まぁ忙しいよね。将来の練習も兼ねてるから、結構大事な仕事も回ってくるらしいし、同じく役員とかにならないと結構すれ違う生活になっちゃうかもねぇ。」
授業中は私語厳禁で休み時間は移動で結構時間とられちゃうし、と続く言葉を聞きながらマリーは想像をする。受験期間の会えなかったときでさえ寂しくなったのだ。さらに友達もそんなに増やせる自信はないし、アルというこの人生で一番の友人と距離を置くと考えるのは不安要素でしかない。ポンポン友達が増やせるような人間ならコミュ障にならない。その上、何年もアルとほとんど会話出来ない、遊びにも行けないのが続くだなんて……。元々がネガティブなマリーはその想像が卒業式で遠くの方で人に囲まれて、自分が全く近寄れずそのまま疎遠になるところまで行った。
そこまで想像して顔色を悪くしたマリーを見て、やりすぎた!と焦ったハルは慌ててフォローに入る。
「だ、大丈夫だよ。役員になっても毎日家には帰るし、長期休暇だってあるんだから!そもそも昼ごはん食べる時とか一緒に過ごせるよ。」
必死にフォローするがネガティブスイッチが入ってしまったマリーにはまだ足りないようだ。
「でもギルお兄様は長期休暇の時も、たまに学院に行ってました……。しかも結構突然。そんな状態じゃやっぱり難しいんじゃ……。」
「大丈夫だマリー!マリーも役員になればいい!マリーならなれる!」
フォローがうまくいかないハルが焦りを更に増した時、ナディの一声が響いた。その一言にハルもマリーもナディの方へと向く。ハルはすぐに、これだ!と思い乗っかる。
「そうだよ、同じ役員になれば一緒に行動する時間も増えるし、特典いっぱいだよ!マリーは女子で成績一番だったんだから大丈夫!」
2人に励まされたマリーはやっとネガティブ世界から返ってきた。その眼には今までにない熱い炎が宿っている。
「……私、役員になれるように頑張ります!」
その一言に、ハルとナディは「そうだ!」「マリーならやれる!」と励ましつつ、そこまで一緒にいたいと思っているなんて、友達はこれから増えるだろうに……と思うコミュ力お化け2人。
マリーのアルへの想いはまだ、恋心にはまだまだ遠い?
まさかの登校風景だけで1話が終わる事案。
前書き邪魔だなって思ったので、今度からあとがきだけにしようかと思います。あと挿絵というかキャラ紹介絵いれようかと思っていますが、需要ないですかねぇ。無い方が想像膨らみますか?