第2話 ハッピーコロッケとうずら一個ぶんの勇気 ②ハッピーじゃない?コロッケ
回転釜に油が注がれ、縣さんが声を張る。
「火つけまーす!」
回転釜は火災のリスクも高い。だから、
この一声が大事だと研修で聞いた。
(声だけなら、ほんとヒーローなんだよな、陸。)
揚げの工程が安定すると、曽野チーフがわたしを呼ぶ。
「浅倉さん、ちょっと。」
「はい!」
「揚げるときは、“油の温度を保つこと
”“一度に入れすぎないこと”がポイント。
手のけが、大丈夫?」
「……はい。」
「忘れちゃだめよ。ルールは守る。会社のルールって、
誰かの失敗から生まれてるから。」
「はい。」
「じゃあ、きょうは配缶手伝って。子どもたちの前に
出るごはんを、しっかり見てきて。」
四月なのに、曽野チーフの額には大粒の汗。
朝のバタバタをなんとか乗り越え、
ハッピーコロッケは揚げ上がった。
銀色のバットに並んだ、きつね色のコロッケ。
その一つひとつの中に、小さなうずら
卵が一個ずつ入っている……はずだ。
「成形のとき、うずらの位置、ちょっと偏ったかもなあ。」
縣が、揚がったコロッケを見ながらつぶやく。
「浅倉が玉ねぎ抜けた分、俺と朽木さんで詰めたから、
ちょっとペース乱れたかも。」
「大丈夫よ。見た目はきれいに揃ってるし。」
三浦さんは笑うけれど、その横で斎藤さんは
帳票とにらめっこしている。
「規定どおり個数は出てます。うずら卵のロスも、記録上はゼロ。」
温度、個数、アレルギー。
紙の上では、なにも間違っていない。
けれど――。
配膳が終わり、食缶が教室に運ばれたあと、
給食室のインターホンが鳴った。
『あの、四年二組ですけど……』
受話器を取った曽野チーフの表情が、少しだけかたくなる。
「……うずら卵が入ってないコロッケが、何個かあったって。
きょうはお休みの子もいたんだけど。」
(お休みの子がいたって、関係ない。ミスはミスだ。)
心の中で自分に言い聞かせる。
沈黙が落ちる。
湯気の音まで、小さくなった気がした。
「すぐ確認してきます。」
朽木サブチーフがエプロンの紐を結び直し、廊下へ走る。
その背中を見送りながら、心臓がまた早鐘を打つ。
誰かのコロッケには、うずら卵が二つ入っていて。
誰かのには、ゼロ。
“ハッピー”のはずのコロッケが、一瞬で“不公平”に変わる。
昨日のルウ失敗。
きょうの指の切創。
そして、見えないところでのバランスミス。
「……わたし、もっと、ちゃんとできたはずなのに。」
絆創膏の上から、ぎゅっと左手を握る。
「浅倉。」
背中から、静かな声。
「誰のせいとか、今は決めない。
原因は、あとで一緒に振り返ろう。
大事なのは、きょうの子どもたちに、どう向き合うか。」
曽野チーフのその一言に、喉の奥がきゅっと詰まる。
それでも何も言えないまま、午後の洗浄ラインに入った。
西さんの「指、あるか〜? つっつくつー。」
という声が遠くに響く。
ステンレスのカートの音。皿が当たる高い音。
全部が、きょうの失敗を責めているみたいに聞こえた。
仕事が終わるころには、絆創膏の下の傷よりも、
胸の真ん中のほうがずっと痛くなっていた。
帰り道。厩橋の上で、わたしは立ち止まる。
夕方の隅田川は、きのうと同じように流れているのに、
水面は少し重く見えた。
上下どちらが本物の世界なのか、一瞬わからなくなる。
トートバッグから、ふーぴょんを取り出し、
ぎゅっと抱きしめる。
「……きょうも、一日、おつかれさま。」
ふーぴょんの中から、やわらかい声が聞こえる。
「ねえ、ふーぴょん。」
小さく息を吸う。
「ハッピーコロッケ、残念だけどハッピーじゃなかったよね。
うずら卵、入ってない子がいたの。
わたし、なにも言えなかった。」
『ふむ。きょうのテーマは“バランス”だね、しいな。』
いつもの、ちょっと偉そうなタメ口。
『子どもたちは、“一人一個”って約束を信じてる。
その約束を守るのが、給食室の仕事。
……で、きょうのしいなは、どこまで守れたと思う?』
「……正直、半分も守れてない。」
川面に映る自分は、化粧も帽子もマスクも外した、
すっぴんの新人だった。
『じゃあ、あしたは“半分+うずら一個ぶん”くらい、
増やしてみよっか。』
「うずら一個ぶんの、なにを?」
『勇気。』
ふーぴょんの耳の根本あたりから、ふわっと光がにじむ。
目の前に、小さなホログラムが浮かび上がった。
『成形バランス可視トレー「コロ・バランサー」。』
銀色のトレーにハッピーコロッケが並び、
それぞれの下に小さなメーターがついている。
『重さと中身のバランスを、自動で可視化。
うずら卵が入ってないコロッケは、赤く光って
“おーい”って呼びかけてくれるんだ。』
「……そんなの、ほんとにあったら、便利すぎる。」
『いまは、しいなの頭と、オレのホログラムの中だけ。
でもさ、こういう未来のガジェットを思いつける人って、
いまの現場を一番よく見てる人じゃない?』
胸の奥で、小さくカチッと音がした気がした。
「……あしたの朝のミーティングで、言ってみようかな。」
絆創膏でふくらんだ左手を見つめる。
「次に同じメニューをやるとき、成形のときだけでいいから、
“うずらチェックの番”を、一人ずつ回しませんかって。
ざっくり重さを見る係でもいいから……って。」
頭の中で、何度も言い回しを並べ替える。
『それそれ。それが、うずら一個ぶんの勇気。』
ふーぴょんは、得意げに言う。
『いきなり全部を変えなくていい。
でも、きょうの失敗を“なかったこと”にしないために、
ちょっとだけ、声にしてみよ。』
夕焼けが、水面とふーぴょんのほっぺをオレンジに染める。
『しいな。』
「なに。」
『きょうのしいな、ちゃんと“がんばれる場所”にいたよ。
傷の数だけ、未来のガジェットは増えるんだから。』
胸の中で、友部部長の声が重なる。
『失敗から何を学ぶか。それをどう栄養にするかが大事。』
わたしは厩橋の上で、ひとつ深呼吸をした。
うずら卵一個ぶんの、小さな勇気。
それを、あしたの朝、給食室の空気の中にそっと落としてみる。
ハッピーコロッケが、本当に「ハッピー」になる日まで。
わたしの学校給食未来録は、まだまだ続いていく。
「ハッピーコロッケ」という名前、ずるいですよね。
オリジナルですが、このような工夫してる
給食室もあります。
もう最初から「期待していいよ」って
言ってるようなものでしょう。
だからこそ、うずら卵が入っていなかった
子のショックも、
実はけっこう大きいはずです。
いろいろな具材が入るおみくじ
コロッケなんかもあります
学校給食って、「一人一個」「みんな同じ」が
暗黙のルールの世界です。
アレルギー対応であえて変える場面を除けば、
「公平であること」そのものが“味”の一部に
なっている。
この第2話は、その「ちょっとしたズレ」が、
子どもにとってはどれくらい心に残る
出来事になるか、
それを浅倉椎菜側から描いてみた回でした。
現場目線で言うと、じゃがいも千個分の芽取りも、
うずら千個のせも、まあまあやばい状況です。
人数が足りなかったり、誰かが指を切ったり、
工程が一個ずれるだけで、
ライン全体のバランスが一気に崩れる。
カモン!DJポリース!とさけびたくなる
それを「気合い」で乗り切ろうとすると、
どこかで今回みたいな“見えにくいミス”が
顔を出します。
だからこそ、ふーぴょんのガジェットは
「コロ・バランサー」でした。
魔法で全部解決するんじゃなくて、
「本当はこういう“見える化”があったら、
現場はどれだけ楽で、安全で、公平になるだろう」
という、ちょっとだけ先の未来の道具。
働いたことのある人なら、
「あ〜、こういうことあるよな」と
苦笑いしてもらえたら嬉しいし、
これから現場に出る学生さんには、
「こういう失敗を、未来の工夫に
つなげていけるんだ」
と感じてもらえたら本望です。
次回は「大学いも山脈と、大きな傷」。
揚げ物に続いて、今度は“あまい山”と
向き合う椎菜の話に
なります。お楽しみに。ここまで読んでくださって
ありがとうございます。
「給食の現場、おもしろいな」と
少しでも感じていただけたら、
感想ぜひお聞かせください。
評価やブックマークをしてもらえると、
次の“給食の一皿”を書く力になります。




