第九章2 別れ
私が目を覚ましたのは、病室だった。二日ほど眠ったままでいたらしい。ウィリアムの姿はなくて、あの日、私を助けに来てくれたのも夢だったのではないかと――少し思っていた。けれど、夢ではなくて、私はウィリアムに抱えられて、病院に運ばれたと聞いた。入院の手続きやら、様子を見に来てくれたのは、彼の従者のエドワードだ。ウィリアムは急遽、王都に戻ったと言う。急ぎで片づけなければならないことがあるからと。
私はベッドで体を起こし、食後に林檎をシャクシャクと食べていた。
みずみずしくて、甘くておいしい。昨日まで体の中にどんよりと溜まっていたような悪夢の残滓もようやく薄れてくれたらしく、体調は悪くない。ただ、まだ完全には忘れられたわけではなく、夜、眠るのが少し怖かった。
夢、そう、あれは夢。わかっていても、半分は本当のことだったような。
食べる手を止めて明るい日の差している窓を見る。新聞の記事では明らかにされていないけれど、シスター・クレアは取り押さえられ、王都に移送されて警察で尋問を受けている最中に自殺したらしい。警官の銃を奪って、頭部を撃ち抜いたそうだ。その他、彼女に協力していた人たちも捕らえられたが、こちらは雇われた者たちで詳しいことはあまり知らなかったようだ。
子どもたちを幽閉し、人身売買を行っていたのもクレアの仕業ということで、幕引きにされたという。それは従者のエドワードがもたらしてくれた情報だ。それが、多くの人にとって都合がよかったのだろう。加担していた貴族や富豪たちは、火災で亡くなっている。繋がりを調べるのも難しいだろう。遺族たちも、これ以上身内の醜聞が明らかになることは望まない。公になっていれば、社交界をひっくり返すような大スキャンダルになっていただろうけれど、それも今となっては全て闇の中だ。
ただ、これ以上、裏で指示をしていた犯罪組織が国内で活動することは難しいだろう。少なくとも、これ以上被害者は増えることはない。
「お姉さんっ!!」
元気一杯に病室に入ってきたのは、地下にとらわれていた子どもたちだ。みんな警官に保護されて、病院で検査と治療を受けていると聞いていた。私が目を覚ましたと聞いて、お見舞いにきてくれたのだろう。
「みんなも無事でよかったわ。どこもなんともない?」
「元気っ!」
「平気っ!!」
「お腹いっぱい、食べたの!」
と、ベッドに駆け寄ってきて報告してくれる。私は心配そうな顔をしているエマをベッドの上にあげた。
「エマ、偉かったわね。警官をちゃんと呼んできてくれたんだもの。私が助かったのはみんなのおかげよ」
「ほんとう?」
エマは黒くて綺麗な瞳で私をジッと見詰めてくる。「ええ、ほんとうよ。この通り!」と、私は頭を撫でる。エマは嬉しそうにヘラッと笑い、私にしがみついてきた。病室の入り口に立ったままでいる少年に目をやる。
「デューク、脚の具合はどう?」
折れていた脚は治療をうけたようで包帯を巻き、松葉杖をついていた。
「大丈夫……また、歩けるようになるって……」
「そう。よかった。あなたがみんなを守ったおかげね」
松葉杖をつきながらやってきたデュークの頭に手を伸ばし、撫でてやる。デュークは照れくさそうにちょっと笑っていた。
「お姉さん、ありがとう……僕ら、お姉さんがいなかったら、助からなかった……」
声を詰まらせるように言うと、デュークはこぼれそうになった涙を袖で拭いていた。
(助けられたのかな……間に合ったのかな……)
私の目からも涙が溢れてきて、私は慌てて頬を拭った。
「お姉ちゃん、痛い? 悲しい?」
エマがギュッと抱きつきながら、不安そうに聞いてくる。私は大丈夫と答えるかわりに、首を振った。
「みんなが無事でよかったと思って……」
子どもたちはベッドによじ登ってきて、次々に小さな手で私の頭を撫でてくれる。それが優しくて、嬉しくて、私は大人なのに、子どもみたいに泣きじゃくっていた。
王都に戻れたのは、それから三日経ってからだ。
ロイド警部の下に向かうと、やっぱり事件の後始末で忙しそうにしていたけれど、私の無事を知ると心底安堵したようだった。心配してくれていたのだろう。それから、取調室で事件のことをきいた。
「上からの命令で、これ以上の捜査は打ち切りだ」
椅子に座ったロイド警部は、腕を組みながら憮然とした様子でそう言った。
「上からの命令……ですか?」
「ああ……それと、自殺したシスター・クレアという女だがな。教会にも修道院にも所属していなかった。だが、身元は判明した。貧民街で娼婦をしていた女だ。客や、娼婦仲間に確認してもらったから間違いないだろう。だが、それ以上のことはわからなかった」
「そうですか……」
そういう相手を利用していたのだろう。そう思うと、あの女性も被害者の一人ではあったのかもしれない。そんな同情めいた感情が一瞬過る。けれど、あの人は――許されないことをした。自殺しなくても、いずれは処刑されていただろう。いや、それがわかっていたから自ら死を選んだのか。
「あ、あの……警部。子どもたちはどうなりますか?」
私はパッと顔を上げて大事なことを尋ねる。
「ああ、今のところは孤児院であずかってもらっている。身よりのない子どもばかりだったからな。引き取り手を捜してもらっているところだ」
「そうですか。あのデュークは子どもたちを守ろうとして脚を折られてしまったんです。後遺症は残らないといいけれど、歩くのにしばらく不自由するかもしれません」
「心配すんな。警察でも子どもたちのことは責任もって面倒みるさ。ってか、嬢ちゃんの屋敷で雇ってやればいいんじゃないか? あんたも貴族だろう?」
「そうしたんですけど……うちは貧乏貴族なんです」
私は首を竦める。新しく人を雇うような余裕はないと父にも言われてしまうだろう。それに屋敷といっても、田舎では畑仕事や厩舎の掃除など重労働が多い。それより、王都にいるほうが不便がないだろう。
「引き取り先が決まったら、教えるさ」
ロイド警部はニカッと笑って言う。私はお礼を言って警察署を後にした。
公園で花を買い、教会のそばの墓地へと向かう。墓石に雪が薄らと積もっていた。
ここには、ダイアナが眠る墓もある。足を運んだのは彼女の葬儀以来だ。
報告したいことがあった。雪が乱舞する墓地に入った私は、黒い帽子とコート姿の男性の姿を見つけて足を止める。
「ウィリアム……?」
声を掛けると、花束を手にした彼が振り向く。そして少し驚いたように目をみはり、それから墓の方に向き直った。ウィリアムはしゃがんで花束を墓に供える。大切な友人のお墓なのだろう。墓石はまだ新しかった。私は少し迷ってから、口を開く。少し、訊くのに勇気が必要なことだった。けれど、確かめておきたかった。
「…………ウィリアム…………クローデル城に火を放ったのは……………あなたなの?」
私が尋ねると、彼はゆっくりと立ち上がる。
「…………そうだと言ったら……君は軽蔑する?」
「いいえ……しないわ……そうしなければならない理由がきっとあったのだと思うもの…………」
あの火災で亡くなったのは、人身売買や犯罪に手を染めていた貴族たち。多くの女性や子どもを弄び、殺してきたダイアナや、彼の友人の敵でもある。同情はしない。彼の行いを責める資格も、裁く資格も、私にはない。
「さっき、警察に行ってきたの。事件の捜査は打ち切りになったって……上からの命令だと言っていたわ。それを指示したのも……もしかして、あなたじゃないかって思っただけ……勘違いかもしれないけれど」
「君の勘の良さには驚かされるよ……」
ウィリアムはちょっと笑って、帽子の鍔に手をやる。表情を隠すように少し帽子を深めにかぶっていた。
(やっぱりそうなのね……)
「それって……王家の命令?」
「…………どうしてそう思う?」
「公爵家の子息であるあなたに命令できるなんて、それ意外に考えられないから」
アイリーンのふりをしてパーティーに出入りしていたのも、きっと情報収集のためだった。
きっとそれが彼の役目だったのだろう。多くの不正や犯罪に手を染めていた貴族を始末するのも。
火災に巻き込まれての不慮の死となれば、貴族たちの体面は保たれる。表向きは、何事なく――。
「…………君の言う通り、半分は役目のためだった。けれど、半分は……私怨だった。今回の件は、どうしてもこの手で片づけたかったから。君に近付いたのも、利用できると思ったから。悪かったと思っている。何度も危険な目に遭わせた……」
彼の声からは、感情が伝わってこない。ただ淡々と事実を報告しているだけのような口調だった。
私はうつむいて、ギュッとスカートをつかむ。嘘つきと責めればいいのだろうか。それとも、そうだと思ったと諦めたように笑えばいいのだろうか。
「あなたに何度も助けられたもの……責められないよ…………っ」
私は泣きそうになる声を絞り出す。クローデル城での地下で、シスター・クレアに襲われた時も。彼が駆けつけてくれなければ、子どもたちも、私も助からなかった。
けれど、〝アイリーン〟と過ごした何気ないささやかな時間も、全て役目のための嘘だったと言われているようで――胸が苦しくなる。そしてその嘘も、もう必要ないのだ。
「もう、君には関わらないことにするよ……ありがとう…………」
彼の唇が「さようなら」と動く。
背を向けて墓地を出ていく彼の姿が、溢れてくる涙の中で霞む。
嫌――。
嫌よ――。
強く唇を噛んで、一歩足を踏み出した。
「また、私は大切な友達を失うの!?」
思わず声を上げると、ウィリアムの足が止まる。けれど、振り返ってはくれなかった。
私は冷えて赤くなる手を胸の前で強く握る。
その繋がりだけでも、私は手放したくないのだ。
たとえそれが、偽りから始まったものだったとしても。
私はあなたと一緒にいた時間が、幸せだった。
あなたはそうは思ってくれていなかったのだろうか――。




