第八章2 戻ってきた修道院
見覚えのある狭くて簡素な部屋で目を覚ました私は、ぼんやりしたまま起き上がり、窓に目をやった。外は晴れているようで、明るい光が射している。ここは先日訪れた、シスター・アンナのいる修道院だ。一晩中馬車に揺られて、翌日の昼前に到着した。私をここまで連れてきた従僕は、修道院の玄関先で、シスター・アンナにウィリアムの手紙を渡すと、私を預けて早々に帰っていった。
「おはようーっ、ドリス。目を覚ました?」
ドアが開いて、モップを手にしたシスター・アンナが顔を出す。
「ごめんなさい。すっかり寝坊してしまったみたい……今、何時頃なのかしら?」
私はベッドから抜け出して尋ねる。腰が……腰が痛い。
簀巻きにされたまま馬車のシートに転がされていたからだろう。肩も脚腰もガチガチになっている。
「ああ、気にしないで。疲れていたんでしょう? 朝食にはちょっと遅いから……パンケーキ焼いて食べる?」
誘惑するようにきかれて、私は「た、食べるわ!」と思わず即答した。昨日は馬車の揺れのせいで酔ってしまい、あまり食欲が湧かなくて、シスター・アンナが出してくれたショウガ入りのスープを少し飲んだだけだ。
「それじゃあ、着替えが終わったら下りてきて。厨房にいるわ」
「厨房に行くの?」
「パンケーキは焼きたてを食べるのが最高においしいの。だって、あっという間に萎んじゃうんだもの!」
ウィンクして、シスター・アンナはドアを閉める。私は身支度を調えると、言われた通りに一階に下りて厨房に向かう。廊下を歩いている時から、すでにいい香りが漂っていた。厨房に入ると、「そこ座って!」と、シスター・アンナに勧められる。作業台で食べるつもりらしい。
「お茶をいれるわ」
「ええ、ありがとう!」
作業台に用意されていたティーポットにはすでに温かいお茶がはいっていて、蒸らしているところだ。砂時計が落ちきるのを待って、お茶をカップに注ぐ。その間に、竈ではパンケーキが焼けたようだ。シスター・アンナと一緒に座り、食事の祈りを手早く済ませてからフォークとナイフを取る。フワフワのパンケーキは口に入れた途端に泡のように溶けて消えてしまう。私はその食感にびっくりして口許を押さえた。
「これ、すごくおいしいっ! こんなパンケーキ食べたことないわ」
「そうでしょう? スプレパンケーキよ。すぐに食べないと萎んでしまうのが難点なのよね」
そう言いながら、シスター・アンナもフォークを口に運ぶ。
お腹がちょうどよく満たされた後、二杯目の紅茶をおかわりしていただく。
「お兄様の手紙に書かれていたのだけど、あなた……撃たれたのですって?」
「撃たれたというか、掠めただけよ。怪我は縫ってもらったし、大丈夫」
「縫ったですって!? それ、痕が残ってしまうかもしれないじゃないの」
驚いたようにシスター・アンナが声を大きくする。
「二針ほどだし、腕だから多少痕が残ったところで大したことはないわ。それより……」
腕の中で冷たくなっていった少女のことを思い出し、顔を曇らせた。
「私なんて、生きているだけマシだったわ……」
「…………やっぱり、お兄様の言う通り、あなたはしばらくこの修道院にいるべきね」
真顔で言われて、私は「えっ!」と彼女を見た。
「ウィリアムは……その、手紙でなんて書いていたの?」
その手紙は、私は見ていない。ただ、読んでいる時のシスター・アンナの表情は深刻そうだった。
私の事情を伝えたからだろう。
「あなたを、一週間ほど修道院で預かってほしいって。もしかすると命を狙われるかもとも書いてあったわね。犯人があなたの顔を覚えていれば、目撃者を消すためにやってくるかもしれないでしょう? 警察は四六時中あなたの近辺を見張ってくれるわけでもないし……でも、こんな北の僻地まではわざわざ捜しにやってこないわ。それに、やってきたとしても、ここなら頑丈な壁も門もある。オンボロだけど、戦争中は籠城にも使われたんですもの。堅牢さには定評があるの。百年前の話だけどね」
シスター・アンナは人差し指をチラチラと揺らして胸を張る。確かに、この修道院は崖の上にあるし、海に面していて、その上四方は石壁に囲まれていた。門を高くて、簡単には侵入できそうにない。
「私、そんなお姫様みたいに守ってもらう必要はないわ」
私は首を竦める。
『何を言うの。あなたがお兄様の大事な人だってことくらい、わかってるわ」
「えっ、大事な人? 確かに友達ではあるけれど……大事かどうかはわからないわ」
「…………まあ、仕方ないわよね。あなた……お兄様を女性の友達だと思っていたんだし……」
カップを指で支えながら、アイリーンは首を小さく振って溜息を吐く。
「シスター・アンナ。ウィリアムはまさか……一人で事件を解決するつもりなのかしら?」
握り締めていたはずのあの小さなメモは、消えてた。馬車の中で落としたのか、それとも眠ってしまっている間にウィリアムに取り上げられたのか。彼があのメモを見たのだとしたら、一人でクローデン城に向かうつもりだろうか。そこに何があるのかもわからないのに。
「…………お兄様のことなら大丈夫よ。あの人、こういうことは慣れ……」
口を噤むシスター・アンナを見て、「慣れ?」と聞き返す。彼女は咳払いすると、「ああ、ほら。紅茶が冷めてしまうわ」と誤魔化していた。
紅茶を飲みながらチラッと見れば、どことなく気まずそうな表情だ。うっかり口を滑らせそうになったことを反省しているような。
こういう事件の捜査は慣れているということ? 警官でもないのに? それとも、推理小説好きとか?
そういえば、彼は色々手慣れすぎるような気がするのだ。
(ウィリアムにはまだ、秘密にしていることがあるってことよね……)
とはいえ、今はそれを詮索しようとは思わない。心配なのは、彼が一人で危険な場所に乗り込んでいやしないかということだけだ。私をこの修道院に連れて行くようにあの従僕に命じたのも、私を事件から引き離すため。私が王都にいれば、また首を突っ込んだり、事件に巻き込まれるかもしれないと心配している。それは嬉しいし、正直、彼の言う通りこの修道院で大人しく事件が解決するのを待っている方がいい。私が動き回っても、周りに迷惑をかけるだけかもしれない。
でも、相手は人殺しを何とも思っていない。しかも、すでに何人もの犠牲者が出ているのだ。単独の犯人ではなく、組織的な犯行。関わっているのはおそらく……高位貴族や聖職者、あるいは銀行家などの一部の富裕層。ウィリアムは公爵家の令息。彼くらいでなければ、そんな組織のことを暴いたところで闇に葬られて消されるだけ。
あの女性がもたらしたクローデル城の情報は多分、ウィリアムに渡っている。孤児院にシスター・クレアがいたことも伝えた。これだけ有力名情報を得られたのだから、私の役目はもう十分果たしたのかもしれない。危険に自分から脚を突っ込む必要なんてないんだわ。
「ドリス。後はお兄様を信じて待っていて。ここにはいくらでもいてくれてかまわないわ。お兄様から、代わりにたっぷり寄付金ももらっているしね」
シスター・アンナは私が黙り込んでいるから、気づかうように明るく言う。
私は「至れり尽くせりね」と、ちょっと笑った。
「そう。おいしいパンケーキもあるしね!」
「わかったわ……そのかわり、お願いがあるの。ウィリアムから知らせがきたら、包み隠さず教えてほしい」
「ええ、わかった。必ず知らせるわ」
「約束ね」
食事が終わると、立ち上がって食器を洗い場に運ぶ。小さな窓を見れば、雪が積もっているようだった。
(お願いだから、無茶はしないで……祈っているだけなんて……ほんとうは私も嫌なのよ)




