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第七章1 列車内で

 帰りの列車のコンパートメントで、私はウィリアムと向き合って座っていた。お互いに一言も発さないから、気まずい空気だけが滞っている。それでも、ウィリアムはなんとか笑みを維持しているが、視線が泳いでいた。原因は私がジーッと見ているからだろう。

 シスター・アンナは、「後はお兄様から聞いてちょうだい」とウィリアムに説明を丸投げして、修道院から私たちを送り出した。笑顔でハンカチを振っていた彼女の姿を思い出して、私は小さく溜息を吐く。そろそろ、何か話しかけてあげないと、困り果てた顔をしているウィリアムが気の毒だ。私はコホンと咳払いして、背筋を少し伸ばす。

「私の知ってるアイリーンは……あなただった……っていうことでいいのよね?」

「そう……だね……怒ってる?」

 顔色を伺うように彼のエメラルド色の瞳が私に向けられる。怒られてしょげている子犬みたいな表情だった。飛びきりかっこいい人に、そんな表情を見せられたら、私の心臓がドキンとするに決まっている。

 今まで、この人をアイリーンだと思って、近い距離で接していたことを思い出すと赤面せずにはいられなかった。腕を組んで歩いていたこともあるし、もたれかかったりしたことだってあるのだ。ケーキを一口ずつ、同じフォークで食べたことだってある。次から次に浮かんでくる記憶に今さら羞恥心を覚えて、火が出そうなほど熱くなった両頬を手で押さえた。


 ど、どうして、この人は平気な顔をしていられたのかしら!?

 それとも、私はまったく恋愛対象外で、ただの友人の扱いだから、気にすることもなかったとか?

 ええ、そうでしょうね。そうでしょうとも! きっと、こんなに顔が良くて紳士的な人なんだから、モテるに決まっている。女性の扱いだって慣れているはずだ。私みたいな田舎娘くらいじゃ、何とも思わないのだろう。だとしても、私のほうはそうではないのだ。男性だとわかっていたら、もっと距離を置いて接していたのに!


 悶々としていると、ウィリアムが頭を傾けて覗き込むように私の顔を見てくる。

「ドリス……? ごめん、本当にごめん。騙そうとか、からかおうとか、そういうつもりではなかったんだ。それだけは本当で……ただ、言いそびれてしまって……」

「……………………」

 両手で顔を覆ったまま返事をしないでいると、彼は席を立って許しを請おうとするように片膝を床に付く。

「ウィリアム、なにもそこまで……」

「妹は修道院に入ってしまったから、もう社交の場に出るつもりはないみたいで……だから、妹のアイリーンの名前と姿を借りて、事件のことを調べていたんだ……その方が、人の噂話を聞くのに都合がよくて。君が友人として接してくれて……嬉しかったのは本当だよ。だから、君に本当のことを話すのを、先延ばしにしてしまったんだ。君に打ち明けたら、もう友達だと思ってくれないんじゃないかと思ったから」

 ウィリアムの手が私の指先を遠慮がちに握り締めた。俯いた彼の眉間にはギュッと皺が寄っている。手袋をしていないその冷えた手の感触に、私は無意識に緊張していた。そういえば、アイリーンはいつも手袋をしていたことを思い出す。それも、男の人の手だと気付かれないようにするためだったのだろう。


 こうして見ると、彼の顔はやはりアイリーンとそっくりで、同じ人なのだと改めて感じた。

 ウィリアムとも何度か会っていたのに。どうして気付かなかったのかと思えるほどだ。睫が瞳に影を落とす表情とか、柔らかな笑い方や、落ち着いた話し方も同じなのだったのに。

 

 私も同じだ。男性か女性かなんて関係なく、アイリーンといるのは居心地良くて、楽しかった。公爵令嬢なのに少しも偉ぶるところはなくて、こんな私でも気兼ねなく親しくしてくれる彼女が好きだった。それに、ウィリアムとして会った時も、何度も助けてくれた。彼がいなければ、私は事件に巻き込まれて無事ではいられなかったかもしれない。それなのに、どうして怒る必要があるの?


「許すもなにも……あなたは、いつだって誠実だったじゃない」

 私は彼の指先を軽く握り絞めて微笑む。その言葉は自分でも驚くほど自然に出てきた。弾かれたように顔を上げたウィリアムが、私を見詰めてくる。彼がアイリーンの名前と姿を偽っていたことも、事情があったからだとわかる。彼は大切な人の死の真相を知るために、そうしていたのだから。私もそうだ。ダイアナの死の真相が知りたかった。失ったものを、埋め合わせる誰かを求めていたと言ってしまえば、そうなのかもしれない。純粋な友情かと言われると、多分違うのだろう。それでも、まったく好意も親しみも抱かなかったかというとそうでもない。


 私はアイリーンが――ウィリアムが純粋に人として好きだ。恋だの愛だのという感情は正直、今の私にはよくわからない。男性として意識していないわけではない。それよりも、気の置けない友人同士でありたい。大切な親友を失ったばかりなのに、また友人を失うのは嫌だ。


「君に嘘を吐いた……」

「でも、騙そうとしたわけじゃないでしょう?」

「それは……」

 ガタンと列車が大きく揺れる。私が咄嗟に手を伸ばすと、ふらついた彼が私の腕をつかんだ。思わず至近距離で見つめ合ってしまって、焦ってパッと手を離す。膝を浮かせたウィリアムは、向かいの椅子ではなく私の隣にストンと腰を下ろした。アイリーンだと思っていた時には何にも気にならなかった距離なのに、今はソワソワして落ち着かない。私は引っ込めた手でスカートをギュッと握った。

「本当のことを話したら……もう、二度と口を利いてもらえないんじゃないかと思ったんだ」

「そんなわけじゃないじゃない。それとも、あなたはもう……私を前みたいに友達だとは思ってくれないの?」

「まさか。君はとても大事な友達だ。私が誰であってもそれは変わらないよ」

 そう言って、彼は優しい表情で微笑む。そういうことを、平気で言うから――ドキドキするじゃない。

 アイリーンだった時みたいに馴れ馴れしくはできない。それを思うと、少し残念な気がした。

 

「あなたは……シスター・クレアのことについて、調べるために修道院に行っていたのよね?」

 私はコホンと咳払いして話を変える。妹のアイリーン、シスター・アンナに会いに行くことが目的ではなかったようだ。

「ああ……教会に所属しているシスターで、名前と特徴が一致している人がいないか調べてもらうためにね」

「それで、わかったの?」

「いいや……今のところはまだなにも。引き続き調べてもらうように頼んでおいたから、わかったら知らせをくれるだろう」

 国中の教会に所属しているシスターとなれば、かなり数が多い。それに、実際にシスターだったかどうかもわからない。偽名を使っていると考えたほうがよさそうだ。そうなれば、調べるのは時間がかかる。

「そう……王都の教会も当たってみたほうがよさそうね」

「君はどうしてあの修道院に? どうして、私があそこにいるとわかったの?」

「公爵邸に行ったら教えてくれたのよ。うっかり口を滑らせちゃったみたいだけど……あまり、咎めないであげてね。私が無理に聞き出したんだから。でも、どうしても早く、あなたに知らせたいことがあったの」

「なにかわかったの?」

「わかったというか……図書館で、定期的に読書会の告知が出ていたわ。その日付は一応、メモしておいたんだけど……何かに役に立つかしら?」

 私はバッグから手帳を取りだしてウィリアムに見せる。

「あと、この前の地下の収蔵庫から見付かった人たちなんだけど……ロイド警部に、その人たちの所持品からも読書会の図案が入った持ち物が見付かったと教えてもらったわ。やっぱり、関係あるみたい……」

 声を落としたのは、ウィリアムの大切な人もその被害者の中にいたことを思い出したからだ。

 手帳に目を通していたウィリアムが眉間に皺を寄せる。その視線が私の方に向けられた。

「ごめんなさい……」

 俯いて謝ると、「どうして君が謝るんだ。重要な手がかりじゃないか」と彼は冷静な声で答える。

「そうだけど……あまり思い出したくないことでしょう?」

 あの地下の収蔵庫で遺体を見つけた日、公爵邸の図書室で会ったウィリアムの憔悴した様子は忘れられない。彼は大切な人があんなふうに袋に入れられて収蔵庫に遺棄されていたのを、その目で見てしまったのだから。あんなふうに、見つけたくはなかっただろう。


「…………でも、目を背けるわけにはいかないことだから」

 彼は自分の胸に言い聞かせるように呟いてから、弱く微笑む。私は自分の胸が痛くなるのを感じて、ギュッと唇を引き結んだ。

「今度、読書会の告知が出たら……私、参加してみようと思うの?」

「君が?」

「ええ……紹介があれば、参加できるのでしょう? だから、メリッサに頼んでみるつもり」

「それは……あまり賛成できないな」

 険しい表情を浮かべて彼が言う。

「でも、参加してみれば、何が行われているかはっきりするでしょう? シスター・クレアという人にも、うまくいけば接触できるわ」

「それなら、私が行くほうがいい」

「でも、読書会に参加できるのは女性だけよ? まさか……また、アイリーンの格好で参加するつもり!?」

 私が驚いてきくと、「バレない自信はあるからね」と彼はイタズラっぽく笑う。

「いいえ、ダメよ! あなた、公爵令嬢として名前も顔も知られているじゃない!」

「何か問題がある?」

「あるわよ、大ありよ! それこそ、目をつけられるじゃない」

「それが目的だろ?」

「こっそり偵察するのが目的よ! あなたじゃ、目立ちすぎるわ」

「じゃあ、変装していこう。そうだな。月の舟の娼婦ってことに……」

 彼はニヤッと笑って考え込むような仕草をする。

「あのね。あなたを巻き込むわけにはいかないわ。公爵家の名前に傷がついたらどうするの!」

「伯爵家の令嬢だって同じだと思うけどね」

「全然違うわ。私はしがない田舎貴族よ」

「君が一人で行くのは、認められないよ。ドリス。わかっているだろう?」

 真面目な顔つきになったウィリアムに、私は言いかけた言葉をのみ込む。 

 

「じゃあ……私たち二人で潜入する……それでいい?」

 どんなに変装したところで、彼の美貌は隠しようがないから目立ってしまうような気がする。ただ、私一人で潜入するのも、確かに不安はある。彼が一緒についてきてくれるなら心強い。ただ、バレないだろうかということだけが心配だけれど、今までアイリーンとして社交の場に出入りしていたのに誰からも疑われていないのだ。その点は大丈夫な気もする。


「抜け駆けはなしだからね。ドリス」

 釘を刺されて、私は「わかってます!」と赤くなって答えた。

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