第八章4 王都へ
私が急ぎ足で食堂に向かうと、シスター・アンナは暖炉に薪を焼べているところだった。私の顔色が悪いのを見て、彼女はすぐに立ち上がり、「どうしたの? ドリス」と心配そうにやってくる。私は一瞬、躊躇してから握り締めていた新聞の記事を彼女に見せた。
「ウィリアムが向かったのは、クローデン城だと思うの……もしかしたら、巻き込まれてるんじゃないかしら」
「それは、確かなの?」
シスター・アンナの言葉に私は小さく頷く。
「私のせいだわ……」
両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込みたくなった。私が渡されたあのメモを見て、彼はクローデン城を調べるために向かったのではないだろうか。この火災が、ただの偶然とは思えない。
「落ち着いて。まだそうだと、決まったわけではないでしょう?」
シスター・アンナに肩を支えられて、食堂の椅子に座る。隣の椅子を運んできて私の向かいに座った彼女は、温かい手で私の手を握り締めてくれた。こういうところが、兄とよく似ていて私は、泣きたいのか、笑いたいのかわからなくなる。
「私、一度……王都に戻ろうと思うの。ここにいては、何もわからないもの」
私は顔を上げて、はっきりと自分の意思を彼女に伝える。シスター・アンナの瞳に迷いの色が浮かび、微かに揺れていた。
「ダメよ。あなたのことを任されてるのよ? それなのに、危ない場所に行かせたなんてお兄様に知られたら、私が叱られてしまうわ。それに、あなたが行ったところで……こう言ってはなんだけれど、なにかできるとも思えないわ」
それはそうだ。彼女の言葉に、今度は私が口を噤む番だった。うつむく私の手を、シスター・アンナは少し強く握る。
「公爵邸に手紙を送るわ。それで少しは状況がわかると思うの。それを待ってからにしない? その頃には、お兄様とも連絡が取れるようになっているかもしれないわ」
「それじゃ、間に合わないかもしれないでしょう!」
パッと顔を上げて必死になって訴える。もう、手遅れになるのは、嫌だ。手遅れになった後で、何もできなかった――いいえ、何もしなかった自分を悔いるのはもう嫌なのだ。だからといって、彼女の言う通り、私が行動したところで、何ができるとも思えない。でも、じっとしていて、ここで待つよりはいい。
「今は少しでも情報がほしい……」
私はシスター・アンナを見詰めて言う。彼女の手が私の手からスッと離れた。数秒、判断がつかないように黙っていたシスター・アンナが口を開く。兄の身が心配なのは、彼女も同じはずだ。
「……私も、と言いたいところだけど、修道院を離れるわけにはいかないの。教区外に出る時には、許可がいるのよ……それを破れない。だから、あなたに任せるしかないのでしょうね。でも、約束してくれる? 絶対、無茶はしない。危険な場所に一人で赴かない。情報を収集するだけよ」
「わかってる。私だって、命知らずじゃないわよ」
「お兄様も、きっとあなたのこと……危なっかしくて、放っておけないと思ったのでしょうね」
「そ、そうかしら……」
確かに、無謀なことに首を突っ込んで、何度も彼に助けてもらった身としては否定はできない。視線が泳ぐ私を見て、彼女がクスッと笑う。
「すぐに切符の手配をするわ。ああ、そうそう。経費は公爵家に請求していいから、遠慮なく使ってちょうだい!」
「そういうわけにはいかないわよ!」
「行方不明のお兄様を捜索する費用なのよ? うちが持つは当然だわ。大丈夫。手紙を託しておくから。それを公爵邸に届けてちょうだい。それで、全部、取り計らってくれるから。これくらい、協力しないと、後でお兄様に何を言われるかわかったものではないわよ」
腰に手をやった彼女は明るい口調で言いながら、チラチラと人差し指を振る。その砕けた口調に少しホッとしながら私も笑みを作る。
「わかった……遠慮なくそうさせてもらうわ。ありがとう。シスター・アンナ……それとも、アイリーンという呼ぶべき?」
「シスター・アンナでいいわ。アイリーンって、あなたは呼びにくそうなんだもの」
実のところ、私はアイリーンと言うと、どうしても彼女に成りすましたウィリアムの顔の方が浮かんでしまう。私は「じゃあ、シスター・アンナって呼ぶわ」と微笑んだ。
その日のうちに荷物をまとめて修道院を後にした私は、馬車で送ってもらい、駅で列車に乗り換える。その日の最終便には間に合ったけれど、王都に到着したのは夜十時過ぎだ。いきなり帰ってきて叔母様の屋敷や公爵邸に泊めてもらうわけにはいかず、ホテルで一泊した。朝一番で、警察署に向かう。けれど、警察署内はいつも以上に慌ただしくて、受付も混雑していた。ようやくロイド警部に連絡を取ってもらえた私が案内されたのは、またしても取調室だ。ここに入るのも三回目である。
「嬢ちゃん、すまねぇ。ちょっと、立て込んでてな」
忙しげに取調室に入ってきたロイド警部は、以前にも増して無精髭が濃くなり、頭もボサボサで、くたびれたシャツのボタンは外れているし、タイも結んでいるよりぶら下がっているような状態だ。
「もしかして、何日も泊まり込んでいたんですか?」
私が呆れて訊くと、「帰る暇なんかありゃしねぇよ」とガシガシと頭を掻いていた。
事務員の女性がお茶を運んできてくれると、私の向かいに座ったロイド警部はグイッと飲み干す。
王都でもかなり深刻な事が起こっているのは間違いなさそうだ。
「もしかして、クローデン城の火災の件で?」
私が声を落として尋ねると、警部は一瞬口を噤んでから眉間に皺を寄せる。どうやら、間違っていなかったようだ。
「嬢ちゃんが調べている事件とは無関係だ……」
「いいえ、関係していると思います。私の友人がその火災に巻き込まれたかもしれないんです!」
「…………なんだって?」
顔色を変えた警部が机に身を乗り出す。
「あんた……火災の件、どれくらい知ってる?」
「この前、公園で殺された女性が……亡くなる前に私にこのメモを渡してきたんです」
私はバッグから取り出した彼女のメモを見せると、ロイド警部は顎をさすりながら真剣な顔をしてメモを見つめる。それから大きな溜息を吐いた。
「どうして、その場で言わなかった」
「…………ごめんなさい。あの時は動揺していて……それに気付いたのは、警察署を出た後だったんですもの。そのまま、私は王都を離れてしまったので、警部に知らせようがなかったんです。それに、あの時にはまさか城で火災が起きるなんて想像もしていなかったんですもの」
ユルユルと首を振って答えると、苛立たしげに警部は溜息を吐く。
「ご、ごめんなさい……」
「いいや、まあ……確かにな。嬢ちゃんを責めることでもねぇ。ただ、今回の火災については上からの命令で箝口令が敷かれてる。詳しくは話せねぇんだ。今は調査中としかな……」
『大勢、亡くなったと聞きました。被害者の身元は確認できているんですか?」
「それが……今は捜査中だ」
「その中に……っ!」
私はウィリアムがいるかもしれないと言いかけて、言葉をのみ込む。はっきり口に出すのが怖かった。それが現実になってしまうようで。
「あんたの友人がいるかもしれねぇ……ということか。あんたのその友人ってのは貴族か?」
「ええ、そうです。私がメモのことを話したから、調べに向かったんだと思います。それ以降、連絡が取れなくて……火災が起きたことを知ったんです」
「そうか……だったら、諦めた方がいいかもしれねぇな。ほとんどの客が焼死体で発見された。人数は確認しているところだ。城にどれくらいの人数がいたのかもこっちはまだ把握できてない状況なんだ。使用人含め、ほぼ全員が亡くなったとみて間違いない。城全体が焼け落ちるほどの火災だったからな」
ロイド警部の言葉に、私は無意識に服の胸元をつかんでいた。手の平が汗ばんでいるのがわかる。
その中にウィリアムも?
嫌だ。絶対、嫌。私の顔色がひどく悪いことに気付いたのか、「おい、大丈夫か?」とロイド警部が腰を浮かせる。
「大丈夫です……でも、それなら……なおさら確かめないわけにはいかないわ」
「まさか、行くつもりか!? 城の周りは今、立ち入り禁止になっている。無断で入れば、罪になるぞ。やめておけ。警察の捜査が終わるまで……」
「いつ終わるんですか!?」
私は顔を上げ、強い口調で問う。
「…………あんたの気持ちもわかるが、今はダメだ。今回の件……首を突っ込めば、下手すりゃ絞首刑だ。あの火災でかなりの数の貴族が亡くなってる。しかも、ここじゃ言えないが……かなり非合法なことが行われていたのではないかという話だ」
「…………たぶん、読書会と繋がっているのだと思います」
私が小声で言うと、ロイド警部が目を見張る。それでようやく、一連の事件と火災の関係が繋がったようだ。
「そういうことか……」
「ロイド警部。城で何が行われていたのか、あなたなら知っているのでしょう?」
「…………俺は直接火災の捜査には加わっちゃいない。回ってくる報告書からの情報しか把握してないんだ。だが……おそらく、人身売買のようなことが行われていたんだと思う。オークションの会場として、城が使われていたようだ」
私は息を呑む。オークション――それはつまり、ダイアナも売られたということ?
それとも、そのことに関して知っていたから、口封じに殺されたとか?
体から血の気が引いて、頭がクラッとする。今、倒れるわけにはいかないと私は拳を握る。
「悪いことは言わないから、これ以上関わるな。被害者の中に、あんたの友人がいるなら……そいつはこっちで調べてやる」
警部に言われて、私はコクッと頷いた。
警察署を後にした私は路地を歩きながら唇を噛む。ダイアナがあの読書会に入ってから、どんな目に遭っていたのか日記にも手紙にも詳しく記されていなかった。けれど、私が想像していた以上に悲惨なことがあったのかもしれない。考えたくない。親友がそんな目に遭っていたなんて――。
無意識に立ち止まって、両手で顔を覆う。邪魔そうに通行人の男が私を避けて行った。
知らない方がいいのかも。ダイアナだって、知られたくないはずだ。知られたくないから、何も言わなかったし、手紙にも残さなかったのだろう。私が同じ目に遭っていたとしても、誰かに話すことなんてできなかった。親しい人ならなおさら言えるはずもない。
ダイアナだけではなく、ウィリアムも大切な友人も――。
このことを、ウィリアムはどこまでつかんでいるのだろう。知っていたから、クローデン城に向かったのだろうか。
私はグチャグチャになっている思考を断ち切って顔を上げる。今は、ウィリアムを捜すのが先決だ。
クローデン城に向かわなければ、何もわからない。私は辻馬車を止めて駅に向かったもらう。
まだ、希望を失いたくない。この目で確かめるまでは。
お願いだから無事でいてと、私は馬車の中で祈るように冷えている手を握り締める。それでも震えは少しも収まらなかった。




