ep45 母の筑前煮と母からもった名前
日曜日の朝だった。
学校給食の現場は休みだけど、
病院勤めの母は、ふつうは日曜も
関係なく働いている。
そんな母が、ひさしぶりに丸一日休みを
シフト日。
(世の中の栄養士さんって、
ほんと大変なんだよな……。
学校給食の土日も年末年始も休みって、
贅沢なんだなって最近よく思う。)
それを実感してるからこそ、
今こうして
「日曜の朝にふたりとも家にいる」ことが、
ちょっとした奇跡みたいに感じる。
奥浅草の古い家の台所には、
平日の朝とはちょっとちがう、
ゆっくりした空気が流れていた。
すりガラス越しの光が、
味噌汁の湯気と混ざり合って、
部屋の中をやわらかく曇らせている。
枕元を見る。
そこには、昨日の夜に生まれた
ばかりのガジェットが、
ちょこんと置いてあった。
——銀色の、小さな椎茸みたいな
ワイヤレスイヤホン。
傘の部分は、ぷっくりした半月型。
軸の部分が耳に刺さる形になっていて、
全体に細かい文様と回路図みたいな線
が走っている。
「やっぱり夢じゃなかったんだ……。」
そうつぶやきながら指でつまむと、
イヤホンはほのかにあたたかい。
階段を降りると、台所からは、
聞き覚えのありすぎる音と匂いがした。
コトコト……。
しょうゆと砂糖と、だしの甘い香り。
「……また、筑前煮?」
思わず言葉が漏れる。
「“また”とは失礼ね。」
コンロの前で鍋をかき混ぜていた母——
瑞希が、振り返りもせずに返してきた。
今日はエプロン姿の母。
「日曜の朝くらいはねって思って。
多く作って明日以降のおかずよ」
「昨日、千食作ったばっかりなんだけど。」
「そっちは学校。こっちは家庭。
現場と家は別腹ってことで。」
「何それ、アイスじゃないんだから」
母がダイニングテーブルにご飯、味噌汁
おしんこそして小さめの茶色い皿をそっと置いた。
大きめに切られた鶏肉、ごぼう、たけのこ
花形のにんじん
平らに切ったこんにゃくに切り目を入れて、
くるりと巻き込む手綱こんにゃく
味のしみ込みも良くなり、
見た目にもちょっと華やか
母が料理人であることのちょっとしたアピール
“いつもの筑前煮”に見えた。
わたしは、ふつうに箸を伸ばして
ひと口、口に運ぶ。
だしはきいていて、味はやさしい。
おいしい。おいしいんだけど——。
(……あれ?)
舌が、先に首をかしげた。
全部ちゃんと味はするのに、どこか
「ぼやけている」。
「なんか、いつもと、ちょっと違う……?」
もう一口、鶏肉とごぼうを一緒に口に運び。
やっぱり、まとまってるはずの味が、
真ん中でスッと抜けている感じがした。
「これ……干し椎茸、入ってない?」
思わず顔を上げると、母は、少し得意げに笑った。
「気づくと思った。」
その言い方は、試験問題の
正解を当てられた先生みたいで、
ちょっと悔しくて、でも少しうれしかった。
「じゃ、次はこっち。」
母が、コンロのほうから少し大きめのいつもの
お皿を持ってくる。
さっきと同じ筑前煮——ただし、
そこには見慣れた茶色の半月を半分にした
それが混ざっていた。
「……椎茸入りもあるんだ。」
「 しいなの反応を、ちょっと見たかったの。」
わたしは、椎茸を避けすぎないように
気をつけながら、具材をひと口すくう。
噛んだ瞬間、ふわっと広がる香り。
さっきと同じはずのだしが、急に奥行き」を
持ちはじめる。
(うわ……さっきより、
“ちゃんと立ってる”味だ。)
にんじんの甘さも、ごぼうの香りも、
椎茸の後ろから押し出されるみたいに
くっきりしてくる。
耳元で、テイストリスナーが
ふわりと震えた。
耳の内側に、小さな声が降りてくる。
《比較結果: 椎茸なし
→ うま味成立・輪郭やや 平坦。
椎茸あり → 干し椎茸由来グアニル酸が、
味の“底あげ”を形成。
イノシン酸とグルタミン酸との相乗効果確認
他具材の甘味・香りを底上げ中。》
(……そういうことなんだ。)
わたしが舌でぼんやり感じていることを、
テイストリスナーは答え合わせだけ
してくれている気がした。
「ね、分かるでしょ。」
母が、わたしの顔をのぞき込む。
「うん。 椎茸そのものは、まだちょっと
得意とは言えないけど……
“いないほうがいい”味じゃないって
ことは、分かってきた。」
「上出来。」
お母さんはね
「好き嫌いは、あっていい。
無理に食べなくていい。
でもね、
食材には感謝すること。
それが一番大事。」
「大人になってから、
ふと食べられるようになるものもある。
栄養士はね、
好き嫌いを矯正する仕事じゃない。
そこにあるものを、
ちゃんと出し続ける。
それで、
いつか仲良くできる日が来たら
仲良く出来るような場にしてあげる仕事だと、
私は思ってる。」
母は熱いお茶をすすりながら、
満足そうに笑った。
◇
「ねえ、しいな。」
母はふと、真面目な声になる。
「あなた、自分の名前の“椎”の字の意味、
ちゃんと話してあげたことあった?」
「え、椎茸の“しい”でしょ。 ……って言うと、
だいたい笑われるけど。」
「半分正解、半分違う。」
母は、テーブルの上の二つの皿を
見比べながら続けた。
「私の父——あなたのおじいちゃん、
大工だったでしょ。」
「うん。 いつも鉛筆耳にさしてた写真の。」
「そう、父はね。 “椎の木”を
床材に使ってたのよ。
うちの机やフローリングも、ほとんどそれ。」
「え、そうなんだ。」
「シイの木って、どんぐりがなる樹でね。
木目がずっと連なっていて、
部屋に奥行きが出る感じが、私は好きだったの。」
母は、指先でテーブルを軽くなでる。
「もともと椎茸って、シイみたいな
照葉樹の枯れ枝に生えるキノコらしいの
だから“椎の茸”で、
椎茸って言うの。」
「なんか、一気に“名前にちゃんと理由に
厚みがましたね。」
「これはねおじいちゃんからの受け入りだけど
しいの木は、もともと堅木として知られていて、
杉よりずっと硬くて、
ナラにも負けないくらいって言われてるの。
傷がつきにくいから、
“長く暮らしを支えてくれる床”になる。」
「なんか、“頑丈な人”って感じ。」
「ただね、すごくデリケートでもあるのよ。
温度を上げて一気に乾かそうとすると、
すぐ割れてしまう。だからあまり使う人は少ない
でも、おじいちゃんはそれがいいっていつも、
じっくり時間をかけて天然乾燥してた。」
“時間をかけて付き合う木”——
その言葉が、妙に耳に残る。
「ひと目で『主人公!』って感じの
木じゃないけどさ。
足元で、静かに長く人の暮らしを守る木。
そういう椎の木みたいに、
“そっと周りを生かす人”になって
ほしいなって思いを込めてこの字を選んだの。」
「……主人公じゃなくてもいい。
でも、いないと全体が
変わっちゃう人、ってこと?」
「そう。 表にドンと出なくても、
ちゃんと場を支えてる人。
そういう存在に、って。」
椎茸あり・なしの筑前煮を見比べる。
ただの「苦手なきのこ」だったものが、
今度は、家の床と、自分の名前の一文字と、
全部つながって見えてくる。
「……なんか、難しく聞こえるけど。」
「大丈夫。 支えるものってね、
最初から完璧じゃなくていいの。
少しずつ、年輪を重ねて強くなって
いくものだから。」
母は、やわらかく笑った。
「そう。 あと小松菜も、いつか好きになってね。」
「そこ、最後にサラッと入れてくるの、
ずるくない?」
文句を言いつつも、 母の“いつもの笑顔”が、
なんとなく
今日は違って見えた。
「お母さん。」
わたしは箸を置いて、意を決して口を開いた。
「実はね、言ってなかったことがある、
聞いてくれる?」
母は驚かなかった。むしろ、
「ようやく来たわね」という顔をする。
「いいわよ。」
「……聞いたら、ちょっと
引くかもしれないけど。」
「何年、あなたのお母さん
やってると思ってるの。」
その一言で、少しだけ肩の力が抜けた。
わたしは深呼吸をしてから、
これまでのことを話し始めた。
会社のサンプルぬいぐるみだった
『ふーぴょん』のこと。
初日の大失敗のあと、曽野チーフから
預かったこと。
夜になると、胸のあたりのハート
みたいな部分が光って、
色々なガジェットを編み出してしまうこと。
そして——
それが、お父さんの研究と
つながっているかもしれないこと。
母は途中でさえぎらず、
ただ黙って、相づちだけ打ちながら
聞いてくれた。
「……こんな感じ。」
話し終えて、わたしは苦笑する。
「自分で言ってても、
ちょっと変な話だなって思うんだけど。」
「そう?」
母は、きっぱりと言った。
「しいなが誰かを傷つけることに
使っていない限り、
その子も、そのガジェットも、
悪いものじゃないと思うわ。」
「でも、お父さんの研究、危険かもって——」
「それはそれ。」
母は、うさぎ柄の湯飲みをそっと
テーブルに置く。
「“どう使うか選ぶ人”が大事なのよ。
お父さんは、悪いほうに使わない人間
だって信じて、
託す相手を選んだんでしょう?
友部さんに預けたのも、
ちゃんと理由があった....はず。」
胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。
「少なくとも、しいなが今、
子どもたちの給食のことを一生懸命
考えて使っているなら——」
母は、まっすぐわたしを見て言った。
「それは、お父さんにとっても
きっと正しい使い方よ。」
テーブルのわきで、ふーぴょんの入った
バッグがちょこんと座っている。
うさ耳が、ぴくりと動いたように見えた。
「……さっきの椎茸の話と、ちょっと似てるね。」
「そう?」
母が顔を見つめて答える
「“食材をどう生かすかは、
作る人次第”っていうか。」
「うまいこと言うじゃない。」
母は満足そうに笑った。
「さ、冷めないうちに、椎茸入りのほう
食べちゃいなさい
今日のは“記念日の味”なんだから。」
「はいはい。」
わたしは、さっきより少しだけ素直な
気持ちで、椎茸と目を合わせた。
第3章を書き終えて、少しだけ
私自身の話をしてみようと思います。
作中で椎菜が向き合った「干し椎茸の壁」ですが、
これは完全に実話です。
実は私も、学校栄養士1年目若いころ
干し椎茸が本当に苦手でした。
あの独特の香りと食感がどうしても
好きになれなくて、子どもたちにも人気がなくて
ある日とうとう筑前煮に椎茸を入れずに
献立を立ててしまったんです。
その日の給食は、普通に食べてくれました。
でも、私は明らかに何かが足りないと
気づいてしまった。
味の奥行きというより、料理として欠けた“骨組み”が
そのまま抜け落ちたような そんな感覚でした。
あの日、栄養士という仕事の重さを
痛いほど感じました。
献立は栄養士が決める——
言い換えれば、「味の責任」と
「文化の責任」を預かる仕事です。
苦手だからと外す判断は、
本来してはいけないものだと
そのとき心から理解しました。
作中で椎菜が、苦手に向き合いながら
少しずつ理解していく姿は、あの日の私の気づきを
そのまま物語に置いたものです。
今でも椎茸は苦手です。でも献立には必ず入れます。
美味しい給食を提供していく使命を感じた
その瞬間の変化を書けたのは、
自分でも大切な一場面でした。
第3章は、そんな“実感そのまま”の章です。




