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第四章4 サイン

 本当は、アイリーンとウィリアムが、同じ人なんじゃないかと疑ったことがある。あまりに二人の見せる表情がよく似ていたから。兄と妹というにはあまりにも説明が付かないことが多い。

(そんなはずはないわよね……)

 私は辻馬車の中で、雨雲の広がる暗い空を眺める。公爵家の子息が堂々と、女性の格好で妹の振りをしながら社交界に出入りしているなんて、およそ考えられないことだ。そんなことが誰かにバレたら、もう二度と社交の場には出てこられないだろう。


 一生、噂の種にされて、変わり者と誹られる。それに、公爵家に令嬢と跡取りの子息がいるのは知られている。アイリーンと、ウィリアムという二人の人間がいるのは確かなことだ。ただ、ウィリアムは社交界嫌いで有名だから、舞踏会や晩餐会に出席しているのは妹のアイリーンの方が多い。となれば、やっぱり二人は別々の人間で、ウィリアムが妹の振りをして堂々と社交界に出入りしているなんてことは考えられない。

 

 二人とも、どこか謎めいたところがあって、何かを隠しているようにも思えるけれど、事情があったとしても私が立ち入るようなことではない。それに、今回の事件が片付くまで、私は二人にはもう――近付かないと決めていた。そう、私はダイアナの死の真相が知りたい。そのために、今王都にいるんだから。アイリーンとウィリアムの素性についてとやかく詮索するためではない。二人とも、私には最初から遠い人で、本来なら舞踏会で顔を合わせたとしても声をかけられもしない相手だ。そのことが、ひどく寂しく思えるのは、二人をとても身近に感じていたからだ。それこそ、本当に親友であったように。


 私だってそうだ。アイリーンのことも、ウィリアムのことも、大切な友人だと思っている。だからこそ、巻き込みたくない。危険な目に遭わせたくない。ダイアナのように、失うのはもう嫌よ。私は目を伏せて、馬車の椅子の背に深く凭れた。


 目的に到着した私は、代金を払って辻馬車を降りる。小さな庭がある男爵家のタウンハウスだ。ダイアナの実家で、ここを訪れるのは葬儀の時以来だった。私は胸の痛みを感じながら、玄関のベルを鳴らす。


「よく来てくれたわね、ドリス……あの子もきっと喜んでいるわ」

 ダイアナの母である男爵夫人は屋敷内を案内しながら、私に微笑んで見せた。おば様はまだ黒いドレスを着ている。以前よりもずっと痩せたようで、白髪も目立つようになっていた。まだ数ヶ月しか経っていないのに、それだけ憔悴しているのだろう。大切な娘を失ったのだ。それも当然で、以前は明るかった屋敷の雰囲気も変わってしまっている。物静かで、暗く思えた。

「カルマン=アンダーソンが亡くなったそうね……」

「ええ……新聞で知りました」


 おば様の言葉に私は頷いて答える。階段を上がり、二階の廊下を進んでいた。この屋敷には何度か足を運んだことがある。ダイアナとお泊まり会をしたこともある。そのころの楽しかった記憶がふと過った。夜通し話をして、厨房にこっそり入って二人で夜食を作ろうとしたこともある。使用人に見付かっておば様に報告され、翌朝にはしっかりお説教をされた。

 楽しかったわねと、私は今隣にいない親友に向かって呟く。天国でダイアナもにっこりしているかしら。


「あんな婚約を決めなければ……いいえ、今はもうどんなに後悔したところで意味はないわね……私はあの子に顔向けできないわ……もっと、私が……あの子の言葉に耳を傾けていたら……そう思わずにはいられないのよ」

 おば様はゆっくり歩きながら、抱えていた心情を吐露するように呟く。カルマン=アンダーソンとの婚約は、男爵であるおじ様、ダイアナの父親が決めてきたことだと聞いている。銀行家のアンダーソン家から、融資を受けるかわりに提案されたことだったようだ。ダイアナは一人娘で兄弟がいない。だから、アンダーソン家は男爵家の爵位がほしかったのだろう。ダイアナと結婚すれば、その子どもが男爵位を継げるから。


「お金で売ったようなものだわ……」

 嫌悪感を込めるように、おば様は険しい表情で吐き捨てる。きっと、夫である男爵に反対しきれなかったことを悔いているのだろう。カルマンが夫としてどれだけ相応しくない人物であるかは、きっとおば様はわかっていらしたはずだ。それでも、家のためにはこの縁談を断れなかった。それはダイアナもわかっていた。「仕方ないのよ」と、いつも心の内を隠すように微笑んでいた。


「それを言うなら……私も同じです。私ももっとダイアナの話を聞いて、ちゃんと相談に乗れていたら……防げていたこともあったかもしれないんですもの……」

 私がうつむいて答えると、おば様が冷えた手で私の手をギュッと握り締めた。

「ありがとう……あなたのような友人がいて、あの子は幸せだったと思うわ……これからも、忘れないであげて」

「もちろんです。一生、ダイアナは親友ですもの……」

 私ははっきりそう答えた。


「部屋はそのままにしてあるの。ゆっくり、見ていって……」

 ダイアナの部屋に案内してくれたおば様にお礼を言って、私は彼女の部屋に入る。綺麗に整えられていて、掃除もされていた。生前と変わらないように。何もかもそのままで、私は目頭が熱くなりスカートを強く握り締める。ベッドに飛び込んで泣いてしまい気がした。けれど、嘆き悲しむために訪れたわけではない。


「ごめんね、ダイアナ……あなたの部屋、勝手に見させてもらうわ」 

 葬儀の後、屋敷に足を運んだ私は、おば様からダイアナの手記を預かった。他に何か手がかりになるようなものがないか、今もう一度調べてみたかった。そのことは、おば様にも話して許可をもらっている。親友の秘密を暴くようで、あまり気分のいいことではなかったけれど、それでも知らなければ真相には近づけない。私は彼女が自殺したのではないことを、証明したかった。たとえ、自殺だとしても彼女を追い詰めた者がいる。それがカルマンだったのか、別の誰かだったかはわからない。もし、その人が生きているというのなら、絶対に罪を償わせる。これは私がダイアナに誓った決意だ。だって、彼女のようないい人が、親切で優しくて、思いやりのある人が、理不尽に死ななければならないなんて許せるはずがない。そんなこと、神だって許しはしない。いえ、神が許そうとも、私は絶対に――許さない。


 私は彼女の机の引き出しや、ベッドの下、小物入れの中を丁寧に調べていく。書棚も確かめた。図書館の本のように、彼女が残しているメモがあるかもしれないと思ったからだ。鍵付きの引き出しから見付かったのは、私がダイアナに送った手紙。それに誕生日プレゼントのブローチや、ペーパーナイフだった。

「全部、大切にしてくれてたのね……」


 手紙には、いつもたわいないことを書いていた。鍵付きの引き出しにいれるほど、大切なことなんて何も書いていなかったのに。全部、保管してくれていたんだわ。私は椅子に座って、自分が送ったかつての手紙を手の中でそっと包む。もっと、大事なことを書けばよかったと思うけれど、日々の手紙の中でそれほど重要なこともなくて、つまらない内容ばかりだっただろう。それを、ダイアナは喜んで読んでくれていたようだ。私も彼女の手紙は、どんな些細なことが書かれていても楽しくて大切にしている。一通だって、処分していない。でも、本当に彼女が心に秘めていたことや、悩みは、手紙にはしたためられてはいない。きっと、たくさん悩んで辛い思いを抱えていたはずなのに。私は何も、知ることができなかった。


 私を信用しなくて語らなかったのではないことくらいわかる。逆に、私を心配させたくなかったのだろう。自分のことよりも、私のことを気づかってばかりだった。私はきっと、彼女の優しさに甘えていたんだろう。だからこそ、彼女が抱いていた思いを知らないわけにはいかない。


 引き出しの中に手を入れて、他に何か残されていないか確かめてみたけれど、特に何もなかった。推理小説なら引き出しが二重底になっていて、重要な手紙が隠されていたりするものだけれど――。

「やっぱり、あるはずないわね……」

 私は小さく溜息を吐いて、引き出しの中のものを戻して閉める。


 ダイアナなら、大切なものをどこに隠すだろう。私は書棚の本をめくりながら考える。そういえば――学生の頃、ダイアナと一緒に学校に秘密の手紙を隠したことがある。卒業の時に、こっそり取りに行こうと話していたのに、そのことを忘れてしまっていた。お互いに当てた手紙だ。それを一緒に読むつもりでいたのに。

「あの手紙……まだ、あるのかしら……」

 片づけや掃除の際に見付かって、誰かに回収されてしまっている可能性もある。本を書棚に戻した。


 一通り部屋の中を探してから、私はおば様に挨拶をして屋敷を出る。外は雨になっていた。私は傘を差して表通りに出ると、辻馬車を止める。そして、私たちが学んだ女子学校へと向かってもらった。


*******


「遺留品はここに並べてあるので、確認を……」

 警察署の一室に案内されると、長机の上に布が広げられていて、財布や装飾品、ハンカチ、衣服の切れ端、靴などが並べられていた。ウィリアム=ディオノークは手を伸ばして、琥珀の髪留めを取る。部屋に案内した若い警官は「見覚えのあるものがありますか?」と、訊いてきた。

「ええ……友人のものに間違いありません……」

 ウィリアムは髪留めをギュッと握り締めて、低い声で答える。


 床下の収納庫を開けた時、紐で縛られた麻袋の口からほんの少しだけ髪の毛が覗いていた。それを見た時、すぐにわかった。それは彼女だと。珍しいほど赤い髪の色を、「みっともないでしょう?」と彼女はいつも気にしていた。その髪の色とまったく同じだったから。

 一度も、そんなふうに思ったことはない。彼女の髪の色は、夕空のように美しいといつも思っていたから。この髪留めを贈ったのは、ウィリアムだ。ここにあるということは、殺されたその日もつけてくれていたのだろう。


 床下の収納庫から見付かった遺体は五体。そして、彼女が死んだのは一年前ということだった。それは失踪した時期と重なる。ずっと行方を捜していた。どこかで生きていてくれるのではないかと、わずかな希望に縋っていた。こんなふうに絶望的な結末を迎えるなんて。もっと早く、捜していたら。もっと早く、見つけられていたら。違ったのだろうかと、血が滲むほど強く唇を噛む。


 ただ――それでも、見つけられなかったよりはずっといいのだと、自分の胸に必死に言い聞かせる。

 あんな冷たい床下にごみのように放り込まれているよりはずっと――――ずっと、よかったのだ。

 少なくとも、ちゃんと弔ってやれる。


「あの……ミスター。書類にサインをしていただきたいのですが」

 若い警官が俯いたままテーブルのそばから動かないウィリアムに、遠慮がちに声をかけてくる。

「…………検死の結果を教えてもらえませんか?」

 顔を上げて言うと、警官は「えっ、しかし……」と躊躇する。死後一年も経っていて、ほとんど白骨化しているだろう。身元もわからないほどに。その上、残酷な殺され方をしていたら、伝えるのは躊躇われるだろう。

「知らなければならないんです。どんな些細なことでもかまいません。教えてもらいたい」

 ウィリアムは強い決意を込めた瞳を警官に向ける。

「わかりました……けれど……覚悟をしておいたほうがいいと思います。その……あまり……」

「わかっています」

 それだけ答えて、警官の後に続いて部屋を出た。彼女がどれほど悲惨な目に遭わされていたとしても、そこから目を背けることは許されない。それを知らなければならない。


 あれは、彼女が――ルナが失踪する少し前のことだった。

 手紙を受け取った。子どもができたようだという報告の手紙だった。もし、自分に万が一のことがあれば、その子どものことを頼みたいという内容だった。手紙を受け取ってすぐに彼女に会いに行ったけれど、その時にはもう行方がわからなくっていた。


 検死の報告書に目を通した時、妊娠していたことも書かれていた。その子は結局、産まれることはなかった。父親は間違いなく彼女の夫だろう。弁護士で、彼女よりも二十歳も上の相手だった。彼女の身内は兄一人で、その兄の勧めで結婚した。


 だが、ルナはその夫から何度も暴力を受けていたようだ。子どもも、決して彼女が望んだものではなかっただろう。ウィリアムが彼女の失踪後に興信所に頼んで調べてもらったが、彼女の夫は猜疑心が強く、彼女が一人で屋敷の外に出ることも、友人と会うことも禁止していたようだ。実質は、屋敷に監禁状態だったという。手紙類も全て調べられていたようだ。そんな相手との結婚生活が幸せに満ちたものであるはずがない。


 彼女は離婚の準備もしていたようだが、夫は弁護士だ。簡単に離婚調停に応じるはずもなく、多額の慰謝料をふっかけただろう。逃げるにしても、すぐに捜索願いを出されて見付かり連れ戻される。その後は、今以上に悲惨な生活が待っていることは彼女もわかっていたはずだから、簡単に踏み切れもしない。


 あんな手紙を送ってきたということは、殺されるかもしれないと覚悟もしていたのかもしれない。彼女が失踪したと知った時、ウィリアムは一番に彼女の夫を疑った。だが、彼女の夫も失踪した彼女を必死に捜していて、行方は知らないようだった。


 弁護士という立場上、妻に暴力を振るっていて逃げられたなどという醜聞を隠したかったからなのか。それとも歪んだ執着心や愛情の結果なのか。それはわからないが、本心から彼女の身を案じてではなかっただろう。どうやら、彼女の夫は妻の不貞を疑っていたようで、警察に彼女の愛人関係を調べるように強く迫っていたようだ。だが、そんな証拠など出てくるはずがない。そもそも彼自身が監視していたのだから、男と会うことなどできようはずもなかった。


 ウィリアムも、彼女が結婚してからは一度も会ってはいなかった。手紙を何度か送ったが、彼女から返信がくることはなかった。だから、彼女から手紙が届いた時には驚いたのだ。きっと、それほどに彼女は窮地に置かれていたのだろう。


 彼女との関係は、友人の域を出なかった。彼女から結婚すると聞いた時、「君は、それでいいの?」と訊いた。どうすることもできないとわかっていながら。

「仕方ないわ……それに、案外いい人かもしれないわ。お金持ちだし。歳上の人だってことは、あまり気にならないのよ」

「だが……君は望んでいないだろ? そんなよく知りもしない相手と無理に結婚するくらいなら……」

 僕と結婚したらどうだ? と、思わず言いかけた。けれど、それよりも先に彼女に睨まれて口を閉ざす。

「あなたは公爵家を継ぐ人でしょう? 私みたいな下町の女なんて選べないじゃない。それに……あなたはいい友人だけど……私のことを愛してるわけではないでしょう?」

 そう言われて、何も答えられなかった。彼女とは気が合うし、とても大切な友人であるとも思っている。けれど、彼女に抱く親愛の情が、恋人に向ける愛情とは別なことは自分でもよくわかっていた。多分、彼女も同じだったのだ。自分たちの間にあったのは、純粋な友情だけだった。男と女という関係ではなくただ、気の合う友人。


「わからないじゃないか……そんなの。君のことは好きだよ。尊敬している。それが愛情に変わるのなんて時間の問題だと思うけどね」

「バカなことを言わないで。私は貴族の奥様なんてごめんよ。似合わないでしょう? それに……同情で結婚の申し込みなんてされたくないわ。あなたには幸せな結婚をしてほしい。だって、きっとあなたには……とてもあなたを愛してくれる人が必要だと思うもの」 

 ルナは「だから、私のことは心配しないで」と、優しく笑っていた。それが彼女と会った最後だ。


 結婚後の彼女のことを、もっと知ろうとすべきだった。結婚生活の邪魔をしないように、いらぬ誤解を招かないようにと、距離を置いた。その結果、彼女がどうしようもなく追い詰められていたことにすら気付かずにいた。

 

 助けられたかもしれないのに。離婚だって、暴力を振るわれて監禁状態でいることを理由に裁判に持ち込むことだってできた。その費用を出すことも、匿う場所を提供することもできたはずだ。知らなかったから、何もできなかったは言い訳に過ぎない。知ろうとしなかったのだから。何もかも手遅れになってから、必死になって彼女の行方を捜して、興信所に依頼して彼女のことを調べさせた。


 ウィリアムは検死の報告書に目を通した後、書き殴るように遺体の引き取りの書類にサインを入れた。

 本当に、死にたくなるほど愚かだ――。



 







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