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第四章2 失ったもの

 警察署の取調室で、私は髭の生えた警部と向き合う。部屋の外は騒がしく、警察官たちの忙しない靴音がと話し声が絶え間なく聞こえてくる。もう、深夜近い時間だ。

「で、あんたの名前と住所は?」

 机に向かって調書を書きながら、警部が横柄な物言いで尋ねる。年は三十手前くらいで、ボサボサの少しも手入れをしていない黒髪の男だった。私とアイリーンが警察を呼びに行った後、すぐに駆けつけてきたのがこの人だった。マックス=ロイドと、ひどく面倒そうに名乗っていた。目はどんよりくすんでいるし、お酒とたばこの臭いはするし、何日か洗っていない体臭がした。本当に警部なのかと疑わしく思えるくらい胡散臭くて、あまり信用できそうにない。

「わ、私は……だから、月の舟という娼館で、ちゅ、厨房の手伝いをしていた者よ。家は……ないわ。首になって追い出されたから」

 私は膝の上で指を維持ながら、ボソボソと答える。


「月の舟? ってことは、あんたの連れの嬢ちゃんは娼婦か? 取り調べでも黙秘していて、何にも答えやしねぇから、困ってんだよ」

 そう言いながら、ロイド警部は頭をボリボリと掻く。私は「そうよ。ア……あの人は大丈夫でしょうね!? どうして合わせてもらえないのよ。別々に取り調べをするなんて、まるで私たちが犯人だと疑われているみたいじゃないの」

 警察署に連行されてから、私はアイリーンとは別の取調室に放り込まれてしまった。アイリーンはあきらかに様子がおかしくて、顔色もひどいものだった。質問にも答えないのは、こんな事件に公爵令嬢が関わっているとなれば醜聞となるからか。たぶん、そうだと思うけれど。私は警察に連れて行かれる間の、アイリーンのことを思い出して不安になる。馬車でここにくるまでも、無言で窓の外を見ていた。きっと、床下の収納庫から見付かったものがショックだったのだろう。駆けつけた警官たちとロイド警部が、袋を運び出す時、「検死に回せ」と小声で話していたから。つまり、あれの中身は――。

 私は両手をギュッと握り締める。


「仕方ねぇだろ。規則でそうなってんだ。だいたい、あんたらはなんだってあんなところに入り込んだんだ?」

 ロイド警部はイライラした口調で私に尋ねる。

「それは……だから、あ、あの女の子が入っていくのをたまたま見かけて、心配になって後をついていったのよ! そうしたら、あの子があそこで……男の人たちが床に何かをしまうのを見たというから、確かめてみたの。何度も説明したはずよ。そうだわ。あの子もちゃんと保護したんでしょうね!? 怖がらせたり、脅かしたりしていたら許さないんだから!」

「そんなにギャンギャンでかい声で言わなくたって、聞こえてるよ。あの子どもなら、保護施設で面倒を見てもらっている。心配ねーよ! あんたは、あの子どもとは親しいのか?」

 ジロッと見られて、私はつい視線を逸らす。

「し、親しくないわ。たまたまよ……あんな子どもが夜遅くに無人の建物の中に入っていくのを見たら、誰だって心配するじゃない? しかも、あの建物ではこの前、殺人事件が起こったんでしょう? もしかしたら、危ない人たちが隠れ家にしてるかもと思ったのよ」

 あの子には申し訳ないけれど、私やアイリーンがあの建物に入った理由は警察にはまだ話さないでおきたい。私たちの素性もだ。アイリーンが無言でいるのもそのためだろう。それに、少女から聞いた話は本当だ。


 ロイド警部は、「ふーん」と怪しむような目をしながらも、汚い字で調書にペンを走らせる。

「あ、あの……ロイド警部? あの床下から見つかったものって、なんだったんです?」

 知りたくはない。けれど、確かめないわけにもいかなかった。

「ああ……今、調べてる最中だ……」

「人……だったんですか?」

 尋ねる声がうわずる。しかも、警官たちが運び出した麻袋は一つではなかった。五つはあっただろう。どれも黒々と変色していたようだ。

「ああ……まあな……だが、かなり時間が経ってる……」 

 ということは、カルマン殺害の事件が起きる前から、それらの遺体はあそこに隠されていたということだ。

「店を経営していた人とは関係あるんでしょうか?」

「さてな、経営者も従業員も行方がわからなくなってるんだ。聞きようもねぇよ」

 ロイド警部は投げやりに答える。本気で調べるつもりがあるのかしら、この人。なんだかひどくやる気がないように見える。あからさまに、面倒な事件の担当になってしまったと嫌そうな顔をしているのだ。


「とにかく、私ももう一人の子も、無関係なのはわかってもらえたでしょう? もし、私たちが何かに関わっているのだとしたら、わざわざ警察を呼んだりしないんですから!」

「まあ、そうだろうな……ひとまず、帰っていいが……いつでも連絡を取れるようにしておいてくれ。月の舟……だったか? そこに繋ぎを取ればいいんだろう?」

「ええ……まあ、そうしてもらえると……」

 私はモゴモゴと答える。ちょっと調べられたら、私があの店でもう働いていないことはすぐにバレるだろう。アイリーンが娼婦ではないこともだ。


「と、とにかく、後のことはよろしくお願いします。あの子のことも……身よりがない子のようでしたから」

 私はそれだけ言い残して立ち上がり、取り調べ室を出る。警察署の玄関で先に調べを終えたアイリーンが待っていた。私が駆け寄って声をかけると、ぼんやりしていた彼女が振り向く。いつものアイリーンとはまったく違う、暗く、陰りのある瞳だった。

「大丈夫……? アイリーン」

 私が小声で尋ねると、彼女は「ええ」と答える。どこか心ここにあらずというような返事だった。

 彼女の腕を引いて警察署を出ると、私は通りを走る辻馬車を呼び止める。それに乗り、あの図書館のある公園まで向かってもらった。公爵邸まで送ってもらわなかったのは、あのロイドという警部に調べられるのではないかと思ったからだ。公園からなら公爵邸は近いし、私の滞在している叔母様の屋敷へも歩いて戻れる距離だ。


 アイリーンは馬車の中でも終始無言のままだった。公園に着いて馬車を降りた後も。「ごめんなさい。ドリス……今日は疲れているみたい」と、彼女はうつむいたまま言って帰ろうとする。私はその手を思わずつかんでいた。彼女を一人にしておくのがひどく心配だった。振り向いたアイリーンがようやくその虚ろな瞳を私に向ける。

「あの……アイリーン。今日はあなたの屋敷に泊まってもいいかしら? ほら、こんな時間だし……叔母様に見付かったら怒られてしまいそうなのよね。もちろん、部屋はどこでもかまわないの! 書斎でも、図書室でも、ソファーがあれば眠れるから……め、迷惑なのはわかっているんだけど!!」

 私は早口で言って、無理に笑みを作る。夜の風が冷たい。月が薄ぼんやりと闇の中に浮かんでいた。

「…………でも…………」

「お願いよ! 私も……今夜は誰かに一緒にいてほしいの……色々あって……こ、怖くなっちゃったから!」

 私はパッとアイリーンの両手をつかむ。だって――一人にしておいたら、あなた、死んでしまいそうな顔をしているんだもの。そのことを、わかっていて?

 唇を引き結んで彼女の冷えている両手を強く握り締める。

「………………ありがとう、ドリス」

 アイリーンが私の方を向いて、ほんの少し泣きそうな声で言った。顔を上げると、アイリーンが私の手を解いて抱きついてくる。私たちの影が公園の入り口に伸びていた。人気はなくて、外灯が灯る。

 私は微かに震えている彼女の背中に腕を回して、「大丈夫……二人でいれば怖いことなんてないんだから」と小さな声で言った。それは、ダイアナがよく言っていた言葉だ。私たち二人でいれば、どんなことだって乗り越えられて、怖い物知らずで勇敢にも慣れた。それを思い出して、少し涙ぐみそうになる。


 きっと、今の私たちには誰かの温もりが必要なのだ。


 私とアイリーンが歩いて公爵邸に向かうと、出迎えてくれたのは従者だった。夜も遅いから他の使用人たちは部屋に戻って休んでいるのだろう。アイリーンがエドワードと呼んでいたその従者は、私たちを見るとわずかに驚きの表情を浮かべていたが、深く事情を聞かずに部屋に案内してくれた。

 公爵邸ともなれば、いつ客人が訪れてもいいように客用の寝室くらいはいつでも用意されているらしい。客用の寝室に入ると、すぐにメイドがやってきて暖炉に火を入れ、浴室の湯船にお湯を入れてくれた。


 お湯に浸かって温まりながら、私は浴室の壁に取り付けられている灯りを見つめる。

 アイリーンがあんなに動揺するなんて、正直意外だった。彼女はあまり動じることのない性格だと思っていたから。こんなことなら、彼女を巻き込むのではなかったと後悔が過る。

「これ以上は、一人で調べるほうが良さそうよね……」

 私はお湯に深くつかりながら呟いた。殺人事件なんて、アイリーンのような良家のご令嬢が関わるべきものではない。私はどうせ醜聞なんて関係ない田舎貴族の娘だ。


 浴室から上がった私は、寝間着とガウンを羽織る。色々なことがあって疲れているのに、頭は妙に冴えていてすぐには寝付けそうになかった。私は「そうだ」と呟いて、部屋を抜け出す。廊下はしんっとしていて、灯りが灯っている。図書室の場所は前回、屋敷を訪れた時に教えてもらっている。鍵がかけられていなければ、入ることはできるだろう。ただ、勝手に入ったことが知られたら、叱れそうだ。


 ルームシューズのまま図書室に向かうと、灯りが点いていた。扉を少し開いて中を覗いてみると、誰かがいるようだった。「アイリーン?」と、声をかけながら中に入る。彼女も眠れなくて、図書室にいるのかと思ったのだ。けれど、ソファーに寝そべるようにして本を読んでいたのは、アイリーンではなく、彼女の兄のウィリアムだった。彼は私を見ると、すぐにソファーから起き上がる。シャツとズボンという軽装でガウンを羽織っている。入浴した後なのか、その髪はしっとりと濡れているようだった。

「……………もしかして、眠れなかった?」

 ウィリアムは穏やかな口調で私に尋ねる。私は「ええ……」と答えて、彼の向かいのソファーに腰を下ろした。

「驚かないのね……」

「アイリーンが連れてきたんだろう? 夜遊びでもしてた?」

 彼はグラスにお酒を注ぐと、私の前に置いて微笑む。

「そう……そうね。夜遊びなのかも……でも、もうしないわ……」

 私はグラスを両手で持って、ブランデーを揺らしながら答えた。それから、ウィリアムの顔を見る。

「あなたは? こんな時間まで読書?」

「君と同じだよ。眠れなくてね……」

「そう……邪魔してごめんなさい」

「いいや、ちょうど話し相手がほしかったところだから」

 そう言うと、彼は自分のグラスにもウィスキーを注ぎ、ぐいと飲み干していた。落ち込んでいるのだろうか。なんだかその瞳が、思い詰めていたアイリーンと同じように見える。


「…………辛いことでもあったの?」

 私が尋ねると、ウィリアムは言葉を詰まらせて私に視線を向ける。それか苦笑いを浮かべていた。

「……自分のふがいなさを実感して打ちのめされていただけだよ」

「あなたのような人でも、そんなふうに思うことがあるのね」

「どうして?

「だって、完璧に見えるもの……」

「そんなことはないさ。見かけ倒しだよ。僕は……何の役にも立てやしなかった…………あげくに……」

 彼は言葉をのみ込み、唇を強く噛んで俯いていた。私は少し迷ってから彼の隣に移動する。そうしないと手が届かなかったから。湿っている髪に少し触れると、ビクッとしたように避けようとする。私は彼の頭をグイッと自分の方に引き寄せた。そうしないと、この人が壊れてしまいそうに見えたから。


 ウィリアムは驚いたように硬直していたけれど、急に糸が切れたように声を押し殺して泣き出す。

 どうしてだろう。この人はアイリーンではないのに。なんだか、彼女を腕の中に抱いているような気がする。だからだろうか。私はこの人が男の人であることも忘れて、強く抱き締めていた。

 胸が張り裂けそうに思えるのは、きっと彼の心の痛みが伝わってくるから。それは大切な人を失った心の痛みだ。それを私も知っている。永遠に癒えることがないということも。


 

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