第七章3 変装
読書会への紹介は、メリッサに頼んだ。関わりたくないと最初は渋っていた彼女も、公爵家のパーティーの招待状を出されては断ることなんてできなかったようだ。公爵令嬢アイリーンは、親しい友人を作らないことで有名だったようで、他の令嬢をお茶会に招くこともなければ、招待に応じることも滅多にない。その理由については、事情を知った今ならわかるのだけど――。
なにせ、本当のアイリーンは修道院に〝籠城中〟のようだし、社交の場に変わりに出ているのが彼女の兄であることなんて、ほとんどの人間は知らない。考えてみれば、大スキャンダルだ。これは、私もうっかり口を滑らせたりしないように気をつけなければ。アイリーンこと、シスター・アンナと、その兄のウィリアムの名誉がかかっている。ついでに公爵家の名誉もだ。
本当に、どうしてこんなことになっちゃったんだかと、私は溜息を吐いて公爵邸の玄関のベルを鳴らした。この屋敷を訪れるのもすっかり慣れてしまって、ドアボーイは私の顔を見るとすぐに丁重に中に通してくれた。本当なら、私みたいな田舎貴族の令嬢が、招かれるようなお屋敷ではない。事件のことがなければ、きっとこんな風に会いに来ることもなかったのだろう。
今日の午後四時から、読書会が行われる。その場に、私とアイリーンは一緒に行くことになっていた――のだけど、部屋に招かれた私は、アイリーンの姿を見て二秒ほど沈黙する。アイリーンはふんわりした茶色と、白の小花柄の外出着を着ていた。私の顔を見るなり、「忠告通り、地味な服にしてみたのだけれど、どう?」とかわいらしく首を傾げて聞いてくる。支度の途中で、メイドたちが数人かかりで着替えやメイクを手伝っていたようだ。私が入ってくると、準備は出来たとばかりに頭を下げて部屋を出て行く。
「あのね……アイリーン……」
「うん?」
「悪いんだけど……かわいすぎるわよっ!!」
地味=カントリー風の格好だとでも思っているのかしら。蜂蜜色の髪も左右で三つ編みにしていて、茶色のリボンで結んでいた。これは、高貴な令嬢が、バカンスのためにカントリーハウスにやってきた時の格好だ。今までのアイリーンは大人びた綺麗めなドレスや装いが多かったけれど、愛らしい格好も実によく似合っている。
(か、顔がいいって怖ろしいわ……)
本当は、男の人なのに。
お……男の人なのに。
これも、公爵家のメイドさんたちの腕が飛びきりいいからだろうか。
「そう?」
「そうよ! いい? 地味な格好というのはね。私のような格好を言うのよ!」
私が着ているのは柄なしのグレーのドレスだ。飾りは襟元の小さなリボンだけ。袖も胸元もきっちりとボタンで留めている。レースやフリルなんて一つも使っていない。その上、家庭教師みたいに髪を後ろでお団子にしていた。これが、地味というものよ! と、私は胸を張る。
出がけにうっかりメアリーに遭遇した時には、「まあ、あなた。とうとう結婚を諦めて、修道院に入ることにしたの?」と嫌みを言われたくらいだ。叔母様は私を一瞥すると、フンッと鼻で笑っていた。
「ドリスの服装は、シンプルで素敵だと思うよ?」
アイリーンは私を見てフフッと笑った。ちょっとした時に、ウィリアムの表情や口調が混じるからドキッとする。
「お世辞はいいわよ。自分でもひどい格好だとわかってるもの。これくらい目立たない方がいいでしょう? でもね、あなたはやり直し!」
私はピシッと指を差して言う。この格好じゃ、どう考えても目立ってしまうわ。
「でも、これ以上地味な服なんて、喪服くらいよ?」
アイリーンは困った顔をして自分の格好を見る。本当にこれだから、深層のお嬢さまは!
いいえ、本当はお坊ちゃまなんだけど。どちらにしても、頭を抱えたくなる。やっぱり、読書会には私っだけが行く方がいいような気がしてきたわ。読書会ではできるだけ、誰かの印象に残らないようにしたい。顔や名前を覚えられるのは困るからだ。もちろん、偽名を使うつもりだけど、読書会に貴族令嬢が参加していたら、気付かれる怖れもある。田舎に引きこもってばかりの私はともかく、アイリーンは困る。彼女は王都の社交の場によく顔を出しているのだから。
「やっぱり、着替えを持ってきてよかったわ……」
私は提げているバッグを下ろし、中から服を取り出す。こんなことになるんじゃないかと思い、私の手持ちの服を持ってきたのだ。灰色の外出着ほどではないにしろ、今アイリーンが着ている服よりは目立たないし質素なものだ。私はグリーンの服を広げてアイリーンの体に向ける。
「サイズは………………入りそうね」
少しばかりショックを受けながら呟く。アイリーンの腰はどう見ても私よりも細めだ。それに私は女にしては長身のほうだから、アイリーンの背丈にもぴったり合う。
「あなたの大事なドレスでしょう?」
「大事というわけじゃないわ。これしかないだけ。とにかく、着替えてみて。着替えは手伝うから!」
メイドさんたちには悪いけれど、せっかくのドレスは脱いでもらわなくてはならない。私はアイリーンの後ろに回り、腰をしぼるリボンを解いていく。けれど、その途中でハッとして手を止めた。
「…………どうかした?」
振り向いたアイリーンが不思議そうに訊く。着替えを手伝ってもらうことに、何のためらいも遠慮もないらしい。これが本当のアイリーンなら私も躊躇なんてしないんだけど。今、目の前にいる人はどんなにかわいらしく見えたとしても、男の人。その人の服を脱がすなんて、よく考えてみれば、はしたないことなんじゃないかしら!?
けれど、メイドさんたちを今から読んできて、ドレスを着替えさせてくれと頼むのも気が引ける。あまりいい顔をされない気がするからだ。
私は「ん~~」と、迷った末に覚悟を決める。
「う、後ろの紐は解くから……その……後は頼める!?」
「ああ、そうだね。うん、大丈夫。たぶん」
私が言わんとしていることを察してくれたようで、彼女はおかしそうに笑っていた。
たぶんって、本当に大丈夫かしら。
アイリーンがドレッサールームで着替えをしている間、私は隣の居間で待っていることにした。メイドさんが用意してくれた紅茶を飲んでいたけれど、少し遅い。何か問題が生じたんじゃないかしらと心配になり、カップを下ろして立ち上がった。ドレッサールームのドアをノックして、「どう? 着替えられた?」と声をかける。
「ドリス……あの……ちょっと手伝ってもらえると嬉しいんだけど」
と、困ったような彼女の声が聞こえた。「開けるわよ」と断ってからドアを開くと、アイリーンはグリーンのドレスに着替え終わっている。サイズも丈も問題ないようだけれど、腰を絞るリボンがうまく結べないようだった。それくらいなら、私にも手伝える。
「キツかったら言ってね」
私はそう断って、彼女の後ろに回ってリボンをギュッと絞る。結終えると、アイリーンは少し赤くなりながらホッとしたように息を吐いていた。
「どう? これでいい?」
「うーん…………」
私のドレスでも、アイリーンの綺麗な顔立ちまではごまかせない。どうあっても、目立っちゃうのよね。それを誤魔化すには、化粧を変えるとか?
「あっ、そうだ。メガネは!?」
「メガネ?」
「メガネをかければ、少しは印象を変えられるでしょう? 地味で年寄りくさいメガネがいいんだけど……持ってないわよね?」
「メガネ……なら、一応あるけれど」
少し考えてから、アイリーンは一旦居間に戻り、奥の書斎へと入っていった。出てきた時には、メガネケースを持っている。それを開いてかけると、「これでどう?」と私にきいてきた。シンプルなデザインのメガネだった。
「う…………」
余計に美人度が増した気がしなくもないわね。私が微妙な顔をしていると、アイリーンは「これでもダメ?」と少し落ち込んだ顔を見せる。
「いいえ、十分よ! それでいきましょう」
アイリーンの美貌を隠すにはもはや、ベールを被せる以外にない。
準備を整えると、私とアイリーンは部屋を出る。
「顔がいいのも考えものね……」
思わず呟くと、アイリーンがキョトンとした顔をして私を見た。
「え?」
「いいえ、なんでもないの! 早く行きましょう。遅れるわ」
私は笑ってごまかし、公爵邸の広い廊下を急ぎ足で歩く。
「ドリス」
「なに?」
「あの茶色のドレス、よかったらあなたがもらってくれる?」
「ええっ!? どうして? ドレスは素敵だったんだから、あなたが着るべきよ」
ただ、今回みたいな素性を隠した潜入捜査には合わなかっただけだ。
「あなたが着たそうだったから。似合うと思うわ」
アイリーンは私の隣に並び、ニコッと微笑む。そんなに羨ましそうな顔をして見ていたのかしら。私。だとしたら恥ずかしい。確かにかわいいデザインだったけど。
「でも、あれは……シスター・アンナのドレスじゃないの?」
「まさか。今回のために地味な服を注文したら、あれが届けられて……ちょっと困ってたんだ」
私たちは顔を寄せ合いながら、声を潜める。少女趣味過ぎると思ったのだろう。
「そういうことなら……」
だって、あんなにかわいいドレスなのに、誰も着ないのではもったいない。
背が高くて、小柄とは言えない私には似合わないかもしれないけれど、憧れはあるのだ。
「うん、そうしてくれると嬉しい」
ニコッと笑うアイリーンを見て、私は赤くなった顔をごまかすように前を向いた。




