第七章4 読書会
読書会が行われたのは古書店の三階で、古い本が隅に積んである物置のような狭い部屋だった。その真ん中のスペースに円形に椅子が並べられていて、参加者たちが座っていた。会を主催するシスター・クレアという人はそんな参加者たちの自由な会合を、隅の椅子に座り、記録を取りながら眺めているだけだ。
集まっているのは女性だけで、年齢も階級も様々のようだった。富裕な家の令嬢と思われる人もいれば、継ぎ接ぎの服を着た貧しそうな女性もいる。ただ、この読書会では、階級の差など誰も気にしていないようで、平等な扱いをされるようだった。
いまだに根深く、階級というものが存在するこの国では、珍しいことでもある。
(もっと怪しげな会合かと思ったけれど……普通、みたいね……)
私は談笑する人たちを、密かに観察する。名前も、身分も、職業も、この場では誰も訊いてこない。概ね話題は読んだ本の感想や、自分が気に入っている本の紹介。詩を朗読する人もいた。一見すれば、ただの読書好きの集まり。
今回、初めて参加する私とアイリーンも、ごく自然に受け入れられてる。それにしても――。
私はすっかり話題の中心になっているアイリーンをチラッと見る。身分も名前も隠しているから、誰も彼女が公爵家の令嬢だと知らないはずなのに、彼女はこの場に集う令嬢たちをすっかり魅了してしまったらしい。この場に集まった女性たちは、目を輝かせ、アイリーンの話を傾聴している。
「私、推理小説はあまり読まなかったのですけれど、お話を聞いて読んでみたくなりましたわ」
「ええ、そうね。あなたが勧めてくれる小説なら、きっと面白いわ」
「最初に読むなら、リック・マーキスの『赤い首飾り』がオススメね。主人公のジェームズ・パターソン警部と、助手の関係がとてもいいの」
と、アイリーンは笑顔で会話を楽しんでいるようだ。次ぎから次ぎに質問されて、少し困惑した表情を浮かべながらも答えている。少しゆっくりとした話し方で、誰にでも分かりやすく、人の興味を引くような話の振り方がうまい。
(ウィリアムって引きこもりで社交の場にほとんど出ないって話していたけれど……絶対に嘘よね)
これほど話術が巧みな人が、人付き合いが苦手なはずもない。天性の人たらしのように見える。
私は会話に加わらず、チラッと部屋の隅に座っているシスター・クレアを見る。年齢は二十代だろう。栗色の髪をしたなかなかの美人だ。けれど、本当にシスターかどうかは疑問が残る。私が見ていることに気付いたのか、彼女は静かに微笑んだ。私はニコッと笑みを返してから、視線を他の参加者に向ける。ただ一人、私と同じく黙っているのは継ぎ接ぎの服を着た若い女性だ。エプロンには染みが出来て汚れている。その女性は、居心地悪そうに俯いて小さくなっていた。そんな彼女の様子にアイリーンも気付いているのか、さりげなく彼女に話題を振る。女性はその時は顔を上げ、少し微笑んで答えていた。それほど口数は多くない。
その隣の女性は、裕福な家の令嬢なのか高そうなブローチが胸についていた。そのブローチには、この読書会の図案が刻まれている。図案を刺繍したハンカチを握り締めている女性もいた。
一時間ほど読書の話をすると、シスター・クレアが休憩を告げてお茶とビスケットを振る舞ってくれた。その後は、読書とは関係ない雑談の時間だった。一人の女性が義母との関係が良くないと溜息交じりに話せば、その相談が始まる。その時もやっぱりアイリーンは会話の中心になっていて、みんなの持ちかける相談に笑顔で適切なアドバイスをしていた。
終わったのは夕方だ。椅子を片づけて、みんなが帰り支度をする。重ねた椅子を隅に運んでいた私は、ふと入り口で話し込んでいるシスター・クレアと、貧しい身なりの女性に目をやった。暗い顔をして俯いている女性に、シスター・クレアが慰めるように話しかけている。
(あの人、悩み相談にも加わらなかったわね……)
一番、相談したいことがありそうだったのに。金銭面での不安とかなのだろうか。それなら、人前で口にするのは躊躇するのも当然だけれど。それだけではなさそうな雰囲気だった。
シスター・クレアが個別に相談でも乗っているのかも。そう思って見ていると、シスター・クレアがこっちを見る。すぐに視線を逸らしたけれど、彼女は私の方へとやってきた。
「今日、初めて参加された方ですわね。どうでしたか?」
にこやかに話しかけられて、私は出入り口に視線をやる。貧しい身なりの女性はもうそこにはいなくて、帰ったようだ。よかったのだろうかと少し気にしながら、私は「ええ……とても有意義でした」と笑みを作る。
「この会は、自由な集まりで強制もありません。興味があれば、また参加してみてください」
「ありがとうございます。友人も気に入ったようなので、そうさせてもらいますs」
「ああ、あの方……とても素敵な方ですわね」
ニコッと微笑んだシスター・クレアの視線の先には、参加者に囲まれているアイリーンがいる。他の参加者はまだ、彼女と話したりないようだった。その気持ちはよくわかる。ただ、本人は囲まれてちょっと困った顔になっていた。
「ええ、自慢の友人なんです。あの……シスター。皆さん、同じ図案のハンカチとかブローチとか持っているみたいですけれど、あれは読書会に参加するために必要なものなのでしょうか?」
「ああ、あれは……言ってみれば、会員証代わりなんです。普通は、このような……栞をお配りしておりますの」
そういうと、シスターは手に持っていた本の間から栞を取り出して私に見せる。その栞には、読書会の図案が描かれていた。「よければ、どうぞ」と、渡されたその栞を受け取る。
「いただいてもいいものですか?」
「ええ、もちろんですわ。初めての方、皆さんに差し上げているものですから。ああ、お友達の分も」
シスターはもう一枚、同じ栞を私にくれた。
「ありがとうございます! 大事にしますわ。素敵な栞ですもの」
「栞は使っているうちに痛んだり、なくしてしまいますでしょう? ですから、あのようにブローチやハンカチに同じ図案を入れられる方もいるんです。特に決まりがあるわけではありませんけど……繋がりをより一層感じられますでしょう?」
「繋がり……ですか?」
「ええ……誰しも、誰かとの繋がりを求めるもの。孤独は人の心を蝕みますから。そうした女性たちの集いの場になればと考えておりますの。いってみれば、救済の場ですわ」
「それは素晴らしい試みだと思います。さすが、シスターですね。それは、教会の試みでもあるのでしょうか?」
「特に教会が主催しているわけではありませんわ。有志が自主的に行っているだけですから。ですから、無償で行っているのです」
「寄付金など必要にはならないんでしょうか? ほら、こうした場所を借りるのにもお金が必要になりますでしょう?」
「ええ、そうですわね。ですが、できる限り安く借りられるようにお願いしておりますし、それに協賛してくださる方々はおりますの。ですから、心配には及びませんわ。ですから、気兼ねなく参加してください。悩みがあれば、いつでも相談を。私たちはみな、神の愛し子であり、姉妹のようなものですから」
「ええ、ありがとうございます。その時には是非、そうさせていただきますわ」
シスター・クレアは「それでは」と、私のそばを離れて部屋を出て行く。
古書店を後にした私とアイリーンは、大通りにあるカフェに入った。
すっかり気疲れしたような顔をしているアイリーンに、「大丈夫?」と声をかける。
席に座ると、すぐにボーイがメニューを運んできた。私もアイリーンもケーキと紅茶を注文する。
「ずっと話しかけられるから……困ってしまったわ」
「少しも困っているようには見えなかったけれど」
「何度もあなたに助けを求めたのに、少しも気付いてくれないんだもの」
アイリーンは運ばれてきた紅茶のカップを取りながら、恨めしそうに私を見る。
「そ、それはごめんなさい。何でか瞬きしているから、目が乾燥して痒いのかと思っていたわ」
肩を竦め、テーブルに置かれたチョコレートケーキにフォークを入れる。ふんわりとしたスポンジとチョコレートクリームが口の中で蕩けるようでおいしい。
「ドリスにはもっと分かりやすい合図が必要ね」
「う……ごめんなさい。他の人たちを観察してたの」
「…………誰かに見られてたわね」
クリームブリュレのカリカリの表面をスプーンで割りながら、アイリーンが小声で呟く。私は「えっ!」と、驚いて彼女を見た。
「誰かって、シスター・クレアのこと?」
「いいえ。部屋の中ではないわ。多分、どこかにのぞき穴があったのね」
「のぞき穴……どうしてわかったの?」
「視線を感じたもの。それに、隣の部屋で時々物音がしてた。小さな音だったけれど……」
「ネズミではなくて?」
「最近のネズミが靴を履くならそうかもしれないわね」
アイリーンはクリームブリュレをすくって口に運ぶ。ということは、アイリーンが訊いたのは靴音ということだったのだろう。
「話をしながらそんなことによく気付いたものだわ。耳がいいの?」
「たまたま、壁に近い場所に座っていたから。首筋がピリピリするから、誰かに見られてるのだとわかったの」
「あなたって、感覚が鋭いのね……私はまったく気付かなかった。シスター・クレアが黙って見ていたのはわかっていたけれど」
「そういえば、帰り際に話しかけられていたでしょう?」
「ええ、ちょっと訊いてみていたのよ。栞をもらったわ。あなたの分も」
私はバッグを開いて栞を取り出し、アイリーンに一枚渡す。
「会員証代わりなんですって。ブローチやハンカチに図案を入れてるのもそのためみたい。でも……普通の読書会で拍子抜けしたわ」
私は肩を竦めて紅茶を啜る。もっと、何か起こるのではと期待していたけれど、何も起こることなくただ話をしただけで終わってしまった。
「普通すぎたわね……」
アイリーンはカップを揺らしながら呟く。
「そう思う?」
「ええ。あと……気になる人がいたわ」
「あの、エプロンをつけた女性のこと? なんだか陰がある人だったわね」
シスター・クレアが変わり際に声をかけていた女性のことだ。
「ずっと、手が震えてたの……おかしいでしょう? 怖がる理由なんてないのに」
「寒かった……というわけじゃないわよね? 体調が悪かったとか?」
「たぶん、あの人……誰かに見られてることに気付いてたわ。時々、隣の部屋を気にしていたもの」
「少なくとも、何でもない集まり……ではないということね」
覗きなんて、気味が悪い。私はふと気付いて、ケーキを食べる手を止めてアイリーンを見た。
「女性を物色していた……ってことはないのかしら?」
「それは十分に考えられると思う」
「あの人……大丈夫だったのかしら……」
どこの誰かもわからなければ、安全を確かめようもない。それに、彼女は一足先に帰ってしまっていたから、後を追うこともできなかった。
「何度か参加して、もう少し詳しく確かめてみる必要がありそうね」
アイリーンの言葉に、私は「ええ」と頷いた。犯罪組織が絡んでいるなら、そう簡単に尻尾はつかませないだろう。




