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学校給食未来録 ~ちょっとSF/浅倉椎菜の青春日記~  作者: STUDIO TOMO
11章 母の筑前煮と美味しさ翻訳

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ep44 ふーぴょんの夜仕事とイヤフォン

 その日の片づけが全部終わるころには、

 手首まで少しだるかった。

 千食分の回転釜を相手にすると、

 「今日もちゃんと働いた」というより

 「よく生きて帰ってきた」くらいの感じになる。


 ロッカーで白衣を脱いで、

 自転車をこいで隅田川沿いを抜ける。

 川風が当たると、さっきまで

 まとわりついていた椎茸と醤油の

 匂いが、少しだけ遠ざかっていく。


 ——でも、頭の中にはまだ、残っていた。

(椎茸、やっぱりちょっとむりだなぁ……)


 子どものころから、あの香りだけは

 少し身構えてしまう。

 味そのものは我慢できる。

 でも、「好き!」って胸を張って

 言えるほどではない。


 給食室では「嫌い」とは言えない。

 仕事だから、ちゃんと扱えなきゃいけない。

 それは分かっているけど、

 「得意じゃないものと正面から向き合う」のは、

 まだ少し勇気がいる。


 ハンドルを握りながら、朽木サブの横顔と、

 陸の赤くなった耳が頭の中で交互に浮かぶ。

 (そうですねって言っただけなんだけどな……)


 自分でもびっくりするくらい、

 すっと「そうですね」

 なんて口にしてしまった。

 ああいう素直さは、普段のわたしにはあまりない。

 それを聞いたあとの、陸のあの顔。

(……あれ、本当にヤキモチだったのかな)


 考えれば考えるほど、胸の中が筑前煮

 みたいにぐつぐつしてくる。

 風は涼しいのに、顔だけじんわり熱い。


 そんなこんなで、気づけば家に着いていた。


 木の引き戸を開けると、

 いつもの古い家の匂いが迎えてくれる。

 だしと醤油と木材と、ちょっとだけ古い本の匂い。


「おかえり、しいな。」


「ただいまー。」


 キッチンから母の声がする。

 テーブルにはもう、ごはんと味噌汁が並んでいた。


「今日筑前煮だったんでしょ?」


「うん。千食。……さすがに疲れた。」


「でしょうねぇ。」


 母は笑いながら、

 わたしの前に湯気の立つお茶を置いた。

 その笑いには、「分かってるわよ」という

 長年の現場経験の重みが混ざっている。


「椎茸は?」


「……がんばった。」


 それだけ答えると、母はそれ以上は

 突っ込まなかった。

 「苦手」だと知っているからこそ、

 あえて多くは聞かないのだと思う。


 ごはんを食べ、お風呂に入る。

 今日は小さなご褒美に、棚の奥から

 「草津温泉の素」をひとつ取り出した。

  湯船につかると、さっきまでの熱気が

 ようやく身体から抜けていく。

 (でも、いつまでも“苦手で

  ごまかす”わけにはいかないんだよね)


 仕事として扱う以上、

「なんとなく苦手だから」で止まっていたくない。

 ちゃんと「どうしてそう感じるのか」も含めて、

 向き合えたほうがきっと楽だ。


 そう思うと同時に、胸の奥に、

 昼間の別の記憶がよみがえる。

 三浦さん、斎藤さん、朽木サブ、陸。

 それぞれが自分の位置で動いていて、

 わたしもその輪の中にいる

 ——はずなのに、

 どこか、まだ一歩だけ外から覗いているような

 感覚がときどき顔を出す。


(もっとちゃんと分かりたいな。

 食材のことも、味のことも、みんなのことも。)


 そう思っているうちに、

 湯船のお湯が少しぬるく感じられてきた。


 ◇


 自分の部屋に戻ると、ベッドの上には、

 いつものふーぴょんが座って待っていた。

 

「……ただいま。」


 思わず話しかけると、ふーぴょんの耳が、

 ほんのすこしだけ揺れたように見えた。


「しいな、おつかれー。」


「……ありがと。」


 もう、「喋った」と驚く段階は

 過ぎてしまっていた。

 この家の中と、隅田川の帰り道では、

 ふーぴょんが“そういう存在”になっていることを、

 わたしは受け入れている。


 ベッドにごろんと横になり、

 ふーぴょんを胸の上に抱きかかえる。


「今日もさ、筑前煮だったんだよ。」


「うん、知ってる。」


「献立表はすでにインプットしてあるから。」


「へえ~」

 口ではそう言いながら、心の奥底では、

 それが少しうれしい。

 自分の一日を見てくれている存在がいる、

 という事実が。


「椎茸、どうだった?」


「ちょっとむり」


「ふむふむ。」


 ふーぴょんは、ぬいぐるみとは

 思えない真剣さでうなずいている。


「なんかさ、“苦手だから避ける”っていうの、

 そろそろ卒業したいんだよね。」


 言葉にしてみると、その気持ちは

 思っていたよりしっくりきた。


「仕事で扱う以上、“よく分からないけどむり”って、

 一番もったいない気がする。」


「しいな、今日はちょっと“プロっぽい”

 こと言うね。」


「バカにしてるでしょ。」


「してないしてない。」


 そのやり取りのあと、静寂が落ちる。

 古い家特有の、天然無垢の床材が

 きしむような音が、かすかに聞こえる。


 胸の上で抱きしめたふーぴょんが、

 ほんのすこしだけ、あたたかくなった気がした。


「……?」


 気のせいかと思った瞬間、

 ふーぴょんの胸のあたり——

 ちょうど、ハート型の

 何かが埋まっているあの部分が、

 ぼうっと弱く光りはじめた。


「ふーぴょん?」


「しいな、目つぶって。」


「え?」


「大丈夫。ちょっと、工房モード。」


 部屋の空気が少し変わった。


 明かりは消していないのに、

 天井の蛍光灯の白とは別の、

 淡い銀色の光が部屋に満ちていく。


 ふーぴょんの胸のハートが、

 ゆっくりと脈打ち始めた。

 トクン、トクン、と。

 わたしの心臓と、少しずれたリズムで。


 ふーぴょんの小さな手の先から、

 細い糸のような光がするすると伸びていく。


 それは空中でほどけながら絡まり、

 編み物の毛糸みたいに、

 少しずつ形を成していった。


 輪郭は、最初はぼんやりとしていた。

 けれど、見ているうちに、それが椎茸の形で

 ワイヤレスイヤホンだと分かってくる。


 ただ全体は銀一色。古い教会の

 装飾みたいな細かい模様と、

 未来の回路図みたいな幾何学的なラインが、

 同時に刻まれている。

 だけど、それは金属の冷たさというより、

 どこか柔らかい、ぷっくりした質感に見えた。


「……すご。」


 思わず、息をのむ。


「これ、なに?」


「えっとねー。」


 ふーぴょんは、ちょこんと咳払いをした。


「正式名称、《マルチレイヤー・フレーバー・

 コンプレックス・アナライズ・オーディオ

 インターフェース・ユニット》。」


「長い!って」


「気合い入れて考えたのに。」


「絶対、誰も呼んでくれないやつだよ、それ。」


 思わず笑いがこぼれる。

 さっきまで胸の内側で重くなっていた何かが、

 少し軽くなる。


「でも、何をするやつかは真面目に作ったんだよ。」


 ふーぴょんは、銀色のヘッドホン——

 その手のひらサイズのガジェットを

 わたしの胸の上にそっと転がした。


「食べ物の味をね、“分かりやすい情報”に

 翻訳して聞かせてくれるやつ。」


「翻訳?」


「うん。うま味がどれくらいとか、

 香りがどんなふうに広がるとか。

 それが“感覚のふわふわしたやつ”じゃなくて、

 “ちゃんとした言葉とイメージ”になる。」


 わたしはガジェットを指先でつまみ上げる。

 とても軽い。

 金属っぽいのに、触れるとすこしあたたかい。


「それを使えば、しいなが“なんとなく苦手”で

 終わらせていた味を、

 もうちょっと仲良くしやすくなるかもしれない。」


「……仲良く。」


 その言葉は、胸にきれいにハマった。


 嫌いを好きに変える魔法じゃない。

 “理由の分からない苦手”を、

 “意味の分かる相手”に変えるための道具。


「名前、変えてもいい?」


「えー。」


「だって、その長いやつ、絶対覚えられないもん。」


「また…ひどい。」


 すねたふりをするふーぴょんを見ながら、

 わたしはもう一度、椎茸型の銀色の

 ワイヤレスイヤホンを見つめた。


 味を“聴く”道具。

 食べ物の気持ちを、ちょっとだけ

 翻訳してくれるやつ。


 そのイメージが浮かんだ瞬間、

 口から自然に言葉が出た。


「……《テイストリスナー》は?」


「テイスト、リスナー。」

 ふーぴょんが、ゆっくり復唱する。


「味を、聴く人。」


 ふーぴょんは、少しのあいだ黙っていた。

 やがて、うなずく。


「うん。いいね、それ。

 正式名称、《テイストリスナー》。登録完了。」


 銀色のイヤホンの表面に、

 ほんの一瞬だけ、目に見えない何かが

 刻まれたような気がした。


「しいな。」


「なに?」


「これはね、椎茸のためだけの

 ガジェットじゃないよ。色々使えるから」


「うん。」


「でも、最初に使うのが椎茸っていうのは、

 ちょっと運命感じるよね。」


「……やめて。なんか負けた気がする。」


 二人で小さく笑う。


 そうこうしているうちに、

 工房モードの銀色の光は、

 少しずつ弱くなっていった。

 天井の蛍光灯の白い光だけが戻ってきたとき、

 わたしのまぶたは思った以上に重くなっていた。


「……明日、使ってみようか。」


「うん。」


「ちゃんと起きられるかな。」


「しいな、疲れてるからね。もう寝なさい。

 僕ももう眠い」

 ふーぴょんの声を最後に聞いたあと、

 わたしの意識はあっという間に沈んでいった。


 枕元には、

 新しく生まれた銀色のイヤホン——

 テイストリスナーが、

 静かに、そこにあった。


 ふーぴょんが「工房モード」に入り、

 テイストリスナーが生まれる場面を描きました。

 ここで書きたかったのは、

 魔法のようなガジェットそのものよりも、

 「苦手なものと、どう向き合うか」

 というプロセスでした。

 嫌いな食材を、無理やり食べたり食べさせたり

 好きになる必要はないけれど、

 「なんとなく無理」で止めずに、 

 理由を言葉にしていく。

 そのための手すりとして、

 テイストリスナーを置いています。

 ふーぴょんは、なんでも解決してくれる

 ご都合主義の存在ではなくて、

 しいなが自分で考えるための「相棒」で

 あってほしい。

 そんな思いを込めた章でした。

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