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第七章6 銃声

 今日も、読書会の告知は出ていなかった――。

 私は肩を落として、公園内にある図書館を出る。外は小雨で、私は厚い雲に覆われた重苦しい空を見上げた。毎週開催されているわけではない。次の開催はもしかすると、年を越すのだろうか。そうなると、叔母に屋敷への滞在を延長する許可をもらわなければ、

「絶対にいい顔をされないわね……」

 メアリーの嫌み攻撃も覚悟しないと。アイリーンは公爵邸に滞在すればいいと提案してくれたけれど、そんなわけにはいかない。

(アイリーンは、ウィリアムなんだから)

 会うときにはいつも女性の格好をしているものだから、ついそのことを忘れそうになる。けれど、彼女の正体は男性。それも、公爵家の跡取りだ。そんな人がいる屋敷に理由もなく何日も滞在するのは、さすがに世間体が悪い。もちろん、世間は彼をアイリーンだと思っているし、友人の屋敷に滞在するという名目があるかもしれないが、どこで噂が広まるかわからないのだ。

(何より、私が気まずいわよ!)

 私はプルプルと頭を振って考えを振り払い、傘を開いて水たまりのできた公園内の道を歩き出す。

 その時、「た、助けてっ!」と必死な声がした。茂みから飛び出してきたのは、読書会に参加していた身なりの貧しい女性だ。私がびっくりしていると、彼女が飛びついてくる。その顔は真っ青で、全身が震えていた。

「あなた……ど、どうしたの!? 誰かに追われてる!?」

 驚いて、膝から崩れ落ちそうになる彼女の両腕をパッと支える。彼女は涙をためた目で私を見上げた。その瞳が恐怖の色を浮かべ、激しく揺らいでいる。

「わ、私……逃げてきて………………助けてっ!!」

 彼女の手が私の手をギュッと握り締めた。私が落ち着いてと宥めようとした時だ。パンッと軽い音が響いて、木々の枝で羽を休めていた小鳥が飛び立つ。

「え…………っ」

 彼女の体から急に力が抜けて、寄りかかるようにして倒れてきた。よろめいた私は、彼女を抱えきれなくて濡れた地面に膝をつく。水たまりに赤い滴が混ざっていた。彼女の背中がジワッと濡れる。恐る恐る触れている自分の手を見れば、べったりと血が付着していた。

「嘘……でしょ?」

 私は驚愕して呟き、必死になって辺りを見回す。どこから銃弾が発射されたのかわからない。私は彼女の腕を肩に回して、その体を引きずるようにしてその場から離れようとした。心臓が弾けそうなほど速く脈打っていて、呼吸が荒くなる。きっと顔は真っ白になっているはずだ。寒いのに汗が噴き出してくる。

 早く、ここから離れて病院に――。

 パニックになりそうな自分に、必死に言い聞かせる。誰でもいいから、通りかかってほしかった。

 けれど、この公園は元々人気が少ない。まして、真冬の今の時期に散歩している人もいない。とにかく、通りまで出るしかない。

 

 けれど、二発目の銃声が響いて、腕に痛みが走る。思わず彼女から腕を離しそうになって、歯を食いしばる。掠めただけだ。無我夢中で走り、茂みをかき分けるようにして通りに出る。飛び出した私に驚いた馬車の御者が、慌てたように手綱を引いた。馬が嘶いて数歩足踏みしてから止まる。

「バカ野郎!! なに飛び出してきてんだ!!!」

「お、お願いです。助けて!! 撃たれているんです。病院…………」

 私は叫ぶように言ってから、抱えている女性を見る。顔色は青白く変わり、肌からは体温が失われていた。ぐったりと垂れている腕も動かない。呼吸をしていないことは、確かめなくてもわかる。私は唇を強く噛んで顔を背けた。

「いいえ……警察に……警察に行ってください……」

 私が震える声で伝えると、御者はさすがに事情を察してくれたようだ。「早く、乗りな」と私と抱えている女性を御者台に引っ張り上げてくれた。

 馬車が走り出すと、私は公園を振り返る。そこには誰の姿もない。狙撃した相手も、諦めたのか。最初から、この女性だけを狙っていて、目的を達したからもう用はないのか。

 手を開いて、クシャクシャになった小さな紙切れを見る。彼女が私に抱きついてきた時に、密かに握らせてきたものだ。私の腕から流れる血のせいで、紙には赤い染みがついてしまっていた。ゆっくり開いてみると、『クローデン城』と乱れた筆跡で書かれていた。私はその紙を握り締める。


 警察署で亡くなった女性の遺体を引き渡し、怪我の手当と事情聴取を受ける。対応してくれたのが、ロイド警部だったことに少しだけホッとした。私はその女性が、読書会に参加していた女性であること、身元はわからないこと、公園で彼女が助けを求めて飛び出してきた直後、撃たれたことを話す。ロイド警部はすぐに公園の捜索を部下に命じていた。犯人の痕跡や薬莢を捜すためだろう。「また詳しく、聞かせてもらうかもしれないが……今日のところは、早く屋敷に帰んな」と気づかうように言ってくれた。

 私は自分がなんと答えたかもわからないまま、警察署を出る。

 

(そういえば……傘……落としてきちゃった……)

 公園に残されているだろうけど、取りに戻る勇気はなかった。捜索している警官が見つけて、回収してくれているかもしれない。ロイド警部には彼女が残したメモのことは話さなかった。これが彼女が命がけでもたらした情報であることはわかっている。でも、これは――。

 

「ドリス!」

 声がしてビクッとしながら顔を上げると、馬車から降りてきたウィリアムが駆け寄ってくる。私は目を見開いて彼の姿を見詰めていた。ロイド警部に頼んで公爵邸に手紙を届けてもらっていたのだ。それを読んで、すぐに駆けつけてくれたのだろう。焦っていたからか女性の格好でもなく、シャツの上に上着に羽織っただけの格好で、タイも結んでいない。その顔を見た途端、私の目からボロボロと涙がこぼれる。

 止まらなくなって、私は情けないほど顔をクシャクシャにして声を殺しながら泣き出してしまった。怖かったのだ。不安で、どうしていいのかわからなくて――。

 誰かに連絡を取ってほしいかとロイド警部にきかれて、真っ先に彼の顔が浮かんでしまった。

「ごめんなさい……迷惑……かけてはダメだとわかっていたんだけど……」

 私は声を詰まらせながら、涙を袖で拭おうとした。その腕をつかんだのはウィリアムだ。コートの袖は避けて血が染みこみ、服の胸元もあの女性の吐き出した血で赤くなっている。ひどい格好だ。おまけに結んだ髪もほどけてしまっていた。とても人に見せられる姿ではない。


 彼は眉間に皺を寄せたまま、いきなり私を横抱きにして歩き出した。びっくりしたけれど、きっと脚が震えていて倒れそうに見えたのだろう。馬車に運ばれて乗せられると、ウィリアムはドアを閉める。馬車はすぐに走り出した。ウィリアムが向かいの椅子ではなく、隣に座ってくれたのは私を支えるためただろう。申し訳なくて、私は目を伏せた。

「本当に、情けないところばかり……見せてしまってるわ……」

 私はスカートをギュッと握り締めて呟く。


「屋敷に医者を呼ぶよ……」

 彼は前を向いたまま、私の肩に手を回していた。ギュッと引き寄せられて、彼の胸に凭れるような体勢になる。それが申し訳ないと思いつつもホッとしてしまって、震えもゆっくりと収まってきた。

「私の怪我は大丈夫よ……警察署で治療してもらえたから」

 数針ほど縫ったけれど、それだけですんだ。この服の血の染みはほとんど、あの女性のものだ。それを思い出すと、心が重くなって唇を引き結ぶ。

「…………また…………助けられなかったわ………………」

 声を絞り出すように呟いた。あの人は助けを求めていたのに。

 いったい、何人犠牲になれば終わるのだろう。吐き気を催すほど胃が気持ち悪くなってくる。

 これは怒りのせいだ。握り締めた手の上に、また滴が落ちる。

 

「逃げてきたって言ってた……きっとひどく怖い思いをして……助けを求めてきたのに……私は何一つ助けになれなかった!!」

 吐き出す声が掠れて震えた。悔しい――。

 この前の読書会で、あの女性の様子が少しおかしいことには気付いていたのに。あの後、すぐに追い掛けて声をかけ、事情を聞いていたらあんなふうに殺されずにすんだかもしれない。ダイアナの時だってそうだ。もっと、早く気付けていたらきっと助けられた。


「ドリス……」

 気づかうように名前を呼ばれて、私はハッとする。顔を上げて横を向くと、ウィリアムのエメラルド色の瞳がひどく心配そうに私を見詰めていた。手袋をしていない指が私の唇を拭うようにそっと触れる。血の味がじわりと口の中に広がった。強く噛みすぎて唇が切れてしまっていたのだろう。

「ご……めんなさい…………」

 視線を下げて小声で謝る。彼は私の頬に手を添えると自分のほうに引き寄せる。驚いて体を硬くした私の額に、彼はコツンと自分の額を当てる。

「君が謝ることなんて何一つないだろう?」

「でも…………あなたにも迷惑をかけたわ…………」

「知らせをくれたこと? それは迷惑じゃない。むしろ、何も知らせてくれないほうがきっと怒っていた」

 彼は優しくそう言いながら、口許に苦笑いを浮かべる。

「…………ごめんなさい…………」

 私は涙ぐみながら、目を伏せてもう一度謝る。彼の優しさに甘えそうになる自分が、情けない。

 でも、心がボロボロに砕けてしまいそうなのだ。人が目の前で亡くなったという事実が、自分でも思っている以上に堪えているらしい。私はギュッと彼の上着をつかむ。


「君は最善を尽くしたじゃないか。いつだって、精一杯、できることをやってきたはずだ」

「でも……助けられなかったわ…………誰もっ!!」

 本当にそうだったのだろうか。もっと他に、やれたことがあったのかもしれない。そう、自分が納得できないだけ。わかっている。全ての人たちの命を、私一人で救えると思うほうが傲慢なのだと。私はしょせん、ただの非力な人間にすぎない。

 彼は私の背中に両腕を回すと、少し強く抱き寄せる。そして、「困ったね」と溜息を吐いていた。

「私はこれでも、君に救われたと思っているんだ……君と出会わなければ、もう少し自暴自棄になっていただろうから。君の存在が救いになってくれた……それでもやっぱり、君は誰も助けられなかったと言うのかい?」

 その優しい声を聞いていると、溢れた涙で視界が曇る。

 それは、ウィリアム。あなたの方だわ。あなたと出会わなければ、私はもっと、何もできず、途方に暮れるか、危険な目に遭ってとっくに命を落としていたのだもの。私は何度、あなたに救われたかわからない。今もこうして、私に寄り添っていてくれる。それだけで、私はもう少しだけ強く生きていられるのだから――。


 ありがとうと、唇を動かす。声が届いたかどうかはわからない。

 彼と出会わせてくれた神様に、私は心から感謝したいと思えた。


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