魔王を倒した俺を王国が始末しようとしたので、国を滅ぼして三人の王女と遠い国でメイドカフェを始めました 第二部
この物語の設定やキャラクターたちには、まだいろいろな出来事や新しい状況を描けそうだと感じたので、続きを書いてみました。
今回は、アレンたちのメイドカフェで起こる新たな騒動や出会いを描いています。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
王都エスタリアを滅ぼしてから、半年。
そして――俺たちが《ROYAL MAID CAFÉ》を開店してからも、半年が過ぎていた。
正直に言おう。
店は、俺が想像していた以上に繁盛している。
その日の朝も、店内にある二十席のテーブルはほぼ満席だった。
挽きたてのコーヒーの香り。
焼き上がったばかりのパン。
バターとシナモンの甘い匂い。
客たちの楽しそうな話し声に、カップとスプーンが触れ合う音。
窓の外を見ると、開店して間もないというのに、すでに何人もの客が順番を待っていた。
俺はその光景を見ながら、自然と口元を緩めた。
悪くない。
いや。
かなりいい。
俺の名前は、アレン・キサラギ。
元々は日本人だった。
ある日突然、エスタリア王国に勇者として召喚され、魔王を倒すために三年間戦わされた。
そして、魔王を倒した。
普通ならそこで、めでたしめでたし。
……となるはずだった。
だが、俺を待っていたのは祝福ではなかった。
強すぎる力を持った勇者を恐れたエスタリア王国は、俺を密かに始末しようとした。
だから俺は――
エスタリアを滅ぼした。
その時、俺は魔王から奪った力の一つを使った。
《絶対支配》。
対象の記憶や人格を消す力ではない。
だが、その者の忠誠の中心を書き換えることができる。
俺はその力を、エスタリアの三人の王女に使った。
第一王女シャルロット。
第二王女アメリア。
第三王女ロゼリア。
彼女たちは自分が誰なのか覚えている。
父親のことも。
国のことも。
俺がエスタリアを滅ぼしたことも。
全部だ。
それでも今、彼女たちの忠誠は俺に向いている。
そしてもう一人。
リリア。
彼女だけは違う。
エスタリア王宮で本物の侍女として働いていた彼女に、《絶対支配》を使ったことは一度もない。
リリアは自分の意思で俺についてきた。
そうして俺たちは遠く離れたアルカディア王国の都市セレスにたどり着き――
俺は前世から一度やってみたかった夢を叶えた。
メイドカフェを開いたのだ。
王になりたいわけじゃない。
領地もいらない。
軍隊なんて二度と持ちたくない。
欲しかったのは、自分で選んだ仕事。
自分の店。
それだけだった。
そして、その夢は成功した。
少し成功しすぎたくらいに。
「アレン様」
声をかけられ、俺は振り返った。
そこに立っていたのはアメリアだった。
二十三歳。
長い銀髪が背中まで流れ、灰色の瞳はいつも冷静で知的な光を宿している。
かつて戦争では、優秀な軍略家として知られていた。
そして今では――
その能力を売上と経費の計算に使っている。
アメリアが着ているのは、深緑とクリーム色を基調とした短いメイド服だった。
腰はすっきりと絞られ、膝上までのスカートには控えめなフリル。
クリーム色のエプロンに、黒いストッキング。
派手すぎず、落ち着いたアメリアによく似合っている。
そして彼女の手には――
帳簿。
「問題があります」
俺は手にしていたカップを置いた。
「何があった?」
「昨日、満席のため三十七名のお客様をお断りしました」
「三十七人?」
「はい。それに現在、予約は七週間と三日先まで埋まっています」
「……三日?」
「七週間と三日です」
「妙に細かいな」
「事実ですから」
アメリアが帳簿を開く。
「従業員を増やすべきです」
俺は頷いた。
「そうだな」
アメリアが顔を上げた。
「……反対しないのですか?」
「なんで反対するんだ?」
「アレン様なら嫌がるかと」
「俺は店を経営したいんだ。リリアを過労死させたいわけじゃない」
すると厨房の奥から声が飛んできた。
「ありがとうございます、アレン様!」
俺は厨房を見た。
「なんで聞こえてるんだよ!?」
「もっと小さな声で話してください!」
「……地獄耳か」
アメリアが小さく笑う。
「ホール担当を二人。厨房補助を一人増やしたいと思います」
「いいと思う。今週から募集しよう」
「では、もう一つ」
アメリアが次のページを開いた。
「二号店の計画ですが――」
「却下」
「早いですね」
「この店を良くするために人を雇うのと、チェーン店の経営者になるのは別だ」
「数字だけでも見ませんか?」
「数字を疑ってるわけじゃない。お前が怖いんだ」
「私が?」
俺はアメリアの灰色の瞳を指さした。
「その目だよ。その目。戦争中に作戦を立ててた時と同じ目をしてる」
「店舗拡大の計画を立てているだけです」
「だから怖いんだよ! 今日は二号店、明日は五号店、その次は二十店舗! 気がついたらアルカディア全土の地図に旗を刺してる!」
アメリアは少し考えた。
「旗があった方が店舗の位置を把握しやすいですね」
「ほらな!」
横から笑い声が聞こえた。
シャルロットだった。
二十六歳。
腰まで届く美しい金髪。
誇り高い青い瞳。
かつて次期女王として育てられた第一王女は、今では青と白を基調とした短いメイド服を着ていた。
膝上丈のスカートには白いフリル。
白いエプロンは腰の後ろで大きなリボンになっている。
長い金髪には小さなホワイトブリム。
半年前なら、こんな服を着るくらいなら死ぬ、と言っていたかもしれない。
今では四つのカップと二枚の皿を同時に運べる。
「私はアメリアに賛成ですわ」
「人を雇う方か? アルカディアをカフェで征服する方か?」
「両方です」
「お前まで乗るな」
その時、一人の常連客が手を上げた。
「シャルロット様!」
シャルロットの笑顔が消えた。
今週だけで五回目の来店だった。
「……何でしょうか」
「今日こそ『お兄ちゃん』と呼んでいただけませんか?」
「嫌です」
「一回だけ!」
「嫌です」
「ケーキを追加注文します!」
シャルロットは無言。
俺はカウンターから指を二本立てた。
「二個」
シャルロットがゆっくり俺を振り返った。
「ご主人様」
「何だ?」
「私を売らないでいただけます?」
「売ってない」
「私の尊厳に値段をつけていますわ」
「全然違う」
客が勢いよく指を二本立てた。
「二個頼みます!」
シャルロットは絶対零度の視線を向けた。
客が震えた。
「そ、その目も最高です!」
周囲の客が笑う。
シャルロットは俺のところへ戻ってきた。
「給料を上げてください」
「それは考えてる」
シャルロットが止まった。
「本当に?」
「売上が増えてるんだ。働く人間の給料も見直すべきだろ」
彼女は少し意外そうに俺を見た。
「……時々、ご主人様が本気でこの店を経営していることを忘れますわ」
「失礼だな! 俺の店だぞ!」
「普段はロゼリアと喧嘩してばかりですから」
「それはロゼリアが――」
「ご主人様!」
来た。
俺は目を閉じた。
この声が聞こえた時は、大体ろくなことがない。
振り返る。
ロゼリアがいた。
二十歳。
赤みがかったピンク色の髪。
大きな緑色の瞳。
感情がすぐ顔に出る三女。
彼女のメイド服は三人の中で一番華やかだった。
ピンクと白を基調とした短いドレス。
膝上のスカートは何層ものフリルでふわりと広がり、白いエプロンには小さなリボン。
首元にもピンク色のリボンが飾られている。
そして頬には――
黒い煤。
「ロゼリア」
「はい!」
「何が爆発した?」
「どうして最初から爆発した前提なんですか!?」
俺は彼女の頬を指さした。
ロゼリアが煤に触れる。
「あ」
厨房からピンク色の煙が出てきた。
俺はそちらも指さす。
「あ」
「何を作ってた?」
ロゼリアの緑の瞳が輝いた。
「新作パフェです!」
「それは興味ある」
「ですよね!」
「煙を見るまではな。どんなパフェだ?」
「スプーンを入れると、魔法の小さな星がふわっと周りに飛び出すんです!」
俺は考えた。
それは……
「客に受けそうだな」
「でしょう!?」
「で、問題は?」
ロゼリアが黙った。
「ロゼリア」
「ほんの少しだけ……」
「何が?」
「爆発する可能性があります」
俺は目を閉じた。
「確率」
「六パーセントです!」
「六パーセント?」
「前は九パーセントでした!」
「改善はしてるな」
「でしょう!?」
「でも六パーセントで爆発する食べ物は売れない」
「爆発するのはお客様じゃなくてパフェです!」
「その説明で安心できると思うか!?」
厨房の扉が開いた。
ロゼリアの顔が引きつった。
リリアが立っていた。
二十歳ほどの小柄な女性。
茶色の髪をきっちりまとめている。
三人の王女とは違い、彼女が着ているのは派手なメイドカフェ用の衣装ではない。
黒い長袖のワンピース。
膝下まであるスカート。
白い襟。
清潔に整えられた伝統的な白いエプロン。
本物の侍女の制服だった。
そして右手には――
魔法式消火器。
「ロゼリア様」
「……リリア」
「厨房で何をなさいました?」
「商品の改良を……」
「厨房の隅が燃えていました」
「ほんの少しです」
リリアがじっと見つめる。
「厨房へ」
ロゼリアが肩を落とした。
「はい……」
そしてリリアは俺を見た。
「アレン様」
「俺は何もしてないぞ」
「ロゼリア様に魔晶石を買い与えたのはアレン様です」
「料理研究に使うって言ったんだ!」
「実際、料理研究です!」
「ロゼリアは黙ってろ!」
リリアがため息をついた。
「お二人とも厨房へ」
「俺も!?」
「店主でしょう?」
反論できなかった。
◇
一週間後。
セレスの街に、一人の男がやって来た。
名はガレス。
四十歳ほど。
大柄な体。
濃い髭。
左頬を走る古い傷。
元エスタリア王国兵だった。
魔王軍との戦争を生き延びた。
そして祖国の滅亡も生き延びた。
今は隊商の護衛で生計を立てているらしい。
その日、仲間の傭兵から「セレスにうまい店がある」と聞いて、何も知らずに《ROYAL MAID CAFÉ》へ入ってきた。
最初は普通だった。
コーヒーを注文した。
だが――
金髪の女性が隣のテーブルにカップを置いた瞬間。
ガレスの手からスプーンが落ちた。
「……そんな」
シャルロットが振り返る。
二人の視線がぶつかった。
ガレスの顔から血の気が引いた。
「シャルロット……王女殿下……?」
シャルロットの動きが止まる。
そしてガレスはアメリアを見た。
銀髪。
灰色の瞳。
次にロゼリア。
赤みがかったピンクの髪。
緑の瞳。
三人。
エスタリア王家の三人の王女。
生きている。
しかも――
メイド服を着ている。
「何……だ、これは……」
そして最後に。
カウンターにいた俺を見た。
ガレスの表情が変わった。
「貴様……!」
俺は顔を上げた。
知らない男だった。
ガレスの手が剣に伸びる。
だが、俺より先にシャルロットが動いた。
彼の手首を掴む。
「やめなさい」
ガレスが目を見開く。
「王女殿下!?」
「剣から手を離しなさい」
「こいつはエスタリアを滅ぼした男です!」
店内の声が少しずつ消えていった。
俺はカウンターから出た。
「おい。剣はしまえ。ここには家族連れもいる」
ガレスは俺を睨んだ。
「貴様が……!」
声が震えていた。
「仲間を殺した!」
俺は答えない。
「王宮を破壊した!」
シャルロットが彼の手首を強く握る。
「ガレス」
男はシャルロットを見る。
「国を……滅ぼしたんですよ!」
「知っています」
その一言で、ガレスの顔が崩れた。
「だったら……どいてください」
「嫌です」
アメリアが俺の隣に立った。
ロゼリアの手のひらには緑色の魔力が集まり始める。
ガレスは三人を見回した。
「……守るのですか?」
シャルロットが答えた。
「ええ」
「どうして……」
そしてガレスは俺を見た。
「何をした?」
沈黙。
「王女たちに何をした!」
嘘をつく意味はなかった。
「お前が聞いて喜ぶようなことじゃない」
ガレスが再び剣を抜こうとする。
シャルロットが彼を突き飛ばした。
「帰りなさい」
「王女殿下……」
「店の中で誰かを傷つけさせるつもりはありません」
ガレスは三人を見る。
誰も俺の側から離れなかった。
やがて彼は店を出ていった。
俺は閉まった扉を見つめる。
シャルロットが近づいた。
「大丈夫ですか?」
「俺はな」
そして床を見る。
割れたカップ。
「ただ、次に来たらカップ代は請求する」
シャルロットが小さく笑った。
◇
二日後。
ガレスはセレスから数キロ離れた宿場町で酒を飲んでいた。
「本当なんだ!」
向かいの商人が笑う。
「消えた王女たちが?」
「そうだ!」
「三人とも?」
「三人ともだ!」
「メイドとして働いてる?」
ガレスが机を叩く。
「そう言ってるだろ!」
商人は空になった酒杯を見る。
「飲みすぎだ」
「酔ってない!」
「はいはい」
「セレスにいるんだ!」
三つ後ろのテーブルで、一人の男が本を読む手を止めた。
三十代前半。
短い黒髪。
どこにでもいそうな顔。
旅人らしい地味な服装。
一度目を離せば顔を思い出せない。
だからこそ――
彼は優秀だった。
アルカディア王国の諜報員。
その夜。
男はセレスへ向かった。
◇
三日後。
アルカディア国王レオルドの前に、その諜報員は跪いていた。
「もう一度言え」
「アレン・キサラギは現在、セレスに滞在しております」
レオルドは五十代前半。
金髪には少しずつ灰色が混ざり始めている。
鋭い青い瞳。
「アレン・キサラギ」
「はい」
「魔王を倒した勇者」
「はい」
「そしてエスタリアを滅ぼした男」
「その通りです」
「その男が何か月も我が国にいると?」
「はい」
レオルドが立ち上がる。
「軍を作っているのか?」
「いいえ」
「傭兵を集めている?」
「いいえ」
「武器を買っている?」
「いいえ」
「貴族と密会している?」
「特には」
レオルドが眉を寄せた。
「では何をしている?」
諜報員が息を吸った。
「メイドカフェを経営しております」
沈黙。
「……何?」
「メイドカフェです」
「言葉は聞こえた。意味を聞いている」
「メイド姿の女性が接客する飲食店です」
レオルドが男を見つめる。
「偽装か?」
「その様子はありません」
「兵の募集拠点?」
「いいえ」
「秘密結社?」
「いいえ」
「では何をしている?」
「コーヒーを出しています」
レオルドは待った。
「紅茶も」
まだ待つ。
「ケーキも」
諜報員が少し迷った。
「特にアップルパイが――」
止まった。
レオルドの目が細くなる。
「アップルパイが何だ?」
「……何でもありません、陛下」
男は三枚の書類を机に置いた。
「そして、失踪していたエスタリアの三王女の存在も確認しました」
一枚目。
「シャルロット。二十六歳」
二枚目。
「アメリア。二十三歳」
三枚目。
「ロゼリア。二十歳」
レオルドは書類を見る。
「捕虜か?」
「いいえ」
「監禁されている?」
「いいえ」
「監視は?」
「ありません」
「自由に外出できる?」
「はい」
「客とも自由に話す?」
「常に」
レオルドは書類を置いた。
「では自分の意思でアレンと一緒にいるのか」
諜報員が少し黙る。
「問題があります」
彼はガレスとの一件を説明した。
話が終わると、レオルドは静かに言った。
「三人ともアレンを守った」
「はい」
「自国の元兵士から?」
「はい」
諜報員は四枚目の資料を出した。
「また、エスタリアの生存者から奇妙な証言があります。国が滅びた際、アレンが他者の意思に干渉する能力を使用した、と」
レオルドの表情が険しくなる。
「精神支配か」
「可能性があります」
「詳しく調べろ」
「御意」
諜報員が資料を片づけ始めた。
その時。
何かがポケットから落ちた。
カツン。
二人が床を見る。
小さなカード。
諜報員の顔が青ざめた。
レオルドが拾う。
上には――
《ROYAL MAID CAFÉ》
そして十個の枠。
九個には王冠型のスタンプ。
残り一個だけ空いている。
レオルドがゆっくり顔を上げた。
「……これは何だ?」
「調査資料です」
「九個、印があるな」
「はい」
「何の印だ?」
沈黙。
「答えろ」
「一回来店するごとに、一個押されます」
レオルドはカードを見る。
男を見る。
またカードを見る。
「九回行ったのか?」
「継続的な監視は重要です」
「九回」
「行動パターンを調べる必要がありました」
「九回?」
「最初の三回は完全に任務です」
レオルドが黙る。
「残り六回は?」
諜報員が唾を飲む。
「調査が長引きまして」
「店が気に入ったのか」
「いいえ」
「メイドが気に入った?」
「違います!」
「なら何だ?」
男は耐えた。
数秒。
限界だった。
「……アップルパイです」
レオルドが瞬きをする。
「アップルパイ?」
男の目が急に真剣になった。
「絶品なのです」
「……」
「生地はサクサクしているのに硬すぎず、リンゴの食感も少し残っていて、リリア様のシナモンの使い方が絶妙で――」
止まった。
レオルドが見ている。
「リリア様?」
諜報員の顔が青くなる。
「職員の身元確認も任務の一環です」
「料理人の名前まで覚えたのか」
「必要な情報です」
レオルドが最後の空欄を指さした。
「十個集めると何がある?」
沈黙。
「王命だ。答えろ」
男が目を閉じた。
「……パフェが一つ無料になります」
レオルドは彼を見た。
「パフェのために九回?」
「違います! 最初の三回は――」
「任務」
「その通りです」
「では今は?」
諜報員がカードを見た。
そして王を見る。
「陛下……」
「駄目だ」
「あと一回だけなのです」
「駄目だ」
「九回まで来て諦めるのは、これまで投入した国家資源を――」
レオルドが机を叩いた。
「無料パフェを国家安全保障問題にするな!」
「十回目の訪問と同時に監視を――」
「出ていけ!」
「御意!」
諜報員は立ち上がり、扉へ向かった。
だが途中で止まる。
カードを見る。
「陛下……」
「駄目だ」
「まだ何も――」
「カードだろう」
男が肩を落とした。
「……はい」
「出ていけ」
扉が閉まった。
レオルドは一人になった。
報告書を見る。
カードを見る。
九個。
あと一個。
しばらくして――
王は机の引き出しを開けた。
カードをしまう。
「まずはアレン・キサラギだ」
引き出しを閉じる。
少し沈黙。
「……パフェはその後だ」
◇
その日の午後。
レオルドは二人の女性を呼び出した。
一人目。
クラウディア・ラインホルト。
三十歳。
アルカディア王国近衛騎士団、副団長。
長身で引き締まった体。
肩ほどまである深緑色の髪は、戦闘の邪魔にならないよう一部を後ろでまとめている。
琥珀色の瞳。
銀色の鎧。
黒い戦闘服。
腰には長剣。
二人目。
「お父様」
エリアンヌ・フォン・アルカディア。
アルカディア第二王女。
二十二歳。
腰近くまで流れる金色の髪。
淡い青色の瞳。
白と水色を基調に、銀糸の刺繍が施された上品なドレス。
彼女は優しい王女として知られていた。
病院を訪問する。
貧しい家庭を支援する。
国民の悩みを直接聞く。
そして――
言葉だけで人間の心を破壊する天才でもあった。
レオルドは二人に報告書を渡した。
クラウディアが先に読み終える。
「直ちに三王女を救出すべきです」
エリアンヌはまだ資料を読んでいた。
「まず、ご本人たちが救出を望んでいるか確認すべきでしょう」
「精神支配を受けている可能性があります」
「だからこそです」
レオルドはクラウディアを見る。
「必要になるまで武力は使うな」
「しかし陛下――」
「アレン・キサラギは魔王を倒した」
「承知しております」
「その後、一国を滅ぼした」
「それも」
「なら、なぜ剣一本で会いに行こうとしている?」
クラウディアが黙った。
レオルドは娘を見る。
「エリアンヌ」
「はい、お父様」
「話をしてこい」
「もちろんです」
「ただし……あれはやるな」
エリアンヌが首を傾げた。
「あれ?」
レオルドがため息をつく。
近くにいた大臣を指さした。
「ガルヴェン。妻との関係について聞いてみろ」
大臣の顔が青くなった。
「陛下、それは――」
エリアンヌが微笑む。
「ガルヴェン大臣。奥様に相談せず土地を購入した件は、きちんと説明されましたか?」
「……はい」
「奥様を心配させたくなかったから隠したのではなく、反対されると分かっていたから黙っていた、と正直に説明しました?」
「それは……」
「もし『隠してごめん』としか謝っていないのでしたら、奥様がなぜ怒ったのか、まだ理解されていない可能性がありますね」
大臣の目に涙が浮かんだ。
「もう話し合いました!」
エリアンヌが優しく微笑む。
「それなら安心しました」
大臣は部屋を出ていった。
クラウディアは閉まった扉を見る。
そしてエリアンヌを見る。
「……理解しました」
「何をです?」
「いえ、何でもありません」
◇
三日後。
俺はアメリアと求人応募の書類を確認していた。
その時、入口のベルが鳴った。
「お帰りなさいませ、ご主人――」
シャルロットの声が止まった。
俺は顔を上げた。
二人の女性。
一人は金髪。
もう一人は――
緑髪。
しかも剣を持っている。
嫌な予感しかしない。
シャルロットが呟いた。
「クラウディア……?」
緑髪の女が目を見開く。
「シャルロット様……」
視線が下へ。
青と白の短いメイド服。
エプロン。
フリル。
そして再び顔へ。
「……あの男に何をされたのですか?」
シャルロットが目を閉じた。
「久しぶりに会って第一声がそれ?」
金髪の女性が小さく笑った。
「まず座りませんか?」
シャルロットが彼女を見る。
「エリアンヌ王女……」
なるほど。
また王女か。
アメリアが俺の隣に立つ。
「アレン様」
「誰だ?」
「クラウディア・ラインホルト。近衛騎士団副団長です」
「花屋じゃないことは分かる」
「そしてエリアンヌ・フォン・アルカディア第二王女」
俺はエリアンヌを見る。
彼女も俺を見る。
微笑んだ。
なんとなく手を上げる。
向こうも手を上げた。
俺は下ろした。
「また王女か」
「はい」
「最近、王族との縁が多すぎないか?」
「三人の王女をメイドにして店を開いた人が何を言っているのですか」
「そう言われると俺が悪いみたいだな」
「実際そうです」
◇
話はすぐ本題に入った。
エリアンヌがシャルロット、アメリア、ロゼリアの向かいに座る。
クラウディアはその隣。
リリアが紅茶を出した。
俺は少し離れた場所にいた。
エリアンヌが口を開く。
「単刀直入に聞きます。アレンはあなた方の意思に干渉する魔法を使いましたか?」
シャルロットが答えた。
「ええ」
クラウディアが立ち上がる。
「やはり!」
シャルロットが椅子を指さす。
「座りなさい」
「シャルロット様!」
「お客様が見ています」
クラウディアは渋々座った。
エリアンヌは続ける。
「以前の記憶は?」
「全部あります」
「エスタリアが滅びたことも?」
「ええ」
「アレンが国を滅ぼしたことも?」
シャルロットの青い瞳が少し鋭くなる。
「覚えています」
「では何が変わったのです?」
少し沈黙。
「忠誠です」
「以前は?」
「エスタリア。父。王家」
「今は?」
シャルロットが俺を見る。
「アレン」
クラウディアが机を叩く。
「なら完全に支配されているではありませんか!」
シャルロットが彼女を見る。
「そうね」
クラウディアが固まった。
「認めるのですか?」
「当然でしょう」
「なら我々と来てください!」
「嫌です」
「ですが精神支配を!」
「受けています」
「なら解放されたいはずでしょう!」
シャルロットが少し考える。
「別に」
クラウディアの口が開いた。
言葉が出ない。
シャルロットが薄く笑う。
「そこがあなたの理屈の困るところなのでしょう?」
エリアンヌが考え込む。
「アレンの命令に逆らえますか?」
シャルロットが笑った。
「いつも」
俺はカウンターから声をかける。
「シャルロット、八番テーブルがティーポットを追加で頼んでる」
「今行きます」
「頼む」
エリアンヌは俺を見る。
そしてシャルロットへ。
「働くことを強制されていますか?」
「いいえ」
「店を出ることは?」
「できます」
「アレンと喧嘩は?」
シャルロットが微笑む。
「無料でやっていますわ」
「それは俺も保証する」
エリアンヌの表情が少し変わった。
◇
彼女たちは何度も店を訪れた。
シャルロットと話した。
アメリアと。
ロゼリアと。
リリアとも。
そして最後に――
俺と。
閉店後。
エリアンヌが俺の向かいに座った。
「《絶対支配》を解除してください」
「嫌だ」
クラウディアが歯を食いしばる。
エリアンヌは続ける。
「解除できるのですね?」
「ああ」
「なら解除してください」
「しない」
「なぜ?」
「したくないからだ」
クラウディアが机を叩く。
「この外道!」
シャルロットが動こうとする。
俺は手で止めた。
「いい」
エリアンヌの青い瞳が俺を見る。
「エスタリアはあなたを召喚した」
「ああ」
「勇者として戦わせた」
「ああ」
「三年間戦った」
「ああ」
「魔王を倒した後、強すぎるあなたを恐れて殺そうとした」
「そうだ」
「だからあなたは、自分の人生を他人に決められることに耐えられず、国を滅ぼした」
俺は黙った。
エリアンヌが三姉妹を見る。
「そしてその後――」
俺を見る。
「あなたは彼女たちの人生を決めた」
沈黙。
シャルロットを見る。
アメリア。
ロゼリア。
俺は答えた。
「ああ」
エリアンヌが少し驚く。
「否定しないのですか?」
「しない」
「身勝手です」
「ああ」
「偽善的です」
少し考える。
「たぶんな」
エリアンヌが眉を寄せる。
「なぜ言い訳しないのです?」
俺は椅子にもたれた。
「俺が善人だって、お前に納得してもらう必要がないからだ」
エリアンヌが黙る。
「俺は魔王を倒した。でも聖人になった覚えはない」
クラウディアが俺を睨む。
「では、解除するつもりはないと?」
「ない」
「自分が間違っていた可能性を認めても?」
「自分のやったこと全部が正しかったなんて言ってない」
エリアンヌが俺を見る。
「でも、変えるほど後悔はしていない」
「そういうことだ」
初めて。
エリアンヌがすぐに返す言葉を失った。
◇
だが二人は諦めなかった。
四日後。
早朝。
リリアが俺の部屋を訪れた。
「アレン様」
俺は目を開けた。
「何があった?」
「コーヒー豆の主要取引先から、一方的に契約を打ち切られました」
すぐに起き上がる。
「在庫は?」
「四日分です」
「なら四日ある」
「……閉店しないのですか?」
「取引先一つに切られたくらいで予約客を追い返すかよ。必要なら一時的に仕入れ値が上がっても構わない。まず代わりを探す」
一時間後。
アメリアが候補を調べていた。
「利益率が一時的に下がる可能性があります」
「構わない。予約をキャンセルするよりいい」
するとリリアが手を上げた。
「一人、心当たりがあります」
全員が見る。
「いつから?」
「皆様と出会う前からです」
セレス郊外の小さな家族経営の焙煎所だった。
俺はリリアと直接試飲に行った。
一口。
止まる。
「……リリア」
「はい」
「前よりうまくないか?」
「私もそう思います」
「しかも安い?」
「はい」
老主人を見る。
「うちの量を供給できますか?」
老人が笑う。
「これ以上注文が増えたら、息子たちを雇わなきゃならん」
俺は手を差し出した。
「なら、息子さんたちに仕事を始めてもらいましょう」
三日後。
コーヒーを全面的に変更した。
客たちはすぐ気づいた。
一週間後。
新しい看板商品になった。
◇
クラウディアが報告書を置く。
「売上が十八パーセント上がりました」
エリアンヌが目を閉じた。
「知っています」
「コーヒーを奪ったのに」
「知っています」
「もっといいコーヒーを見つけました」
「それも知っています」
「しかも地元の家族経営を助けています」
「クラウディア」
「はい」
「私は字が読めます」
◇
次は査察だった。
営業中。
三人の役人が現れた。
「衛生・営業査察です」
俺は手を拭く。
「どうぞ。リリア」
「準備してあります」
巨大な書類ファイル。
営業許可。
衛生証明。
食品取扱資格。
保険。
厨房内小規模魔法使用許可。
防火検査。
従業員登録。
魔法事故保険。
俺は一枚を指さした。
「待て」
リリアを見る。
「うち、魔法事故保険に入ってるの?」
「はい」
「いつから?」
「ロゼリア様がお菓子の開発を始めてからです」
厨房から声。
「聞こえてますよ!」
リリアが叫び返す。
「必要なんです!」
査察官が全て確認する。
やがてファイルを閉じた。
「問題ありません」
「ありがとうございます」
査察官は店内を見る。
アップルパイを見る。
「せっかく来たので……」
一時間後。
三人とも食事をしていた。
二日後。
一人が妻を連れて戻ってきた。
結婚記念日の予約までした。
◇
クラウディアが報告書を握りしめる。
「売上、さらに九パーセント増加」
エリアンヌがゆっくり息を吐く。
「はい」
「査察官の一人が結婚記念日の予約を」
「知っています」
「上司にも勧めたそうです」
エリアンヌが止まった。
クラウディアが叫ぶ。
「どうやったらこの店を潰せるんですか!?」
「叫んでも無理だと思います」
◇
三度目は新聞だった。
アメリアがカウンターに置いた。
一面。
《エスタリアを滅ぼした男、セレスに潜伏!》
その下。
《失踪した三王女はメイドとして勤務》
さらに。
《勇者は第二の魔王となったのか?》
俺は最後まで読んだ。
今回は笑わなかった。
「これはまずいな」
アメリアが頷く。
「はい」
シャルロットが腕を組む。
「どうします?」
少し考える。
「下手に隠さない」
「認めるのですか?」
「俺がアレン・キサラギで、お前たちが三王女なのは事実だ。そこで嘘をついて後から証明された方がまずい」
リリアを見る。
「店はいつも以上に完璧にしてくれ。記者が来ても、働かされてるとか酷い扱いを受けてるとか書かれる隙を作らない」
「承知しました」
ロゼリアが手を上げる。
「私、記者と話していいですか?」
全員同時。
「駄目」
「なんで!?」
翌朝。
心配は別の方向へ吹き飛んだ。
リリアが窓のそばに立っていた。
「アレン様」
「どうした?」
「ご覧ください」
カーテンを開ける。
俺は固まった。
人。
人。
人。
「勇者を見たい!」
「本当に王女なの!?」
「シャルロット様!」
「アメリア様!」
「爆発するパフェをください!」
俺は窓を開けた。
「爆発パフェなんてメニューはない!」
後ろからロゼリア。
「まだ!」
振り返る。
「ロゼリア!」
窓を閉めた。
アメリアはすでに計算を始めていた。
「予約制度を変更する必要があります」
「そうだな」
アメリアが少し驚く。
「反対しないのですね」
「客が来てるんだ。ちゃんと対応するのが店だろ」
「予定していた三名に加え、さらに二名雇うべきです」
「募集しよう」
「厨房も少し広げたいです」
「リリアが必要だと思うなら」
アメリアが微笑んだ。
「成長しましたね」
「調子に乗るな」
ページをめくる。
「二号店も――」
「却下」
「一応言ってみました」
◇
広場の反対側。
馬車の中。
エリアンヌとクラウディアが長蛇の列を見ていた。
「理解できません」
「私もです」
「コーヒーを止めました」
「もっと良いものを見つけました」
「査察を送りました」
「常連客になりました」
「正体を新聞に出しました」
「今度は街中が会いに来ています」
クラウディアが新聞を握り潰す。
「なぜ潰そうとするたびに儲かるんです?」
エリアンヌがしばらく黙る。
「敵を間違えていたのかもしれません」
「アレンでは?」
「違います」
「王女たち?」
「いいえ」
エリアンヌは人々の列を指さした。
「人間の好奇心です」
クラウディアが剣に手を置いた。
「もう十分です」
「どうするの?」
「力ずくで行きます」
◇
三日後。
閉店後。
求人応募の書類を確認していると、扉が叩かれた。
外を見る。
クラウディア。
完全武装。
深緑の髪は戦闘用に後ろで束ねている。
隣にはエリアンヌ。
彼女もドレスではない。
青い戦闘用チュニック。
白いパンツ。
ロングブーツ。
短いマント。
手には青い宝石が埋め込まれた銀の杖。
扉を開ける。
「閉店だぞ」
エリアンヌが俺を見る。
「客として来たのではありません」
「もっと悪いな」
クラウディアが入ってくる。
「三王女を解放してください」
「嫌だ」
「ならば我々と来てもらいます」
「それも嫌だ」
剣を抜く。
ため息。
「その剣、ケーキを切るためじゃないよな?」
シャルロットが俺の後ろに現れた。
「クラウディア」
クラウディアが踏み込む。
シャルロットが剣を受け止める。
ガキィン!
エリアンヌが杖を上げる。
俺の足元に魔法陣。
跳ぶ。
光の鎖が床から飛び出す。
椅子を貫いた。
「家具に気をつけろ!」
クラウディアが叫ぶ。
「家具の心配ですか!?」
「店の備品だぞ!」
ロゼリアが緑色の障壁を展開。
アメリアがエリアンヌへ回り込む。
リリアが厨房から出てきた。
「厨房には入らないでください!」
全員が見る。
リリアはロゼリアを見る。
「特にロゼリア様!」
「なんで私だけ!?」
クラウディアがシャルロットを弾き飛ばす。
剣がテーブルへ。
バキッ!
真っ二つ。
俺は止まった。
テーブルを見る。
クラウディアを見る。
「銀貨十二枚」
「は?」
「そのテーブル。銀貨十二枚した」
「アレン!」
「テラス用の新しい家具も買ったばかりなんだぞ!」
クラウディアが再び来る。
そこで――
俺は遊ぶのをやめた。
魔王の力を解放する。
ほんの一部。
空気が変わる。
窓が震える。
照明が揺れる。
クラウディアが片膝をついた。
エリアンヌの魔法が消える。
俺は二人へ歩く。
「もう終わりだ」
エリアンヌが息を切らす。
「なら……彼女たちを……」
「そっちじゃない」
クラウディアを見る。
「ここで帰したら、また来るか?」
「来ます」
「また倒したら?」
「また来ます」
「十回?」
「十回」
「百回?」
琥珀色の瞳は揺れない。
「百回」
俺は目を閉じた。
殺す気はない。
牢屋に入れても面倒だ。
セレスを離れるつもりもない。
そして二人が諦めることもない。
なら――
俺は目を開けた。
手を上げる。
赤黒い魔力が指先に集まる。
エリアンヌの表情が変わった。
「アレン」
クラウディアが立とうとする。
動けない。
エリアンヌが目を見開く。
「駄目です」
「いや」
「やめなさい!」
「もう決めた」
俺は能力の名を告げた。
「《絶対支配》」
赤黒い闇が二人を包み始める。
「それを使えば、私が言ったことを自分で証明することになります!」
「ああ」
「私たちが邪魔だから、意思を書き換えるのですか!」
「そうだ」
エリアンヌが一瞬言葉を失う。
「否定すらしないのですか?」
「しない」
クラウディアが俺を睨む。
「化け物……」
「かもな」
闇が濃くなる。
「記憶は消さない」
エリアンヌが抵抗する。
「人格も変えない」
クラウディアが歯を食いしばる。
「俺を好きになる必要もない」
手を伸ばす。
「ただし、俺の命、俺が守る者、この店に害を与えることはできない」
魔力が膨れ上がる。
「そして――それらを守ることが、お前たち自身の優先事項になる」
闇が二人を完全に包んだ。
そして――
消えた。
静寂。
クラウディアが目を開く。
琥珀色。
俺を見る。
怒っている。
「……ご主人様」
俺は少し笑った。
「成功だな」
「大嫌いです」
「それも残ってるなら成功だ」
「もっと嫌いになりました」
「安心した」
次に。
エリアンヌが目を開いた。
青い瞳が俺を見る。
「ご主人様」
「何だ?」
彼女は優しく微笑んだ。
「私にとってご主人様の幸福が重要になった以上、重大な問題についてお話ししなければなりません」
「何だ?」
指を一本上げる。
俺を指す。
「ご主人様自身です」
「……俺?」
「失うことを恐れるものほど、支配下に置こうとする傾向がありますね」
嫌な予感。
「待て」
「また、感情的な問題を実務的な問題へ置き換える癖があります。感情と向き合うより、力で解決する方が簡単だからでしょう」
シャルロットを見る。
「助けて」
シャルロットは剣をしまった。
「嫌です」
「なんで!?」
「ご自分でやったことでしょう?」
アメリアを見る。
「《絶対支配》を解除できるよな?」
「できます」
安心する。
「よし」
「そうすればエリアンヌ王女は再びあなたを逮捕しようとします」
固まる。
エリアンヌが微笑む。
「続きは明日にしましょうか?」
「嫌だ」
「では明後日」
「もっと嫌だ!」
リリアが腕を組んだ。
「アレン様」
「何だ?」
「自業自得です」
「お前だけが最後の希望だったのに」
◇
翌朝。
店へ降りた俺は――
入口で止まった。
「……何だそれ」
クラウディアが立っていた。
昨日までの鎧姿ではない。
深緑色の髪は高めのポニーテールにまとめられている。
そして――
メイド服。
黒と深緑を基調とした、彼女専用の短いメイドドレス。
膝上丈のスカート。
白いエプロン。
黒いストッキング。
動きやすいショートブーツ。
フリルは少なめで、軍服のような直線的なデザインが取り入れられていた。
本人は――
ものすごく不機嫌そうだった。
「見るな」
「いや、見るだろ」
「殺しますよ」
「《絶対支配》」
「……」
クラウディアが歯を食いしばる。
「卑怯者」
「似合ってるぞ」
「殺しますよ」
「二回目だぞ」
そこへシャルロットが来た。
「似合ってるわよ、クラウディア」
「シャルロット様まで……」
「ちゃんと『お帰りなさいませ、ご主人様』と言える?」
クラウディアの顔が引きつる。
「言いません」
リリアが現れた。
「言ってください」
「……」
「接客です」
クラウディアが震える。
そして俺を見る。
顔を真っ赤にしながら――
スカートの端を少しだけ摘んだ。
「……お、お帰りなさいませ……ご主人様」
沈黙。
俺は感動した。
「もう一回」
「斬ります」
「それは駄目だろ」
「だから腹が立つのです!」
笑い声。
振り返る。
エリアンヌだった。
そして俺は、もう一度固まった。
エリアンヌもメイド服を着ていた。
白と淡い水色を基調とした、上品な短いドレス。
膝上のスカートには控えめなフリル。
腰には純白のエプロン。
銀糸の細かな刺繍。
白いストッキング。
淡い水色のパンプス。
長い金髪には、小さな青いリボンが飾られている。
元々の王女らしい気品を残したまま、完璧にメイドカフェ用へ仕立てられた衣装だった。
エリアンヌがスカートを軽く持ち上げ、一礼する。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
完璧だった。
「……すごいな」
クラウディアが睨む。
「なぜこの女は平気なのですか」
エリアンヌが微笑む。
「どうせ働くなら楽しんだ方が良いでしょう?」
「精神が強すぎる」
「それよりご主人様」
「何だ?」
エリアンヌはテーブルに大量の書類を置いた。
「契約書を見直しました」
「早いな」
「砂糖の仕入れ価格を八パーセント下げられます」
「いいな」
「コーヒーも六か月契約なら十二パーセント下げられます」
「条件は?」
「最低購入量があります」
「リリア」
すぐにリリアが来る。
契約書を見る。
「多すぎます」
エリアンヌも確認。
「確かに」
「減らせるか?」
「交渉します」
「頼む」
エリアンヌが少し意外そうな顔をした。
「反対しないのですね」
「なんで? 品質を落とさず安くできるなら大歓迎だ」
シャルロットが横を通る。
「ようやく商人らしいことを」
「最初からやってる!」
◇
開店。
新しい二人のメイドは――
予想外の才能を発揮した。
クラウディアは軍人だった。
だから接客まで軍隊式になった。
「三番テーブル、注文確認!」
「は、はい!」
「四番、紅茶追加!」
「はい!」
「通路を塞がない! 厨房への動線を確保!」
俺は頭を抱えた。
「クラウディア!」
「何ですか、ご主人様!」
「戦場じゃない!」
「効率は上がっています!」
アメリアが帳簿を見る。
「実際、上がっています」
「お前は黙ってろ!」
一方――
エリアンヌ。
彼女には別の問題があった。
「エリアンヌ様!」
若い男性客が顔を真っ赤にしていた。
「はい、ご主人様」
「お、俺のこと……特別だって言ってもらえませんか?」
エリアンヌが優しく微笑んだ。
「もちろんです」
男の顔が輝く。
「人は誰でも、誰かにとって特別な存在です」
「はい!」
「ですが、初対面の女性から『特別だ』と言われなければ自分の価値を確認できないのでしたら、ご自身の自己評価について一度考え直した方がよろしいかもしれません」
男が固まった。
「……」
エリアンヌは完璧な笑顔。
「アップルパイはいかがですか?」
「……ください」
「一つ?」
男の目に涙が浮かぶ。
「二つ……」
「ありがとうございます、ご主人様」
俺はカウンターから叫んだ。
「なんでそれで二個売れるんだよ!?」
エリアンヌがこちらを見る。
「接客です」
「違うだろ!」
だが――
本当に売上は上がった。
◇
数日後。
クラウディアは店内の動線を完全に組み直した。
「トレーは右から出します。使用済みは左へ」
リリアが首を振る。
「それでは倉庫から出る人とぶつかります」
クラウディアが確認する。
「……確かに」
リリアが一つのテーブルを指す。
「これを移動すれば?」
クラウディアが計算する。
「戻りの距離が短くなる」
「はい」
俺は二人を見る。
「やってくれ」
二人が俺を見る。
「何だ?」
「反対されるかと」
「店が良くなるならやる。ただし軍事基地にはするな」
クラウディアが少し残念そうな顔をした。
「規律をもう少し――」
「駄目」
「……了解しました」
アメリアが帳簿を持って現れる。
「アレン様」
「良い話? 悪い話?」
「良い話です」
「聞こう」
「クラウディアの改善、エリアンヌの契約交渉、新しい従業員の採用によって、負担をほとんど増やさず約三割多くのお客様に対応できます」
俺は笑った。
「それはいい」
「利益も二十七パーセント増加する見込みです」
「もっといい」
ページをめくる。
「その利益で二号店を――」
「却下」
沈黙。
「そこまでは予想していました」
「なんでお前はそんなに世界征服したいんだ」
「二店舗です」
「帝国は小さな一歩から始まる」
シャルロットが横を通る。
「大げさですわ」
俺は彼女を指さした。
「元王女のお前なら国がどう大きくなるか知ってるだろ!」
「普通、ケーキからは始まりません」
厨房からロゼリア。
「パフェでアルカディアを征服しましょう!」
「お前は乗るな!」
みんなが笑った。
笑いが落ち着いた頃。
リリアが俺を見る。
「アレン様」
「ん?」
「なぜ二号店をそこまで嫌がるのですか?」
俺は少し考えた。
成功が嫌なわけじゃない。
むしろ嬉しい。
満席の店を見るのが好きだ。
客が「また来る」と言ってくれるのも。
利益が出れば、材料を良くできる。
家具も買える。
従業員にもっと給料を払える。
俺はこの店に成功してほしい。
だけど。
店内を見る。
「俺は、ここで働いていたいんだ」
誰も口を挟まなかった。
カウンターを指さす。
「何を出してるか自分で知っていたい。働いてる人間の顔も知りたい。常連客の顔も覚えていたい」
テーブルを見る。
「必要なら五人でも十人でも雇う。厨房を広げてもいい。隣の物件を買って店を大きくするのだって考える」
アメリアは黙って聞いている。
「でも十年後、行ったこともない店を百店舗持って、毎日執務室で報告書だけ読んでる生活は嫌だ」
エリアンヌが静かに言った。
「また、他人が必要とする『何か』になるからですね」
俺は彼女を見る。
「始めるなよ」
エリアンヌは微笑む。
「批判ではありません」
店内を見る。
「この店は、ご主人様にとって引退先ではない」
少し驚く。
「この世界に来てから初めて、自分で選んだ人生なのですね」
沈黙。
エリアンヌが俺を見る。
「だから成功してほしい」
一拍。
「でも、自分もその中にいたい」
俺はしばらく黙った。
そしてため息。
「お前のそういうところ嫌い」
「どこです?」
「俺が三十分かけて説明することを二十秒で言うところ」
「得意ですから」
クラウディアが頷く。
「それについては同意します」
その時。
ドン!
店が揺れた。
ピンク色の煙が厨房から出る。
俺はゆっくりロゼリアを見る。
彼女は両手を上げた。
「今回は私じゃありません!」
全員がクラウディアを見る。
緑髪のメイド騎士。
前髪の一部が焦げていた。
手を上げる。
「私です」
「何した?」
「ロゼリアのパフェを安全にできないか検証しました」
ロゼリアの目が輝く。
「もう少しだったんです!」
リリアが二人を見る。
「クラウディア様」
背筋が伸びる。
「はい」
「厨房へ」
「説明を――」
「今すぐ」
クラウディアが唾を飲む。
「はい」
リリアがロゼリアを見る。
「ロゼリア様」
「私は何もしてません!」
リリアが眉を上げる。
ロゼリアが肩を落とした。
「……厨房ですね」
「はい」
二人が消える。
俺は呟く。
「クラウディア、リリアを怖がってないか?」
アメリアが答える。
「怖がっていますね」
シャルロットが笑う。
「学習が早いですわ」
◇
入口のベルが鳴った。
黒髪の男が入ってきた。
見覚えがある。
よく来る客だ。
いつもアップルパイを頼む。
もちろん、この時の俺は――
彼が王国の諜報員だとは知らない。
男がカウンターへ来る。
妙に落ち込んでいた。
「おはようございます」
「おはよう」
「質問があるのですが」
「何だ?」
「スタンプカードに有効期限はありますか?」
「ないぞ」
男が目を閉じる。
「なら……まだ希望はある」
「何かあったのか?」
男がカードを出す。
新品。
スタンプ、ゼロ。
「以前のカードを没収されました」
「何個貯まってた?」
男が拳を握る。
「九個です」
俺は胸を押さえた。
「嘘だろ」
「本当です」
「十個中九個?」
「九個」
「それはひどい」
男が顔を上げた。
「分かってくれますか!」
「誰がそんなことを?」
「国王陛下です」
沈黙。
「……コメントしづらいな」
男はカードを置いた。
「最初からやり直します」
「その根性は尊敬する」
リリアが来る。
男の姿勢が一瞬で良くなる。
「リリア様」
「おはようございます」
「アップルパイをお願いします」
「かしこまりました」
男はカードを両手で差し出した。
「そして……最初の一個を」
リリアが王冠のスタンプを押す。
男は一個だけのスタンプを見つめる。
微笑む。
まるで長い戦いの第一歩を踏み出した勇者のようだった。
エリアンヌが俺の横に来る。
「彼、お父様のところで最も優秀な諜報員の一人ですよ」
俺は男を見る。
一個目のスタンプを幸せそうに眺めている。
「アルカディアが心配になってきた」
「私もです」
◇
二週間後。
《ROYAL MAID CAFÉ》は以前よりずっと良くなっていた。
新しく三人を正式に雇った。
ホール二名。
厨房一名。
クラウディアは店内の動線を改善し、接客時間を大幅に短縮。
エリアンヌは取引先との契約を見直した。
アメリアは帳簿と経営管理。
シャルロット、アメリア、ロゼリアは相変わらず店の看板メイド。
そして今では――
クラウディアとエリアンヌも、正式にメイドとしてシフトに入っていた。
五人の元王族・騎士が並ぶ光景は、我ながら意味が分からない。
いや。
クラウディアは王族じゃない。
でももうどうでもいい。
そしてリリア。
本物の侍女である彼女は、今日も全員をまとめている。
俺は?
もちろん、ここにいる。
カウンターに立つ。
新商品を試食する。
仕入れ先と話す。
帳簿を確認する。
客と話す。
問題が起きれば対応する。
俺がいたい場所だ。
開店前。
シャルロットが腰まである金髪を整える。
青と白の短いメイド服。
アメリアが銀髪を払い、深緑とクリーム色の衣装を整える。
ロゼリアはピンクと白のフリルたっぷりのドレス。
クラウディアは深緑の髪をポニーテールにし、黒と緑の軍服風メイド服。
まだ少し不機嫌そうだ。
エリアンヌは金髪に青いリボンをつけ、白と淡い水色の上品なメイド服。
五人が並ぶ。
その後ろでリリアが新しい従業員に指示を出している。
俺はその光景を見る。
魔王を倒した。
三年間の戦争を生き延びた。
俺を殺そうとした国を滅ぼした。
三人の王女に《絶対支配》を使った。
そして俺の選んだ人生を壊そうとした王女と騎士にも――
同じ力を使った。
善人か?
分からない。
《絶対支配》を解除するつもりは?
ない。
でも、一つだけは分かる。
これは誰かから与えられた褒美じゃない。
使命でもない。
義務でもない。
俺が自分で選んだ仕事だ。
自分の店だ。
俺は扉に手をかけた。
「準備は?」
シャルロットがため息。
「もちろんですわ」
アメリアが頷く。
「はい、アレン様」
ロゼリアが両手を上げる。
「完璧です!」
リリアがすぐ言う。
「爆発は禁止です」
ロゼリアの手が下がる。
「……はい」
クラウディアは腕を組む。
「いつでも」
エリアンヌが優雅に微笑む。
「今日も頑張りましょう、ご主人様」
俺は扉を開けた。
客たちが入ってくる。
そして――
五人が並んだ。
シャルロット。
アメリア。
ロゼリア。
クラウディア。
エリアンヌ。
五人がスカートの端を軽く持ち、一礼。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
客たちが沸いた。
俺は思わず笑った。
その時。
「アレン様」
アメリア。
嫌な予感。
「何だ?」
「提案があります」
「人員?」
「いいえ」
「厨房拡張?」
「いいえ」
「……二号店?」
「はい」
「却下」
アメリアが帳簿を閉じる。
「いつか」
「ない」
「数字がアレン様を説得します」
「しない」
シャルロットが横を通る。
「私はアメリアに賭けますわ」
「お前は黙れ!」
ロゼリアが手を上げる。
「私もアメリアお姉様!」
「ロゼリア!」
エリアンヌも手を上げた。
「私は――」
「お前はもっと黙れ!」
クラウディアが真剣な顔。
「物流上の観点では――」
「聞きたくない!」
リリアがため息。
「アレン様」
「何だ?」
「お客様が見ています」
振り返る。
店内の客が全員こっちを見ていた。
沈黙。
常連客の一人が手を上げた。
「俺は二号店に一票!」
「投票じゃない!」
店内が笑いに包まれた。
俺は頭を抱える。
ふと窓際を見る。
あの諜報員がいた。
誇らしげにカードを見せてくる。
スタンプ――二個。
俺は親指を立てた。
男も親指を立て返す。
順調らしい。
その時。
ロゼリアが俺の前に来た。
何かを背中に隠している。
「何持ってる?」
「何も」
「ロゼリア」
「危険なものじゃありません」
「質問に答えろ」
彼女はゆっくりそれを出した。
小さなパフェ。
クリームの上に三つのピンク色の星が浮いている。
俺は見る。
「……爆発する?」
ロゼリアが満面の笑み。
「ゼロパーセントです!」
「本当に?」
「リリアが確認しました!」
厨房を見る。
リリアが頷く。
俺はスプーンを取った。
パフェに入れる。
すると――
三つの小さな星がふわりと宙へ舞った。
近くの席にいた少女が目を輝かせる。
「お母さん、見て!」
他の客も見る。
俺は一口食べた。
うまい。
かなり。
ロゼリアを見る。
大きな緑の瞳で、俺の答えを待っている。
「メニューに入れよう」
ロゼリアの口が開いた。
「本当ですか!?」
「ああ」
「やったぁぁぁ!」
飛びついてきた。
「ご主人様!」
「うわっ!」
抱きつかれる。
客たちが拍手する。
シャルロットが額に手を当てる。
アメリアは即座に帳簿を開いた。
「一個あたりの原価を計算します」
「アメリア! 五秒くらい祝わせてやれ!」
「すでに四秒経過しました」
「数えてたのか!?」
クラウディアがパフェを取ろうとする。
「安全性を私も確認します」
リリアが取り上げた。
「先にお支払いください」
クラウディアが固まる。
「私はここで働いています」
「だから無料になるとは言っていません」
「店を守っているのですが」
「パフェ無料は職務内容に含まれていません」
エリアンヌが笑い出す。
俺も笑った。
そして――
改めて店内を見る。
満席のテーブル。
新しく雇った従業員。
常連客と口喧嘩するシャルロット。
帳簿に何かを書き込むアメリア。
初めて安全な新商品を完成させて喜ぶロゼリア。
パフェを無料にしろとリリアと交渉しているクラウディア。
それを楽しそうに見ているエリアンヌ。
そして、全員をまとめているリリア。
窓際では、あの諜報員が二個目のスタンプを満足そうに眺めている。
騒がしい。
面倒だ。
毎日のように新しい問題が起きる。
それでも――
もっと繁盛してほしいと思う。
帝国にしたいわけじゃない。
自分でも分からないほど巨大なものにしたいわけでもない。
でも。
必要なら人を雇う。
良い給料を払う。
もっと良い材料を仕入れる。
設備も良くする。
席を満員にする。
客にまた来てもらう。
だって俺は――
ずっと他人に決められたことをやってきた。
この世界に召喚されたのも。
勇者になったのも。
戦争をしたのも。
全部、俺が望んだことじゃない。
でもこの店は違う。
《ROYAL MAID CAFÉ》。
最初は――
俺の店だと思っていた。
だけど。
目の前で働き、喧嘩し、笑っているみんなを見る。
もう少し違う。
俺だけの店じゃない。
――俺たちの店だ。
自然と笑った。
その時。
後ろから声。
「アレン様」
アメリア。
「何だ?」
「二号店についてですが――」
振り返る。
「アメリア!」
彼女は微笑んだ。
「いつか」
俺はため息をついた。
「……いつかな」
全員が止まった。
俺も止まった。
しまった。
アメリアの灰色の瞳が輝く。
「今、何と?」
「何も言ってない」
「『いつか』と」
「言ってない」
「皆さん聞きましたね?」
シャルロットが笑う。
「ええ」
ロゼリアが両手を上げる。
「二号店!」
クラウディアが即座に言う。
「候補地の選定を始めます」
エリアンヌが微笑む。
「契約条件を調べておきますね」
「待て!」
リリアまで小さく笑っている。
「リリア! 止めろ!」
「私は何も聞いておりません」
「絶対聞いてただろ!」
笑い声が店いっぱいに広がった。
俺は頭を抱えた。
魔王を倒す方が簡単だった。
本当に。
でも――
まあ。
これはこれで悪くない。
今日も《ROYAL MAID CAFÉ》は営業中だ。
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