ep50 母と地下の秘密
作者より、すこしだけご挨拶
第12話では、物語がこれまで以上に
SFへ大きく振れます。
急に方向転換したように感じる方もいる
かもしれません。
まずは、その驚きに対して
正直に一言だけお伝えします。
ごめんなさい。そして、それ以上に、
楽しんでほしいです。
この物語は、給食室のリアルと、下町の日常と、
そして浅倉椎菜という一人の働く人の
成長を描きながら、
同時に“父が残した謎”と“ふーぴょんの存在理由”を
ゆっくりと育ててきました。
12話は、その積み重ねが一気に
表に出る回になります。
読者の皆さんが大切に読んでくれた日常が、
ここでようやく“物語の奥の層”とつながります。
椎菜の視点はずっと変わらず、驚いて、戸惑って、
でもまっすぐ前を向く彼女の姿は今までと同じです。
どうか気軽に読んでいただければと思います。
そしてワクワクが少しでも伝われば、
作者としてこれ以上の喜びはありません。
それでは、第12話へどうぞ。椎菜の“ここから先”を、
見届けてもらえたらうれしいです。
入社して2年目の3月。
休日の夕方、浅草の古い家の台所には、
味噌と出汁の匂いが
ゆっくりと広がっていた。
窓の外では、隅田川の方から少し冷たい風が
吹き込んできて、
カーテンの裾をふわりと揺らしている。
わたしはエプロン姿のまま、
流しの横の小さな丸椅子に腰を下ろして、
ふーぴょんをぎゅっと抱えていた。
「……お母さん。」
コンロの火加減を見ていた母・瑞樹が、
振り返らずに返事をする。
「なぁに?」
「実は言えていなかったことがあるの。
今年の春、友部部長と話してね」
自分で言っていて、話を飲み込んで
しまおうと思う。
けれど、一度口に出してしまった言葉は、
もう飲み込めない。
母はおたまを鍋のふちにかけて、火を弱めた。
そして、ゆっくりこちらを振り向く。
「何かあった?」
「部長が、この家に LAB があるって…
ないよね。そんなの」
コンロの火を止めて、エプロンを外して
意を決した表情で
「……やっぱり、知っていたのね。」
淡い灯りの中で、母の目が少しだけ細くなる。
からかうでもなく、驚くでもなく、
どこか覚悟を決めたような顔だった。
「実はね、椎菜。
あなたにも伝えなくちゃいけない日が
来たみたい。」
胸の奥が、きゅっと鳴る。
「伝える日?」
「うん。」
母はエプロンの裾で手を軽く拭きながら、
静かに続ける。
「ずっと、タイミングを迷ってたの。
あなたからの声も。」
「……ちょっと待って。」
わたしは思わず、声をひとつ上げていた。
```
「なんで、今まで教えてくれなかったの?
```
お父さんのこととか、研究のこととか……
わたし、この家のラボなんかあるなんて、
一回も聞いてない。」
自分でも子どもっぽい言い方だと思う。
でも、あふれてきた疑問は止まらなかった。
母は少しだけ目を伏せて、
うん、と小さくうなずく。
「あの頃のあなたに見せても、
きっとわからなかったと思うの。
それに……あまりにも大きすぎる話は、
小さいあなたには、支えきれないと思ってた。」
言いながら、母は台所の蛍光灯をひとつ消した。
窓から入る夕暮れの光と、居間側の電気だけが、
部屋を斜めに照らす。
「でも今のあなただったら、
大丈夫。きちんと受け止められるって、
お父さんも、きっと思ってる。」
名前を出された瞬間、胸のどこか、
長いこと触られていなかった
場所に静かに指先を置かれたみたいな感覚がした。
「……お父さんが?」
「ええ。」
母は、ふっと表情をゆるめる。
「ちょっと、こっちに来て。」
母に促されて、わたしはふーぴょんを抱いたまま、
大工工房に移動した。
工具が下がる壁際に昔からおいてある、
大きな椎の木のテーブルがと構えている。
「このテーブル、ちょっとずらすわよ。」
「え、これ、一度も動かしたことないよ。
めちゃくちゃ重いやつじゃん。」
「重いから、手を離さないの。」
そんなやりとりをしながら、
二人でテーブルの端をずらしていく。
床板をこする鈍い音が、ぎぎ、と部屋に響いた。
テーブルの下から現れたのは、四角く切り
取られた古い床下収納の蓋。
ただ、普通と違うのは――蓋の端に、
小さな金属の穴があった。
「これ……鍵穴?」
「そう。」母はしゃがみ込みながら言う。
「あなたが生まれる前から、
ずっとここにあったのよ。」
わたしは床に膝をつき、その小さな穴を
じっと見つめた。
丸でも四角でもなく、
少しだけ独特の形をしている。
「これさ……もしかして。この形」
口から勝手に言葉がこぼれる。
「もんじゃベラ、じゃない?」
母がきょとんとした顔をして、
それから「ふふっ」と小さく笑った。
「椎菜、やっぱりそう思う?」
「だって、ほら。この変な形、
うちで昔から使ってた
もんじゃべらの形だし。」
「そうかもしれないわね。
台所の、昔から使ってるやつ。
おじいちゃんの代からある、あの鉄のやつ。」
しいなは立ち上がり、台所へと小走りで戻る。
しばらくして、手にして戻ってきたのは、
年季の入った、少しだけ持ち手の塗装がはげかけた
もんじゃベラだった。
「……本当に、これで開いたら、
ちょっと怖いんだけど。」
そう言いながら、わたしはベラを
穴に合わせてみると、
金属同士が触れ合う、ひやりとした感触。
形は、ぴたりと合った。
丸いハンドルのようになったものを右に
回してみる。びくともしない。
左に回してみる。
「いくよ。」
小さく息を吸って、そっとひねる。
カチン。
乾いた軽い音がして、
歯車の音と共に床下収納の蓋が、
かすかに浮いた。その隙間から、
古い木材の匂いと、
ひんやりとした空気がふわりと上がってくる。
「……開いた。」「もんじゃべらって、
お父さんふざけてるし」
わたしがつぶやくと、
母は笑いながら静かにうなずいた。
「さぁ、行きましょう。」
蓋を持ち上げると、
階段が自動的に地下に伸びていく。
コンクリートむき出しの壁に、
ところどころ配管が走っている。
「足元、気をつけてね。」
母の声を背中で聞きながら、
わたしはふーぴょんを片腕で抱き直し、
軋む段を一段ずつ踏みしめて、
ゆっくりと下りていった。
階段を降りきると、そこには小さな扉がひとつ。
母が壁のスイッチを押すと、
頭上の裸電球がぱちんとついて、
黄色い光が狭い空間を丸く照らした。
扉を開けると――
ひんやりとした空気と一緒に、古い紙と
ほこりの匂いが、鼻の奥に届く。
そこは、父・浅倉大樹のラボだった。
「TAIJYU LAB 2nd」とプレートが貼られていた。
かたちから入る父らしいと感じた。
部屋は六畳ほどだろうか。
壁際には金属のラックが並び、
その上にはファイルやバインダー、
背表紙に外国語が並ぶ分厚い本が
ぎっしり詰まっている。
壁には大学院で海外の人と
一緒に研究している写真が写っている。
奥の机には、紙が山のように積まれていた。
どれも細かい字のメモや、回路図のような線、
そして、関節やセンサーらしきものが
描かれたヒューマノイドのスケッチ。
そのどこかに、見慣れたうさぎの
シルエットがあるんじゃないかと、
つい目で探してしまう。
けれど、そこに描かれているのは、
どれももっと無機質で、
まだ「ロボット」になりきれていない線だった。
部屋の片隅には、
大きなコンピュータが鎮座していた。
今どきのノートパソコンとはほど遠い、
ごつごつした箱。
古いモニターと、分厚いキーボード。
にもかかわらず、その機械は、
いまもかすかな唸り声をあげていた。
ファンの回る音が「うぅん……」と低く続き、
時々、中で何かが切り替わるリレー音のような
「カチッ」という
響きが混じる。これスーパーコンピュータって
やつ??
「……まだ、動いてるんだ。」
思わず口にすると、母が隣でうなずいた。
「そうね。壊れなければ、多分、永遠に
動き続けるはずだって、お父さんが言ってた。」
モニターの隅には、見たことのないOS の画面が
じわじわと明滅している。英数字の羅列の中に、
「shina β」と
いう文字列が、ちらりと見えた気がした。
胸のあたりが、少しだけ熱くなる。
わたしが抱えている、
ふーぴょんの中にいる存在と、
このスーパーコンピュータが、
細い線でつながっているような気配。
「椎菜。」
母が机の方を指さす。
「そこ、引き出しを開けてみて。」
言われた通りに、一番上の引き出しに手をかける。
金属のレールが少し渋い音を立てて、
ゆっくりと前に出てきた。
中には、厚手の封筒が一通だけ、
きちんと真ん中に置かれていた。
表には、少し癖のある字で、こう書いてある。
『しいなへ』
喉が、ごくりと鳴った。
「……わたし宛て?」
「ええ。」
母は一歩下がって、わたしに場所を譲る。
「お父さんが亡くなる少し前に、
たしか手紙を書くって
『しいなが、自分で道を開けられるように
なったら渡してほしい』って。」
指先が、少し震える。
それでも、封筒の端をそっとつまんで持ち上げた。
紙は時の重さを吸い込んだみたいに、
少しだけ黄ばんでいる。
わたしは深呼吸をひとつして
その場に立ったまま封を切った。
中から折りたたまれた便箋を取り出し、
ゆっくりと広げる。
『しいなへ。
これを読んでいるということは、
僕は君の近くには、
もういられなかったんだろうね。
寂しい思いをさせて、ごめん。
でも、君のそばには、きっと別のかたちで
僕が残っているはずだ。
お父さんの研究は、
人を楽にも、不幸にもできてしまう。
機械も、AI も、ガジェットも、
使い方ひとつで、薬にも毒にもなる。
ここで僕が作っていたもの―― shina β は、
誰かの暮らしを少しだけあたたかくするための
ガジェットだ。
そうでなければ、作る意味はないと思っている。
もし君が、この研究の先に出会ってしまったら、
どうか約束してほしい。
“人々の心を、少しでもあたたかくすること”。
それ以外のために、この力を使わないでほしい。
そして、万が一、この力が君の手から
離れそうになったときのために、
最後にひとつだけ、保険を書き残しておく。』
そこから先は、急に難しい数式や、
見慣れない英字の羅列が増えていった。
「……なにこれ。」
思わず声に出すと、隣で母がそっと覗き込む。
「専門的なことは、私もよくわからないわ。
でも、お父さんが言ってた。
『どうしても危なくなったときにだけ、
使えるようにしてある』って。」
便箋の下の方には、短い一文が、
丸で囲まれたみたいにぽつんと書かれている。
それは、どこかで聞いたことのある、言葉だった。
今ここで声に出したら、
何かが決定的に変わってしまいそうで、
わたしは、そこだけそっと
目を滑らせて頭の中に記憶をした。
手紙の最後には、いつもの少し不器用な調子で、
締めくくられていた。
――目の前の人を守れる人でいてほしい。
読み終えた瞬間、胸の奥が、
じんわりと熱くなった。
「……お父さん、未来、見えてたのかな。」
笑うような、泣くような声が出た。
わたしの腕の中で、ふーぴょんは何も言わないけど
目をぱちぱちとして何か交信しているようだった。
話しかけても反応はない。
コンピュータの低い小さな唸りと、
古い紙の匂いと、母の静かな
気配に包まれていると、
ここでひとりの人間が、
ずっと前から、わたしの
今を想像してくれていたんだ、
ということだけは、はっきりと伝わってきた。
「椎菜。」
母が横で、静かに言う。
「あなたが、毎日、給食室でしていること全て。
それはきっと、お父さんの願いそのものよ。」
「……子どもたちの『給食をつくる』ってこと?」
「そう。
目の前の誰かの暮らしを、
少しだけあたたかくする。
それって、まさに、あなたの仕事でしょう?」
言われてみれば、その通りだった。
大量の野菜を刻んで、煮て、炒めて、揚げて。
配缶車を押して、汗をかいて。
食器がカチャカチャと鳴る教室の音。
「おいしかった」と笑う顔。
残菜表の数字に、いちいち一喜一憂する日々。
地味だけど、確かにあたたかい場所。
「……なんかさ。」
わたしは便箋を胸に抱きしめる。
「世界とか、国とか、そんな大きい話は
よくわかんないけど。
お父さんが言ってることって、
ほとんど、今の給食室のことじゃん。」
言葉にすると、少しだけ肩の力が抜けた。
きっと、わたしは特別なヒーローにはなれない。
でも、朝六時前に起きて白衣を着て、
目の前のごはんと子どもたちの
「いただきます」を守ることなら、
もう二年間、ずっとやってきた。
それを、これからも続けていけばいい。
それが、浅倉大樹の娘として、
そして一人の給食調理員として、
わたしが未来に繋いでいけるものなんだ。
「戻ろっか。」
わたしが顔を上げると、母は「そうね」と
うなずいた。
電球のスイッチを切ると、
研究室はすぐに暗くなる。
最後に、古いコンピュータのモニターだけが、
ほんの一瞬、蛍のようにまたたいて、
それから静かに沈黙した。
階段を上がりながら、わたしは胸の中で、
さっきの手紙の一文を
何度も何度も繰り返す。
――目の前の人を守れる人でいてほしい。
そうだ。
わたしは、そうありたい。
そう思いながら、ふーぴょんを
ぎゅっと抱きしめた。
古民家の椎の木の床板がきしむ音と、
台所から立ちのぼる
湯気の匂いが、いつもより少しだけ、
あたたかく感じられた。
今回の章を書きながら、
自分でも何度か手が止まりました。
しいなが初めて「浅倉家の秘密」に触れ
この場面は、
単なるSF設定の回収ではなく、彼女が“働く理由”を
自分の言葉でつかみ直す回でもあったからです。
学校給食の現場は、派手なヒーローとは無縁です。
誰かが拍手してくれるわけでもなく、
評価の多くは調理現場に届きにくい。
それでも、目の前の子どもたち一人ひとりが笑って
食べてくれたら、それで十分救われる日があります。
浅倉大樹が娘に残したメッセージは、
難しい科学の話でも巨大な使命でもありません。
“目の前の人をあたためる”。
ただそれだけです。
けれど、給食の仕事に関わった人なら
きっと分かるはずです。
この“ただそれだけ”が、いちばん難しくて、
いちばん続けがいがある。
給食は、誰かの暮らしをほんの
少し支えるためにある。
しいながラボで受け取ったのは、
父の研究の正体ではなく、
その思想のバトンでした。
ここから物語は一気にSFへ振れていきます。
でも、軸は変わりません。
しいなが明日も白衣を着て、同じ釜の前に立つ理由。
それを大切にしながら、物語の“心臓”だけは
ぶれないように書き進めています。
続きも楽しんでもらえたら、とても嬉しいです。




