ep30 今日の反省会と謎のブローチ
その日の帰り道、浅倉しいなの足取りは、
いつもより少しだけ重かった。
鶏肉の納品で気づけなかったこと。
揚げ物の“寂しい音”に気づくことができず、
危ない判断をしてしまったこと。
どちらも、教えてもらえばわかる。
でも――
「本当は、自分で気づけるようになりたい」
しいなの本音は、そこにあった。
自転車置き場で自転車のキーを合わせていると、
後ろから、聞き覚えのある声が飛んできた。
「浅倉、おつかれ。」
「……おつかれさまです。」
「なんか、顔が“揚げすぎたとりから”みたいになってるけど。」
「どんな顔ですか、それ……。」
半分むっとして、半分力が抜ける。
自転車を押して校門を出ると、
陸は駅に向かわず、横に並んできた。
「鶏肉の件、聞いたよ。」
「……あ、はい。」
水上バスの乗り場のある隅田川に出る。
川面に、ホテルの光がゆらゆら揺れていた。
「大丈夫だよ。」
陸は、前を向いたまま言った。
「俺もさ、新卒のとき、みそ汁の
味噌まるまる一袋、入れ忘れたことあるし。」
陸は苦笑して、私の自転車のハンドルを
横からひょいと取ると、軽く押し出した。
「曽野チーフに味見をお願いしたとき。
『これ、、だしをよく感じる、
うすーい関西風なのかな?』って、
すごい静かな声で言ったんだよ。」
「……ひえ。」
「調味室には味噌の袋が、ぽつんと置かれてたよ。
提供一歩手前で止まったから、ヒヤリで済んだ。」
そのときの情景を思い出したのか、陸は肩をすくめる。
「いろいろあったけど、みんなのフォローでどうにか、
“ヒヤリ”で止めてもらってる。」
「……今は、そういうミス、もうしないんでしょ。」
「うーん。」
陸は少し考えてから、あっさりと言った。
「“ゼロです”って言えたらかっこいいけど、
今でも『あ、危なかった』って
ヒヤリは、正直あるよ。
ただ、前より早く気づけるようにはなってるし、
誰かが気づいてくれる距離感で仕事してる。」
川の風が、少し強く吹いた。
「今日みたいに凹んでるってことはさ。」
陸は、少しだけ真面目な声になった。
「まだ偉そうに言えないけどさ、しいなも、
“気づく側”になるってことだよ。
ヒヤリの話を、ちゃんと笑って言える側。」
(……なにそれ。)
まっすぐ前を見たままの陸の横顔は、
いつもより少し大人びて見えた。
「……ありがとうございます。」
そのあとも仕事のこと、
好きなアニメのこと、
最新の映画のこと、
くだらない話をしながら、
浅草まで一緒に歩いてきてしまった。
「陸、もう浅草だけど。」
「だな。」
「気を付けて帰れよ!」
そんなやりとりを交わして、
陸は浅草駅に向かって、
ダッシュで来た道を戻っていく。
いつもの両国じゃないのできょろきょろと、
まるで観光客みたい。
思わず笑っちゃいそうになる。
(……まっ、いいやつ……かな。)
隅田川の風が髪を揺らす。
さっきより、胸の重さがほんの少しだけ軽くなっていた。
胸の奥で小さくつぶやきながら、
しいなは奥浅草の古民家の家に帰りつき、
そのまま自分の部屋へ向かった。
通勤に着ていた秋物のコートを
脱ぎ捨てるように、
いつものジャージに着替えると、
力が抜けたようにベッドへ倒れ込む。
「ふー……ぴょん……」
名前を呼ぶと、机の上に座っていた
ふーぴょんの丸い耳が、
かすかにピクリと動いた。
昼間はただのぬいぐるみ。でも、
わたしといると、しゃべるうさぎの親友。
ベッドの上に連れてきて、
ぎゅっと胸の前で抱きしめる。
「わたし、今日、ぜんぜんダメだった……。」
ぽすん、とふーぴょんの体が、
しいなの胸の上に収まる。
ぬいぐるみのやわらかさと、少しだけ残っている
日なたの匂いみたいな感触が、
じんわりと心に染みて、少しだけ涙がにじんだ。
「ダメだったところ、ちゃんと覚えてるなら、
明日の材料にはなるよ。」
「……そういうの、もっと早く言って……。」
ふーぴょんの声は、
どこか機械っぽいようでいて人間よりも人間くさい、
ちょっとかわいく聞き覚えのある声。
「……もっと、上手になりたい……。
気づける人になりたいの……。」
「それ、今日、一番いいセリフ。」
「褒め方が独特なんだよね、ふーぴょん……。」
言葉がそこまで出たところで、
日中の疲れと、朝から張りつめていた緊張が、
ずーんと全身を襲ってくる。
浅倉しいなはそのまま、
ふーぴょんを胸に抱いたまま、
静かに目を閉じた。
「……おやすみ。しいな。」
——そして しばらく時間が過ぎ。
ふーぴょんの胸の奥。
ぬいぐるみの中に沈んでいる、
心臓型のガジェット〈shina guide β〉が、
静かに脈動を始めた。
とくん……。
とくん……。
銀色のハートが、暗い部屋の中で、
誰にも見えない光を、じわりと放ち始める。
光は、細い糸になってほどけ出す。
血管みたいに枝分かれしながら、
ふーぴょんの体の中を走り、
やがて両手の先へと集まっていく。
ふーぴょんは、そっとしいなの腕の輪から抜け出すと、
ベッドの端までトコトコ歩いていき、
「よっと。」
ぴょん、と軽く跳んでベッドから椅子をステップ代わりに、
ひょいっと机の上へ登る。
机の端には、分厚い英和辞典が一冊。
ふーぴょんは、その辞書の上にどっかり腰を下ろし、
片手をあごに当てて、短い足を重ね、
まるでロダンの「考える人」のようなポーズを取った。
「……さて。
きょうの“悔しい”を、
明日の“気づける”成長に変える道具……。」
背表紙に書かれた小さな文字が、
月明かりを受けて、かすかに光る。
ふーぴょんの掌の上に、小さな光の粒子が集まり、
糸のようにつらなり、編まれ、重なり合っていく。
ゆるやかな渦巻きと、きっちりとした多角形が、
何層ものレースみたいに
重なりながら形を変えていく。
遠い昔の祈りを刻んだ紋様にも、
最新型の回路図にも見える、不思議なラインが、
淡い光の中で立体的な模様となって浮かび上がる。
その輪郭を、金属のような光沢がそっとなぞり、
心臓の鼓動と同じリズムで、
わずかに脈打つ光の塊が、
ゆっくりと形を変えていく。
やがて――
ふーぴょんの指先に、
小さな銀色の“ブローチ”が、そっと置かれた。
形は、給食室で使う回転釜を、
そのまま縮小したようなミニチュア。
小さな釜の縁やつまみまで、細かく作り込まれている。
表面には、淡いホログラムの膜がかかっていて、
まるで水面に差す朝日みたいに、
静かに光がゆらめいていた。
「……よし。」
ふーぴょんは、立ち上がり、
英和辞典の上に小さな手をかざす。
そこに並ぶアルファベットを
一つずつ拾い集めるように、
ゆっくりつぶやいた。
「プロト・サーモメトリック・エコー・オメガ。」
長くて、少し大げさで、どこか中二病じみた名前。
でも、ふーぴょんはその響きが、
少しだけ誇らしかった。
「たぶん、しいな、ちがう名前で呼ぶな。
……でも、いいのだ。うん。」
ふーぴょんは、できあがったブローチを
そっと持ち上げると、
トコトコとベッドサイドまで歩いていき、
しいなの枕元にそっと置いた。
それから、何事もなかったかのように、
するりとしいなの胸のあたりへ戻って、
まるく縮こまる。
心臓型ガジェットの光は、ゆっくりと弱まり、
ぬいぐるみの中に沈んでいく。
ただの、静かなふーぴょん。
ただの、眠っているしいな。
奥浅草の古民家の夜には、
しいなの穏やかな寝息だけが、
ひっそりと響いていた。
——そして明日の朝。
浅倉しいなは、この小さなブローチに気づき、
またひとつ、“世界が広がる音”を聞くことになる。
前章で、しいなは「気づけなかった側」のヒヤリと
真正面からぶつかりました。
この3章では、その夜にちゃんと凹んで、
ちゃんと助けられて、
それでも「気づける人になりたい」と
自分の口で言えるところまでを描いています。
陸の失敗談は、現場あるあるを少しだけ盛りました。
完璧な先輩じゃなくて、「今でもヒヤリはある」と
平気で言える人のほうが、
新人にとっては救いになる、というイメージです。
そして後半は、ふーぴょんの“夜の工房パート”。
ここは意識的に、少し丁寧めに描写しています。
モチーフは「鶴の恩返し」です。
子どものころ、読み聞かせしてくれた昔話、
自分の頭の中で勝手に映像化していた感覚を、
文章だけで表現してみたいと思いました。
しいなの「今日の悔しい」が、そのまま素材になって、
空気中の粒子と合わさり、
回転釜ブローチというガジェットに変わっていく。
ここで作られたガジェット
次回、成長につながる伏線です。
ここから先、ブローチがどう仕事をして、
しいなの「気づく力」とどう組み合わさっていくのか。
少しずつ積み上げていく予定です。




