表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/44

第六章4 修道院

 ハープレーの街は、北端の駅を下りてさらに馬車で半日という距離にある。そこまでは乗り合いの馬車しかなかった。岸壁沿いの細い道を、潮風に当たりながら進む。雪が舞っていたからかなり寒い。他の乗客も、渡された毛布にくるまって身を寄せ合っていた。空も海も、そそり立つ岸壁も灰色に染まっていて、物寂しさを感じる。


 街の入り口が見えたのは夜間近だった。ハープレーは小さな古い街で、石壁の建物が薄い雪に覆われている。広場で乗り馬車を降りた私は、御者から聞いた修道院場所を目指して歩く。この辺りで修道院といえば一カ所しかないらしい。街から少し離れた岸壁の上の修道院だ。その鐘楼が街からも見えた。

 

 修道院に辿り着いた時にはもう暗くなっていて、吹雪初めていた。私が扉を叩くと、老いた修道女が窓から顔を出す。「どのようなご用でございましょう?」と問われて、私は少しびくつきながらできるだけ愛想よく微笑んだ。

「えっと、その……ここにアイリーン=ディオノークという方がいらっしゃらないかと思って尋ねてきたんです。少々、急な用がありまして」

 もしかしたら、修道院ではなく街の宿に泊まっているかもしれない。それなら、引き返して街の宿で尋ねてみるまでだ。街の宿も数軒ばかりしかないようだから、わかるだろう。


 老いた修道女が窓をピシャリと閉めると、扉がわずかに開いた。「どうぞ、中に」と通されて、私はビクビクしながら足を踏み入れる。ということは、やっぱりアイリーンはここにいるのね。行き違いになら亡くてよかったと、私はホッとする。

 

 菜園やハーブ園がある中庭を囲む回廊を抜けて、建物の中に通される。そこは長いテーブルと椅子が並べられた食堂のようだった。けれど、今の時間は誰もいないようで、シンッとしている。暖炉に火も入っていないからひどく寒かった。いきなり押しかけてきたのだから、歓待してもらえるわけではないのは仕方ない。私は椅子に座り、腕を摩って体を少しでも温めようとした。


 その時、廊下の方で声がして食堂の扉が開く。入ってきたのは、私と変わらないくらいの年齢のシスターだった。エメラルド色の瞳と、蜂蜜色の髪は、まさしくアイリーンと同じで、顔立ちもよく似ている。けれど、アイリーンではないのは一目見ればわかる。私は急いで立ち上がり、挨拶をしようとした。

「私に会いに来てくださったお客様というのは、あなたかしら?」

 そう問われて、私は「えっ!」と驚きの声を上げる。そのシスターは私がなぜ驚いているのかわからない様子で首を傾げている。私もポカンとしていたから、数秒見つめ合ったまま黙っていた。


「えっと、私は……ドリス=ディノアと申します」

 私はぎこちなくスカートを摘まんで挨拶をする。「よろしく! 私がアイリーン=ディオノーク。洗礼名はアンナだから、ここではシスター・アンナと呼ばれているわ」とにこやかに微笑んで手を差し出してきた。明るくて、しゃべり方もハキハキしている。

「あなたが……アイリーン……?」

 私は握手しながら、ひどく困惑して尋ねた。

「ええ。あなたは、私に用があったのでしょう? それとも、別の人に会いに来たのかしら?」

「私が会いに来たのは、アイリーンで間違いないんですけど……その、私が知っている人とはちょっと違うみたいで、それで……驚いているんです」

 本当に、あなたはディオノーク公爵令嬢のアイリーンですか、なんて失礼なことは聞けない。それに、公爵家の令嬢がどうしてこんな北の端の修道院にいるのか。私や他の人たちが会っていた、舞踏会でアイリーンを名乗っていた人は誰? そもそも、公爵家でも誰も彼女がアイリーンであることに疑問を持っていなかったわよね? となれば、同姓同名? 

「あの……ディオノーク公爵家には、もう一人……アイリーンという名前の方はいらっしゃいません?」

 そう訊いてみると、彼女は目を丸くして急にお腹を抱えて笑い出した。目尻に涙が滲むほどの笑いようだ。「あ、あの、えっと……シスター・アンナ?」と、私は戸惑って声をかける。


「ごめんなさい。ああ、そういうこと……本当に困った人だわ! あなた、騙されてこんな場所まで来ちゃったってわけね」

 シスター・アンナは砕けた口調で言いながら、目尻の涙を指で拭う。

「だ、騙された!?」

 もしかして、私――なにかとんでもない詐欺にでも引っかかっていたのかしら。いいえ、でも私が彼女に会うために訪れていたのは間違いなく公爵邸だ。頭が混乱して真っ白になる。もしかして、私がアイリーンだと思っていた人は、彼女のかえだま? 本当のアイリーンは修道院にいた、とか?

 

「間違いなく、私が本物のアイリーン=ディオノーク。一応、公爵家の娘ということになっているけれど、色々と事情があってね。今は家を飛び出して、ここに籠城しているのよ」

 アイリーンことシスター・アンナは肩を竦める。それから、「ああ、そうだ。ごめんなさい。お茶も出してないわね」と、気付いた様子で暖炉に向かう。「いいえ、お気になさらず! 私が押しかけてきただけなんですから。しかも、とても大きな勘違いをしていたみたいで」と、焦って答えた。

 実際これは、とても大きな勘違いに違いない。


 シスター・アンナは「いいから、いいから。座っていてちょうだい。寒かったでしょう? 外は雪になってるんですもの」と、私に話しかけながらしゃがんで暖炉に火を入れてくれた。それから、少し待つように言って食道を出て行くと、しばらくしてティーセットを持ってやってきた。公爵家の本物?のご令嬢である彼女に、お茶をいれてもらうわけにはいかない。私は椅子に座った腰をもう一度浮かせた。

「ここではお客様はあなた。私はただのシスターよ。それに、お茶をいれるのはちょっとだけ得意なの」と明るく笑って、お茶をいれてくれる。コポコポと温かいお茶がカップに注がれ、私の前に置かれた。


「ありがとうございます……」

 私はお礼を言って、カップに手を伸ばす。体が芯から冷え切っていたから、正直温かいお茶はありがたかった。一口飲んだ私は、「おいしい!」と目を見開く。シスター・アンナは私の向かいに座ると、「そうでしょう?」と嬉しそうに自分のカップにもお茶を注ぐ。お茶と一緒に出されたのは、スコーンだ。クリームたっぷりのそのスコーンに、ジャムを添えて頬張る。「これもすごくおいしい!」と、私はさっくりしたスコーンのおいしさに驚きながら、口を押さえた。


「この修道院で作ってるバターやクリームを使っているからね。新鮮よ? 街に卸してるの。オンボロ修道院の貴重な収入源ってわけ」

 彼女はスコーンを食べながら笑って答える。公爵令嬢とは思えない気さくな人だ。あまり行儀も気にしていないようで、机にこぼれたスコーンのかすをつまんで口に運んでいる。そんな彼女の様子に、私の肩の力も抜けた。この人、好きだわ――。

 

「それなら、帰りに買って帰らなきゃ」

「ええ、是非そうして。ジャムもオススメよ? バザーにはクッキーやビスケット、パンも出してるの。あと……ワインもね!」

 これが大好評なのだと、グラスを揺らす真似をしながら彼女はイタズラっぽく笑う。私は「それは、とっても興味深いわ」と笑った。それから、こんなふうにおしゃべりをするために来たわけではないことを思い出した。


「あの、シスター・アンナ? 私、ずっとあなただと思っていた人を追い掛けて、ここまでやってきたの。その人は私の友達で……あなたと同じ髪の色と瞳の人よ? 心辺り……ある?」

 私が尋ねると、シスター・アンナは頬杖をついて私を見つめてくる。その瞳は面白そうに輝いていた。アイリーンと別の意味で魅力的な人だ。美人で、その上明るくて、なんというか力強さのある人だ。

「あるといえば……あるかしら? でも、すぐには教えられないわね。あなたは、その人とどういう関係? 親しいの?」

「し、親しいというか、友達なの。なったのは最近だから、そう言ってもいいのかはわからないけれど」

「でも、私はあなたのその言葉が本当かどうかわからないわ」

 シスター・アンナの目がキラリと光る。私はドキッとして、カップに視線を向けた。「

「それはそうよね。私がどこの誰なのか、あなたは知らないのだし……」

 ディノア伯爵家の娘と言ったところで、そんな田舎貴族の名まで覚えている人は少ないかもしれない。それに、それが事実かどうか証明するのは難しい。紋章入りのものなんて、私は生憎と持ってきていないんですもの。それに、シスター・アンナが尋ねているのは私の家柄のことではない。


「だから、これから私はあなたから色々と聞かせてもらうわ。まずはそうね……私の名前を名乗るその不届きな人と出会ったのは、いったいどこ?」

 私は「えっ!」と、緊張した声を上げる。シスター・アンナはニコッと笑う。どうやら、私を質問攻めにするつもりのようだった。私は仕方なく、公園の図書館で彼女に会ったことから話すことにした。事件を一緒に追い掛けていることは、あまり話さないほうがいいだろう。


「つまり……あなたとその人は……読書友達?」

 顎に指を添えて、シスター・アンナは首を傾げる。「そ、そう! そうなの。本を貸してもらったりしたわ」と、私は早口で答えた。それなら、何も不自然なことはないだろう。

「ただの読書友達が、こんな王都から離れた場所にある修道院までわざわざ追い掛けてくる?」 

 怪しむように彼女は目を細めて私を見る。紅茶はすでに三杯目。追加のお茶まで他のシスターが運んできてくれた。今度は紅茶ではなく、香りのいいハーブティーだ。

「それは、ちょっと大事な話があったのよ。どうしても彼女に早く伝えたくて!」

「それなのに、出てきたのが私だったからびっくりしたってわけね」

 シスター・アンナはおかしそうに笑う。「ええ、そうよ。だって、私が知っている人とは違うんですもの」と、溜息を吐いた。


「ふーん、事情はわかった。あなたのことも十分にわかったわ。あなたの捜している人なら、ここにはいないわよ?」

「ええっ!? もしかして、もう王都に帰ってしまった!?」

 私はがっかりして声を上げる。だとしたら、無駄足になってしまった。

「それは大丈夫。その人なら、知り合いのところに泊まっているから。でも、今から行くのはやめておいたほうがいいわね。吹雪がひどいし、この辺りは狼が出るもの」

「お…………狼!?」

 私はギョッとして窓の外を見る。確かに窓の外は真っ暗で、風の音が絶えず響いていた。窓は真っ白だ。これでは、街に戻るだけでも危なそうだ。「こ、困ったわ……」と、思わず呟いた。


「今日は、泊まっていくといいわよ。ここ、女子修道院だから、あなたなら文句は言われないわ」

「で、でも、いいのかしら。ご迷惑にならない?」 

 そもそも、そんなことをシスター・アンナが決めてしまっても大丈夫なのだろうかと、不安を抱く。修道院長や偉い人に許可を取る必要があるだろう。

「それは大丈夫。この修道院、私を入れて五人ほどしかいないの。修道院長はお歳を召されているから、ほとんどお部屋に籠もっているし、実質、ここを運営しているのは私みたいなものだもの」

「そうなの?」

「ええ、そう。あなたが食べたスコーンも、私のお手製よ?」

 すごいでしょうと、自慢するようにシスター・アンナは胸を張る。ということは、この修道院は公爵家の支援で成り立っているのかもしれない。

「本当にすごいわ。今まで食べたスコーンの中でも一番よ?」

「そう? 気に入ってもらえたなら嬉しいわね。ということだから、今日は気兼ねなく泊まっていって。ああでも、部屋はそう多くないの。いえ、部屋数は多いんだけど、ほとんどの部屋が雨漏りするから、使えないのよね。物置になってるし。だから、今晩は私の部屋で我慢してもらうけれど、いい?」

「ええ、もちろん。寝させてもらえるなら、どこでもかまわないわ。食道だっていいくらいよ?」

「それはやめておいた方がいいわね。ここは、夜中になると……」

 真顔になったシスター・アンナは私にズイッと顔を寄せてくる。

「夜中になると……?」

 私はゴクッと喉を鳴らして、少し臆病になりながら聞き返した。

「ネズミが走り回るの……」

「そ、それは怖いわね……」

「でしょう? いくらねずみ取りを仕掛けても無駄なのよね。猫は修道院長様が嫌うから飼えないし」

 シスター・アンナは「ハァ~」と溜息を吐く。私は口許に手をやって、クッと笑った。彼女と一緒なら、同じ部屋に泊めてもらうのも楽しそうだ。

「じゃあ、シスター・アンナ。お願いします」

 私は改めてお礼を言う。彼女は「じゃあ、夕飯の準備をするから手伝って」と立ち上がった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ