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第四章3 別れ

 目を覚ますと、そこは寝室のベッドだった。図書室のソファーでいつの間にか寝ていたと思ったのに。ウィリアムが運んでくれたのだろうか。それとも、あのエドワードという従者だろうか。夢ではないはずなのに、昨晩のことは記憶が曖昧でよく覚えていない。ウィリアムの悲しみが少しばかり癒えるまで一緒にいて、その後はお互いもたれ合うようにして寝たような気がする。私は額を指で押さえて、「それだけ……よね?」と自分に確かめるように呟いた。そもそも、何か起こりようもない相手だ。私と彼では、何もかもが違いすぎるんだから。


 ただ、顔を合わせるのはひどく気まずくなりそうだ。そう思いながら、のそのそとベッドを出ると、まるで見計らったようにメイドが入ってくる。本当に、公爵家の使用人は何もかもが行き届いていて驚きだ。それよりも、昨日から顔を合わせていないアイリーンのことが心配だった。メイドに身支度を手伝ってもらいながら、彼女のことを聞くともうすでに起きていて、朝食をとっているという。


 私も案内されて食堂に向かうと、大きな長テーブルにアイリーンだけが座って紅茶を飲んでいた。私の顔を見ると、「おはよう、ドリス」といつもと少しも変わらない穏やかな微笑みを浮かべる。昨日はひどく青白い顔をしていたのに、今は元気そうに見えた。

「おはよう、アイリーン。調子はどう?」

「悪くないわ。あなたのおかげで、よく眠れたから」

 そう言って、アイリーンはニコッと笑う。その表情がやっぱりウィリアムに似ていて、私はほんの少しドキッとした。昨晩、けっこう長い時間彼を抱き締めていたことを不意に思い出して頬に熱がたまる。思いがけない出来事で、あれはただ慰めるための行動であったとしても、アイリーンには話せそうにない。

 秘密を抱えるのは、あまり気が進まないけれど――。

 

 侍従が椅子を引いてくれて、私はアイリーンの向かいの席に座る。すぐに、パンや紅茶、ベーコンとオムレツなどが運ばれてきた。焼きたてで、ほわっと湯気が立っている。その香りが食欲を誘う。

「私は……何の役にも立ってないじゃない……昨晩だってあなたは、すぐに部屋に引っ込んじゃったんだから。ただ……泊めてもらっちゃっただけになってしまったわ」

 はっきり言って、余計な迷惑をかけてしまっただけだ。

「そんなことはないわ。あなたがこの屋敷にいてくれると思うだけで、安心できたもの」

「そう? 役に立てたならよかったわ……」

 私はオムレツを一口、口に運ぶ。中がトロトロフワフワで、チーズが入っていて、私はそのおいしさに思わず目を見開いた。

「さすがに公爵家の料理人ね。こんなおいしいオムレツ、食べたことないわ……」

「そう? 気に入ってくれてよかった。厨房にも伝えておくわね」

 アイリーンもニコニコしながらオムレツを食べている。昨日はあんなに暗い顔になっていたのに。一晩で随分と、気分がよくなったようだ。そのことに、私はホッとした。アイリーンは公爵家の令嬢なんだから、殺人事件に慣れているはずがない。そのことにもっと配慮すべきだったと、私は反省した。きっと、気を失いそうになっていたのを、必死に我慢していたのだろう。


 私はこのところ、何度か殺人を目撃してしまったから、少し慣れて感覚が麻痺してしまったのかも。

「私だって、慣れたくはないんだけど……」

 独り言を漏らして溜息を吐いていると、「何の話?」とアイリーンに訊かれる。

「サスペンスやミステリー小説の主人公になった気分だと思って……あんまりそういうスリリングな経験は求めていないんだけど。小説は読むもので、体験するものではないわね」

 私はあえて軽い言い方をして肩を竦めた。

「そうね……昨日はごめんなさい。取り調べ室で、警部に問い詰められたりしなかった?」

「それは大丈夫。うまくごまかしたもの。あなたのことも、話していないから安心して」

「どうやってごまかしたの?」

「月の舟の厨房で働いているってことにしたわ。名前もごまかしたわよ。そのかわり、あなたのことも娼婦だって説明しちゃったの……本当のことなんて、話せなかったんだもの」

 公爵家の令嬢が空き家に入り込んで、死体を発見したなんて新聞記者が喜びそうなネタを提供する必要はない。


「そうだったの。機転が利くわね……」

「あなたはなんて説明したの?」

「黙ってたわ」

 アイリーンは平然とした様子で答える。私は「それが懸命ね」と溜息を吐いた。警官たちも、彼女がショックを受けて口をきけないのだと思っただろう。おかげで、私の説明とも矛盾することはないはずだ。


「……そうだ。あなたのお兄様……どうしていらっしゃる?」

 私はふと気になって彼女に尋ねる。アイリーンのことも心配だったけれど、昨日のウィリアムの様子もただ事ではないように思えた。何があったのかわからないけれど、精神的にまいっているように見えたから。

「お兄様なら……相変わらずお部屋にこもっていらっしゃるわ。気にしなくていいわよ。いつものことだから」

 アイリーンはそう言って紅茶を飲む。私は「そう……」と、お皿に視線を落とした。

「……お兄様に会いたい?」

 頬杖をついたアイリーンが、私をジッと見ている。

「え! いいえ、とんでもないわ。お屋敷に泊めていただいているのに、ご挨拶しないのは無作法なんじゃないかと思っただけだもの。前に助けていただいたことがあるのに……」

「そんなの、気にしなくていいわ。お兄様は誰が訪れてもご挨拶なんてしないから。それに、あの人はいつも、夜更かしして昼過ぎまで起きてこないの。いつものことよ」

「それなら、邪魔をしては悪いわね……」

 昨日もあまり眠れていないのかもしれないと、私は心の中でこっそり考える。


 あまり長居するのも迷惑になりそうで、私は朝食を済ませた後、すぐに帰ることにした。玄関ポーチまで見送りに出てくれたアイリーンに、「泊めてくれてありがとう」とお礼を言う。

「もう、何日か泊まってくれてもよかったのよ?」

「そうはいかないわよ。それに、毎日遊んでばかりだと叔母にお小言を言われちゃうわ」

「そう? じゃあ、またね。ドリス」

「ええ……あのね、アイリーン……」

 私は自分の手を前で強く握って、アイリーンの顔を見る。

「今回の件だけど……もう、首を突っ込むのをやめようと思うの。後は、警察に任せておくほうがいいわ……だって、もう何人も亡くなっているでしょう? もう、私たちの手に負えないわ。思っていた以上に厄介で危険な事件だったみたい……私、昨日のことで反省したの。あなたを巻き込んでしまったこと……」

 うつむいた私の言葉を、アイリーンは静かに聞いている。

 

 そうよ。これ以上は無理。そもそも、これは私がダイアナの死の真相を知りたいがために始めたこと。アイリーンには関係がない。ウィリアムにも。昨晩はうまくごまかせたと思う。けれど、次ぎはそうとは限らない。スキャンダルになれば公爵家自体に迷惑をかけることになる。いくら権力があるといっても、一度広まった噂は簡単には消えない。


 私はいいの。私はどうせ田舎貴族の娘で、王都に出てくることだって希だ。何を言われていたところで、耳に届きはしない。結婚だって、本当のところそれほど期待もしていないのだ。相手が見付からなかったら、それこそ修道院にでも行けばいいと考えている。だから、醜聞くらい平気だ。でも、二人はそうではない。


「私も……そろそろ田舎に戻らないといけないし……あなたにも、あなたのお兄様にも協力してもらったけれど、これで調べるのは打ち切りにするわ。残念だけど、これでおしまい」

 私はぎこちなく笑って言った。ごめんなさい。アイリーン。でも、もう――私だけで調べるから。あなたは事件のことなんて忘れてほしい。


「ドリス……」

「あなたのお兄様にもそう伝えておいて。ごめんなさいって……」

「すぐに……帰ってしまうの?」

「あと、少しはいるつもりよ……でも年が明ける前には戻るわ。あなたに会えてよかった……楽しかったもの。こんなこと、言うのもなんだけど……ダイアナがいた頃みたいで……」

「私たち……友達でしょう? これで終わり?」

 アイリーンにきかれて、「まさか!」と首を振る。

「これからだって、友達だと思ってるわ。あなたの迷惑にならなければ……だけど」

「よかった。それなら、またお茶に誘ってもいい?」

「ええ、もちろん! 王都に出てきた時には必ず連絡をするわ……いつになるかわからないけれど」

 私が手を振って言うと、アイリーンが私の背中に両腕を回して軽く抱擁する。

「何かあったら、絶対に連絡をして……一人で無茶をしようなんて考えてはダメよ……ドリス。約束して」

「わかってるわ……事件には懲りたもの。もう関わらないって言ったでしょう?」

 私も彼女の背中に腕を回してその肩に顔を埋めた。しばらくそのままジッとしていたけれど、私は彼女から離れて後ろに下がる。

「じゃあ、またね……」

「ええ……」

 笑って足の向きを変える。私を見送るアイリーンの瞳は、それでもまだひどく心配そうだった。

 門に小走りに向かいながら唇を引き結ぶ。

 これは、私がやらなければならないことだから――。




 




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