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第九章3 友達

 叔母様の屋敷に滞在するのも、残り数日。叔母様には田舎の屋敷に戻ることを伝えてある。

(お世話になったのだから、王都のお店でお菓子かチョコレートでも買ってこようかしら……)

 とはいえ、叔母様やメアリーを満足させるようなお菓子をすぐに思いつけない。こんな時、アイリーンならいいお店を――と考え掛けて、頭を小さく振る。もう、きっと会わない相手だ。

 さようならと、言われてしまったのだから。

 

 いつまでもウジウジしていてもしかたないと気分を入れ替えて、部屋を出る。書斎に行こうとした時、メイドとメアリーの声が聞こえた。メアリーの声は大きくて甲高いから、屋敷内に響くのだ。相変わらず、メイド相手に不満を漏らしているらしい。階段をドスドスと重そうな音を立てて下りていく彼女に、「メアリー、これから出かけるの?」と声をかける。

 振り向いたメアリーが、私を見て嫌そうに顔をしかめるのもいつものことだ。気にせず、にっこりと微笑む。

「ええ、そうよ。今日はお友達とお茶会なの」

「それは素敵ね。ちょっと……羨ましいわ」

「そうでしょうね。誘ってくれるような友達なんて、あなたにはいなさそうだもの! ああ、でもダメよ。今日はとっても親しい友達ばかり招かれているお茶会なんですもの。あなたを連れて行けないわ」

 メアリーは得意そうに顎をクイッと上げ、人差し指を小さく振る。


(友達なんて、私にはいない……か。本当に、そうね)

 私は苦笑いを浮かべる。いつもはなんでもないようなメアリーの嫌みまで、今の私には少し堪える。

「わかってるわよ。行きたいなんて言わないから安心して。それじゃあ、楽しんできてね」

 手を振って階段を上がっていく。書斎にこもって、本でも読んでいよう。これ以上、何も起きはしないのだから。ここ数日の新聞には、事件の続報なんて載っていなかった。きっともう、本当に終わったのだわ。


「ドリス」

 メアリーの不機嫌な声に呼び止められて、私は階段の途中で止まって振り向いた。

「なに?」

 いつも以上にしかめっ面になっているメアリーは、「あなた、ようやく帰ることにしたのですって?」と訊いてくる。

「ええ。あなたにも叔母様にも迷惑をかけたわ。でも、これ以上……王都にいる理由もないから」

「……そう。結局、無駄だったわね」

「ええ、そうだったみたい」

 微笑み返すと、彼女はいっそう面白くなさそうな顔をしてズンズンとやってきた。

「明後日、私、お母様と一緒にロイズ伯爵夫人のパーティーに招かれているの」

「そうなの? すごいわね」

「ええ、そうよ! お母様がツテを頼って招待状を送っていただいたのよ。人気があるパーティーですもの。簡単には招待していただけないんだから。若い子息や令嬢が多く参加しているんですって」

「それは素敵ね。楽しんできて」

「…………今回は特別に、あなたも私の付き添いとして連れていくってお母様がおっしゃっていたわよ」

「えっ、わ、私も!?」

 突然の話でびっくりする。

「そうよ。ありがたく思いなさいね! 私が、お母様に頼んであげたんだから」

 メアリーは片手を腰にやり、人差し指を私に突きつけてくる。

「ど、どうして?」

「あなた、もうじき帰るんでしょ。目的を忘れたの!? 結婚相手を見つけられないまま帰ったら、親戚中の笑い者よ」

 怒るように言われて、私はパチクリと瞬きする。「それは考えてもみなかったわ……」と、思わずこぼした。確かに、結婚相手を見つけるという名目で、叔母様の屋敷に長く滞在していたのだった。そのことを、忘れてしまっていた。

 メアリーはすっかり呆れたような、というよりも同情するような目になっていた。


「本当に、あなた……危機感がないのね。まあ、どうせいいお相手なんて見つけられないだろうけれど……せめてチャンスは逃さないようにしなさいよ」

 メアリーは言いたいことを言うと、ドスドスと重たい足音を響かせて玄関ホールへと引き返す。

「メアリー、えっと……ありがとう。心配してくれて」

 きっと、本当にただ心配してくれたのだろう。ここ数日、私が落ち込んでいたからだろうか。

 私が微笑むと、メアリーはフンッと顎をしゃくる。

「私の付き添いなんだから……田舎くさい流行遅れのドレスなんて着ないで、恥ずかしくない装いをしてちょうだい!」

「ええ、できるだけ頑張ってみるわ」


 

 午後、公園内にある図書館に久し振りに足を運んだ。

(ここに来るのも……今日が最後ね……) 

 王都に来ることも、当分はないだろう。ようやく屋敷に戻れることにホッとしているのか、寂しく感じているのか自分でもよくわからなかった。


 二階に上がり、書棚の間を歩きながら本を探す。小説を二冊ほど手にとって、窓際の席に移動する。

 相変わらず利用客は少なくて、シンッとしていた。真冬だから、小鳥の鳴き声も聞こえてこない。

 席に座って、頬杖をつきながら本をめくる。静かな時間だけが過ぎていく。

 

 途中でウトウトしはじめ、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 懐かしい夢を見た――。

 

「ドリス、この小説読んだことある?」

「いいえ、ないわね。どういう物語?」

「騎士の物語よ。とても面白いの。愛する婚約者のために戦地に赴くんだけど……戻った時にはその婚約者は王の妃になっていてね……」

 書棚から本を取り出したダイアナが、以前と変わらないように笑って話を聞かせてくれる。

 それを私は、少しも不思議と思わずにただ聞いていた。

「ねぇ、ドリス。あなたなら、どうする?」

「どうするって?」

「愛する人が他の人と結婚してしまっていたら……この騎士のように戦って取り戻す? それとも、諦めて遠くから幸せを願うかしら?」

「そうね……私なら…………きっと…………」

「戦うのでしょうね。諦めることなく」

 本を閉じてダイアナが私を見る。その表情はどこかぼやけていてはっきりしない。

「私、そんなに勇ましくないわよ。それに、戦ってまで取り戻したいと思うほど、誰かを愛せるとも思わないわ」

「それは、あなたが自分をあまり知らないからよ。あなたはとっても強くて、いつだって私を助けてくれたもの。ほら、いじめられていた時だって助けてくれたでしょう? 私、すごく嬉しかったの……その時から、あなたは私の憧れで、誰よりも信用できる人になった」

 ダイアナは私の方を向き、頬に手を伸ばしてくる。触れた手の感触はなくて、なぜか私はひどく悲しくなった。無意識に泣いていた私の頬を、彼女は困ったような微笑みを浮かべて拭ってくれる。

 

「私にとっても、あなたは憧れで誰よりも信用できる人だったわ……」

 優しくて、心づかいもできて、思いやりがあって。刺繍も音楽も得意で。

 彼女の書く小説が楽しくて大好きだった。

 ねぇ、ダイアナ。あなたは私がどれほどあなたを大好きだったか知っている?

 私は感触も体温もない彼女の両手を取って強く握って、自分の額に押しつける。

 

「離れたくなかったわ……さよらなも言えなかったのよ」

「ありがとう……ドリス」

 囁くような優しい彼女の声に、私は顔を上げる。ぼやけていた彼女の顔がはっきりと思い出せて、私は目を見開いた。

 彼女の唇がゆっくりと動いて言葉を紡ぐ。「あっ」と思った時には彼女の姿は消えていて、足許にバサッと本が落ちる。私はその本に手を伸ばした。その拍子にポタポタと涙が落ちる。

 

『幸せにね』

 そう言っていた。私は立ち上がれなくなって本を胸に抱いたまま、その場にしゃがんでいた。

 涙が収まらなくて――。

 

 ふと目を覚ました時には、頬の涙の跡も乾いていた。

 ゆっくり頭を起こすと、窓の外に夕暮れの空が見える。長い影が壁に映っていた。それも、二人分だ。

 驚いて前を見れば、静かに本を読んでいる――アイリーンがいた。

 私は驚いて瞬きする。

 深緑色のドレスを着たアイリーンは、緩く髪をカールさせてリボンで結んでいた。

 相変わらず絵画のように美しいなと思いながら見つめていると、彼女が顔を上げる。

 

「どうして……ここに?」

 思わず尋ねると、アイリーンは小さく首を傾げた。

「あなたに会いたかったから? ここにいるのではないかと思って」

「だって……さよならって言ったでしょう!? もう、会いに来てくれないかと……」

 私は声を抑えながら、身を乗り出して尋ねる。

 アイリーンはフッと優しい表情で微笑み、読んでいた本を閉じる。


「あなたが、最後まで友達だと言ってくれたから……」

 彼女は目を細め、「離れがたくなってしまったみたい」と呟くように言った。

 その視線が私に向けられる。綺麗な瞳に見つめられると、私の口はうまく動かなくなってしまった。

「あのまま、お互い関わらないほうが……いいと思った。私と一緒にいると、きっとあなたはまた危ない目に遭うから。このまま、あなたが離れていてくれるほうが、安心していられる。巻き込まずにすむからと……そう思ったんだけど……ダメだね。会いたくなってしまった……」

 アイリーンの口調というよりも、それはウィリアムの口調に聞こえた。

 心臓の音が急に速くなって、頬が熱を持つのを感じる。私は慌てて下を向いた。アイリーンだと思って接しているのに、どうしても彼の顔がちらついてしまう。


「友達で……いてくれる?」

 視線をわずかに上げて尋ねると、彼女は綺麗に微笑む。

「あなたが、そう思ってくれるなら」

「思ってるわよ。ずっと前から……なのに、一方的に絶交宣言するんだもの」

 私は滲んだ涙を拭って、毅然として見えるように背筋を正した。

「もしかして……ものすごく怒ってる? ドリス」

「当然でしょう? 許さないわ」

「そ、それは……えっと困る………どうすればいい?」

「もう、勝手に絶交しないって約束してくれるなら」

「しない、約束する。ごめんなさい……」

 しょげている彼女を片目でチラッと見て、私は口許を緩めた。

「それなら、許すわ」

 いつも社交的な笑みしか見せない完璧な彼女が、こんな風に素でオロオロしている表情を見せてくれるのだ。きっと、少しは心を許してもらえているのだろう。

 アイリーンが安堵したように胸を押さえて、「よかった」と呟く。

 

 本を棚に戻してから、一緒に図書館を出る。茜色に染まる遊歩道を歩きながら話をしていると、「そうだ」と思い出したようにアイリーンが足を止めた。

「ドリス、所領に戻るの?」

「ええ。メアリーと叔母様に誘われているから、ロイズ伯爵夫人のパーティーに出席した後だけど……」

「ロイズ伯爵?」

「そう。私、ほら……結婚相手を見つけるという理由で、王都に滞在していたでしょう? だから、断れなくて」

 私がニコッと笑って答えると、アイリーンは「そう……」と考え込むように顎に手を添えていた。

「まあ、適当に顔を出して帰るわ。いいお相手なんてそう見付からないでしょうけど……一応ね」

 そうすれば、誘ってくれた叔母の顔も立つ。

「王都を離れたら、しばらく戻らないのでしょう?」

「そうね……たぶん。半年くらいは所領に引っ込んでいるつもりよ」

「それなら……私が代わりに会いに行ってもいい?」

「いいけど、田舎だから面白いことなんて何にもないわよ。牛の乳搾りしたり、畑仕事を手伝ったり、ワイン作りを手伝ったり……そんなことばかりだもの」

「楽しそうだと思うけれど?」

「えっ、そう? お祭りも年に一、二回しかやっていないのよ? 公爵家の領地みたいに大きくないんですもの」

 猫の額ほどの狭さで、物寂しい田園風景しか広がっていない。

 まして、屋敷でダンスパーティーなんて催してはいないのだ。家族や親族を招いての小さな晩餐会くらいだ。


「ドリスが案内してくれるでしょう?」

「それはまあ……お客様として来てくれたらね。でも、すぐ飽きて王都に戻りたくなるはずよ」

「そう? でも、行ってみたいから……招待状を送って」

 アイリーンはそう言ってニコッと笑う。

「まあ、いいけどね……」

 屋敷は古くてオンボロだけど、客人を泊める部屋くらいは余っている。

 それに、田舎だから食料には事欠かないのだ。友人が来ると言えば、父は張り切って狩りや釣りに出かけるだろう。と、ぼんやり考えていた私は、「えっ、あっ!」と声を上げる。

 アイリーンの振るまいがあまりに馴染んでいるから忘れていたけれど、こ、この人は、公爵家のっ!

「あのね、アイリーンっ、やっぱり……っ!!!」

 焦る私の言葉を遮るように、「ダメ」と彼女がイタズラっぽく笑う。

「もう、約束を取り付けたから」

「それはすっかり忘れててっ」

 私は真っ赤になって、あたふたしながら言う。

 公爵家の跡取りである人を堂々と所領に誘うなんて、マナー違反どころか、スキャンダルになるような事だ。私は自分の迂闊さに頭を抱えたくなった。

「大丈夫。ちゃんとこの格好でいくから。それなら、問題ないでしょう?」

 かわいらしく首を傾げるアイリーンに、私は自分の額を押さえる。

「問題大ありよ……」

「バレなければいいじゃない?」

 バレない自信は大ありなのだろう。

 確かに、彼女の振るまいを見て、本当は男性だなどと気付く人はそういないだろう。両親も気付かないに違いない。むしろ、父がデレデレする姿まで想像できてしまって頭が痛くなった。

「雪が溶けた頃にね……」

「絶対ね? 楽しみにしてるから」

 私と腕を組みながら、アイリーンはニコニコと笑っていた。

 暖かくなって、花が咲くようになれば、田舎の風景もきっとそれなりに見応えがあるだろう。

 それをアイリーンに見せたくて、私も微笑む。

 

 本当は私も、楽しみなのだ――。 

 

 


 



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