第八章3 手紙
修道院に来て一週間が過ぎているのに、ウィリアムからの連絡は一度もない。廊下を掃除していた私は、手を止めて窓の外に視線を移した。外はすっかり雪に覆われていて、今日もまだ降り続いている。大人しく待つしかないのだわと溜息を吐いた時、来客を告げるベルが鳴った。私は踵を返して玄関に向かう。扉を開くと、郵便配達人だ。受け取った手紙の束にふと目をやった私は、私の名前が書かれていることに気付いてその手紙を抜き取る。
(ロイド警部から……)
「ドリス、スコーンが焼けたから、お茶にしない?」
奥の厨房から顔を出したシスター・アンナに声をかけられて、「ええ。今、行くわ」と急いでスカートのポケットに手紙を押し込んだ。一昨日出した手紙の返事だろう。今すぐに読みたいけれど、王都の警察と連絡を取り合っていることが知られると、シスター・アンナに止められそうだ。彼女は兄のウィリアムから、私をここから出さないように指示されているんだから。それはもちろん、私が危なっかしいことに首を突っ込まないようにするためだとわかっている。けれど、状況が何もわからないまま過ごしていると、不安がどんどん大きくなっていく。いくらなんでも、一週間、音沙汰がないなんておかしい。
厨房に入ると、スコーンのいい香りがする。シスター・アンナはトングで焼けたばかりのスコーンを皿に取り分けてくれていた。私は「手紙が届いてたわよ」と、手紙の束を彼女に見せる。
「ああ、ありがとう。ゴミ箱に放り込んでおいて……と言いたいところだけど、そのへんに置いておいて」
「ゴミ箱? 大事な手紙でしょう?」
「ここに届くのは、請求書と督促状って決まってるのよ。残念ながらね」
おどけるように、彼女は肩を竦める。私は「そうなのね」と笑って作業台の端に手紙を置いておいた。
「この前、雨漏りをする屋根を修繕したから。きっとその支払いの催促よ。今度、寄付金が入ればまとめて払うって言っているのに、しつこいの! きっと、そのうちしびれを切らして乗り込んでくるわ。支払わないなら、屋根に大穴を開けてやるってね」
「仕方ないわ。業者の人だって早く払ってもらわないと困るんだから」
「それはそうだけど、ない袖は振れないわよ。三ヶ月前の窓の修理費だって、払えてないんだもの。請求書が行列を作って待ってるの」
「大変なのね。修道院の経営って」
「そう! 熱心な信者なんてそういない田舎だもの。もっと、熱烈に布教活動しなきゃダメね」
「じゃあ、バザーでもしたら? 冬の間に色々作って、春になったら売ればいいじゃない?」
「そうね。たいして期待できないけど、やってみるわ。ドリスも手伝ってくれる? 実を言うと、私、お裁縫の方はさっぱりなのよ。犬の刺繍をしたら、ブタって笑われたわ」
「私もそう得意じゃないけど、ここにいる間の協力は惜しまないわよ。お世話になってるんだもの」
「それは気にしなくていいわ。その分、お兄さまに請求書を回せばいいだけだもの」
片目を瞑ると、シスター・アンナは私の前にカップを置く。椅子を出して座り、簡単なお祈りをしてからスコーンをいただく。クリームをたっぷりのせたスコーンはここでは贅沢品だ。
「ねぇ、シスター・アンナ。ウィリアムから連絡はない?」
私がクリームを塗りながら尋ねると、彼女はチラッと私を見る。
「そんなに心配? ドリスってば、毎日お兄さまのことばかり訊いてくるんだから」
「心配よ! 人を殺すような人たちが関わってる事件ですもの。あなたは心配じゃないの?」
「お兄さまがヘマをして殺されるような状況はちょっと考え難いもの」
少しも心配していないのか、シスター・アンナは大きな口でスコーンを頬張る。頬にクリームをつけながら、「んーっ、おいしい!」と満足そうに笑みを浮かべていた。
「暢気ね」
「私たちが心配しても仕方ないことよ。できることは、冬ごもりだけ。大丈夫、片付いたら迎えに来てくれるわ。あなたをね」
頬杖をついてニマーッと笑ってる彼女を一瞥し、「言っておきますけど、あなたのお兄様はよき友人よ?」と釘を刺しておいた。変に勘ぐられても困る。そもそも、田舎貴族の私と、公爵家の跡取りである彼では少しも釣り合いが取れていない。全てにおいてだ。
「お兄様に親しい女性の友達なんて、他にいないわよ?」
「……いるわよ……いいえ、いた……というべきかしら」
カップを取りながら、小さな声で答える。そう、きっととても大切な人。
「お兄様に? 聞いたの?」
驚いたように、シスター・アンナが私を見る。知らなかったのだろうか。妹にすら秘密にしていたのかもしれない。
「ええ……少しだけね。ウィリアムはその人を……好きだったんじゃないかしら?」
でなければ、あれほど真剣に事件の真相を解明しようとは思わないだろう。きっと、それは彼にとっての弔いなのだ。私がダイアナの弔いのために、事件を知ろうとしているのと同じように。
胸の奥に滲む痛みは、きっと全てを明らかにしたところで消えることはないのだろうけれど。それでも、これは亡き人に向けての贖罪なのだ。
シスター・アンナは戯けた口調も表情も消して、私を見詰めている。小さく笑みを返した私は、紅茶のカップに静かに口をつけた。
そんな心に痛みを抱えている彼に、恋愛感情など――もてるはずもない。それは、弱みにつけ込むようで。とてもではないけれど、今の私にそこまで彼の心の内に踏み込む勇気はなかった。事件解明という目的のために、協力し合っているだけ。その後は、私は田舎の領地に帰るから。きっとほとんど会うこともない。忘れられて、王都でのパーティーで遠くからたまに見るだけ。そういう本来の互いの距離に戻るだけ。
私はそれ以上のことなんて、何も求めていない。きっと、ウィリアムもそうだ。
ほんの少しだけ、同じ痛みを共有するもの同志、寄り添い合っている。
「兄様に好きな人なんて……いなかったと思うわよ?」
「それは、結ばれることが難しい間柄だったから、家族には話せなかっただけじゃない?」
ウィリアムから少し聞いた話では、身分違いの相手のようだった。それに、相手の人は無理矢理とは言え、結婚させられたのだ。好きだったとしても、彼にはどうすることもできなかったのだろう。公爵家の跡取りである彼が、庶民の女性を娶れるわけもない。愛人にするくらいがせいぜい。けれど、ウィリアムはそんな不誠実な関係を相手の女性には求めなかった。だから友人だと――割り切っていたのではないか。
「そうかもしれないわね。まあ、私が知らないお兄様の秘密があったとしても驚きはしないけれど」
「そういうあなたこそ。修道院に籠城していないで、社交界に戻る気はないの?」
ウィリアムの口ぶりでは、両親は彼女にちゃんと貴族令嬢としての責務を果たしてもらいたそうだ。
「絶対に嫌よ。今のこの自由気儘な生活を手放して、お行儀良くお屋敷で奥様をするなんてごめんだわ。だいたいね、ドリス。私の結婚相手って誰だか知ってるの?」
「えっと……きっとそれなりの身分の方だと思うわ」
「そう! それなりの身分の相手よ。だから嫌なの! 私は断固として、このオンボロな楽園を死守するわ」
拳を握って断言する彼女を見て、私はプッと笑う。
「あなたらしいと思うわ」
シスター・アンアときたら、薪割はするし、水汲みはするし、雨漏りがすれば自分で屋根に登って修繕しようとするのだ。とても、深窓のご令嬢とは思えない逞しさだ。それを喜々として行うのだから、畏まって堅苦しいお屋敷の生活は、性に合わないのかもしれない。まして、彼女のお相手はおそらく――貴族どころか、王族になる可能性が高い。王宮暮らしなど、彼女が忌避したがる理由もわかる。
「でも……いつかは連れ戻されたりしない?」
今の状況が、この先も許されるとは限らない。王命とあれば、彼女も戻らざる終えなくなる。
「その時は、国外逃亡も辞さない構えよ」
「そうならないことを心から願ってるわ。私も、大切な友人が遠くに行ってしまうのは寂しいもの」
本当に、そう思うから。私がぎこちなく笑うと、シスター・アンナは「なんでお兄様があなたを気に入ったのかわかる気がするわ」と少し呆れたように呟いていた。
ささやかなお茶会を終えて厨房を出た私は、二階の部屋に戻る。ドアを閉めると、ポケットに押し込んでいた手紙を取り出して封を開けた。その内容を読んだ私は青ざめてふらつき、ドアに寄りかかる。
「嘘でしょ……」
クローデン城で大規模な火災が発生したという内容の手紙と一緒に、新聞の切り抜きが入っていた。城ではオークションが開催されていて、多くの貴族や富豪が滞在していたという。その人たちも火災に巻き込まれて死亡。使者の数は不明――。焼け跡からは、五十人以上の遺体が発見されたと記事には書かれていた。
新聞なんて、この修道院には届けられていない。だから、王都で騒ぎになっていることなんて、知らなかった。私は新聞記事を握り締めて、部屋を飛び出す。きっとこのことは、シスター・アンナも知らないはず。知らせないと。
階段を駆け下りて礼拝堂に向かうと、彼女は祭壇の蝋燭を取り替えているところだった。血相を変えた私を見て、「どうしたの?」とビックリした顔をする。
私は速くなっている鼓動を落ち着けてから、口を開いた。
「もしかしたら……ウィリアムが火事に巻き込まれてるかも……」
私の言葉に、シスター・アンナが「えっ」と言葉を失う。蝋燭に灯した火が、風に揺れていた。
急ぎ足で祭壇に向かい、彼女に新聞の切り抜きを見せる。
火災が発生してから、もう三日も経っていた――。




