第八章5 焼け跡
「どちらまで?」
馬車の扉を開いてくれた辻馬車の御者が尋ねる。降りしきる雨の音と吹き荒れる風の音以外、聞こえては来ない。「クローデン城までお願いします。急いでほしいの」
私が告げると御者は驚いたような顔をしていた。けれど、私の格好を見るとそれ以上何も言わなかった。私が馬車に乗ると、扉を閉めてくれる。石畳の路地を車輪の音を響かせて、馬車は走り出した。
クローデン城は、街から少し離れた場所にある古城だった。私が馬車を降りると、もう見る影もなく焼けこげた外壁だけが佇んでいる。とっくに鎮火しているけれど、風は焦げ臭い匂いを運んでくる。まだ、くすぶる煙が残っているようだった。古城の周囲には天幕が張られていて、警官や村の自警団たちが見張りをしちえる。思いのほか人が多かったのは、馬車が並んでいたからだろう。どれも貴族の馬車だけれど、紋章のついた馬車は一台も見当たらなかった。
「遺品の確認はこちらでお願いします!」
と、若い警官が案内していた。馬車から降りた貴族らしい身なりの人たちがその後に続いて、天幕の中に入っていくのが見える。口論をしたり、膝から崩れそうになっている女性を支えている男性もいた。
(遺品……)
その言葉にゾクッと体が震え、私は自分の服の袖をギュッとつかんだ。雨がコートに染みこんでいく。あの天幕の中では、身元と遺品の確認が行われているのだろう。天幕の裏から運び出されるのは、シーツを被せられた担架だ。おそらく、誰かの――。
その被害者の中に、ウィリアムがいるかもしれない。確かめなければと思うのに、脚は凍りついたようにその場から動かなかった。私は身内でもなんでもない。確認させてほしいと頼んで、中に入れてもらえるだろうか。それに遺品といっても、彼の持ち物なんて知らない。着ていた服は覚えているけれど、同じ服を着ているとは限らなかった。
でも、確かめなければ、安否もわからない。火災に巻き込まれたとは限らないのだし、本当にこの城を訪れていたのかどうかも不明なのだ。私がよっぽど青い顔をしていたからか、警官が気付いてやってきた。
「大丈夫ですか? ご気分が優れないようですが……」
「いいえ、大丈夫です。それよりも、知り合いが……巻き込まれた可能性があって……確認したいのですが」
私はなんとか顔を上げて、そう答える。警官の目に一瞬、同情めいた色が過る。結婚相手か、そうでなければ婚約者、恋人がいると思われたのだろう。
「遺品だけの確認にしておいたほうがよいでしょう。ご案内いたします」
そう言うと、警官は私を天幕に案内してくれる。中に入ると、ひどく焦げた匂いが漂っていた。私は吐き気を覚えてポケットから出したハンカチを口に当てる。シートの上には、番号の札と、遺品が並べられていた。懐中時計や、服についていたピン、カフス、靴など――。
一通り確認し終えた私は、天幕の外に出て大きく息を吸い込み、雨に打たれながら空を見上げた。
多分、なかったはず――。
公爵家の紋章が入ったものは見当たらなかった。見覚えのある服の装飾品もなかった。
安堵した途端に、しゃがみ込みたくなった。動悸はまだ収まらなくて、嫌な汗が滲む。
(でも……なかったのだから、大丈夫…………無事なはずだわ)
私は手をギュッと握ってふらつかないように立ち上がり、警官にお礼を言ってその場を急ぎ足で離れた。これだけ警官や自警団が見張りをしていれば、城の中に入れてほしいと頼んでみたところで追い返されるのが関の山だろう。
(夜になれば、少しは見張りも減るかも……)
近くの街で宿を取り、深夜になるのを待って抜け出した私は、ランタンを手にクローデン城までの道を急ぐ。雨で地面は泥濘み、スカートもコートの裾も、ブーツも茶色く染まってしまっていた。城の外壁が見えてきたところで茂みに隠れながら、ランタンの灯りを消す。天幕の周囲には見張りがいるようで、灯りが灯っていた。けれど、城の周囲に灯りは見えない。コートのフードを深くかぶり、外壁や支柱し華残されていない城へと近付く。
膝ほどの深さの浅い川が城を囲うように流れていた。その川に足を漬けると、凍りそうなほど水が冷たい。身震いがつきそうになるのを我慢して川をできるだけゆっくり渡る。ぐっしょり重くなっているコートとスカートの裾を上げながら上がると、城壁の扉が見えた。使用人の出入りや物の運搬に使われている裏口だろう。粗末な木の扉は押せば簡単に開いた。中に入ると井戸のある裏庭がある。洗濯干し場に使われていた場所なのだろう。焼けて黒くなった木が佇んでいる。
見張りはいない。人影も、気配もない。烏が私を見て、威嚇するように屋根の上で鳴いていた。
私は「ひっ」と、小さな声を漏らしてフードをつかむ。城は屋根が半分崩れ落ちて、内部が剥き出しになっていた。その大半がもはや炭になっていて、火災のひどさを物語っている。
(これでは……生きている人なんていなかったでしょうね……)
バチバチと地面を叩く雨の音を聞きながら、周りを見回す。庭園の木々にまで火の粉が移ったのか、焼けてしまって見る影もなかった。噴水の水も黒くなり、炭や灰が溜まっている。
胸が苦しくて、息を深く吐く。疲れて座り込みそうになった時、不意に裾をグッと引っ張られた。振り返った私は、悲鳴を上げそうになって両手で口を押さえる。茂みの中から小さな手が伸びていて、私のスカートの裾をつかんでいるのだ。仰天して、私はその場にドサッと倒れる。
それでも、その小さな手は私の裾をつかんだまま離そうとしない。私は「だ、誰……?」と、恐る恐る声をかけた。見るからに子どもの手だ。一瞬、亡霊か何かかに思えたけれど、よく見ればその小さな手も震えている。
私はハッとしてすぐに茂みをかき分けた。石畳の一部がズレて下に空洞が見える。手はそこから必死に縋るように伸びていた。
「た…………けて…………」
と、か細い声が聞こえてきた。亡霊の声などではなく、生きた子どもの声だった。私は「今、助けるわ!」と声を返す。地下に部屋があるようだった。だから、火災を免れたのだろう。
「そこにいるのはあなただけ!?」
「…………違う点……たくさんいるの……」
「たくさん? 大人はいる? 子どもだけ?」
「子ども……だけ………………助けて……怖いよ…………」
泣きそうな声でその子どもは訴えてくる。一瞬、天幕に戻って警官たちを呼んでこようかと迷ったけれど、もしかしたら捕まって閉じ込められているのかもしれない。見張られているのだとしたら、騒ぎになれば子どもたちも殺される可能性がある。
私は膝をついて、石畳をグイッと持ち上げる。その下から顔を覗かせているのは、女の子だった。
「あっ! あなた……エマ? エマなの?」
私が尋ねると、女の子はコクッと頷いた。「お姉ちゃん…………っ!!」と、エマも私の顔を見た途端に安堵したのか声を我慢しながら泣きだした。子どもながらに、騒いだり、大きな声を上げたりしたら、危険だとわかっているのだろう。
(エマがいるということは……子どもって、修道院の子ども!?)
王都の修道院にいた子どもが、ここに連れてこられていたのだろうか。だとしたら、その犯人はシスター・クレアとみて間違いない。彼女もここにいるかもしれないの?
私は手を伸ばして、エマを抱き上げる。穴から引っ張り出すと、彼女は私にしがみついてきた。相当、怖い思いをしたのだろう。嗚咽を堪える彼女の頭を撫でてやる。のんびりしている時間はそうない。私はエマが少し落ち着くのを待ってから、彼女を引き離した。
「エマ……私のお願い、聞いてくれる?」
私が真剣な顔をして尋ねると、彼女は怯えた表情を見せながらもコクッと頷いた。
「あなたにしかできないことよ。私がみんなを助けるから……あなたは、お城の外の天幕に行って、警官のおじさんたちを呼んできて。誰かに見付からないように慎重にお城を出るのよ? できる?」
「…………うん…………できる…………」
「いい子ね。ここを出たら、たくさんおいしいお菓子を作って持っていくわ。だから、もうちょっとだけ、頑張って」
言い聞かせると、エマはコクッと頷いて駆け出す。エマを一人で行かせるのは心配だけれど、彼女一人なら子どもだから見付かりにくいはずだ。大丈夫、天幕まではそう遠くない。後は警官が保護してくれるだろう。
私は穴を覗いてみる。かなり狭くて、大人が入るのはかなり難しそうだった。「私の声が聞こえる?」と穴に向かって呼びかけてみる。「き、聞こえる……」と、小さな声が下から聞こえてくる。男の子の声だ。
「エマ……逃げられた?」
と、慎重にきいてくる。
「逃げられたわ。私では中に入れないの。中から出てこられる?」
「…………できると思う」
「ぞれなら、小さい子から出てきて。他に通路や通れそうな場所はある?」
「通路はあるけど……牢で鍵がかかってるから、出られないんだ」
男の子の声は思ったよりもしっかりして、冷静だ。
「あなた、名前は?」
「ディーク……」
「ディーク、そう。あなたが一番年長?」
「多分……大人もいたんだ……でも、殺されたと思う……」
その声に私は息を呑む。中がどんな惨状になっているのか、想像したくもなかった。とにかく、子どもを助け出すことが先だ。私が冷静にならなくて、どうするの。子どもをこれ以上、怯えさせるわけにはいかない。しっかりしてと自分に言い聞かせて、「そうなのね。ウェイン。全員助け出すから手を貸して」と返事をした。
地面に伏せるようにして穴に手を伸ばす。小さな手が下から伸ばされる感触があり、私はグイッと引っ張り上げた。五歳にも満たない子どもだ。ぐったりして、熱まであるようだ。コートを急いで脱いで包むと、横に寝かせておく。続けて泣いている子どもを引っ張り上げる。
七人目を穴から引っ張り出したところで、「お姉さん、みんなを助けてあげて」とディークの声がした。
「何を言っているの。あなたも……」
「僕は無理なんだ……」
「無理って? どうして? 抜けられないの?」
「……足が……動かないから……」
その言葉に息を呑む。私にしがみついている他の子たちを見れば、「ディークは足を折られちゃったんだよ」と泣きながら教えてくれた。
「大人が生意気だって……逆らったら、棒で…………」
「なんてこと……」
子どもたちは「お姉さん、デュークを助けて……っ!」と必死に訴えてくる。
けれど、穴の中には私は入れない。デュークも動けないとなれば、地下への入り口を探すしかないだろう。けれど、子どもたちもかなり憔悴していて、体力も奪われている。デュークも同じだろう。水も食料もここ数日、与えられていないのではないか。だとしたら、時間的な猶予はない。
「この下に地下室があるのよね? デューク。あなた、どうやってそこに連れていかれたのか覚えている?」
「……わかんない……目隠しされていたから……」
「じゃあ……私が行くまで音を立てていてくれる?」
もし、見張りか監視がいれば、その音で逃げ出したことがばれるかもしれない。けれど、他に方法がない。私は子どもたちを見て、「私はデュークを助けにいくから、みんなは茂みに隠れていて。エマが警官を呼んでくるはずだから、その時に助けてもらうのよ。他の大人が現れても、絶対に出ないで」と言い聞かせる。みんな顔を見合わせていたが、頷いてくれた。
私は立ち上がり、地下から響く音を頼りに焼け落ちた城の中へと入っていく。
雨と風の音が邪魔して、音を拾い難い。けれど、微かには聞こえてくる。金属の響く音だ。鉄格子か何かを叩いているのだろう。城の地下へと通じる螺旋階段を下りていくと、壁に行き当たる。音はその奥から響いている。
(この奥だ……)
けれど、入り口らしきものがない。私は壁を押して見る。わずかに動く気配があり、全身の体重を乗せながら、片側をグイッと押した。壁がギギッと音を響かせて回転し、隙間がわずかにできる。音が聞こえるのは通路の奥だ。私は真っ暗な通路へと足を踏み入れた。
長い通路を進むと、音は次第に大きくなる。「デューク!」と呼んでみると、「ここ……こっちだよ」と返事があった。地下牢があり、錆びた鉄格子に少年がつかまっていた。他の牢を見れば、数人が倒れている。デュークの言った大人たちだろう。私はその姿から思わず目を逸らした。もう、生きていないのは、確かめなくてもわかる。腐臭のような匂いが漂っていた。
「みんな、無事よ。後はあなただけだわ」
「お姉さん……逃げて……僕はいいから……きっとあいつら……戻ってくる」
デュークが怯えたように小声で言う。私はその間も、鍵を壊そうと躍起になっていた。けれど、鉄格子の扉の鍵は少しも外れない。扉に体当たりしてみたけれど、そんなことで外れるはずもなかった。かといって、鉄格子の隙間は狭くて、いくら子どものデュークでも抜けられないだろう。
「何か、道具……」
私は辺りを見回す。その時、「お姉さん!」とデュークが叫び声を上げた。振り返った瞬間、目に入ったのは自分に向かって振り下ろされる斧だった。デュークが気付くのが遅かったら、多分私は死んでいた。倒れるように避けたおかげで、斧はガンッと鉄格子に当たる。
「まさか、こんなところまでやってくるなんてね……やっぱり、あなたはネズミだったようね」
薄笑いを浮かべて斧を振り上げるのは、シスター・クレアだった。私は目を見開いて、「ネズミ……?」と聞き返す。
「こそこそ、嗅ぎ回っていたでしょう? おかげで、全て水の泡よ。私は殺される……お前が邪魔をしたせいで」
「子どもや女性を……売っていたというのは事実だったのね」
私は後退りして鉄格子をつかみながら立ち上がる。ゆっくりと距離を開けようとすると、シスター・クレアは前髪をかき上げながら歩み寄ってくる。シスターの優しい顔などかなぐり捨てた、殺意の宿る瞳だった。
この人は私を殺すことに、少しも躊躇しないだろう。
「違うわね。迷いを抱えている哀れな者たちに救済を与えたのよ。本人たちが望んだの。もう、生きたくはないと、どうなってもかまわないから、地獄のような日々から抜け出す方法をくださいってね」
嘲笑う彼女の言葉に、私は息を呑む。本人が望んだ? ダイアナも、他の女性たちも、死ぬことを望んでいたというの? 嘘だ――そんなはずはない。
もし、そうだったとしたら、後悔を手紙に書き記したりはしないだろう。
それに、もし、事実だったとしても――。
私は牢の中で倒れている女性に視線をやり、ギュッと目を瞑った。
こんな最後を望むはずがない。
「信じない……あなたの言葉は嘘。そうやって人の心を惑わせ、どれほどの命を奪ってきたの? 神に仕える修道女が許される行いではないわ!」
「修道女? この装いをしていれば、娼婦ですら修道女と信じてしまうんだから。貴族のお嬢様っていうのは、世間知らずでバカで、愛おしさを感じてしまうほどだわ!」
愉快でたまらないといったように笑うと、シスター・クレアは斧を手に一歩ずつ近付いてくる。哀れみと傲慢さを浮かべた表情で、私を見下ろしながら。
「娼婦……」
「ええ、そうよ? 正しくは元娼婦。薄汚い貧民街をようやく抜け出せたのに……お前が邪魔をするから、私はもうすぐ殺されるわ。でも、その前に、お前を連れて行けば、この命くらいは助けてもらえるかしら? ねぇ、慈悲深いお嬢様。あなたが私を救ってちょうだいよ。こんな場所まで、子どもを助けにやってくるほどですもの。私だって助けてくれるでしょう? 大丈夫。死にはしないわ。きっと素敵な夢を見られるわよ」
この人は、どこかきっと壊れている――。
そんな歪んだ笑い方だった。
「誰が……あなたは人殺しよ……救いようもないわ!」
吐き捨てるように言った瞬間、振り下ろされた斧がガンッと私のすぐ横に振り下ろされる。スカートが裂けて太ももが露出していた。怖い。足が震えて動けない。笑みを消したシスター・クレアが私の前に立つ。
「お姉さん! お姉さん、逃げてっ!!」
そう、デュークが泣き叫んでいるのが聞こえる。ガチャガチャと鉄格子が鳴っていた。
「うるさいっ!!」
怒鳴り声を上げたシスター・クレアが足で鉄格子を蹴り飛ばす。
「やめてっ、子どもに乱暴しないで!!」
私が叫ぶと、彼女は振り向いてニターッと笑った。
「ああ、そうね。このガキがいれば、あんたは逃げられないわね。お優しいお嬢様」
足音が通路に響き、男数人がやってくる。警官ではない。このシスター・クレアの手下だろう。
「怪我をさせないようにね。大事な商品なんだもの」
逃げられない。逃げれば、きっと――。
私は怯えた表情で心配そうにこっちを見ているデュークに目をやる。
あの子は、殺される。
男たちに囲まれた私は、乱暴に床に押さえつけられた。抵抗もできずに私は歯を食いしばる。
「お姉さんっ!!!!」
デュークが叫んでいるのが聞こえて、私はなんとか大丈夫だと笑おうとした。けれど顔が強ばってうまく動かない。シスタークレアが私の前に膝をついた。その手に持っているのは、注射器だ。
「い……嫌……やめて……やめてっ!!!!!」
首を振って抵抗しようとしたけれど、男に押さえつけられている私は動けない。
横にいた男がナイフで服の袖を引き裂いた。その腕に冷たい針が当てられて、ゾワッと身の毛がよだつ。
「そう怯えなくてもいいわ。あなたが行くのは、天国だもの。その後は地獄かもしれないけれど」
シスター・クレアは笑うと、叫ぶ私の声を無視して針を皮膚に押し込んだ。
誰か――。
助けて。
ウィリアム……。
あの人の後ろ姿をぼんやりと思い浮かべながら、私は意識を失った。




