ep59 エピローグ ⑤ 鼻についたクリームと甘い時間
披露宴会場のライトは、給食室の蛍光灯より、
ずっと柔らかい。
テーブルクロスの白と、キャンドルの炎が、
会場じゅうを温かく照らしていた。
ステージの中央には、大きなのウェディング
ケーキ。
ちいさな給食食缶と、ふーぴょんのマジパン。
そして、その横には——本物のカナベラ。
司会者の明るい声が響く。
「それでは、ここで新郎新婦による“ケーキバイト”
でございます!」
会場が一斉にわっと湧く。
ライトが少し強くなり、ケーキの上のカナベラに
スポットが当たる。
「……本当に、これでやるの?」
隣に立つ新郎が、ちょっと引き気味に小声で
聞いてくる。
鍛えられた肩の名残が、タキシードの袖越しにも
わかる。
「今さらやめる勇気、ある?」
そう言うと、彼は観念したみたいに笑った。
「ないね。」
会場じゅうからスマホが一斉に上がる。
わたしは、会社から借りたカナベラを手に取って、
豪快にケーキをすくい上げる。
ふわっと、スポンジと生クリームの匂い。
初めて食べたエビクリームライスと
全然違うのになんだか同じ匂いがして、
胸があたたかくなる。
「はい、あーん。」
新郎の口元に、カナベラごとケーキを運ぶ。
ざわっと笑いが起きる。
「給食会社の結婚式っぽい!」
「それはずるい!」
同期の笑いと歓声が、揚げ物を揚げるときの
油の音みたいに軽く弾む。
「これ、一生言われるやつだな。」
ケーキを飲み込んだ新郎が、
苦笑しながらそう言う。
次は、わたしの番だ。
今度は新郎がカナベラを握り、
わざと多めにクリームをすくう。
「はい、しいな。」
名前を呼ばれて、少しだけ背筋が伸びる。
わたしは口を開けて、カナベラから
ケーキを受け取った。
鼻についたクリーム、甘さと一緒に、
これまでの七年間の温度まで、
一気に飲み込んでしまったような気がする。
ケーキバイトが終わると、
同期たちの余興タイムが始まった。
スクリーンには、現場の厨房で撮った動画。
スチコンの扉を開ける音や、
計量カップを鳴らす音に合わせて、
みんながリズムよくカナベラを振って踊っている。
「……なんで、あの恥ずかしい練習風景、
残ってるの。」
思わずつぶやくと、隣で新郎が肩を
震わせて笑う。
「記録してない=やってないのと同じ、
って斎藤サブチーフが。」
「こんなとこで、そのフレーズ
使わないでほしい。」
スクリーンの最後には、同期や現場のみんな揃って
桜江のロゴと一緒に、「しいな、おめでとう」の
文字。
その文字がフェードアウトすると、
ゆっくりと照明が変わり、マイクの前に
一人の男が立った。
黒いスーツに、いつもはしていない銀のネクタイ。
相変わらず、少しだけ猫っけみたいなパーマ。
「それでは、桜江フードサービス
取締役執行役員、友部栄一様より、
お言葉を頂戴いたします。」
会場から、拍手が起きる。
友部さんは、ゆっくりと会釈してから、
マイクに口を近づけた。
「ただいまご紹介にあずかりました、
桜江フードサービスの友部です。」
結婚式らしい挨拶から入ると突然、
大きく息を吸って吐き出すと
「実は皆さんは、ご存じないと思いますが、
しいなさんと初めて会ったのは、実は——
彼女がまだ、小学生一年生のときでした。」
ざわ、と小さな驚きの気配が広がる。
「といっても、しいなさん本人は、
覚えていませんでした。
僕も幼馴染の大樹、
椎菜のお父さんのお別れの席で、
うさぎのぬいぐるみをぎゅっと
抱きしめて泣いていた小さな女の子がいて。
そのとき、“しいな”という名前を、
僕は初めて聞きました。」
母が、テーブルの下でハンカチを強く
握りしめる気配が伝わってくる。
「それから何年か経って、池尻の専門学校
就職ガイダンスで、真面目そうで、
でもどこか自信なさげな学生さんが、
“給食の仕事って、どうですか”と
質問してくれました。」
「ものすごく緊張した顔で、
でも、給食を食べれるよって話したら、
急に声が一トーン上がるんです。」
会場から、くすくすと笑いが起きる。
「運命の出会いを経て、曽野チーフの現場に
配属されました」
「当時チーフだった曽野マネージャーからは
しいなさんの成長をいっぱい
聞かせてもらっていました。」
「彼女は失敗したときに“どうするか”で、
ずっと正しいの道を選び続けてきました。
手を切っても、煮崩れかけた肉じゃがを
前に泣きそうになっても、
“次はどうしたらいいですか”と、
必ず誰かに聞きに行ける人です。」
マイクの音が、会場の空気に溶けていく。
グラスの触れ合う小さな音まで、
なぜかよく聞こえる。
「彼女には、僕の大事な幼馴染から預かった
“宿題”があります。」
少し間を置き
「“目の前の人を守れる人でいてほしい。”
それは、給食室でも、友人でも、
将来の自分の家族でも、同じことです。」
友部は、客席にいる母の方を見て、深く一礼した。
母の肩が、ぐっと震える。
「しいな。」
フルネームではなく、名前だけで呼ばれる。
人事の面談室でも、あの研究室でも、
何度も聞いてきた声。
「きみは、ちゃんと“宿題”をやり続けてきました。
これからは、隣に立つパートナーと一緒に、
その宿題を、少しずつ“幸せ”に
変えていってください。」
友部さんは、一瞬だけマイクから顔をそらし、
ほんの少しだけ小さい声でつぶやいた。
「お前のことだ……大樹、どこかで聞いてるな」
新郎と新婦の間に置かれたふーぴょんのぬいぐるみ の胸が一瞬動いたように感じた
そして、はっきりとした声に戻して、
言葉を続けた。
「君の大事にしていた椎菜は、
今日、幸せになったぞ」
その言葉は、
会場のどこかだけでなく、
この日を迎えるまでに積み重なった時間
そのものを
包み込むように響いた。
母は、もう隠そうともしない。
涙が頬を伝うたび、
キャンドルの光がゆらゆら揺れて、
まるで昔の食卓の灯りみたいに見えた。
「しいな。」
友部さんは、ゆっくりと微笑んだ。
「これからは、パートナーと一緒に、
“人生の幸せのレシピ”を
完成させて行ってください。
どうぞ末永くお幸せに」
グラスが小さく触れ合う音がした。
誰かが涙を拭き、
誰かがそっと手を握り直す。
まるで、会場じゅうが
“いただきます”の前の静かな祈りに
包まれ、
その後拍手が連なっていった。




