ep53 研究室とガジェットたち
白いバンのテールランプが、夕方の街に溶けていく。
春と冬の境目みたいな冷たい風が、
肺の奥まで刺さってきた。
雪がちらつく中、友部部長の自転車が前を走り、
わたしはそのすぐ後ろで、
ひたすらペダルを蹴り続ける。
信号、車、歩行者、白い雪。
いつもの帰り道だった場所が、
急に別の国みたいに感じられた。
信号につかまり、一度停止する。
「しいな、滑るから気をつけろ。」
前を向いたまま、友部が叫ぶ。
「はいっ!」
返事だけは、やけに大きな声が出た。
でも、心臓はずっと早送りで、
今にも胸から飛び出しそうだ。
雪で路面が光って、自転車のタイヤが
少し空回りする。
わたしは慌ててブレーキを握った。
「ケガさせない君」を取り出し、
バンドを右手にはめる。
――追いつかなきゃ。
でも、急いで転んだら追いつけない。
まるで現場と同じ。慌てても、「安全最優先」。
あの白いバンの先に、陸がいて、ふーぴょんがいる。
さっきまで、当たり前みたいに隣で
くだらない話をしていた陸が、
今は車の中に“連れて行かれている”。
考えそうになるたびに、足にもっと力を込めた。
「友部部長!」
走りながら、わたしは叫んだ。
「これ、使えます!」
ショルダーバッグのチャックを開けて、
手探りで取り出したのは、
黒いフレームの細いゴーグルが、
街灯の光を受けて、かすかに光る。
ライン・ビューワー・グラス。
人や車が通った“熱の軌跡”を、
細い光の線として映し出す、
未完成のガジェット。
「なんだ、それ。」
友部が自転車を減速させ、振り向きざまに言った。
「お父さんのラボにあったやつです。
通った人の“線”が見えるんです。」
息を切らしながら、わたしは一気に説明する。
「さっきの白いバンの跡、
まだ残ってるかもしれない。」
「……マジかよ。」
友部の顔に、“信じたい”と
“信じきれない”が同時に浮かんだ。
「ほんとに、使えるのか。」
「わかんないです。でも、
今、試さない理由ありますか。」
自分でも驚くくらい、声ははっきりしていた。
父の手紙の一文が頭をよぎる。
――どうしても危なくなったときにだけ、
使えるようにしてある。
今が、そのときだ。
わたしも横に並んで止まる。
息が白く、乱れて空にほどけていく。
「しいなは指示してくれ。俺はついていく。」
わたしはヘルメットの上から、
グラスをざくっとかけた。
黒縁が少しだけずれて、
妙に似合っているのが悔しい。
「見えるか?」
「……はい。」
「どうだ。」
「道に、線が走ってる。車のやつは太くて、
人のは細い。たぶん。」
視線を左右に滑らせて、やがて一点で止めた。
「白い線が二本。そこそこ新しいやつが、
こっちに曲がってます。」
指さした先は、いつもなら通らない細い裏道。
「あそこです!行きましょう。」
再びペダルを踏み込んだ。
「おう。」
友部がついてくる。
車通りの少ない道に入ると、
さっきまでの喧騒が嘘みたいに音がしぼんだ。
雪が深々と降るせいか、普段より
街の音が小さく聞こえる。
アスファルトのひび割れ、古い自販機のうなる音、
どこかの店から漏れてくる油の匂い。
世界が急に、“現実”と“フィクション”の境目を
失くしたみたいに感じる。
「まだ線は?」
友部が、走りながら聞く。
「あります。バンの太いのと、人の細いの。
二つとも、まだ温かい。」
「よかった……。」
膝が笑いそうになる。でも、
止まるわけにはいかなかった。
道が少しずつ広くなり、倉庫やビルが並ぶエリアに
変わっていく。
川沿いの光は消え、代わりにトラックの
チェーンの音と、遠くの高架下を走る
電車の音が低く響いていた。
「止まるぞ。」
四つ角の手前で友部がブレーキをかけ、
タイヤが少し滑るのと同時に足をついた。
わたしも勢いのまま滑り込み、
横に並んで、転びそうになる。
ケガさせない君が光り、バランスを
維持してくれている気がした。
「ここで線が、ごちゃごちゃしてる。」
わたしはグラス越しに交差点をにらむ。
「車も人も多い。ここから先は、線が重なってて
わかりづらい。」
「じゃあ、陸は――。」
「まだ近い可能性はある。」
きっぱりと言われて、少しだけ足が地面に
戻ってきた気がした。
四つ角の先には、少し古びた
ガラス張りのビルがあった。
一階はシャッターの閉まった店舗。
二階より上は、オフィスか何かのようだ。
ビルの脇には、小さな駐車スペース。
そこに、見覚えのある白いバンが止まっていた。
「……あった。」
同時に、二人の声が漏れた。
テールランプは消えている。
でも、さっきまで走っていた
気配だけはまだ残っていた。
「しいな。」
友部が、視線だけでビルの入口を示した。
自動ドアの前には、オートロックのパネル。
そして、その上には、小さな監視カメラがひとつ。
わたしたちを、無言で見下ろしている気がする。
「正面突破は・・・・・ないな。」
友部の声が、いつもより少し低くなっていた。
「じゃあ、どうするんですか。」
わたしは自転車を押しながら、
ビルの影に身を寄せた。
心臓の音が、さっきより静かに、
でも深く響いている。
「ガジェット、まだ何かあるか。」
友部が小声で聞いてくる。
「あります。」
バッグのチャックを開け、
中身をそっと確かめる。
小さなドローンみたいな形のブリーズ。
そして、見慣れた筒――
エール・メガホン。
どれも、これまでの現場で
“ちょっとだけ”わたしたちを
助けてくれた相棒たち。
「ブリーズで、きっと中、全自動で見られます。」
「まじか....す…すごいな。」
ブリーズは、小さなドローンみたいに
空中をふわりと漂うことができる。
正確には、換気補助用の“空気循環ガジェット”だけど、
窓の隙間さえあれば、廊下の様子くらいなら
覗けるはずだ。
「エール・メガホンは?」
「音、飛ばせると思います。
別の場所で騒ぎが起きてるみたいに、
聞こえさせることも、一応。
今までそんな使い方、してないですけど。」
友部は短くうなずいた。
「つまり――。」
彼はビルの構造をざっと見渡してから続ける。
「ブリーズで中の様子を確認する。
人の位置と、入口の数。」
「はい。」
「エール・メガホンで、このビルの反対側あたりで
“何かあった風”の音を流す。」
「そしたら、警備の人とか、
様子を見に行きますよね。」
「その隙に、こっち側から入る。」
わたしたちは、同時に
息を呑んで顔を見合わせた。
「……できると思うか。」
友部が、あえて軽い調子で聞いてくる。
「やる前に、できないって言うの、
好きじゃないです。」
自分でも驚くくらい、すらっと言葉が出た。
「それに、陸が待ってます。」
ほんの少しだけ、声が震えた気がする。
でも、もう止まれなかった。
「よし。」
「そのメガネ、俺も使えるか?」
「わかりません。」
「やってみていいか?貸してくれるか。」
友部がライン・ビューワー・グラスを受け取り、
深く息を吸って、かける。
「しいな。」
「はい。」
「見えるぞ、マジで。なんだか信じられん。」
「ブリーズは、しいなが飛ばしてくれ。
俺はライン・ビューワーで、
中の“線”を追う。」
「わかりました。ブリーズの映像は
グラス越しに見えるので、
確認してください。」
「何から何まで……。」
「エール・メガホンは、タイミングを合わせて
しいなが使ってくれ。合図をしたら、
俺がオートロックのところまで走る。」
「はい。」
「しいな。」
「はい。」
「危なかったら、怖かったら、引き返せ。
本当に。ケガはするなよ。
陸のことは、俺がなんとかする。」
その言葉が、喉の奥に引っかかった。
「怖いです。」
正直に言うと、友部の目が
わずかに見開かれた。
「でも――。」
わたしは、腕についた「ケガさせない君」を
握りしめた。
「怖くても、行きたいです。
これもあります。ケガ、しないです。」
父の手紙の一文が、背中を押してくれる。
――目の前の人を、守れる人でいてほしい。
「わかった」
友部は小さく笑って、
目尻の力を抜いた。
「そこまで言うなら、
止めても無駄だな。」
「はい。」
即答すると、胸の奥が少しだけ
あたたかくなった。
「それにしても……。」
友部は、わたしの腕のバンドと
バッグをちらっと見て、小さく息を吐いた。
「大樹のやつ、思いを詰め込んだな。」
名前を聞いただけで、胸のどこかが
きゅっと熱くなる。
友部は自転車を押し直し、
ビルから少し距離をとった。
「ここで突っ込んだら、相手に見つかるな」
「とりあえず裏から回ろう。」




