第五章5 お茶会
翌日、居間のソファーに座り、今日までの事件の記録を手帳につけていると、「ちょっと、ドリス!」とメアリーが扉を開いて入ってくる。私は急いで手帳を閉じて、テーブルに置いていた本の下に隠した。何食わぬ顔をして、「あら、メアリー。おはよう。もうお昼前だけど……」と紅茶を啜る。
「いったい、どういうことなのよ。説明してちょうだい!」
メアリーは私のそばにやってくると、両手を腰に当てて見下ろしてくる。怒っているのか、眉がピクピクと震えている。
「えーと……なんの説明?」
「とぼけないで。昨日の舞踏会のことよ!」
「ああ……そのこと。ごめんなさい。昨日はえっと、気分が悪くなってしまったから、先に帰らせてもらったの。そのことは、伝言を頼んだはずなんだけど……伝わっていなかった?」
昨晩の舞踏会では、アイリーンと話をした後、彼女の馬車で一足先に屋敷に送ってもらった。もちろん、帰る前に屋敷の使用人に叔母様に伝言を頼んでおいた。
「そんなことじゃないわよ!! どうして! あなたみたいなのが!! ディオノーク公爵令嬢と知り合いなの!? あなたがあの方と一緒に広間を出て行ったところは、ちゃんと私も見ていたんですからね。いったい、どこで知り合ったの!?」
メアリーは鼻息荒く寄ってきて、バンバンとテーブルを叩く。私は笑顔をなんとか維持しながら、「あっ、そのことね」と答えた。
「ど、どこって、以前の舞踏会でちょっと……お話をしたことがあるくらいよ? 私が気分が悪くなったのを見て、親切に大広間から連れ出してくださったのよ。私〝みたいなの〟でも、気に掛けてくれるなんて、親切な方ね」
「本当に……それだけ? 随分と親しそうに腕を組んでたように見えたけれど!?」
「それは、私が倒れそうだったからよ! ほら、私って田舎者だから、立派な舞踏会には慣れていないでしょう? 大勢人もいたし……ちょっと、目眩がしちゃったの。コルセットも締め過ぎてたから」
メアリーは私を睨むようにジーッと見つめると、「まあ、そうね」とあっさり納得したようだった。
「そんなことじゃないかと思ってたのよ! 舞踏会に連れていけと厚かましく強請っておきながら、とんだ恥をさらしてくれたものだわ。あなたには、田舎の小さなパーティーがお似合いよ。これに懲りたら、もう二度と一緒に行きたいなんて言わないことね」
「ええ、もう当分、舞踏会は遠慮したいと思っていたところよ。あなたの言う通り、王都のパーティーのような華々しい場所は苦手だもの。もうちょっと、控え目な集まりを探してみることにするわ」
「それがいいわね。ああ、そうだ。あなたにピッタリな集まりがあったわ。なんて言ったかしら?」
メアリーは二重になったむっちりとした顎に手をやって、「……なんとか読書会?」と呟く。その言葉に驚いて、私はバッと彼女を見る。
「今、読書会って言った? メアリー」
私の食いつきがすごかったせいか、メアリーは「な、なによ? あなたってばそんなに読書が好きなの?」とたじろぐように下がる。いけない。メアリーに怪しまれると逆に教えてもらえなくなるかも。私は平静を装って、「ええ、そうなの!」と微笑んだ。
「読書会といえば、読書好きの人たちの集まりよね? きっと貴重な意見交換ができるんじゃないかしら。素晴らしいわ。そういう集まりの方が出会いもありそうな気がするもの」
「その読書会は女性限定よ。残念だったわね。とういか、あなた。男と出会うことしか頭にないの?」
軽蔑したように言われて、私は引きつりそうになった頬をグッと我慢して戻す。
「だってほら。結婚相手を見つけないと、適齢期を逃してしまうでしょう? 私が王都に来られることなんて希なんだから。どんな機会でも逃さないようにしなくちゃ!」
「あら、そうだったわね。でも、諦めて田舎のパーティーに出たほうがいいと思うわ。あなたにはきっとそっちの方がお似合いの相手が見付かると思うもの」
メアリーは小馬鹿にして笑う。我が従姉妹ながら、なかなかいい性格をしているわね。でもまあ、これがメアリーなのだし、子どもの頃からこんな感じだから、今さら腹を立ててみたところで仕方ない。メアリーは私が嫌いなわけではなく、誰が相手でも偉そうに振る舞わなければ気が済まないのだ。叔父様と叔母様に甘やかされて、お姫様のように育てられた結果だ。
それよりも、大事な情報の方だ。女性限定の読書会といえば、おそらく白百合読書会のことだ。それをどうしてメアリーが知っているのかわからないが。
「ねぇ、メアリー。その読書会のこと、いったいどこで知ったの?」
「さぁ、どこだったかしら? よく覚えていないわ。だって、私はちっとも読書になんて興味がないんですもの」
「そこを、どうしても思い出してほしいのよ。か、かわりに、素敵なスイーツを買って帰ってくるわ。王都で一番のチョコレートのお店なんてどう? あなた、チョコレートには目がないでしょう?」
私は立ち上がり、両手を握り締めて笑顔で頼む。食いしん坊の彼女がチョコレートに食いつかないはずがないのよ。目論見通り、彼女は「チョコレートですって?」と興味をそそられたように私を見る。
「ええ、どこのお店のチョコレートでもいいわ。あなたが好きなお店を教えてくれたら、私が買ってくるから」
「その約束、破った時はひどいわよ? お母様に言いつけて、もう絶対、うちに泊まらせてあげないんだから」
「もちろんよ! それで、どこで聞いた話か思い出せそう?」
「無理ね。パーティーだったか、お茶会だったか……誰かがコソコソ話してたのよ。私の知り合いじゃなかったわ。たまたま聞いただけ。ただ……その読書会では、色々相談に乗ってもらえて、悩みを聞いてもらえるとか言ってたわね。癒やしと……救いがどうとか」
メアリーは叔母様と一緒に社交の場には頻繁に顔を出している。読書会の噂が耳に入っていたとしてもおかしくはない。ただ、メアリーはまったく興味がないから詳しく聞いたりはしていないのだろう。
「メアリーって癒やしも救いも間に合ってそうだし……」
私は考え込みながら、思わず呟く。「どういう意味よ!」と、ギロッと大きな目で睨まれて焦る。
「い、いいえ。あなたって十分に幸せで満たされていそうだから」
「まあ、そうね。特に不満なんてないわ。そもそも、自分の不幸をベラベラと他人にしゃべって、慰め合うなんて私はごめんよ」
「あなたのそのわかりやすくて、はっきりしている性格は……そう嫌いじゃないわ」
彼女は高飛車で、人を苛立たせる言い方や態度を取るし、欠点も多いけれど、逞しさは人一倍だ。そういうところは、お世辞ではなく本心から尊敬しているのだ。
「まあ、そういうわけだから、チョコレートはよろしくね」
メアリーは念押しすると、用事はすんだとばかりに上機嫌に踵を返す。私は「あっ、メアリー」と、彼女を呼び止めた。
「なによ? 他には何もしらないわよ?」
「ええ……もし、その読書会のことで、誰かがまた噂をしていたら、ちょっと聞いてきてほしいの。お願いできない?」
私は両手を握って愛想良く頼む。メアリーは面倒そうに顔をしかめたが、「もし聞いたらね」と言って居間を出ていく。
ストンとソファーに腰を戻し、本の下に隠した手帳に手を伸ばす。今の情報は書き足しておかないと。
彼女でも役に立つことがあるのだわ。
*****
私が公爵邸を訪れたのは翌々日の午後だ。広い庭園の一角にある鳥かごのような形の温室は窓や天井がガラスになっていて、中は温かい。公爵夫人の趣味らしく、観葉植物や花が植えられていて、小さめの噴水からはコポコポと水が流れ出していた。その温室に一角にガーデン用の白いテーブルと椅子が置かれていた。私とアイリーンはその椅子に座って、お茶を飲む。今日のお茶会を企画したのはアイリーンで、もう一人、客人が来ることになっている。ただ、その客人が来る時間はもう少し後だ。
私はアイリーンに、メアリーから聞いた情報を伝える。
「癒やしと救い……」
「ダイアナも色々と悩みを抱えていたから、その読書会に誘われて行ってみたのかも……悩みがあったなら、私に言ってくれればよかったのだわ。いくらでも話を聞いたのに」
女学校時代は、ダイアナと私は何でも悩みを打ち明け合った。秘密なんて少しもなかった。
私は飲みかけの紅茶に視線を落とす。
「…………親友だから、友達だから……話せないこともあるわ。大切に思っているから……見せたくない一面だって」
アイリーンもカップを片手で持ったまま、ポツリと呟く。
「そうね……そうかも……でも、彼女が悩みを抱えて苦しんでいたのに、私はなにも知らなくて、最後まで何もできなかった。自分がひどく役立たずのように感じるわ……」
やるせなくて、私は行儀悪く頬杖をついて溜息を吐く。そんな自分が許せなくなりそうなのだ。
「だからでしょう?」
アイリーンは優しく私を見て微笑む。その表情に少しドキッとした。綺麗なその瞳に――。
「……どういうこと?」
「あなたがそういう人だから、心配させたくなかったのでしょう?」
「水くさいわ……親友なのに」
「ええ、本当にそう……優しい人ほど、自分を追い込んでしまう」
アイリーンの呟きは、どこか独り言のように聞こえた。だから、私は返事をせず黙って聞いていた。
ダイアナもそうだ。優しいから、助けてときっと言えなかったのだ。
「その読書会を主催しているのが何者なのか知らないけれど、もし悩みを抱えた女性たちの弱みにつけ込んでいるのだとしたら許せない……」
私は眉間にギュッと力を込める。カップを持ったままの私の手に、アイリーンが自分の手をそっと添えた。
「それは同感だわ。私も放置すべきではないと考えてる」
アイリーンの声も真剣なものだ。このまま、野放しにしておけば、ダイアナやウィリアムの大切な人と同じように不幸な目に合う女性が増えるだけだ。絶対にその行いを暴き出して、白日の下にさらす。それは生きている私たちの使命であり、優しき友への弔いでもあると思えた。
「ねぇ、ドリス。あなたは……私を信じてくれる?」
「もちろんよ。どうして?」
「いいえ……なんとなく。訊いてみたかっただけ」
「もしかして、私が何か秘密にしていると思ってる? もう、あなたに話していないことなんて一つもないわよ」
「それはわかってるわ。もちろん、私もあなたのことはとっても信じているもの」
アイリーンはごまかそうとするようにヘラッと笑う。
「私はあなたの方が隠し事が多い気がするわ……」
溜息を吐くと、アイリーンが口に含んだ紅茶をむせていた。ほらみなさいと、私はジト目で彼女を見る。アイリーンも、ウィリアムも何か隠し事をしているのは間違いない。ただ、それを今はあえて追及しないだけだ。二人が打ち明けてくれるのを待つだけだ。きっと何か、理由があるのだろうから。
温室に入ってきたメイドさんが、「お客様がおいでになりました」とアイリーンに伝える。「お通しして」と彼女が言うと、メイドさんは一度温室の入り口に戻り、扉を開いて客人を案内してくる。「よーやく来たみたい」と私は呟いて、椅子から立ち上がった。アイリーンも席を立ってにこやかに出迎える。
「お、お茶会にお招きくださり……ありがとうございます。レディ・ディオノーク」
見るからに顔を強ばらせたメリッサ=ハンプトンがスカートを広げて挨拶をした。そんな彼女に、アイリーンは社交場で見せる完璧な笑顔で座るよう勧める。席に着くと、メイドさんが手際よくカップやお菓子を運んできた。お茶会の準備が整うまで、私も、メリッサも、アイリーンも、口を開かない。
メイドさんが一礼して引き下がると、小鳥の鳴き声を残して静かになった。アイリーンはこの場を私に任せるつもりでいるのか、口を開く気配はない。メリッサはお茶会に招待されたというより、裁判の場に連れ出された罪人のように青い顔になっていりう。
(この前、扇に忍ばせたメモは見たようね……)
あの、舞踏会の翌日、メリッサから手紙が送られてきた。話があるというから、アイリーンにお茶会を催してもらい、彼女を招待したというわけだ。だから、メリッサはこのお茶会が断罪の場のように思えるのだろう。実際に半分はそうだ。だから、ここは私が話を切り出す必要があるだろう。紅茶を一口飲んで喉を潤してから、改めて口を開く。
「メリッサ、あなたに来てもらったのは、訊きたいことがあったからよ」
「私は……何も知らないわよ……」
メリッサは怯えたような暗い顔をして答える。ひどく小さな声だった。
「ダイアナが亡くなる前に、ある女性だけの集まりに参加していたの」
「だから、知らないってば!」
彼女はヒステリックな声を上げて、テーブルに両手をついて立ち上がる。カップが衝撃で揺れ、テーブルにまでお茶が飛び散っていた。握り締めた手が震えている。知らない人の表情や態度ではない。やっぱり知っているのねと、私は冷静な目で彼女を見る。
「白百合読書会というそうなの。ダイアナは私に残した手紙で、あなたに誘われてその集まりに参加したと書いていたわ」
私が落ち着いた声で告げると、メリッサは目を大きく見開いて私を凝視する。その瞳に映っているのは、間違いなく怯えと恐怖の色。
「し…………らない…………私じゃない…………私は…………っ!!」
「落ち着いて、メリッサ。私はあなたを咎めるつもりで呼んだわけじゃない。話を聞きたいだけ。ダイアナが亡くなった理由を知りたいだけよ」
私が立ち上がって彼女の肩に手を伸ばすと、「触らないで!」とはね除けられる。気が高ぶっているのか、顔が赤くて息が荒い。冷静に話が出来る状態ではないのだろう。
スッと立ち上がったアイリーンが彼女のそばに行き、パチッと頬を叩く。軽い音だったから、ほとんど痛くはなかっただろう。叩かれた当の本人は、何が起きたのかわからないようにキョトンとしていた。
「これで少しは落ち着いたかしら?」
「ご…………ごめんなさい……私…………失礼を…………」
メリッサはふらつくようにして、ペタンと椅子に座り直す。
「さ、誘ったのは……私よ……でも、あんなことになるなんて……知らなかったのよ!」
「あなたも、その読書会に参加しているの?」
私が尋ねると、メリッサは泣きそうな目をして頷いた。
「言われたの……会員を増やせば……私も特別な集まりに呼んでもらえるって……だから、声をかけたのよ。あの子、読書が好きだったから興味を持つと思って……最初は渋ってたけど……私が何度か誘ったら、一回だけならって……でも、一回参加したら、気に入ったみたいで……会員になってくれたわ。後は知らない……知らないの……本当よっ!」
両手で頭を抱え、声を絞り出すように言う。
私とアイリーンは思わず顔を見合わせた。
――特別な集まり?




