第四章5 手紙
母校である王都の女学校で、私を案内してくれたのは寮監のレスター夫人だった。
「お久しぶりです、レスター夫人」
「あなたのことはよく覚えていますよ。ディノアさん。そういえば……あなたと同室だったエリンコットさんは……」
新聞で訃報を知ったのだろう。レスター夫人は寮の古い階段を上がりながら、沈痛な面持ちになる。
「ええ……亡くなりました。それで、学生だった頃が懐かしくなって……」
私は夫人の後について上がりながら、声を落として答えた。
「そうですか。あなたたちが使っていた部屋は、今は他の生徒が使っているの。その子たちが授業から戻れば聞いてあげられるのだけど……」
「いいえ、部屋はいいんです。ちょっと、思い出の場所を見て回りたいだけなんですから」
「そう。それじゃあ、ゆっくりしていってちょうだい。私は仕事があるから、事務室に戻っているわね」
「はい、無理を聞いていただき、ありがとうございます」
二階の廊下でレスター夫人と別れて、私はその足を談話室に向けた。二階の奥にある談話室は、寮生が自由に使えるスペースだった。両親や客人と会って話をする時や、寮生たちで集まってささやかなパーティーをする時にも使う部屋でそこそこの広さがある。
真冬などは、みんなでここに集まって、ホットチョコレートを飲みながらおしゃべりをした。扉を開いて中に入ると、今は寮生は誰もいない。校舎で授業を受けている最中だからだろう。私は部屋を見回す。棚には寮生や卒業生が寄贈した本が並んでいる。小説や詩集、使わなくなった辞書や教科書、レシピ本や編み物や刺繍の本などが多かった。
私は扉を閉めて本棚に向かうと、「えっと」とキョロキョロ周りを見てから棚の横に置かれている踏み台を持ってくる。
「ダイアナ、お願いだからしっかり押さえていてね!」
「ええ、大丈夫……あっ、ドリス。気をつけて! 本が落ちそう!!」
そんなかつての自分たちの声が蘇ってくる。ダイアナが踏み台を押さえてくれていて、自分が背伸びして棚の上に手を伸ばしていた。そこなら、きっと大掃除の時も見逃されると思ったから。
「まだ、ちゃんと……あるかしら?」
私は独り言を呟きながら、踏み台の上でつま先立ちになり精一杯手を伸ばした。書棚は高くて、踏み台に載った私の指先がようやく届くくらいだ。私は女子にしては背が高い方だった。だから、私以外の人が棚の上の物に気付くことはそうないだろう。
手で探っていると、ホコリが舞い散る。冷たい金属に触れる感触があって、私はもう少し頑張ってそれをつかむ。
(よかった、あった!)
と、私は伸ばした手を戻す。けれど、踏み台が傾いてバランスを崩し、「わっ!」と声を上げた。ドタッと床に落ちて尻餅を吐く。ホコリが舞い落ちてきて、ケホケホと咳き込んだ。ダイアナがいてくれたら、きっとこんな目には遭わなかっただろう。そんな、どうしようもないことを考えながら、私はホコリをかぶっている銀色のお菓子の箱に目をやった。クッキーが入っていた綺麗な缶だ。
この中にお互いへの手紙を入れて、十年後にまた一緒に開けようと約束した。
きっと、ここなら見付からないだろうから。
私一人でこれを開けることになるなんて思わなかった。しかも、まだ十年も経っていない。
(約束、破ってごめんね……ダイアナ……)
私はホコリを払い、蓋を開く。錆びているせいか少し力を入れなければ開かなかった。
蓋を外して中を見た私は、ふと違和感を覚える。自分が入れた水色の封筒はそのままになっていた。けれど、もう一通のダイアナが入れた手紙は私が記憶していたものとは違う。あの時、ダイアナはスミレの絵柄が付いた薄紫色の封筒に入れていた。けれど、ここに残されている彼女の手紙は、封蝋された白地の封筒だった。手に取って表を確かめると、『親愛なるドリアへ』と書かれていた。それは紛れもなく、ダイアナの丁寧な文字だ。裏には彼女の名前と、手紙の日付が書かれている。けれど、その日付は私たちが卒業した後のもの。それも半年前だ。
ダイアナが一人でこの寮を訪れて、この箱を開けて手紙を入れ換えたのだろうか。私はこの場で開きたい気持ちを抑えて、缶に手紙をしまい、コートのポケットにその銀の箱を入れる。談話室を出て一階に下りると、事務室の窓口からレスター夫人が顔を覗かせた。
「あら、早いのね。もうよかったの?」
「ええ。あの……レスター夫人。一年くらい前に、ダイアナが寮に来ませんでしたか?」
私が尋ねると、レスター夫人は頬に手を当てて、「そうねぇ」と考え込む。それから「ああ、そういえば」と、思い出したようだ。
「一度、そういえばあなたと同じように、懐かしい寮が見たくなったと彼女が来たことがあったわね」
「その時の様子、聞かせてもらえませんか!」
私はつい身を乗り出すようにして聞く。レスター夫人は丸眼鏡の奥の瞳をしばたかせてから、「ええ、それじゃあ……お茶でもいれましょうか」と微笑んだ。
レスター夫人から話を聞いた後、お礼を言って寮を後にする。傘で雨粒を遮りながら、並木道をぼんやりと歩いていた。この通りも、よくダイアナと散歩した道だ。レスター夫人が言うには、特に変わった様子はなかったという。私と同じように談話室で少し過ごして、それからすぐに帰っていたという。彼女が寮を訪れたのは、あの缶の中の手紙を入れ替えるためだったのだろう。私はポケットの中の冷たい金属の缶に触れる。早く帰って、手紙の中身を確かめたかった。直接私に手紙を届けず、あの缶にわざわざ隠しておいたのか。
一つ、確信していることがある。きっとその時から、ダイアナは十年後に私と一緒に缶を開けることはないとわかっていたということだ。屋敷に戻るまで待てなくて、私は近くの公園に入りベンチに腰を掛ける。傘で雨を遮りながら、膝の上に置いた銀の缶の蓋をもう一度開いた。その中から彼女の残した手紙を取り、封を開ける。手紙と一緒に入っていたのは、ペンダントだった。ダイアナがいつも身につけていた、ロケットになったペンダント。両親から誕生日に買ってもらったものだと、嬉しそうに話していたのを思い出す。
私はロケットを膝に置いて、手紙を開く。目を通すのが少し、怖かった。
『大好きな、ドリスへ。約束を破ってごめんなさい』
そんな文面で始まった手紙には、どうしても言えなかったことがあると謝罪の言葉が綴られていた。
私はその内容に軽く目を見張る。
(白百合読書会……)
その集まりに、ダイアナも参加したようだ。それがどういうものなのかは、手紙には詳しく書かれていないからよくわからない。ただ、何度か行くうちに、その集まりから抜け出せなくなってしまったようだった。そのことを相談したいけれど、私を巻き込みたくなくて言えなかったようだ。
『私に何かあったとしても、悲しまないで。きっとこれは天罰なのだから――』
そう、文章は締めくくられていた。私はロケットを取り、その蓋を開く。学生の頃のダイアナの肖像画がそこに描かれていた。幸せそうに微笑む彼女の懐かしい顔。
「私を巻き込みたくないですって? あなたって、本当に……水くさいわ……」
私はロケットを握り締めてうつむく。こぼれた滴がロケットの肖像画の上に落ちた。
彼女に何かあるほうが、ずっと私には辛いのに。助けを求めていたのなら、そう言ってほしかった。
失った後で取り戻せない時間と、己の無力さを嘆くほうが何倍も何十倍も辛いことなんだと、あなたならわかっていただろうに。
悔しい。悔しくてたまらない――。
私は涙を拭って、ロケットを見る。その蓋の裏に目をやった私は、ハッとした。
そこに薄らと掘られている図案は見覚えのあるものだ。シェリー=リンドのブローチの裏に描かれていたものと同じ、両手を天使の翼のように広げた模様。白百合読書会の紋章のようなものだろうか。
私はその図案を指でなぞる。
「ダイアナはいつから……その集まりに参加していたの?」
もしかして、カルマン=アンダーソンと婚約が決まる前からだろうか。それとも、その後なのか。
ただの読書会ではないことは確かだろう。これほど、関わった人たちが亡くなっているんだから。
もしかして、ウィリアムもこのことを調べていたのだろうか。彼の知り合いも同じようにその集まりに参加していたとか? 最初にウィリアムと会った場所は、あの秘密クラブ。その場所で、数人の遺体が隠されていた。アイリーンがそれを見て顔色を変えていたのは、亡くなっていたのが、兄の知り合いかもしれないと知っていたから?
それなら、ウィリアムとアイリーンの様子があの日、おかしかったことも説明も付く。アイリーンはあの日の出来事をウィリアムに話したのではないか。
そうであれば、アイリーンが私に協力してくれた理由もわかる気がした。私が彼女たちと同じ事件を追い掛けていることに気付いたから。
(そうね……でなければ、彼女のような人が私に声をかけてきたりするはずがないんだわ……)
友情と信じていたものが揺らぎそうで、私は目頭に溜まる涙を堪える。それでも、彼女や彼女の兄が親切だったことは本当だ。それに、彼女たちのおかげで私も真実に少しだけ近づけた。利用していたというのなら、お互い様で裏切られたと思うほうがおかしい。
「知りたくないことばかり……知らなきゃならないのね」
私は苦笑いを浮かべてダイアナのロケットを両手で握り、うつむく。唇を強く引き結んでないと、嗚咽を堪えられそうになかった。




