第五章3 舞踏会
出かける支度を終えた私は、屋敷のエントランスホールでかれこれ三十分以上待っていた。今日、一緒にでかける予定の従姉妹のメアリーの支度が終わらないからだ。ようやく階段を下りてきた彼女は、「黄色のドレスなんて嫌っていったのに! ちっとも似合わないじゃないの」と癇癪を起こしていた。コートを抱えて後を追うメイドたちは困り顔だ。叔母様は、「そんなことないわよ。とっても愛らしいわ! ほら、袖も裾もふんわりして、黄色の薔薇のようよ?」と必死に宥めているが、顔が引きつっていた。
「今の王都の流行は、もっと洗練されたデザインなのよ! だから、お母様の見立ては嫌だったのよ。古くさくて、ちっとも素敵じゃないんですもの! これじゃ、いい笑い物だわ!!」
「何を言うの、メアリー。王都一のデザイナーに依頼したのよ? いったい、このドレスのためにいくら払ったと……いいえ、そんなことはいいのよ。若い娘たちの間で流行っているような裾の短いドレスなんて、いけません。ハレンチで品がないわ。あんなドレスを着るのは作法を知らない田舎貴族か、成り上がり者の娘だけです!! あなたが恥を掻くだけよ」
階段を下りてきた叔母様は、娘の機嫌を取ろうと必死になっている。叔母様も苦労しているわねと、少し同情したくなった。メアリーは「せめて、お気に入りのピンクのドレスにすればよかった!」と、地団駄を踏んでいたが、私が呆れた顔で待っていることに気付くと、途端にフンッと顎をしゃくって尊大な態度を取る。
「あら、あなた。舞踏会用のドレスなんて持っていたのね」
「ええ、友人のものよ。あなたや叔母様に恥を掻かせてはいけないでしょう?」
私は笑みを作って答える。コートを羽織った私をジロジロと眺めたメアリーは、「あなたのその地味なドレスよりはこのドレスの方が幾分かマシよね!」と納得したようだった。メイドさんたちも、叔母様たちもあからさまにホッとしたような顔をしていた。
「ほ、ほら、何をしているんです。ドリス。さっさと出かけますよ。今日はメアリーの付き添いなんですからね。余計なことをせず、目立たない場所で大人しくしていなさい。ダンスに誘われても、浮かれて受けたりしたりてはいけませんよ。お前みたいな世間知らずの娘は、すぐに勘違いして騙されるですから」
お小言を一通り言いおえると、叔母様はメアリーを引き連れて屋敷の玄関を出ていく。
「ええ、もちろんですわ。叔母様。お邪魔になるようなことはいたしません。連れていってくださるだけで、ありがたいことなんですから」
私はにこやかにお世辞を言いながら後に続く。叔母様やメアリーの機嫌を損ねると、置いて行かれてしまう怖れがある。招待状なしに、パーティーには参加させてもらえないのだ。ここは何を言われても我慢だ。それに、私だって見知らぬ人からのダンスの誘いなんて受けたくもない。もっとも、大して美人でもない私に声をかけてくるような男性なんてそういないだろう。
屋敷の前で待っていた馬車に乗り込み、メアリーと叔母様の向かいに腰を下ろす。それにしても、ドレスを借りられてよかった。そうでなければ、またメアリーのダボダボのお古を着ることになっていただろう。このドレスは、亡き親友のダイアナの着ていたものだ。ダイアナの母であるエリンコット男爵夫人は、私が事情を話すと快く娘のドレスを貸してくれた。ダイアナには姉妹がいないため、ドレスも譲る相手がいなかったようだ。「親戚の子は……ほら、嫌がるでしょう?」と、エリンコット男爵夫人は寂しそうに話していた。不幸な亡くなり方をした娘のドレスは、あまりいい気持ちで着れないという意味だろう。かといって、処分するのも忍びなかったようだ。
「よかったら、あなたがもらってくれないかしら……? こんなことをお願いするのは嫌かもしれないけれど……あなたが着てくれるなら、あの子も喜ぶと思うの」
そう、男爵夫人に頼まれて、私はダイアナのドレスを引き取らせてもらうことにした。彼女のドレスなら、私は少しも嫌ではない。ただ、背丈は私の方が高かったから、裾や腰回りは少し手直しする必要があった。それは、エリンコット男爵夫人が、お針子を呼んで直させると言ってくれたので、その好意に甘えさせてもらうことにした。
「あなたなら、きっとドレスも大事に着てくれると思ったの。だから、これはお礼だと思って」
と、微笑んでいた。男爵夫人も、娘のドレスの引き取り先が決まってホッとしたのだろう。
私が着ているドレスは、薄いスミレ色のドレスだ。きっと、彼女にはよく似合っていただろう。
「ドリス、私ね。一番スミレの花が好きなの。とれも愛らしいでしょう?」
学生時代、女学校の庭園で一緒にランチを食べながらそう話していたのを思い出した。私はレースで飾られたドレスの胸元に手を当てる。
(ダイアナ、ごめんね……あなたのドレス、借りるわね)
優しいダイアナなら、きっとダメなんて言わなかっただろう。生きていれば、喜んで一緒にドレスを選んでくれただろう。
私は走り出した馬車の外を窓越しにぼんやりと眺める。外灯と街路樹が並ぶ大通りを走っているようだった。絶対、事件の真実まで辿り着く。そのために、力を貸してと心の中で密かに祈る。
今回の舞踏会は、社交界でも人気のある伯爵夫人が主催しているものらしく、屋敷の大広間には大勢の客人が集まっていた。有力貴族や資産家、他国の貴族なども参加しているようだ。この舞踏会の招待状を手に入れるために、叔母様はあれこれと手を回して苦労したのだと、馬車の中で自慢げに話していた。田舎貴族など本来なら招待されるはずもない舞踏会だと言われて、私は素直に感謝しておいた。実際に、いくら待っていたって、私に招待状が送られてくることはなかっただろうから。これも叔母様とメアリーのおかげだ。
メアリーはさっそくダンスに興じているし、叔母様は友人たちとおしゃべりの真っ最中。私はというと、人を捜してキョロキョロしながら広間の中を移動していた。その捜している相手とは、メリッサ=ハンプトンだ。これだけ名だたる貴族が集まるパーティーなら、彼女もきっと参加しているはずだ。昔から社交好きで、人一倍見栄っ張りだった子だ。学校を卒業してからは、私は王都を離れていたし、連絡を取り合うほど親しかったわけでもないから、彼女がどうしているのかはわからなかった。
メアリーにさりげなく彼女のことを知っているかどうか尋ねてみたところ、「ええ、知っているわよ!」と得意満面になって話してくれた。といっても、メアリーも知り合いというわけではなく、知っているのは噂話で聞いたことくらいのようだ。その話によれば、今のところまだ結婚はしていないらしい。なんでも、王太子殿下の婚約者の座を狙っているとかで、追っかけのようなことをしているとか。メリッサの性格では十分にあり得るだろう。野心家っぷりは相変わらずのようだ。とはいえ、伯爵家では王太子の婚約者に選ばれるのは難しいだろう。侯爵家、公爵家くらいでなければ。
(アイリーンなら十分、可能性はあるでしょうけど……)
実際、そういう噂はたびたび耳にした。あれほどの才色兼備な令嬢は、社交界でもそういない。他国の王族の元にも嫁げるだろう。王家がディオノーク公爵家に打診するのも当然といえば当然だ。けれど、アイリーンはきっと受けないだろう。王族の一員となって、堅苦しい義務でがんじがらめになるような生活を望まないような気がするから。それに、アイリーンは野心とか、見栄とか、そういうものにまったく感心を寄せず、呆れるほど無頓着だ。多くを持っているとむしろ欲がなくなるのかもしれない。
「まあ、そんなところが……アイリーンのいいところなんだけど」
付き合いやすくて、親しみがもてる。令嬢たちが集まって雑談しているのが目に入り、私は足を止めた。メリッサ=ハンプトンは他の令嬢たちと顔を寄せ合って、クスクスと笑っていた。その視線の先にいるのは、男性たちだ。きっと値踏みでもしているのだろう。それとも、野暮ったい男性を見つけて笑い物にしているのだろうか。彼女は学生の頃から、そういうことが得意だったから。
(学生の頃から少しも変わってないのね……)
人を小馬鹿にして笑うのは彼女の悪癖だ。彼女の取り巻きを見れば、知った顔も幾人かいた。同じ女学校に通っていた子たちである。私はそれほど仲良くなかったけれど、顔くらいは覚えていた。ただ、名前が出てこない子もいる。
彼女に声をかけるのは正直、気が進まないことなんだけど。私は溜息を吐いて軽く拳を作り、彼女たちのもとに歩み寄る。「メリッサ」と、声をかけると彼女がチラッと私を見た。周りの取り巻きの令嬢たちは、会話を止めて何が起こるのか期待するように私とメリッサを見ていた。意地悪なその視線を気にせず、私は笑みを作る。
「お久しぶり。覚えているかしら? 私は……」
「ごめんなさい。覚えていないの。失礼」
煩わしそうに扇をひらつかせ、メリッサはさっさとその場を離れようとする。
「ま、待って。同じ女学校に通っていた、ドリス=ディノアよ。ダイアナのことで、あなたに聞きたいことが……」
私が慌てて手を伸ばすと、メリッサは急に険しい表情になってその手をはね除けた。その拍子に、彼女が握り締めていた扇が足許に落ちる。
「やめてよ! 死んだ人の名前を出すなんてどういうつもり!?」
嫌悪感を浮かべて吐き捨てる彼女の声は、周りの人たちにも十分に聞こえたようだ。周囲で談笑していた人たちの視線を集めていた。
「ごめんなさい……悪気はなかったの。懐かしくて話をしたかっただけよ……」
私は扇を拾い、ぎこちなく笑みを作る。返そうとした扇をもぎ取ると、メリッサは「迷惑よ!」と吐き捨てて踵を返した。これ以上、顔を見るのも、会話するのも不愉快そうだ。ダイアナの名前を出されて動揺したのは間違いないだろう。
(メリッサ……やっぱり何か知ってるのね……)
「ドリス」
名前を呼ばれて、私はびっくりして振り返る。急に腕を絡めてきたのは、アイリーンだった。
「アイリーン! どうしてあなたが……」
このパーティーに参加しているとは思っても見なかった。メリッサも取り巻きの令嬢たちも足を止めて、驚いた表情で固まっている。アイリーンは深みのあるブルーのドレスがとても似合っていて、この大広間の中でも一際注目を集めていた。男性たちの視線は引きつけられるように彼女に向いている。首には大きなブルートパーズの首飾りをつけていて、ダイアとパールの髪飾りでアップにした髪を留めている姿は、さながら海の女神のようだ。
私も数秒、見とれてしまったほどだ。大広間に集う令嬢たちの誰が、彼女の美しさに敵うだろう。アイリーンがそこに現れただけで、パッと周囲が華やぐ。大広間中の視線を釘付けにしながらも、彼女はまったく気にしていない様子で私にぴったりとくっついている。
「招待状をいただいたからよ? でも、ドリスも来ているなんて知らなかったわ。どうして秘密にしていたの? 教えてくれていたら、一緒に来たのに……」
「私だって、あなたが参加するなんてまったく思っていなかったんですもの。教えようがないわ。それに、今日の私は叔母様と従姉妹の付き添い」
私は小さく肩を竦めて答える。アイリーンは、「今日の舞踏会は来て正解だったわね」とフフッと笑う。そして私の耳元で、「本当は面倒だったから、仮病を使って休もうかと思っていたのよ?」と囁く。
「ちょ、ちょっと、ドリス=ディノア! ど、ど、どうして……あなたが…………っ!!」
パクパク口を開閉しながら、メリッサが私に閉じた扇を向ける。
「名前を思い出してくれたの? 嬉しいわ」
私はにっこりと微笑む。私みたいな田舎貴族の娘が公爵令嬢のアイリーンと知り合いだったことが俄には信じられないらしい。メリッサは「あなたがどうして……ディオノーク公爵令嬢と……っ!」と声を抑えて聞いてくる。それに答えたのは、私ではなくアイリーンだ。
「だって、私たち親友ですもの」
ニコッと微笑んだアイリーンに、メリッサはまた扇を落としそうになりながら絶句している。アイリーンってば、こう見えて煽るのがうまいのよね。私はコホンと小さく咳払いした。
「皆さんは、ドリスのお友達なのかしら?」
「え、ええっ、もちろん。私たち、同じ女学校に通っていた友人ですもの。そうでしょう!? ドリス!!」
グイッと寄ってきたメリッサの圧に押されて、私は「ええ、まあ」と曖昧に頷いた。友人だったかどうかは疑問が残るが、同じ女学校に通っていたのは事実だ。
「そう。それなら、今度私の屋敷で、ドリスと一緒にお茶会を開くことになっているの。皆さんもぜひいらしてちょうだい。女学校の頃の話を是非、聞きたいわ」
「ぜ、是非!! アイリーン様のお茶会に招かれるなんて、光栄の極みですわ!」
「では、そのうち招待状を送らせてもらうわね。ドリス、行きましょう。ゆっくり話がしたいわ」
にこやかに答えると、アイリーンは私と腕を組んで歩き出す。チラッと振り返って見れば、メリッサが私のことを憎たらしそうに睨んでいた。私は密かに溜息を吐いて、楽しそうな笑みを浮かべているアイリーンに視線を移す。
「お茶会の予定なんて、少しも聞いていないわよ? アイリーン」
「ええ、今決めたんだもの。来てくれる?」
茶目っ気のある目を私に向けて、彼女が聞いてくる。
「誘ってもらえるならね。本気でメリッサも招くつもり?」
「あの人と話がしたかったのでしょう?」
私は「聞いていたのね」と、呆れて答える。ダンスの誘いをしたそうな男性陣の視線を無視して、アイリーンは私を連れて大広間を出る。私まで余計な注目を集めてしまったじゃない。
「困ってたみたいだったから……でも、あなたを見つけて嬉しかったのは本当よ?」
「私だって、あなたと話がしたかったわ……」
本当は、色々話したくて、聞いてもらいたくて、仕方なかったのだ。けれど、これ以上彼女を巻き込みたくて我慢していた。アイリーンは私がとっくに王都を離れて所領の屋敷に戻ったと思っていただろう。
「ごめんなさい……」
下を向いて、小さな声で言う。なんだか彼女に嘘を吐いてしまったようで、心苦しかったのだ。
「……さっき、扇に何か挟んだでしょ?」
アイリーンは真っ直ぐ前を向いて廊下を歩きながら、さりげなく言う。私は「見ていたの!」と、驚いて彼女を見る。
扇を拾った時に、小さなメモを間に忍ばせておいた。それに気付けば、メリッサは嫌でも私に連絡を取ってくるだろう。あの図案の意味を知っていれば、無視できるはずがないと思ったからだ。
「あなたが声をかけるところから見てたから」
「あなたってば、本当はスパイなんじゃないかしら? とても、箱入りのお嬢様とは思えないわ」
冗談めかして言うと、アイリーンは楽しそうに笑う。けれど、それでは誤魔化されてくれないらしい。「それで、何を入れたの?」ともう一度、訊いてくる。
「…………わかった。全部、話すわよ……ただし、あなたを巻き込みたいわけじゃないわよ?」
訊いてくれるだけで十分だ。念押しすると、アイリーンは人差し指を私の唇にそっと当てる。
「それは、あなたの話次第ね」




