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第5話 肉じゃが煮崩れと涙で崩れた日 ④ 王道の肉じゃがと隅田川の風、涙の跡

 「浅倉さん! 今日は先生、一年生のクラスの配膳で忙しいから、

 校長先生の検食、職員室に持って行ってくれる?」


「はい。」


 校長先生に会うのは二度目だ。

 初日に会社からもらったばかりの真新しい

 名刺を渡した日以来。子どものころから

 校長先生ってだけでなぜか緊張する。


 コンコンコン。


「失礼します。」ガラガラ。扉を開ける。


 校長先生が、仕事をしていた手を止め、にこやかに迎えてくれた。


「お疲れ様です。今日は王道の肉じゃがですね。」


「はい。わかめごはんと、春キャベツと

 油揚げのみそ汁と、いちごです。」


「いいですねえ、“教科書のような献立”。

 私は定食みたいな献立が好きなんですよ。」


「はい。」


「あっ、検食よろしくお願いいたします。」


 頭ではシミュレーションしていたけど、うまく言えた。


 校長先生は、すぐに検食簿を出して、

 肉じゃがを一口すくって口に運んだ。


「……うん。味は、いつも通り、とてもおいしいです。」


「良かったです。」


 ホッとしかけた、その次の一言。


「じゃがいも、今日はいつもより“ほろほろ寄り”ですね。」


「っ……はい。少し、火が入りすぎてしまって。」


「でも、きっと新一年生は喜びますよ。

 スプーンでもすっとすくえるから。」


 フォローの言葉だって、頭では分かっている。

 それでも、「いつもより」の一言が、

 胸の奥に、じん、となにかを残していく。


「安全上の問題はありませんし、味もいいです。

 ただ、“今日の状態”はちゃんと記録しておきましょう。」


 そう言って、校長先生は検食簿に丁寧にペンを走らせた。



◇四章 「向いてない」の夜


 配缶が終わって、洗浄に入るころには、

 体より先に、心の方がヘトヘトになっていた。


 食器を洗いながら、耳に入ってくるのは、

 他のスタッフのいつも通りの会話。


「一年生のクラス、めっちゃ『おかわり!』って言ってたよー。」

「肉じゃがの日は、やっぱり減りが早いね。」


 その「おいしかった」が、

 自分の中では、まったく素直に受け取れない。


(それ、たぶん……わたしの五番が“おいしかった”んじゃない。

 一〜四番の、ちゃんとした肉じゃがのおかげだ。)


 そんな風に、全部ねじ曲がって聞こえてしまう。


 洗浄と消毒を終え、更衣室で白衣を脱ぐ。

 休憩室の中には、自分たちが食べる用の

 給食が入った小さな食缶。


 フタを開けると、

 さっきまでと同じ肉じゃがの匂いが、一気に上がってくる。


「浅倉さん、ごはんよそっちゃうね。」


「……ありがとうございます。」


 トレーの上に、わかめごはん、肉じゃが、味噌汁、いちご。

 子どもたちと同じ「今日の献立」が、きれいに並んだ。


 箸を持つ。少し冷めかけた、ごくふつうの見た目の給食。

 でも、肉じゃがの方には、どうしても手が伸びない。


(これを「おいしい」って感じる資格、わたしにあるのかな。)


 そんなことを考えてしまって、箸を持つ手が、一瞬だけ止まる。


(こんな日なのに――

 こんな時なのに、しっかり味わおうとしてる

 自分がいるんだよな、毎回。)


 苦笑いしながら、まずはわかめごはんに箸を伸ばす。


(まずは主役の土台、わかめごはんからだ。)


 一口、口に運ぶ。


(うん。炊き立ての熱々からは少し時間がたってるけど、

 そのぶん味が落ち着いてる。

 塩気はぎりぎり「もう少し欲しい」と思う手前で止まっていて、

 わかめの磯っぽさが、ごはんの甘さをひとつ押し出してくる感じ。

 派手じゃないけど、ちゃんと“給食の顔”をしてる。

 さすが、あまり手を加えてないのにランキング上位。)


 味噌汁に箸を移す。


(ここで、みそ部隊。春キャベツと油揚げのやさしいツートップだ。)


 一口すすると、

 少し冷めた味噌の香りの向こうから、

 油揚げのふわっとした油分が舌に広がる。


(うん。

 春キャベツが、優しい口当たり。

 春のやさしい甘さが全部汁に溶け出してて、

 「だし+味噌」だったところに、「だし+味噌+キャベツのスープ」っていう、

 もう一段階の奥行きがついてる。

 油揚げは、その甘さを受け止めるスポンジ役。

 これ、地味にずっと飲んでいられるやつだ。)


 今日は途中でデザートのいちご。


 赤い実をつまんで、

 さっきの味噌汁のあとに、ひとつ口に放り込む。


(デザート担当、いちご選手の登場です。千葉のアイベリーだって贅沢。

 甘さと酸味が半々くらいで、

 さっきまでの“しょっぱい反省会”を、一回ぜんぶリセットしてくれる。

 肉じゃがの調理でボロボロな心に、ちょっとだけ救いをくれる一粒のアイベリー。)


 そして、今日はあえて最後まで手を伸ばせなかった

 問題児・肉じゃが。問題児は明らかにわたしだけど……。


 五番釜で、わたしが半分煮崩した肉じゃが。


(さあ来ました、本日の反省会メニュー。)


 じゃがいもを一つ、そっとすくって口に入れる。


(……ああ。

 やっぱり、角は甘めに降参してる。

でも、崩れたぶんだけ、だしと醤油と砂糖がよく染みてて、

 「ホロホロ担当」としては、むしろ仕事してるじゃがいもだ。

 口の中でほどけたところに、玉ねぎの甘さが後から追いかけてきて、

 豚肉の脂が、全員のまとめ役みたいに真ん中で座ってる。)


 自分で自分の煮崩れを、

 こんなに真面目に実況してることに、少し呆れる。


(なにやってんの、わたし。)


 でも、箸は止まらない。


 玉ねぎを一切れ、にんじんを一切れ。

 口の中で、さっきまでの作業風景と味がつながっていく。


(あのときカナヘラを入れすぎたから、

 このじゃがいもはこんな崩れ方をしてる。)


 気づけば、トレーの上は、きれいになくなっていた。


(……こんな日に、ちゃんと「おいしい」って思っちゃう自分、

 正直、けっこうめんどくさいな。)


 自分で自分にツッコミを入れながら、

 それでもどこかで、ホッとしている。


 煮崩した肉じゃがを前にしても、

 味を一つずつ拾っていけるくらいには、

 まだ、わたしはこの仕事と向き合いたいと思っているらしい。


「浅倉さん、今日もしっかり食べたわね。」


 斎藤さんが、片づけながらちらっとこちらを見る。


「……はい。なんか、逆にお腹すいちゃって。」


「いいこと。現場でごはんがおいしく食べられなくなったら、

 そのときは本気で相談しにおいで。」


「はい。」


 トレーを重ねて、手を洗う。


 胃の中には、さっきまで自分たちが送り出していたのと同じ給食。

 胸の中には、煮崩れたじゃがいもと、

 それでも「おいしい」と思ってしまった自分の感触が、じんわり残っていた。


 午後の洗浄は無事に終わり、学校の玄関を出て、自転車置き場までの道。


「じゃ、また来週なー。」

「おつかれさまでしたー!」


 みんなの声を背中で聞きながら、

 わたしはぎこちない笑顔のまま校門を出た。


 校舎の角を曲がって、人通りの少ない路地に入った瞬間、

 顔が、ぐしゃっと崩れた。


(向いてないのかな、やっぱり。)


 ガジェットに頼ってうまくいったら、

 「自分じゃなくてガジェットのおかげ」って思ってしまいそうで。

 ガジェットを置いてきて、

 自分の力だけでやろうとして、

 今週は失敗続きで今日もじゃがいもを煮崩れさせて。


 頼っても、頼らなくても、

 どっちにしてもダメな気がして。


 胸の奥の方が、じわじわと熱くなってくる。


 気づいたときには、

 自転車を押して歩きながら、

 頬を涙がつーっと伝っていた。


(泣く資格なんて、ないのに。)


 千人分の給食を、なんとか「安全に」「おいしく」出すために、

 まわりの大人たちが、どれだけフォローして

 くれたかを知っているからこそ。


 そんなことを考えながら、

 わたしは、いつもの帰り道とは少し違う方向――

 厩橋の方へと、足を向けていた。


 隅田川の風が、涙の跡に当たって、ひやりとする。


 川面を眺めながら、

 バッグの中から、ふーぴょんのぬいぐるみを取り出した。


 ぎゅっと抱きしめる。


「……今日も、ダメダメだった。」


 風の音と、水の音に紛れて、

 ふーぴょんの声が、いつもの調子で聞こえてきた。


「今日も一日、おつかれさま。」


 その一言だけは、

 煮崩れたじゃがいもにも、

 ぐちゃぐちゃのわたしにも、

 平等に降りてくる。


四章は、個人的にかなり好きなパートで、

「こんな日にもしっかり味を分析してしまう椎菜」を描きたくて書きました。

わかめごはん、春キャベツと油揚げのみそ汁、アイベリーのいちご。

どれも“派手ではないけれど、ちゃんとした給食の顔ぶれ”です。


落ち込んでいても、

反省で頭がいっぱいでも、

一品ずつの味をきちんと感じ取ってしまうあたりに、


「本当は、給食が好きで、この仕事も好きなんだろうな」という

椎菜の素の部分がにじむようにしました。


いちごの銘柄をアイベリーにしたのは、

私が現場で好きになった銘柄だったことと、

そして現場や子供たちの心をちょっとだけ持ち上げてくれる

デザートの役割を重ねたかったからです。


“向いてないかも”と泣きながらも、

最後まで全部食べてしまう椎菜は、

すでにこの仕事に、かなり深くつかまっています。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

「続きも読んでみたい」と思っていただけたら、

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